Interlude #1

 渋谷区、青山通り。

 都内でも屈指の高級服飾店や宝飾店が並ぶその通りの一角に、一軒のオープンカフェがあった。周囲の店に呑まれることなく、落ち着いたシックな雰囲気で存在をアピールしている。

 カフェの軒先にある、本物の樫材で組み上げられた広いテラスで、一人の女性が本を読んでいた。

 品の良いワンピースに身をつつみ、穏やかな微笑を浮かべてページをる清楚な姿は、背景のカフェにとけこんで一服の絵画のようにみえる。

 午後のうららかな陽射しの中で読書を続ける彼女の半身に、影が落ちた。本を広げたまま、女性が顔を上げる。

 その視線の先に、サングラスで顔を隠したスーツ姿の女性が立っていた。サングラスに覆われていても整った顔立ちをしているのが垣間見えるが、分厚くひいた真っ赤な口紅ルージュが、他のすべての印象を打ち消してしまっている。

 スーツの女性が、赤い唇を開いた。

「こんなところに呼び出して、どういうつもり?」

「『人はみな記憶力の乏しさを嘆く。しかし、だれも判断力の乏しさを嘆かない』。──こういう場所の方が、内緒話にはふさわしいですから」

 サングラスの奥で眉を寄せ、スーツ姿の女性はテーブルの上に広げられた文庫本を指さした。

「ロシュフコー?」

「いいえ、芥川あくたがわです」

 ワンピースの女性が、手にした本を軽く掲げてみせる。表紙には『侏儒しゅじゅの言葉』とあった。

 大袈裟なため息をついて、スーツ姿の女性が本を掲げる女性の対面に座る。

「……相変わらずいい性格してるわね、〝人形使いマスターマインド〟」

〝人形使い〟天船巴あまふねともえは、本を閉じて優雅に笑ってみせた。

「貴方ほどではありませんよ、〝湖の貴婦人ヴィヴィアン〟」

 それには応えず、〝湖の貴婦人〟と呼ばれた女性は片手を挙げて店員を呼んだ。

「ご注文、お決まりでしょうか」

 間を置かずにやってきた店員へ、メニューも見ずにオーダーを告げる。

「フォートナム&メイソン、アッサムのT.G.F.O.P.で。あと洋梨のタルトを 」

「かしこまりました」

 完璧な一礼を見せて店員が退がると、〝湖の貴婦人〟はサングラスを外して瀟洒なテーブルの上に置いた。赤い唇にふさわしい切れ長の瞳が、巴をめつける。

「それで、こんなところまで私を呼び出した理由はなんなの?」

「作戦がしました」

 まるで明日の天気を話題にでもしているような口調だった。だが、報告を受けた〝湖の貴婦人〟もまた、「ふうん?」と軽く受けただけで、たいした動揺は見せていない。

「説明はあるのよね?」

「ええ、もちろん」

 巴はうなずき、笑みを浮かべたまま報告をはじめた。

「目標を襲撃した二名は死亡。死体はUGNに回収されたようです。囮として派遣した部隊も撤収しています。そちらはUGNとの戦闘で三名の死亡者が出ました。完敗と言っていいでしょう」

「襲った方が死亡……」

〝湖の貴婦人〟は巴の報告を繰り返した。ぱっと派手な笑顔を浮かべ、興奮ぎみに両手をテーブルについて身をのりだす。

「ひょっとして、がやったのっ?」

「いえ、残念ながら」

 巴はかたわらのポーチから小型の携帯端末タブレットPCを取りだし、細い指を画面の上で何度か滑らせると、〝湖の貴婦人〟へ向かって差しだした。

「んー?」

 眉を寄せて〝湖の貴婦人〟がその画面を覗きこむ。望遠で撮影した画像を限界まで拡大したらしい、粒子の荒いその写真には、高校生とおぼしき制服姿の一組の男女が写っていた。

「撃退したのは女の子の方だそうです。なかなか優秀な護衛のようですね」

「なあんだ」

 真っ赤な唇を子供のように尖らせた〝湖の貴婦人〟は、ふと何かに気づいたのか、携帯端末を手に取って画面を凝視した。

「お待たせ致しました。フォートナム&メイソンのアッサムティーと、洋梨のタルトでございます」

 店員がやってきてもじっと携帯端末の画面に見入っている〝湖の貴婦人〟の代わりに、巴がテーブルの上を指し示した。

「ありがとう」

 配膳を終えた店員に、巴はにっこりと笑いかけた。白い歯をのぞかせて、店員が一礼する。

「恐れ入ります。ごゆっくりと、おくつろぎください」

 店員が立ち去っても、〝湖の貴婦人〟はなにごとかつぶやきながら手にした端末を見つめていた。巴はそれに割り込むことなく、自分の前に置かれた紅茶を飲みながら彼女の次の反応を待った。

「……ああ」

〝湖の貴婦人〟の表情に、理解の色が広がった。

「何か、おわかりになりまして?」

 にんまりと笑みを浮かべる〝湖の貴婦人〟に、巴が問いかける。

〝湖の貴婦人〟は、テーブルの上に置いた端末に人差し指を乗せ、画面の一点を軽く叩いた。そこには、巴が優秀な護衛と評した長い黒髪の少女が写っていた。

「この子がなにか?」

「昔、私がすこししてあげた子。懐かしいわあ、あの子と一緒にいるなんて、すごい偶然」

 大好きなおもちゃを与えられた子供のような無邪気な瞳で、〝湖の貴婦人〟が笑う。

 上機嫌にティーカップを手に取り、一口飲んだ彼女に向かって、巴は口を開いた。

「もうひとつ、お話が」

「ん、なあに?」

「次の作戦の許可を頂こうと思いまして」

「そんなこと」

 〝湖の貴婦人〟は不満げに眉を寄せた。テーブルに右腕の肘をつき、手のひらを台にしてあごを乗せる。

「メールか電話で良かったのに」

「結果論ですけれど、直接お会いして良かったと思います。貴方のが増えたようですし、計画をすこし変更したいんです」

「ふうん……」

 頬杖をついただらしない姿勢のまま、〝湖の貴婦人〟は真っ赤な唇の両端をつりあげた。

「聞かせてくれる?」

「ええ。まず──」

 巴のが始まった。ゆったりと両手の指をからみ合わせてテーブルに添え、落ちついた口調で計画の内容を明瞭かつ具体的に語っていく。

 微笑を浮かべ、終始静かな語り口で説明を続ける巴とは対照的に、〝湖の貴婦人〟は次第に頬を紅潮させ、瞳が潤んできらめきはじめた。無意識に頬杖を解き、身を乗り出して聞き入っている。

「──いかがでしょうか?」

 巴が語り終えると、〝湖の貴婦人〟は恍惚とした表情で自分を抱き締めるように両肘を抱えこんだ。

「ん~~~~っ、良いわ! 素敵! さすが〝人形使いマスターマインド〟だわ! よくそんなえげつないこと、考えつくものね!」

「お褒めにあずかり、恐縮ですわ」

「ああ……この作戦がはまったら、あの子たちどんな顔をみせるのかしら……見てみたいわ……その場に居られないのがもったいないくらい……」

 うっとりとため息をつきながら視線をさまよわせていた〝湖の貴婦人〟は、思いついた表情で巴を見た。その瞳が、興奮で濡れ光っている。

「ねぇ、アナタの作戦がしたら、次は私が作戦考えてもいいかしら? アナタの計画聞いてたら、いろいろ思いついちゃった」

 聞きようによっては果てしなく失礼な言い草だったが、巴はにっこりと笑みを大きくしてうなずいた。

「ええ、ぜひ。考えをまとめられたら、わたくしにも聞かせてくださいね」

「もちろんよ! あぁどうしよう、アレを使うのがいいかしら……ううぅん、でもアレも捨てがたいし……」

 あごに指をあて、ぶつぶつとつぶやきながら再び視線を虚空にさまよわせる。

 自分の世界に入ってしまったらしい〝湖の貴婦人〟を、ついに一度も表情から消さなかった穏やかな微笑を張りつかせ、巴は静かに見つめていた。



 ──To be continued ; Second Erosion phase#1

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