北陸クトゥルフ紀行(仮)

大滝 龍司

プロローグ

始 記憶

 夢の中で、俺は血だまりから山壁日也の生首を拾い上げた。

「真舘、そろそろレストアの時期じゃないか」

 首だけの山壁が俺に語りかけてくる。

「これは俺の夢なんだ」

 そう呼びかけても、返ってくるのは要領を得ない言葉だけ。

「あー、おととい予定をいれておいたんだっけ」

「宵満を知らないか」

 服に血がつかないよう注意しながら、もう一つの生首を探す。ここで山壁と共に死んでいたもう一人の友人、宵満惇のものがあるはずだが、見当たらない。今日の夢では、この近くに落ちていないようだ。

「家永のところだよ」

 山壁が廊下の先を示す。首だけでどう示したのかはわからないが、それでも理解はできた。

 工学部棟一階の、吹き抜けの下を歩いていく。あたりは無人で、朝なのか昼なのか、淡い光に包まれていて、壁際にあるいくつもの実験室への扉が静かに眠っていた。

 行き着いた先には本館へと続く渡り通路への扉があったが、それを開くと、そこは通路ではなく部屋になっていた。がやがやと穏やかで賑やかな空気が外に漏れ出す。

 中に入ってすぐ手前に白い机があった。ここはどこかの会議室だろうか、大学会館の一室のようでもあり、そうでもないような気がする。

 俺のいる側を除く机の三方に、友人が一人ずつ座っていた。左手には宵満、右手には山壁、そして正面に家永。それぞれ、やあ、と挨拶をし、俺もそれに適当な返事をして椅子に座る。

 自分の席でくつろいでいる山壁には頭部があった。ここは、きっと事件が起きるより前の時間軸なのだろう。俺は未来の山壁の生首を本人へ返す。

「ほら」

「おー悪いな」

 山壁は自分の生首を受け取ると、荷物か何かのように机の上へ置いた。

 俺は背後を振り返って、今入ってきた扉をうかがった。しかしそこには既に扉はなく、日光も電灯も照らし出さない、午後の薄暗さに包まれた壁だけしかなかった。

「どうしたんだい」

 のんびりと家永が声をかけてくる。

「ああ。いや、少しホッとしただけだ」

 今はあの忌まわしい事件が起きたのとは違う日、違う場所だ。それを確認したことで、安堵感が生まれる。ここは安全だ。夜の闇とは遠く隔たっている。

「なるほど。君は夜が怖いというわけか。それは紅茶を掘り進むより作りにくいものだからね。無理もない」

 夢の中の家永は、支離滅裂なことを口にしながら、かつてのように笑みを浮かべる。

「元より、人は夜を恐れるものだ。それは、人間という種が昼間に活動し、夜は睡眠をとる生き物だから、ということに由来する。夜の闇は、本来人間の世界じゃない」

 その言葉には懐かしさを感じた。これは、いつか聞いた話の記憶だ。

「夜を怖がるのは子どもっぽいな」

 山壁の、かつてと同じ合いの手に、家永が頷く。

「そうだね。でも、どちらかというと、大人になると怖くなくなる、じゃないかな?」

 考えてみてよ、と家永は語りかける。

「僕ら自身にしても、小さい頃は夜や暗がりを恐れていなかったかな。そこから何かが這い出てくるんじゃないかと、そんな風に考えて。でも、今じゃそう思うことは、もうない。なぜなら、知ってしまったから。何十年も生きてきて、本当に怖いものが出てきたことなんて一度もなかったから、そんなものが実はいないことを学んだ。だから、夜を恐れなくなった」

「経験則か」

 宵満が短く言い、そうそう、と家永が笑いかける。

「まさにそれだ。はいはい分かった分かった、そんなに言うならオバケをつれてこいよ、生まれてこのかた本物なんて見たことないぞ。ってね」

 おどけた言い方に、四人の間で笑いがさざめく。

 懐かしい、友との語らい。今はもう失われた時間。

「さて、そこで思うんだけど」

 オカルトマニアの家永は、こういう話を、星の下の物語や古めかしい逸話を語る時、いつも最後に怪談めいた落ちをつけたがった。

「僕は今でも、時々夜の闇が恐ろしいと感じることがある。皆も、たまにあるんじゃないかな。たとえばホラー映画を見た後とかさ。それは経験則が一時的に麻痺している時だ。今までは何もなかった。でも、これからは? この先も大丈夫だっていう保証は、どこにもない。それに気づいた時、理性によって抑えられていた本能的恐怖が、表に出てくるというわけだ」

 家永はニヤリと笑って、こう言った。

「それじゃあ、さ。本当に夜の闇の中に何かがいると知ってしまったら。その時、人間の理性はどうなってしまうんだろうね」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る