第10話 皇王への謁見
皇都イグレシルの中央にある皇宮は、アリオン皇国の中枢である。
皇宮の役割は、大きく分けて二つある。
皇国の行く末を決める場所であること。
そして何より、神々の末裔たる皇王を崇め奉る場所であることだ。
皇宮の中央にあって、高い壁に囲まれた場所。
そこが皇王の住まう神聖宮である。
この中は、神の領域であり、ここより先は選ばれた者しか立ち入ることは許されず、逆に皇王が、これより外に出ることもない。
皇王に謁見する為、皇宮の浴室にて身を清めたヴィンセントは、黒狼卿の為に作られた、専用の漆黒の法衣を身に纏う。
「どうぞ、こちらへ」
白い着物を纏った神官に続き、黒狼卿ヴィンセントは、重々しい音を立ててに楽神聖宮の囲いの中へと入る。
庭園の中に佇む大きな美しい宮こそが、皇王のいる神聖宮だ。
「こちらでお待ちください」
廊下で待つ。
ふと顔を上げると、そこには壁一面にイキシアノ大陸の地図が掲げられており、それは現在の大陸の勢力図に分けられていた。
ヴィンセントが自然と眼を向けたのは、
皇国と帝国、その間にあるレイベ山脈だ。
***
正義神の末裔たる皇王を奉り、神の教えに従う、アリオン皇国。
調和を唱える神々の教えを軽視し、他国への侵攻を繰り返す、ローベルト帝国。
長年敵対する両国だが、その位置関係は非常に難しい。
間に霊峰と呼ばれるレイベ山脈があることだ。
地形の問題もあるが、それ以上に問題なのが、レイベ山脈に教会の聖地があることだ。
レイベ山脈は、厳密には大レイベ、小レイベという二つの山脈に分かれており、その合間には教会の聖地へと続く渓谷が存在する。
十分な広さがあり、それこそ万の大軍が通ることすら可能だ。
つまり皇国と帝国の間には、悪路であるマルデュルク山道以外に、広く安全で確かなルートが存在するのだ。
ただ問題は、その渓谷が教会の勢力圏内である、ということだ。
そして教会は、この渓谷を全て含んだ、教会の聖地一体を、絶対禁戦領域と定め、いかなる国の軍隊の侵入を許してはいない。
ここを主に使うのは、皇国と帝国を行きかう行商人たちと、教会の聖地へと巡礼に向かう信仰者たちだけだ。
皇国と帝国の間にあるのは、レイベ山脈という大自然と、世界中の人々が信仰する教会という権威。
ゆえに今、注目されているのが、そこから外れた場所に位置する、大レイベ内を細く通る、マルデュルク山道だ。
絶対禁戦領域に接触することなく、帝国へと最短で侵攻できる唯一の道。
当初この計画を提案された時、皇国上層部は大きく揺れた。
神々の住まうとされるレイベ山脈に手を加えることに対して、否定的な意見が多く上がった。
本来ならば、失笑と共に一蹴されてもおかしくはない案。
しかしそれを唱えたのが、皇国を象徴する英雄であったが為に、それは大きな波紋を呼んだ。
皇王と、皇国を動かく多くの司祭たちの前で、赤竜卿はこう口にしたという。
『その実りを確かにするために、我々は田畑を耕せば、水脈の整備もする。これはそれと同じこと』
それでも批判の声が上がる中、赤竜卿はこう続けた。
『神々の御威光とは、我々が敬服すべきモノであり、云わば自然の摂理である。その御威光に刃向う帝国を討ち果たすのこともまた当然のことであり、それを行使するのは、正義神の末裔たる皇王が治めし、我が皇国において他にないのは御一同にもご理解いただいているはずだ。そしてそれをなす為に必要なことは全て、自然の摂理である。それを批判されるのであれば、それはつまり神々の御威光に背くことになる。それでも御一同は反対なされるか? 神々の御意志を否定されるか?』
この言葉に、皇王はマルデュルク山道大工事計画の号令を発した。
かくして今の状況へとなっている。
***
「お待たせいたしました、黒狼卿。皇王様がお待ちです」
戻ってきた神官に続き、謁見の間へと足を踏み入れたヴィンセントは、奥にある台座の前に膝を付き、頭を下げる。
直後、美しい鐘の音が鳴り響く。
「皇王様のご入場である」
お付きの者たちと共に、謁見の間へと入ってきた皇王が、台座の席に腰を下ろす。
「よくぞ戻った黒狼よ。表を上げよ」
皇王の命により、黒狼卿はゆっくりと顔を上げる。
第43代皇王サハネ。
まもなく60になろうという年だが、その笑顔にあどけなく、瞳にはまったく邪気がない。
優しき老人といった様相。しかしこの人物こそが正義神の末裔、神々の血脈を引くものなのである。
「黒狼の活躍はいつも耳にしておる。我に敬服せし神獣の活躍を我はとても誇らしく思う」
「ありがたきお言葉にございます」
神々の時代、神の法を護るために戦った正義神には、神通力を宿した数多くの神獣たちが仕えたという。
それゆえ、今でも皇王に認められし英雄たちには、色と獣の名が与えられる。
ヴィンセントに黒と狼。
ブラームスには赤と竜。
他にも4人いる、皇王より色と獣の名を賜った者たちは、「卿」の肩書きを与えられ、皇国の民から英雄として称えられる。
「黒狼ならば、神々の意向に背く帝国を滅ぼせると信じておるぞ」
「この身に変えましても」
ヴィンセントの言葉に、皇王は満足そうに頷く。
「我からの話は以上だ。帰りにミカサに会ってゆくがよい」
それだけ言うと、皇王は席を立つ。
美しい鐘の音が鳴り響く中、皇王は謁見の間を後にした。
それが遠路遥々帰還したヴィンセントに対しての皇王の言葉だった。
***
神聖宮を後にしたヴィンセントは、皇宮の廊下を進む。
するとまるで狙ったかのように、数人の男たちがこちらに歩いてくるのが見えた。
皇宮において皇国の政を取り仕切るのは、神に仕える神官たちの中より選抜された司祭たちである。
その司祭たちの姿を見て、ヴィンセントは道を譲り、頭を下げる。
そんなヴィンセントの前で、司祭たちが足を止めた。
「遠路はるばる、最前線からよくお戻りになられた黒狼卿」
頭を下げたまま「もったいないお言葉です」と口にするヴィセント。
「して、黒狼卿。皇王陛下はなんと?」
探るような視線に、ヴィンセントは正直に答える。
「労いの言葉をいただきました」
「隠し事はためにならんぞ」
「神の教えに従い、我々を導いてくださる司祭さまに対して何を偽ることがありましょうか?」
ただただ頭を下げる黒狼卿に、司祭たちはやがて不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「しっかりと自らの務めを果たすことだ」
「かしこまりました」
騎士団の中でそうであるように、司祭や神官たちの中にも、皇王によって特権的に身分を得た英雄たちを快く思っていない者は多い。
赤竜卿がこの度のマルデュルク山道大工事計画を提言したように、出生身分に関係なく、皇国において絶対たる皇王へと直接意見できる者たちだからだ。
その存在を不要と思う者すらいる。
しかし長きに渡る帝国との争いの中で、英雄の存在は大きな意味を持つこともまた確かなこと。
前線において英雄たちは確かな成果を上げ、共に戦う騎士や兵士たちに限らず、全ての皇国の民たちの心の拠り所になっている。
皇王に選ばれし英雄たちが、皇国の正義を証明し、自分たちを守ってくれると。
国の政を取り仕切る司祭たち と 皇国のために戦う皇国軍と英雄たち は、微妙な関係にある。
それゆえ、一年半前に7人から6人へと数を減らした英雄たちは、皇王からの呼び出しがない限り、神聖宮のある皇宮へは近づかないようにしている。
ただ唯一、赤竜卿ブラームスだけは皇宮に身を置き、皇王の傍に仕え、皇王の名代として司祭たちの取り仕切る皇国の政に携わっている。
***
神聖宮を後にしたヴィンセントは、皇王の命に従うべく、離宮へと訪れた。
皇王サハネには、姉と弟の二人の子がいる。
弟は、次期皇王であるアスラ皇子。
間もなく10歳となり、皇王と共に神聖宮に住んでいる。
そしてもう一人が離宮に住まう、姉のミカサ皇女だ。
離宮を訪れたヴィンセントは侍女の案内で、離宮の一室へ通された。
そこでヴィンセントを迎え入れたのは、今年で16になる美しき皇女とその背後に控える凛とした一人の侍女。
「お待ちしておりました、黒狼卿ヴィンセント」
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