◆ダーメ

「きゃはは! それはそれーは! これからアタクシがお話しすることをさらに面白くしてくれるお話だわね、エリスちゃん」

 クアドラートの紅一点は、その顛末を聞いてきゃっきゃと笑い、手に弄ぶ注射器からぴゅうとシャンパンを飛ばした。

 紅一点、といっても性別のことではなく、纏う色のことである。

 つんととがった靴の先から、波うつクラヴァットまで、これでもかとグラデーションする赤。

 あらゆる赤に唯一の正解をしめすような、燃えあがる紅蓮の髪は、黄金率の七三に撫でつけられて狂いのない気品に輝く。

 本日、そこに貴婦人の姿はなく、伊達なふだん着を纏う貴公子が、年齢不詳な神々しい美貌を無防備すぎるほど無防備にだだ漏らしていた。

 慣れない者がうかつに近づけば一瞬で目がつぶれそうなほどの美貌であった。

「そうなの?」

 ダーメの髪と同じ色の炎がパチパチと燃える暖炉の前で、エリザベトは目の前に並べられた硝子のビーカーをしかめつらで眺めていた。

 左から右にグラデーションするそれは、薄いのから濃いのまで、好みを選べとばかりに供された、――紅茶である。

 ダーメの居間はえたいのしれない液体が入った硝子の標本瓶でカラフルに埋め尽くされていた。マントルピースにもずらり。壁面の棚にもずらり。

「ええ。ねえエリスちゃん、ゲオルク君っていまでこそ超有名人だけど、五年前より昔のことってアタクシたちはぜんぜん知らないよね」

 冷めてて苦い珈琲であることを我慢すればいいだけ、ブーべの方がましだった。と思いながらエリザベトは琥珀色のそれを選んだ。ゴムスポイト入りのミルクは無視する。

 ――極寒の氷上だったり人形遊びだったり実験だったり……

 ――バルヒェットは誰もシンプルに美味しい紅茶のもてなしができないの?

「だって五年前までブルーメンタールは貴族じゃなかったもの。ゲオルクの父のミハエルはその頃からお金の力で中堅の官職を買って存在感を見せていたみたいだけれど……」

「貴族の子弟であれだけ綺麗なカオした子なら、しかも現ナマ貯めてるおうちの子ときたら、仲間の品定めにかけてウノメタカノメな貴族の情報網にひっかかってこないわけがない。だけどブルーメンタールさんは貴族じゃないってだけで何処の馬の骨扱いだった。アレクちゃんに寵愛されだしてからだって、最初のころは人間扱いされてなかったよ。実力でひっくりかえしたけど」

 エリザベトはビーカーから上目にじろりとブーべを睨んだ。

「あら、寵愛が気に障った? ま、アレクちゃんの本命はオールタイムエリスちゃんオンリーだけどさ」

「先をつづけて、ダーメ。五年前より昔のゲオルクを知っているの?」

「知っているのかいないのか。おとといの夜にあの子の綺麗なカオをじっくり見つめていてふっと気が付いたのだけど、アタクシどうも、見かけたことがある気がするの」

「貴族になる前のゲオルクを? どこで」

「大学で」

 ダーメは過去に、ヴェステン王立大学で薬学部の学部長にまでなったことのある人物だ。

 もちろん、大貴族としては変わり種だ。学者のパトロンになる大貴族はいても――。

 しかし、奇抜な見てくれから言っても、ダーメは普通の貴族どころか普通の学者でさえありえなかった。

「大学で? ゲオルク・ブルーメンタールは、士官学校にいたのではなかったの?」

「そういう話で通ってはいるけど、じっさいのところ貴族連中に士官学校で彼と友達だったっていう人間はいないらしい。貴族の坊ちゃんたちは市民を塵や虫みたいに無視するから、おかしいことじゃない」

 ダーメはとがったつま先を高々と蹴りあげて長い脚を組み替えた。

「〈クラナーン断罪の王勅〉から数えれば一年前くらい。だから六年前くらい。だからゲオルク君は十六、七歳だったのかな。そのころアタクシは薬学部副部長で、あの日は確か、お隣の医学部に特別講義に行ってた。講義を聞いてる学生の中に、あの顔、いた気がするの。ええ、いたのよ。アタクシの胸にリンドンリンドン鐘が鳴ったのを覚えてるもの。でも、気がする気がするって言ってるのはね、黒髪じゃなかった。鼠色みたいな髪の毛だったと思う。それと、地味~な単眼鏡モノクルをかけてた」

「鼠色?」

「薬品を使えばああいう色にもなるかもしれない。だけど、どうして変装なんてする必要があったのかしらん」

 エリザベトは鼠色と聞いてなんとなく、ゲオルク・ブルーメンタールがいつもかぶっている灰色の帽子を思い出した。

「医者になるつもりだったのかしら」

「医者になりたい子が入るところだからね」

「こわもてのゲオルク・ブルーメンタールが医者に? ぞっとしなくってよ」

 けらけらと笑いながらダーメは注射器から飛ばしたシャンパンを口に受けとめた。

「それでねエリスちゃん。ここから、アタクシの握っている切り札の話。アタクシが鼠色のゲオルク君を見かけてから、半年後くらいのこと。ヴェステン王立大学の医学部長のところに当時、土木庁長官だったミハエル・ブルーメンタールが訪ねてきてね」

 土木庁長官の地位こそ、ミハエル・ブルーメンタールが大金を詰んで買った最初の権力だ。土木庁は王都の都市計画を司り、上下水道建設において資材提供で貢献したブルーメンタール家にとっていちばん入りこみやすい官庁だった。

「アタクシは学部長就任の挨拶をしにいって偶然そこに同席していたの。ミハエルは、王都の下水道に転がっていた奇妙な死体の調査書を手にやってきて、医学部長に幾つか質問をしていったわ」

「奇妙な死体。奇病患者の遺体?」

 奇病。

 ヴェステン聖王国を席巻し、〈魔女の呪病〉と怖れられた、奇怪な死病のことである。

「ええ。でも、その頃はまだ、奇病の発生前よ。いいえ、調査書は三枚、三体ぶん、あった。おそらく最初の三体。ミハエルは、奇病の発生をもっとも早く知っていた一人よ。それからの一ヶ月は何もなかった。二ヶ月後にミハエルが不自然な抜擢で公安衛生省の大臣になった。三ヶ月後には奇病が本格的な流行をはじめた。それから半月後に、爆発的な流行が起きた」

「〈地獄の季節〉……」

「いちばん酷かったとき、そう言われていたね」

「つまりミハエルは、奇病の発生を早くに掴んでいながら、流行を止められなかったということ?」

「止められなかったのか、あるいは、――止めなかったのか」

「そんな」

 エリザベトは示された可能性に瞳をひらく。

「土木庁にいたとき、ミハエルは公安衛生省に事態を報告した形跡がないの。当時の下水道管理者を探しだして聞いてみたら、その後も毎日同じような死体が増えつづけたけど、ミハエルはそれを記録しようとはしなかったらしい。夜にまぎれて死体はどこかへ運ばれていったってさ」

 ますますきな臭くなっていく話に、エリザベトの鼓動が高鳴る。

「奇病が爆発的に流行をはじめたその頃、突如として王太子アレクサンデルの傍らに姿を現したのが、黒髪で裸眼のゲオルク・ブルーメンタール君だった」

 死病の流行による治安の悪化を受け、王命で新設された王都治安局は、はじめは反クラナーン暴動の鎮圧を使命としていた。

 だが〈クラナーン断罪の王勅〉を境に、治安局の任務はクラナーン人の逮捕とクラナーン文化の没収が主なものとなっていく。

「ご存知のとおり、〈地獄の季節〉の真っ最中に、なぜだか薬学部は治安局から根も葉もない〈幻覚おクスリ密造売買〉の嫌疑をかけられて丸ごと閉鎖。医学部の一部も閉鎖された。当時の医学部長はクラナーン人だった。彼は処刑されたわ」

「口封じだと思う?」

「さあ。とはいえクラナーン人はみんな殺されちゃったわけで」

「けれど、バルヒェットであるダーメには、手が出せなかった……」

「命びろーい」

 エリザベトは清潔な包帯に包まれた左手にちらりと視線を落とす。

「ブルーメンタールは、クラナッハの地位を奪って成り代わるために、奇病を利用した。――筋の通った話ではあるわ。でも、なんて非道な話かしら」

 その説が真実ならば、ブルーメンタールはヴェステン聖王国を奸計で操った、王国の敵そのものだ。

「じゃ~ん」

 脚を組み替え、ダーメがその指先につまんだ三枚の死体調査書をひらひら泳がせた。

 日付と土木庁のスタンプの入った本物だ。

「それ、どこにあったの? ミハエルが置いていったわけはないわよね」

「どこから手に入れたかはナイショ」

 と言って、ダーメは意味ありげに注射器からシャンパンを吹かせた。

「アタクシはアタクシの大学を取り戻したいの。おうちでこっそり研究するのもいいけど、明日を担う子供たちとともに夢を追うのが学問の醍醐味だから!」

 ――ブーべと、ダーメと、幾つかの証拠書類と、証言者たち。

 ブルーメンタールにをあげさせる手札は、着々と手中に集まりつつあった。




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