第59話 人質交換(7)


 石壁の階段を駆け下りてくるロウタの叫びに、皇国兵たちが顔を上げる。


「急げ! すぐに穴を塞ぐんだ!」


 兵士たちが戸惑うのも無理はない。

 思わず彼らが目を向けたのは、石壁の上に立つ赤竜卿。

 ブラームスは後ろに手を組んだまま微動だにせず、ただ眼前で執り行われている捕虜交換の様子をジッと見守っている。


 しかし後ろに組まれた右手が動く。

 それが示すのは、作業開始の合図。

 これを見た赤竜兵たちは、兵士たちに手を上げて指示を送る。


 声は出さず、静かに、だが確実に、石壁の裏では穴を塞ぐ作業が始まった。


  ***


 その変化にキーマィリを始めとした帝国軍が気づかなったのは当然だろう。

 まだ捕虜交換は終わるどころか、鉄檻に入れられた黒狼卿と赤竜兵に手を引かれた天眼の軍師が近づき終わってもいなかったのだから。

 そして堂々と石壁の上に立ったままの赤竜卿の姿から、石壁の向こうの変化は微塵も感じ取ることもできない。


 ロウタの叫びも距離があり届くこともなく、実際に始まった作業の様子は、石壁に隠れてほとんど見えない。

 キーマィリたちの視線は、ただただ天眼の軍師たちに注がれていた。


 そんなキーマィリは、今朝方のことを思い出す。

 アルタナとキーマィリがいる天幕を訪れた、天眼衆ケイオスの言葉を。


「フォウ様からの言伝です。『この度はご迷惑をおかけした、故に挽回の期待をいただきたい』とのことです」


 そしてケイオスが口にしたフォウの計略は、アルタナとキーマィリを驚かせるものだった。


 黒狼卿と天眼の軍師の距離は未だ遠い。


 捕虜2人が近づき終わった瞬間に、突撃の号令を掛ける。


 心の中でそう呟くキーマィリは、そこで顔を上げる。

 石壁の上に立つ赤竜卿に誰かが近づいてきたのが見えたからだ。


 部下の報告か何かか?


 一瞬、そう思ったキーマィリだったが、改めて赤竜卿に近づく男の横顔を見て、徐々にその両目が開かれていく。


「まさか、本当に……ヤツなのか?」


 疑惑はすぐに確信へと至り、キーマィリは自らの身体が熱くなるのを感じる。

 その身から漂うのは明確な殺意。


「まさかこんなところで、しかも皇国側に、俺の敵として姿を現すとはな。……やはり俺たちはそういう運命にあるようだな、ロウタウルス・ガンヴィーナ」


 それは歓喜に近かった。

 ようやく宿敵を見つけ、この手で殺すことが出来る。


 しかしその喜びもすぐに止む。

 あの男が、今この時に自分の前に姿を晒したことに疑問を抱いたからだ。

 自分の殺意を知るヤツが、自分の敵側に堂々と姿を晒す……いいや、姿を晒したその意味を考える。


「はっ」となったキーマィリは、石壁の穴に目を向ける。


 その向こうでは、皇国兵たちが世話しなく動いていた。

 もはやそれをこちら側に隠す様子も見えず、その石壁の塞ぐために、隠し持ってきていた物資を積み上げ始めている。


「バカな! まだ黒狼卿を取り戻すどころか、捕虜交換すら始まっていないではないか!」


 顔を上げるキーマィリは赤竜卿の隣に立つロウタに目を向ける。

 赤竜卿に話を終えたロウタがこちらを向き、目が合う。

 そんなロウタは、自分の左手で腰に下げた剣の鞘から柄に向けて撫で上げてみせる。


『キーマィリ、お前のその癖は面白いな』


 かつて戦場で隣に立ち、共に強大な大国と戦った戦友の言葉を思い出し、その表情は怒りで歪む。


 腰の剣を引き抜き、大きく息を吸う。


「キーマィリ!」


 だがその直後、戦場を透き通る声が響き渡る。

 振り返ると、陣営の中から一人の男が姿を現していた。


 閃光のアルタナ。


「最低限の目的は果たした。これで終わりだ」

「だが!」

「この戦局、すでに終わりは見えている。。万に一つの成功もない」


 アルタナの言葉と同時に、大きな音が石壁の方から聞こえてくる。

 それは皇国軍が石壁の穴を本格的に塞ぎ始めた音だった。

 さらに石壁の上に次々と皇国軍の弓兵たちが姿を現す。


 この様子を目の当たりにし、怒りに打ち震えるキーマィリ。

 アルタナの見立ては正しい。今から突撃しても、その作業を止めることは難しい。間違いなくこちらの妨害は間に合わず、石壁の穴は塞がるだろう。

 むしろ今飛び出しても、要らぬ被害が出すだけだ。


 そんなキーマィリに向かって、アルタナは冷静な声で言う。


「今、お前がするべきは、天眼の軍師の安全の確保だ」


   *** 


 この出来事に最も驚いた者。

 それは、キーマィリでもなく、閃光のアルタナでもなく、帝国軍の誰でもない。

――鉄仮面の軍師の手を引いていた赤竜兵だった。


 それは、自分が天眼の軍師と引き換えに黒狼卿を取り戻し、石壁の中へと戻る前に石壁の穴が塞がれてしまったから、ではない。


「……なんでバレたんだ?」


 自分が昨夜のうちに赤竜兵の一人と入れ替わった天眼衆だとバレたことに、である。


『行くわよ』


 鉄仮面を被る天眼衆の長カリナの言葉に、赤竜兵の鎧を纏った男は頷き、歩き出す。

 そして鉄仮面の軍師と赤竜兵は、急ぎやってきた黒狼卿の入った鉄檻が乗せられた荷台に、乗り込む。


 反転した荷台を引く馬の手綱を引いていた兵士は、その背に跨ると、馬を一気に走らせる。

 すぐにこちらに向かってきたキーマィリたち騎馬兵の一団と合流。

 部下たちに皇国側から守るようにして命令を出しながら並走するキーマィリが、鉄仮面の軍師に付き添う赤い鎧を来た男に尋ねる。


「お前がケイオスが言っていた間者か?」

「その通りでございます。それよりも急ぎフォウ様を我らが天幕へ。思いのほか、疲弊が激しく、すぐにでもお休みいただきたく」


 帝国陣営に入ると、鉄仮面の軍師は、迎えに来ていたケイオスが準備していた馬車へと乗り換え再び移動。

 すぐさま帝国陣営の奥に設置されていた天眼衆の天幕へと運び込まれる。


 そしてその中で鉄仮面の軍師を迎えたのは、一人の少女だった。


 少女は鉄仮面の軍師に抱き着き、その存在が確かである認識すべく、腕に強く強く力を籠める。


「おかえりなさい、カリナ」

『ただいま、ラクシュミア』



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お読みいただき、ありがとうございました。

次回『第60話 人質交換(8)』は3月3日の配信予定です。

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