第8話 赤竜卿ブラームス

「つい先ほど到着されたばかりで、黒狼軍が戻りしだい、すぐに皆さんにお越しいただくように、とのことです」


 先日より、黒狼軍への伝令係に就任した一般兵リドルの案内に従い、ヴィンセントとロウタ・ルゥの三人は、マルデュルク砦の作戦本部へと向かう。


 リドルの先導で砦内を歩く三人の表情もそれぞれだ。

 表情を引き締めるヴィンセント、緊張すら感じさせるルゥ。唯一ロウタだけが、とても嫌そうな表情を浮かべている。


 作戦本部に到着。

 そこで砦の司令官を務めるタイラーと会話をしていたのは、長い赤髪を背中で束ねた男。


 赤竜卿ブラームス。

 背筋正しく真っ直ぐ立つ姿からは生気が溢れており、来年には40になるというのに実に若々しく見える。鎧ではなく法衣を纏っていることもあり、騎士ではなく神官という印象を受ける。


 作戦本部へとやってきたヴィンセントたちを見ると、ブラームスは軽快な笑顔を浮かべる。


「久しぶりだな、ヴィンセント」

「ごぶさたしております、ブラームス卿」


 恭しく頭を下げるヴィンセント。

 同じ皇国の英雄である二人だが、その間には天と地ほどの差がある。

 そもそも英雄の称号たる『卿』の称号は、神々の末裔たる皇王によって、生まれ身分に関係なく、その資格アリと認められた者が与えられるものだ。


 ヴィンセントは、2年前に黒狼卿の称号を賜ったの対し、ブラームスは20年以上前に英雄として称えられている。

 まさに皇国の象徴ともいうべき大英雄だ。


「こちらに起こしになられて大丈夫なのですか?」

「皇都なら私の部下たちが守りを固めている」


 赤竜卿が率いる2000の赤竜軍は、皇国が誇る最強部隊であり、その主な役目は皇王がおわす、皇都イグレシルを守護することにある。

 ブラームスは常に皇王の傍に控え、皇都から動くことはまずない。

 仮に赤竜卿率いる赤竜軍が帝国との最前線へと姿を現したとすれば、それこそ帝国もまた、帝王直属の帝王軍3万が動くのは間違いないだろう。


「赤竜卿、この度はいったいどのようなご用件で?」


 真剣な面持ちでそう尋ねるヴィンセントを見て、ブラームスはどこか楽しそうな笑みを浮かべると、ヴィンセントの顎に手を掛ける。


「久しくお前の顔を見ていなかったのでな。見たくなってこうして遥々会いに来たという訳だ。それに我が友にも会いたかったしな」


 チラリとそちらを見る赤竜卿の視線の先で、ロウタがとても嫌そうな表情を浮かべている。

 ちなみにルゥは赤竜卿とヴィンセントを見比べてあたふたしている。


「そうですか」


 そう真顔で返すヴィンセントに、ブラームスは苦笑しながら、その手を下げる。


「もちろん冗談だ。だがもう少し面白い反応をしてくれると、こちらとしても楽しいのだがな」

「努力いたします」


 変わらず真面目な反応を見せるヴィンセントに、「まあいい」とブラームスが続ける。


「私がここにやってきた理由は三つあるが、まずはその一つをお前に伝える」


 ブラームスは軽い咳払いの後、胸を張り、ヴィンセントたちを見据える。


「黒狼卿、皇王様よりの勅命である」


 ブラームスの一言に、ヴィンセントはすぐさま膝を折る。後ろに控えたロウタたちもこれに続く。


「黒狼卿ヴィンセント、急ぎ皇都イグレシルへと戻り、神聖宮におわす皇王様に謁見せよ」

 

 驚きに顔を上げる、ヴィンセント。それはその後ろにいるロウタたちも一緒だ。

 一瞬、迷いの表情を見せたヴィンセントだったが、すぐに深々と頭を垂れる。


「かしこまりました」


 皇国において、神々の末裔たる皇王の言葉は何よりも優先される。

 そんなヴィンセントに、ブラームスは口元を緩める。


「安心しろ。お前が留守の間、このマルデュルク砦を守護するのが、私がここに来た二つ目の理由だ」


 これには、ヴィンセントも目を見開く。


「ブラームス卿、自らですか」

「私を含め、配下の者を20騎ばかり連れてきた。黒狼卿の変わりとしてはいささか心もとないが、その辺りは、精鋭揃いの黒狼軍とそこのロウタがどうにかしてくれるだろう」


 そう名指しをされ、ロウタが不機嫌そうに髪を掻く。


「冗談はやめてください」

「臨時の部下ができたと思って好きに使ってくれて構わないぞ」


 皇国の象徴ともいうべき英雄に笑顔でそんなことを言われてしまい、ロウタはほとほと嫌そうな表情を浮かべる。


「ご無理をかけないように丁重に扱わせいただきますよ。ちなみに先ほどの続きですが、ここに来られた三つ目はどのような理由なんで?」

「マルデュルク山道工事の経過視察だ。こんな用でもなければ、自分の目で直接見に来ることもできないからな」


 マルデュルク山道整備計画。

 皇国が推し進める一大計画を画策した人物こそ、この赤竜卿ブラームスなのだ。


   ***


「皇都まで往復10日ってところか。それにしても急な召集だな」


 赤竜卿との話が終わり、黒狼軍の宿舎へと引き上げた3人は、ヴィンセントの部屋で顔を合わしていた。


「ロウタ、こんな時期にすまないな」

「気にするな、どうせ皇王のいつもの気まぐれだろう」


 皇国出身ではない、ロウタの言葉にヴィンセントは不機嫌な表情を浮かべる。

 それを見て、「悪かったよ」と肩をすくめる。


「ヴィンセント、ルゥだけ連れて行け」


 名指しされて驚くルゥを余所にロウタが続ける。


「お前のミストルティンに次いで早いのはルゥとその相棒だ。置いて行かれることはないだろう」


 遊牧の民出身のルゥが跨る馬はリィラという馬で、ルゥにとっては傭兵として各地を回り始める前からの相棒だ。遥かに広がる草原を駆け巡ってきた屈強な馬であり、遊牧の民として馬の扱いに長けたルゥは非常に上手く乗りこなす。

 しかし、それを押して、黒馬ミストルティンはずば抜けている。


「ルゥを連れて行って大丈夫か?」

「問題ない。なにせお前がいない間、赤竜卿様が守ってくださるからな」

「だが俺がいない間、天眼の軍師の動きが気になる」

「それについても手を打っておく。だから。いいからお前は皇王の面倒事を片付けてこい」


 そう指摘され、ヴィンセントは押し黙るしかなかった。


  ***


「では行ってくる、あとは任せた」

「行ってくるの」


 翌日の早朝、地平線がうっすらと明るくなり始めた時間に、ヴィンセントとルゥはマルデュルク山道を馬で走り始めた。

 ロウタはそれを見送ると、大きな欠伸を一つする。


「さて、部屋に戻ってもう一眠り……」


 そこで誰かが近づいてくるのが見えた。

 赤い鎧を纏った赤竜軍の兵士だ。


「ロウタ様、ブラームス卿がお呼びです」


 辟易とした表情を浮かべるロウタは、案内に従い、砦の一室を借り受けるブラームスの部屋に通される。

 さすが皇国の象徴たる英雄ともいうべきか、砦内でも最も良い部屋を用意されていた。

 案内が終わった赤竜軍の兵士が下がり、二人きりになると、まずはロウタが口を開く。


「随分と早いんですね。俺だって用事がなければこんな時間から起きませんよ」

「朝が早いジジイの面倒を見ていると、こちらもそうせざる負えないのでな」


 ソファーに体を預けるブラームスの悪態に、ロウタが苦笑する。


「誰かに聞かれたら、いくら英雄でも斬首モノですよ」

「安心しろ、ここには俺とお前しかいない」


 ブラームスに勧められ、ロウタは向いの椅子に座る。


「どうだ、黒狼卿は?」

「相変わらずの無双ぶりです。皇王のご命令通り、しっかりとこの砦を守っていますよ」

「英雄に選ばれた者が、強いのは当然だ。そうではなく、中身のことを聞いている」

「昨日、自分でも見られたじゃないですか。相変わらず真っ直ぐなヤツですよ」

「昔の自分みたいにか?」


 その指摘に、ロウタは苦笑する。


「冗談はやめてください。俺は昔からこんなでしたよ」

「ヴィンセントに愛想が尽きたら、いつでも俺のところへ来い。すぐに私の副官として迎え入れよう」

「なんの冗談ですか、ブラームス卿?」

「それ相応の実力を持った者が、それ相応の地位に就く。それは極めて当然のことだ。なんなら皇王にお前を英雄にするように推挙してもいいぞ」

「それこそ笑えない冗談だ。俺は元々皇国の人間じゃない。それに神も信じちゃいない」

「奇遇だな。私も元々は皇国の人間ではないし、今でも神を信じてはいない」

「……」

「安心しろ、ここには私とお前しかいない。だからここでの話が外に漏れることはない」

「そう願いたいものです」


 不敵に笑う皇国の象徴たる英雄の言葉に、ロウタは心底そう思う。


「さて、本題に入ろう。マルデュルク砦の状況は報告書に目を通した。天眼の軍師が相手であることも把握している。その上で、黒狼卿が留守の10日間、私と部下たちは何をすればいい? なんなら本当に帝国の拠点の一つでも落として見せようか?」


 先日、帝国軍との戦いでヴィンセントが単身で行ったあり得ない一手を、もちろんこの男は把握している。


 とはいえ、ブラームスにはヴィンセントと同じことはできはしない。

 赤竜卿ブラームスは、武勇に優れてはいるが、ヴィンセントのような文字通り、一騎当千の力を持った猛将ではない。

 しかしきっと、ブラームスは、ヴィンセントよりよほど手際良く、帝国の拠点を陥落して見せるだろう。


 黒馬に跨り、黒槍を振るう、黒狼卿ヴィンセントは間違いなく最強の騎士だ。

 しかし皇国において最も成果を上げ、最も強いと評価される英雄は、この赤竜卿ブラームスである。

 この事実は決して揺らがない。

 

「何もしないで、部屋でごろごろしていてください」


 その英雄を前にして、ロウタはニヤリと笑う。


「ほう」

「黒狼卿が10日間留守にすることも、その間、ブラームス卿がここに10日間しか居座らないことも、すぐに帝国に知られます。そうなれば、向こうも10日間は下手に手出しはしてこないでしょう」

「なんだ、?」


 特に驚くこともなく、密偵を「帝国軍の」ではなく「天眼の軍師の」と指摘してみせる赤竜卿に、ロウタはただただ苦笑する。


「向こうはなかなか良い駒を揃えているみたいですしね。追っ払ったところで、どうせ同じことの繰り返し。

「ちなみに誰だ?」


 楽しそうに笑う赤竜卿に、昼行燈は肩をすくめる。


「それは内緒ですよ。教えたら怖い赤竜が食っちまいますからね」

「分かった。ここはお前の顔を立てて、おとなしくしておいてやる」

「助かりますよ。さすがは偉大なる赤竜卿閣下だ、心が広くてあらっしゃる」


 途端、ブラームスが不機嫌そうな表情を浮かべる。


「前にも言ったが、私と二人の時にその名を呼ぶな。その呼び名は好きではないんだ」

「知っていますよ。だからわざと言ったんじゃないですか」


 そうニヤリと笑ってみせるロウタの言葉に、ブラームスは腹を抱えて笑う。


「だからお前は手元に欲しいんだよ」


   ***


 ブラームスの部屋を後にし、ロウタは黒狼軍の宿舎へと一人、歩く。

 もちろん二度寝をするためだ。


 その途中、歩きながらロウタは思う。

 ヴィンセントにとって黒狼卿という肩書きはいったいなんであるのかを。

 己の生き様なのか、宿命なのか、誇りなのか、それとも重荷なのか。


(俺にはどうにも息苦しくしているように見えちまう。せめてヴィンセントが少しでもブラームス卿のように立ち振る舞うことができたのなら……)


 ふとそう思って、ロウタは苦笑する。


「それが出来ないからこそ、あいつはヴィンセントなんだよな」


 ヴィンセントが年を積み重ねて行けば、いつかそうできる日がくるかもしれない。

 だがそれは今ではないし、今のヴィンセントにはきっとそれはできないだろう。

 そしてそれは、有象無象が蔓延る皇国上層部にとっては、付け入る隙となるだろう。

 ならヴィンセントがそうなるまで、自分が隣にいて、手を貸してやればいい。


 ふと足を止めたロウタが、レイベ山脈の絶壁に囲まれたマルデュルク山道の先に視線を向ける。 

  

「それにしても、ここにきて皇王からの召集か。これ以上、厄介ごとは増やさないでくれよ」



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