19 SIREN

昼休みの廊下は、ざわめきで満たされていた。

トイレの前や渡り廊下でつるむ子たち。ノートの貸し借りや、誰かの噂話に余念がない子たち、さまざまである。

それらの群れを離れ、わたしは屋上に弁当を持ち込み、ひとり避難していた。


空は高く、風は心地よい日本晴れ。

9月も半ばに入りかけた穏やかな日である。


あーあ、とわたしは声に出して溜め息をついた。

こうやってボーっとフェンスにもたれていると、どうしても先日のやり取りを思い出す。

――放課後の図書室。苦しそうに顔を近づける、高倉くんのことを。


あの日から、6日経っていた。

翌日に登校した際に高倉くんとばったり玄関で鉢合わせてしまった時は、このまま無視されてしまうんだろうと身構えていたが、それも杞憂きゆうに終わった。


『おはよ』

『……おはよう』


少しの驚きをやり過ごそうと、横髪を耳に掛ける。

夕暮れの図書室で、無機質に「ガッカリだ」とわたしに告げた彼。

当然今日も、あの冷え切った視線を向けられるんだと思っていたから、肩透かしを喰らった気分で。


でも。

その日の昼休みから、高倉くんはふらりと教室から姿を消すようになった。

そうすると常に話題を求める学生たちの視線はもちろんわたしに集まる。


『岡元さん、絶対色目使ったんだって』

『てゆーか、身の程知らずって感じ』

『大人しそうな顔してこわいよね〜』


ってな感じで。


彼がいないことをいいことに目配せし合いながらこちらを窺う女子たちの視線は、居心地が悪いことこの上ない。

笑われるいわれはないのだから、堂々としていればいい――と頭では思うが、しかし噂話の真ん中にいて平気か? というと、それとこれとは別問題だ。

わたしだって自分の評判は気になるし。

たとえ彼女らが別のことで笑っていたのだとしても、自分を見て笑っているのではないかと思えて憂鬱になる。

そうなると自然、弁当だって教室では食べられるわけもなく――というわけで。通算、今日で4回目の屋上である。


空っぽになった弁当箱にひっそりとフタを重ねたとほぼ同時に、昼休みの終わりを告げるチャイム音が響き渡った。

わたしは素早く荷物をまとめると元来たドアから屋上を出た。



  ◇



「よし、今日はご褒美だ。買っちゃお」


2時間連続の体育の後、わたしは小銭を手に自販機へと向かった。

普段は節約してお茶をマイボトルに入れて持参しており、ジュースなんて滅多に買わないけど。今日は特別だ。

運動音痴なわたしにしては珍しくシュートが決まったし、お陰でチームのクラスメイトたちから「ナイス!」と言われたし。


わたしは投入口に小銭を次々と入れ、リンゴジュース缶の青く点灯したボタンを押した。

ゴトンと、と鈍い音がするのを待ち、取り出し口に手を差し込む。

そうして拾いあげた缶のタブを開け、さあ今から飲むぞと口に持っていきかけた時だ。


「ねぇ、さっきスゴイこと聞いちゃったんだけど」


「えー、なになにー?」


「あのね、実はさ」


聞いたことのある声。どうやらわたしと同じように飲み物を買いに来たクラスメイトだろう。

そこまで考えて、わたしは自分の今の立ち位置が彼女らにとって明らかに邪魔になるであろう、と近くの壁に背中をあずけた。

けれど、前を横切った2人はちらちらとわたしの顔を窺ってきて。


「(気付かれてないと思ってるのかな? バレバレだよ……)」


わたしは手の中の缶をぎゅっと握り、意識して両足を踏ん張った。

もう、うんざりだ。どうせまたあることないこと陰口を叩かれてるに違いない。

わたしは重たい溜め息をつき、顔を伏せた。

これ見よがしに噂しあう彼女らを避けたいばかりに、下りなくてもいい階段を下りよう、と足を一歩踏み出す。

聞くともなしに彼女たちの会話に耳を傾けて。


けれど。


「――千紘ちひろくん、一年の柳沢さんと付き合ってるんだって」


わたしは踏み出した足を返し、彼女たちの背中を振り返った。


今、なんて言った?

自分の耳を疑う間にも、声は続く。


「え、じゃあ岡元さんは……、」


「なんでもないらしいよ。ちょっとからかってただけなんだって。しかもね、それが……」


尚も彼女たちは喋っていたが、それ以上の声はわたしの耳には届かなかった。



――高倉くんが柳沢さんと、付き合ってる?


――じゃあ瑞樹先輩はどうしたの?



どくどくと鼓動が高鳴るのは、さっきまでの反抗心からではない。

彼女たちが残した言葉は、理解の範囲を超えているだけに、わたしは得体のしれない不安を感じることしかできなかった。


逃げるように早足で歩き、やがて。人気のない校舎裏まできてわたしは壁に背中をあずけた。

飲みたかったはずのジュースは、やたらと甘さがまとわりついた。

手のひらをびっしょりと濡らした結露ごと、わたしは空になった缶をゴミ箱へと投げ捨てる。


高倉くん本人に確認したわけじゃないけれど、6日前のことを思うとどうしてもただの噂話としてあしらうことができない。


高倉くんが柳沢さんと付き合ってる――それがわたしには、なにか妙だった。

どこがおかしい、と問われればわからないと答えるほかない。

けれど、ジグソーパズルの1ピースがあわないような。

そんな違和感を覚えたのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る