第17話 初日(1) 開戦の一手

 その日、帝国軍陣営は、早朝より慌ただしく動いていた。


 昨夜、天眼の軍師フォウより、皇国軍が守るマルデュルク砦を本格的に陥落させる為の出撃が言い渡されたからだ。

 これまで毎日、マルデュルク砦へと向かうを行っていた帝国軍兵士たちは、いよいよ本番だと知らされた。


 しかし兵士たちの表情には、不安の色が色濃く残っていた。


 皇国がマルデュルク山道を制圧し、砦を築いてより半年以上、この砦を陥落させるべく帝国軍が築いた三つの拠点より出兵してきた帝国兵たち。

 しかしその進軍は尽く黒狼卿率いる黒狼軍に阻まれ、常に黒狼卿の恐怖の記憶と共に逃げ帰ってきた。


 だが先日より天眼の軍師が着任したことにより、この戦いに希望が見えていた。

 この半月ばかりの演習においても、着実な地ならしを感じており、現に一度、殺戮を繰り返す黒狼卿から無事に逃げおおせた、という報告も入ってきている。


 天眼の軍師様なら、黒狼卿をどうにかして下さるに違いない。

 それが帝国の三つの拠点・中央砦、北砦、南砦にいるほぼ全ての兵士たちの気持ちだった。


 そんな中、昨日、この前線に援軍が到着し、それと同時に天眼の軍師から皇国の砦を陥落させるという宣言があった。

 兵士の誰もが思った。

 きっと黒狼卿を倒せるほどの強い援軍がやってきてくれたのだと。


 しかし天眼の軍師が呼び寄せた援軍の正体を知り、兵士たちは皆落胆した。

 それが『卑怯者で知られる双月の騎士』と『必ず負けると有名な敗戦の老将』だったからだ。


 こうして慌ただしく出撃をする兵士たちは皆が等しく思っていた。


 これまでと同じく、また黒狼卿に怯えなければならないと。

 そして今日、黒狼卿に狩られるのは自分かもしれないと。


 狼の遠吠えと黒馬に跨った黒い死神の姿に、兵士たちは皆、心の中で怯えていた。


   ***


 そんな兵士たちの様子を、杖を突きながら中央砦の廊下を歩く天眼の軍師の後に続くカリナは如実に感じていた。


「最近の演習で少しは改善するかと思ったけどやっぱりダメみたいね」

『根本的な解決がなされなければ、そう簡単に意識は変えられるものではない』

「だからそれを今日、これからやるんでしょ?」


 鉄仮面の軍師フォウは頷く。


 フォウたちが向かった先は作戦司令室。

 ここに集まるのは、天眼のフォウ、腹心カリナとケイオス。双月の騎士ネルとノートン、バラクーダ老将。

 この度のフォウの計略を担う主要メンバーだ。

 その全員に向かって、フォウは宣言する。

 

『三日だ。三日で皇国の砦を陥落させる。故にその間、我らの思惑を決して悟られてはならぬ。そしてを決して忘れぬように心得よ』


 皆が頷くの確認し、天眼の軍師は宣言する。


『では各自出撃の準備に取り掛かれ』


 それぞれが作戦司令室から出ていく中、ネルがフォウの隣に立つカリナに近づく。


「カリナ様、オレの活躍を見ていてください!」


 ネルは少年のような明るい笑顔を浮かべ、カリナを見上げる。

 この小柄な騎士ネルは、フォウの副官を務めるカリナのことを憧れの女性としており、ことある毎に話かけている。

 年齢も背丈も上のカリナに自分をアピールするその姿はどこか初々しい。

 そんなネルに、カリナは優しい笑顔を浮かべる。


「頑張ってね、ネル」

「はい、お任せください!」


 こちらを何度も振り返り、手を振るネルの姿に、カリナは困ったような笑顔で手を振り変えす。

 そしてフォウとカリナとケイオスだけになったところで、とりあえず必死に笑いをこらえているケイオスを蹴り倒すカリナ。


『モテるではないか、カリナ』

「フォウ様、今はお仕事中です、私語はおやめください」


 カリナの冷たい眼差しに、天眼のフォウは素知らぬ素振りで、杖を突いて歩き出す。


 そんなフォウの頭の中には、先ほどの言葉通り、三日でマルデュルク砦を落とす算段が出来上がっている。


 三日後、つまりそれは焔の日。

 鉄仮面の下で、天眼の軍師の口元が楽しそうに緩む。

 果たしてその日、黒狼卿と相見える場所はどこになるのか?

 今から楽しみだ。


『では黒狼卿を仕留めに行くとしよう』


   ***


 帝国の慌ただしい動きは、もちろん皇国陣営にももたらされていた。


 黒狼軍への伝令役であるリドルと共に、作戦本部へとヴィンセントが赴くと、すでにマルデュルク砦の主要な面々が集結した。

 その中で、総司令官であるタイラー伯が状況の説明に入る。


「≪鷹の目≫からの報告では、各帝国の拠点前に展開する敵部隊の数は、中央砦より2000、北砦と南砦より1000ずつ。ここ半月ばかりの出撃とは明らかに規模も雰囲気も違います。おそらく今日が本番だと」


 これには皆も同意する。


「どう見ますか、黒狼卿?」


 タイラー伯に意見を求められ、テーブルの地図を見下ろしながら、ヴィンセントが口を開く。


「天眼の軍師が本気でこの砦を陥落しにくるのなら、これまで通り黒狼軍が迎撃に向かっても全ては抑え込めないだろう。おそらくこの度の侵攻では、帝国軍はマルデュルク砦まで到達する」


 皆の表情が引き締まる。


「我々も討って出ますか?」

「いや、タイラー率いる砦の守備隊は最後の要だ。籠城に徹した方がいいだろう。焦ることはない。これまで通りでいい。まずは俺たち黒狼軍が進軍してくる帝国軍を削るだけ削る。そして帝国軍がマルデュルク砦への攻撃を開始したら、砦外に潜んだ俺たちが後から襲い掛かる。砦からの攻撃と背後からの攻撃で帝国軍を挟撃する」

「こちらの必勝パターンですね」

「そういうことだ」

「分かりました、それでいきましょう」


  ***


「いいのか、これまで通りで?」


 黒狼軍が出撃の準備に入る中、ロウタがヴィンセントに尋ねる。


「確かに天眼の軍師は何かしらの策を弄してくるだろうが、相手の出方が分からない以上、それを警戒するあまり自分たちが力を出せなければ意味がない。それにこの戦法が、この戦局において、俺たち皇国軍が最も力を発揮できる形だ」

「まあ、確かにそうだな」


 黒狼軍500騎が砦門の中に整列、あとはヴィンセントの出撃命令で、砦門の外へと馬を走らせるだけだ。

 今ヴィンセントたちが待機しているのは、すでに出立した帝国軍の初動を知るためだ。

 ≪鷹の目≫からの最新の報告を聞いてから、動く予定である。

 ほどなくして、伝令役のリドルがそれを伝えにやってくる。

 それを聞き、ヴィンセントは表情を引き締め、ロウタはニヤリ楽しそうに呟く。


「まったく、いったいなんのつもりだ、あの天眼の軍師様は」


 三つの拠点から出発した帝国軍は真っ直ぐにとある場所に向かっているという。

 それは、このマルデュルク砦ではなく、その途中にある開けた草原。


 そこはかつて、天眼の軍師に追い立てられた黒狼卿が、たった一騎で5000の帝国兵に囲まれたあの草原だった。


   ***


 出撃した黒狼軍は、途中、休憩を挟みながら、帝国軍の動きを伺っていたが、結局、三つの拠点を出立した帝国軍は、進路を変えることなく、目的地である草原に集結。

 周囲を森に囲まれた草原の中、帝国軍4000は草原端に布陣する。


 そこから動く気配のない帝国軍を、少し離れた場所に潜む黒狼軍は様子を伺っていた。


「ロウタ、どう見る?」

「さてな。やっこさんたち何がしたいんだか」

「こちらが出てくるのを待っているのかもしれないの」


 ルゥの言葉にロウタが苦笑する。


「ならわざわざ出ていってやることはない。ここでのんびり昼寝でもしていようぜ。連中も夕刻前には、拠点に引き返すだろう」

「もしここに帝国軍が布陣したらどうするの?」

「そうなりゃもちろん夜襲だ。ウチの部隊の得意分野の一つだ」


 闇夜に紛れて襲い掛かる黒狼軍の夜襲は敵の野営に襲い掛かり、その猛威を振るう。

 そんな話をしながら、帝国軍の様子を伺っていた黒狼軍。

 そしてしばらくすると、奇妙なことが起こった。


「ヴィンセント隊長、ロウタ副長、帝国軍に動きがあったの」


 草原端に布陣する帝国軍の兵士たちが、布陣する帝国陣営の前に整列し始めたのだ。

 さらにその中から、馬に跨る二人の騎士がゆっくりと進みだしてきた。

 金色の鎧を着た小柄な騎士と銀色の鎧を着た長身の騎士。

 二人の騎士はちょうど草原の中心辺りで馬を止める。

 途端、帝国布陣から太鼓の音が鳴り響く。

 それに合わせて金色の鎧の小柄な騎士が一歩馬を進め、そして大きく息を吸い込んだ。


「我らは帝国軍にその名を轟かす、双月の騎士ネルとノートンである! この辺りに隠れているのだろう黒狼卿!」


 その様子を眺めるヴィンセントたちの視線の先で、その小柄な騎士は周囲に向かって再び叫ぶ。


「勝負せよ、黒狼卿ヴィンセント! その首、このネルがいただく!」


 騎士が自ら名乗りを上げて、敵将の名を口にし勝負を挑む。

 それはつまり一騎討ちの申し込み。

 この宣言に、ロウタを初めとした黒狼軍全員が目を見開き、全員が等しく同じことを思った。

 黒狼卿に一騎討ちを申し込むなど、愚か以外の何者でもない。黒狼卿に勝てる騎士など、この世に存在する訳がないのだから、と。

 その中で一人ニヤニヤと笑うロウタが、じっと一点を見つめる、申し込まれた当人に尋ねる。


「ご指名が入ったぞ。どうする黒狼卿?」


 黒狼卿が見つめる視線の先にいるのは、勝負を申し込んだネルではなかった。

 その瞳が見つめるのは、帝国軍の布陣の奥で椅子に腰掛け、これを見守っている、鉄仮面の軍師フォウ。


 ヴィンセントの口角が上がる。


「面白い、受けてたとう」


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