都市伝説って呼ばないで

阪本 菊花

都市伝説って呼ばないで

 …あなたはずいぶんと、たくさん都市伝説を知っているのね。たくさん。ええ、でもそれだけね。だってあなた、それがなにでできているか知っていて?ええ、そうでしょう。そうでしょうね。

 …わたし?ええ、私は知っているわ。ようやく見つけたのよ。偉大な革命ね。何故って、都市伝説というものがどうしてこんなにあなたを惹き付けてやまないのか、不思議で仕方がなかったからに決まってるじゃない。このひと月と数日間、あなたの熱中ぶりに、私はずっと、不信感さえ抱いてきた。だけどようやっと、あなたを真実、理解することができる。

 そうね、これは本当にいっとうの大発見だから、本当は私だけのものにしなくちゃいけないの。だってあなたが自分で見つけたほうが、わくわくするでしょうからね。ともだちごころというやつだわ。配慮よ。でも、そうね、これはきっと、夏のうちがいいのね。あなた、たくさんそれの話をしてくれて、そのおかげで私は見つけたのだし。これもともだちごころというやつだわ。ええ、教えてあげる。夏のあなたにだけね。…さ、耳を貸して。誰もいないけど、だって、あなたがいるじゃない。

 都市伝説は、夏のむくろでできているのよ。


 さて、夏のむくろ、と言ったわ。私があなたを連れて、海へ出かけたのがこの夏のことよ。あれはかんばしくなかったわ、なにせ空も海も青いものだから、どちらがどうとか、しかと掴みきれなかった。お互い水着も持ち合わせていなかったし。ごうごうに焼けた砂が足の皮を剥ぎながらそこら中に入りこんで、ああ、痛いし気持ちが悪いしで散々だった。よく覚えているでしょう。というよりも、体に痕が残っているわね。

 私はいつか死ぬわけだけれど、あの不快な海は、永久消えることがない。夏も同じことだと思うのよ。あなた、都市伝説がすべて、あったことのある夏だと考えてごらんなさい。誰かの頬を撫ぜた、何ともつかない白い気配。それが人々の口から出て行って、少しずつ、少しずつ、腐っていく。確かにそこにあったからよ。もう似ても似つかない見目になっても、誰かの過ごした夏なのね。黄ばんでも白いワンピースなの。蛾の羽音はひとの話し声によく似ているわ、だから、夏のむくろは、腐りきる前には飛んでいくのかもしれない。分からないわ、分からないけれど、そうならいいと思わなくって?花子さんと誰かの友情や、閉園後の遊園地の夢は、誰にも知られずに、ひっそりと星になる。ここに恐ろしい話だけを残して……、ああ、うつくしくなるのね。

 私とあなたはって?いいえ、空に飛んでなんて行かないわ。私たちのことを誰が口にできるというの。私、ふわふわ星ばかり見るようなひとと、友達になろうとは思わない。だから誰にも、あなた以外には、絶対にあなたとの夏のこと、話したりしないわ。


 髪をしばるのは、女の首を絞めるのによく似ていると思わないかしら。絞めたことがないから分からない、なるほど、私はあなたの寝ているのをそうしたことがあるからね。でも、だからって、そこから死を連想するのはおかしいって?そうかしら。

 こんな話があるのよ。

 友達のできない女の子の話。…ちょっと、そこで私を見ないでちょうだい。夏休みが始まる日……だから終業式ね、その日に、自分の髪ゴムを半分に切ってしまったのよ。どうせ誰とも遊びに行かないから、きつくしばれなくったって困りはしないわ、ってね。その半分で適当に束ねた髪で、学校に行って、それで帰ってきたら、もう半分が無くなっていた。無くなっていた、っていうと違うわね、移動していた、ってことなの。出しっぱなしのハサミのとなりには、半分になったゴムで適当に束ねた髪の女の子がいた。部屋の主にへらって笑いかけて、ゴムをわけてくれるなんて、あなたは優しいわ。覚えていないわ。あら、困っていた私にゴムを貸してくれたじゃない。あなたは優しいわ、だから、わたしはあなたのともだちね。女の子の夏はそこでがらりと変わった。半分のゴムは腐りかけの心じゃなくて、友情の分け合いになった。髪がほどけても、行ったことのない場所でも、日が暮れるまで、夏が終わるまで、ふたりはずっと一緒にいた。というより、女の子の方が手を離さなかったのね。夏休みの終わる日には、彼女はすっかり、友達のことを心底友達だと思っていたから、学校にも一緒にこれから行くんだと信じていた。けれど次の日、友達の方はもう部屋にはいなかった。前の日までとは違って学校があるから、女の子の方もずっと部屋にいるわけにはいかない。帰ればいると思ったけれど、いなかった。お菓子もジュースも並べたのに、部屋も片付けたのに、いなかった。どうして、どうして、って部屋の中でひとり考えるうち、女の子ははっとして、髪をほどいた。

 ー友達は部屋にいるものじゃなくて、部屋に来るもののはずじゃないかしら。

 ……ああ、別に、これで終わりよ。髪ゴムで首を絞めて死ぬとでも思った?残念だけれど、半分のゴムで死ねるほど、人間やわにはできていないわ。知ってるでしょうに、知らないふりなんて、やあね。

「友達」が結局なんだったのかは定かじゃないし、そこがきっと怖いのだろうけれど、私はこの話を聞いたとき、どちらかというと女の子の方に不思議さを覚えたの。

 どうして髪をほどいてしまったのかしら、ってね。

 髪をしばるのは、女の首を絞めるのに似ている。だから、ずっとそのままでいたらいいのに。苦しければ誰かが手を差し伸べてくれるって学んだのに、どうして苦しもうとしなかったのかしら。きっと脚色なのね。ふたりは本当は、ずっと一緒だったかもしれないじゃない。腐ってしまっただけよ。


 海の話をしたでしょう。私、あなたと出会う前に、あそこへひとりで行ったことがあるの。この夏にね。そのときもあそこには青しかなくて、びっくりするほどつまらなかった。

 あそこで蛾を見たの。それからびっくりするような闇。みんなが確かに楽しんでいた場所で、蛾がいくつも、いくつも、電燈に踊らされていた。その横でじっとそれを見ていると、ふら、っと道路に落ちたのがひとつあったから、そっちへ目を落とした。ちょうど足下だったわ。泥色の羽根がコンクリートに散らばっていたの。破片は闇に包まれていて、それでね、ひかりの外に出たら誰の目にも映らないんだと思ったわ。私の足も、いくらか呑み込まれていた。夜の海には波の音がいた、それと生きのびた蛾と、私の頭。そこで私は、初めて、どうしてひとが海を愛するのかとか、夏に都市伝説をしゃべりたがるのかとか、そういうことを、心臓のそばの、とびっきり奥のほうで理解したのね。まだ、しっかりとではなかったけれど。

 蛾はそのあと、どこか高くへみんなで舞い上がって行った。私は足下のあの蛾だった闇を見ていた。

 それがもうすぐ土に還るのを、私は本能で悟ったわ。それで、なら私のこの記憶はどうなってしまうのかと思ったの。私がひとにこの哀れな泥色の話をしたとして、それが本当だったとは言えなくなるじゃないかと憤った。私はまるで本質が見えていなかったのね。

 腐ってあとかたもなくなるから、だからひとはひとに拠り所のない話ばかりするんだわ。都市伝説って、かげろうのようにあるかないか分からない話、とりとめもないような墓標だわ。でも、誰かが言わなければなかったことになってしまうから、とりあえず話しておくのよ。自分がいなくなったときに、誰か自分がいたことを信じてくれるような世界であるように。

 私は、すべてを知って、もう一度足下を見たわ。得体のしれない闇はますます濃くなって、海風も強くなって、破片はとうとう電燈から見放されてしまっていた。私はそれを見て、胸をつかれたような心地がした。私があれについて口をつぐめば、あれはいなかったことになる。でもあれにとって、ここはまぎれもない墓場だったのよ。

 ……あなた、なにを嫌そうな顔をしているの。私はこの夜、とても安堵したのよ。私たちの夏がそういうものじゃないことに。

 都市伝説は、夏のむくろの腐りかけでできているんだわ。

 だから話さずにはいられないのよ、本当に腐って、腐りきってしまうのを、どうにか止めないとならないような、そんな話ばかりなのよ。

 ああ、蛾が飛んでいった。あれもじきに落ちるのでしょうね。だから私がこうして話さないことには、生きてもいなかったことになる。

 でもあなたはそうじゃないでしょう。……どうして髪をほどこうとしているの?変わろうと、話に残されようとなんて、あなたはしなくていいじゃない。あなたはあのひとつきりの蛾とは違う。あなたは私といる。海と同じだと思ってよ。記憶の底にいつまでもあって、決して忘れることのない存在。

 夏は終わらないわ。わたし、そう考えている。だから私たちの夏は腐らないし、誰かに話してもらう必要もない。あなたがいることは私だけ知っていたらいい。あなたは私とずっと手をつないでいるから、バラバラに飛び散ったりなんてしない。あなたとの夏はむくろになったりしない、ずっと、ずっとそのままだわ。

 だって私はここにいたじゃない。あなた以外に誰が私がいるのを、いたのを、言ってくれるひとがいるの。あなたがもしいないなら、わたし、いなかったことになる。あの蛾と同じよ。腐っていくのよ。私、いなかったことになるのは嫌よ。土に還るのも。だからお願い、あなたは私に首を絞められてここにいるのよ、そうでしょう。そうって言ってよ。都市伝説なんて呼ばないでよ。

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