21 彼と世界の境界線(1)
週末の明けた月曜日。
朝登校すれば、玄関先でばったり瑞樹先輩に出会した。
「若菜ちゃんおはよう」
「……お、おはようございます」
復縁を迫られたことを思い出して、少しだけ身構えてしまう。
見張った瞳の向こうで、先輩は爽やかに口元に弧を描いた。
その、どこか余裕を滲ませる仕草が嫌で、視線を足元に落とす。
早くこの場から離れたくて靴箱に手をかけても、その気配はなかなか消えてはくれない。
どうやら、靴を履き替えるわたしを、先輩は待っているようだった。
ジ、と感じる視線に心なしか指先が震える。
何だか、複雑な気持ち。
「若菜ちゃん、今日のお昼一緒に食べない?」
「えっ?」
立ち上がった瞬間に横からそんな誘いが聞こえて。
ぽかんと口を開き振り向いたわたしに、先輩はくすくすと笑う。
「そんなに驚くことじゃないでしょ? で、返事は?」
「あ、えっと……」
困った。きっと前までのわたしなら、喜んでご一緒するところだろう。たけど今はうまい言い訳ばかりを考えてしまう自分がいて。
どう断ればわだかまりを作らずに済むだろう、とか。丸く収まるだろう、とか。
けれどそんな都合のいい答えなんか出てくるはずもなく。
「……今日、だけなら」
下手な笑みを浮かべて誤魔化す。
そんなわたしに、先輩は目を細めて笑う。
「じゃあ僕、中庭で待ってるから」
「わかりました」
階段前で別れると、どっと酷い疲れに襲われた。
「高倉くん、ちょっと」
やっと一時間目の授業が終わり、次の授業までの隙間時間。わたしは席を立とうとする高倉くんを呼び止めた。
なぁに? としまりのない笑顔の高倉くん。
溜め息を吐きながら少し非難の視線。
「……放課後、話しがあるんだけど」
「えー? ここでは出来ない話ー?」
困ったように眉を下げ、人差し指を立てて顎に当てながら口唇を突き出す。
また、得意のとぼけたフリ。
意外にもそんな仕草が様になっていて眉を寄せた。苛つく。
「この間の放課後のことも含めて、
「あはっ! いいねぇ」
待ってましたと言わんばかりに細められた目は、不快意外の何者でもない。
高倉くんはどういう意味を持ってそんな笑みを浮かべるのか。
わたしはその意図を量りかね、彼の表情をさぐった。けれど、
「高倉ー、教室の外で可愛い子がお前のこと呼んでるぜー!」
高倉くん呼び出しの声にそれは中断させられた。
「うん、今行くー」
迷いもなしに高倉くんは立ち上がる。
そうして振り向いた瞳は一瞬。
「放課後、一階家庭科室横の空き教室でね」
高倉くんは一方的に場所を指定して、女の子の元へと歩いて行った。
教室後方の入り口付近で女の子と
「(……なんで)」
いろんな女の子とあんなに仲良くすんだろう。
女の子の誘いは絶対断らない高倉くん。
でも、隙は見せない高倉くん。
俺の考えていることは誰にもわからない、と、壁を作る高倉くん。
「……なんか、引っかかるんだよなあ」
わたしは机に肘をつきながら、ふと独白を落とした。
「若菜ちゃーん、こっち」
4時間目の数学が終わると、わたしは弁当片手に中庭へと移動した。
ぽつんと置かれているベンチにはすでに瑞樹先輩がコンビニ袋をたずさえていて、待ちかねたように隙間をぽんぽんと叩いている。
わたしは特に急ぐこともせずに近付くと、少し隙間を空けて横に腰掛けた。
「先輩はいつもここで食べてるんですか?」
弁当を広げて、小さく溜め息。
相変わらず冷凍食品ばっかりだなあ。ひじきは入れないでって、あれほど言ったのにまた入ってるし。
そんなことを密かに考えながら、弁当をぱくつく。
「いやー、最近食べすぎてね。無駄に体が重くなったから絞ってるんだよね」
「ダイエット、ですか?」
「そんなところ」
先輩は渋面を作り、コンビニ袋の口をあけた。
中には育ち盛りの男子にとっては物足りないであろう品々が並んでいる。
「教室だと人のが目に入って食べたくなるからね。サッカー部のやつらなんて、弁当以外にパンも食べるしさ」
それらを指でさしつつ話す先輩は、横に置いていたのであろうペットボトルを掴み蓋を開けた。
透明なペットボトルの中の、透明な液体。
ミネラルウォーターと印刷された文字が踊るそれは、傾くままに先輩の口へと流れ出す。
ぱちり、目が合えば嬉しそうに先輩は目を細めて。
「卵焼き美味しそう」
「あ、あげないですよ」
「若菜ちゃんって意外とケチだね」
「ケチでもあげません……!」
先輩に取られる前に、と一口で頬っぺたへ卵焼きを詰め込んだ。
ここは、
わたしはもぐもぐと口を動かしながら、サトルは今何をしているだろうとそればかりを思っていた。
まだ大学は夏休みのはずだから、バイトだろうか。それなら、きっと同じように昼休みだ。
ご飯は多分、コンビニ弁当かな。手作りって柄でもないし。
そうだ、今度何か作ってあげよう。生活習慣病とか最近流行ってるから。
そんなことを考えながらご飯を食べていたら、あっという間にお弁当はからっぽになって。
わたしは学校に来る途中にコンビニで買ったパックのオレンジジュースにストローをつきたて、ちゅーっと吸い上げた。
固形状の栄養食品を摘み、咀嚼する瑞樹先輩の瞳は前を見つめたまま。
これからの授業、果たして先輩は乗り切れるのだろうか。
ストローを咥えながら先輩の横顔を見つめる。
そんなわたしの視線に気付いたのか、先輩がちらりとわたしを見て、それからふっと笑った。
「若菜ちゃん、飲ませて」
「え、」
ぐん、と伸びてきた先輩の手がわたしのパックを取り上げた。
かと思えば、何の躊躇いもなくストローに口をつける。
「せ、せんぱい?」
「ん?」
「それ、わたしが飲んでたやつ、で……」
「知ってるよ。下心がなかったら普通はしないよね。それより、オレンジジュース美味しいな。ダイエットやめたくなっちゃうかも」
横取りされたわたしのパックが手に戻される。
瑞樹先輩は何事もなかったかのようにまた栄養食品を食べはじめた。
下心……?
その一言がぐるぐると頭の中を駆け回る。
突拍子もない出来事に頭がついていかず、真っ白になった脳内。
……え、なにこれ。間接キス? このパックをどうしろと?
と、心の中で何度溢しても先輩には伝わらず。
恋愛経験のなさが
一瞬で顔に熱が集まるのを感じて、更に恥ずかしくなる。
口をぱくぱくさせるだけの自分が金魚のようで酷く滑稽だ。
「そんなことより若菜ちゃんさ、金曜日の夜って空いてない?」
「……随分唐突ですね」
「うん」
女子さながら話題を脈絡のない方向へ飛ばす先輩に、少しばかり肩透かしをくらったような気持ちになった。
特に予定はありませんけど、と答えると、瑞樹先輩は満足そうにニヤリと笑う。
「実は知り合いの兄さんが居酒屋を経営してるんだ。若菜ちゃんの話したらさ、是非連れて来いって。だから行こ」
暑くもないのに、嫌な汗が滲む。
YESしか受け取らないその物言いは、ざわつく感情しか生まない。
それを押さえ込んで、気づかれないよう深く呼吸を繰り返す。
「あ、……は、い」
「うん、じゃあ場所は――」
先輩はいくつか駅前付近の場所を口にしたあと、空になった栄養食品の袋をくしゃりと丸めた。
――断ろう。
行けば必然的に2人きりになる。その時に、この前の告白の返事をきちんとしなければ。
そう決意したのとほぼ同時に、昼休みの終わりを告げるチャイムがスピーカーから流れだす。
握った手の内側では、パックがじんわりと結露していて。
ジッと見つめてくるのを肌で感じたけれど、あえて先輩の方は見なかった。
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