証明

震える手が微かに血で滲んでいた。何度も何度も洗ったのに、もうそこには生臭く泥臭い仲間の血はついていなかったのにもかかわらず、アンドレアはその日もナイフを洗った。長時間水で冷えたナイフはえぐるようなアンドレアの心の傷そのものであった。ナイフを水で洗いながらアンドレアは考えていた、どのようにして、一体何をして、それを証明することができるのだろうかということを。階段を下りて、酒場まで来るともうグレイプニルはいなかった。


「夜には帰るって言ってたけどな」


酒場の親父が皿を綺麗にしながらそっと教えてくれた。


「おやっさん、出かけてくる。きっと夜にはオレも帰るよ」


「気をつけてな、あんたさんは命を狙われている誰かさんに似ているのだからね」


外はびゅうびゅうと唸り声を上げる風がほこりを立てて舞い上がっている。

雨なら嵐だろうが、空気は乾燥していた。そのしめっけのなさが、アンドレアの涙を乾燥させるかのようであった。


一人でその風中に紛れ込んでいるといつのまにかアンドレアは繁華街のほうへと足を伸ばしていた。褒美の金貨がたんまりある。おそらく買えないものはないであろう。

店をうろちょろしていると店員がすかさず声をかけてきた。


「お兄さん、ちょっといい男だね、彼女の首にかけてあげるネックレスなんかどうだい?」


アンドレアには彼女などいなかったが、きらめく宝石なぞいくらでも買うことができる、ふと目に付いた瑪瑙(めのう)石の輝きに魅せられていると、交渉が始まってアンドレアはそれを言い値で買ってしまった。

小柄なアンドレアはその女物の指輪がするっと薬指に入ってしまう。

冷え切った指は、いくらか温かくなった。

こんなものを買ってどうするつもりなのだろうか。アンドレアは悲しく一人で笑った。


太陽にすかしながら宝石を眺めていると、あちらこちらから行商人の声がかかる。


「よ!お兄さんいい男だねえ、路地裏に入ったらちょっと怖いお兄さんがいっぱいいるよ、うちでステーキでも食べていきなよ、うちの牛はいい肉なんだよ?」


それが本当かどうかよくわからなかったが、酒場にでる靴のそこみたいな肉とは全然違う、芳醇な香りのする牛肉をほおばった。こんなに旨いものがこの世にあるのか。

アンドレアは感動しながら、肉を褒めると商人は喜んで、何切れかおまけしてくれた。商店を行き来するうちにすっかり日が暮れ、アンドレアはいつの間にか路地裏に迷い込んでいた。そう、こういう場所は危険なのだ。急に誰かがぶつかった。

黒くて長い髪の少女が夕飯の材料らしき食べ物を道ばたにたくさん転がしてしまって、慌ててそれを拾い上げる。アンドレアの足元に転がってきた林檎を手渡すと、

少女は恥ずかしそうに礼を言った。


「ありがとうお兄さん、こんなしけた通りじゃめったに見かけない色男だね」


「はは、そう?夕飯は林檎のパイ?」


「あたり、なんでわかった?」


「顔に書いてあったよお菓子作りがすきだって」


少女は恥ずかしそうに笑った。ふとアンドレアは気づいた。


「君誰かに似てるって言われたことない?」


「ソフィアだろ?あっちは国の王女あたしは路地裏の淫売、なにがどう違うっていうんだろうね?」


ソフィアはアンドレアを家に招きいれた。


淫売の家であるアンドレアの実家とそう変わりない派手なカーテン、表面上清潔な家。アンドレアは、昔のことを思い出していた。パイ生地を捏ねる少女の後ろにすかさずたって、アンドレアは後ろから少女にささやきかけた。


「なあ、ソフィア、もしオレが、スラム街育ちでもなんでもなくて、

本当は国の王子だったらどうする」


「ええ!?そんなことあるわけないよ、この国には今のところ王子といえる人物はいないはずだよ」


「あはは、よく知ってる」


「そりゃそうさ、情報は集まって来るんだよ、こんな汚い場所にもね」


「田舎町のスラムとは随分違うもなんだな そうだ ソフィア、いいものをあげるよ」


そういってアンドレアは少女の指にあの瑪瑙の指輪をはめてあげた。


「こ、こんなものもらうわけにはいかないよそれに私はソフィアじゃな」


アンドレアはそっと少女の腰を引き寄せた。

そうして唇を近づけそこで小一時間静止した。

アンドレアははっとして少女を突き飛ばしてしまった。


「きゃっ!」


「すまない・・・ソフィア・・・」


粉まみれになった少女は呆然として後姿のアンドレアの姿を見ていた。

そうして自分の指には到底相応しくない、金と瑪瑙でできた指輪をもう一度確認していた。アンドレアはその日証明した。もうこのような場所には2度と近づくまい。

そうして父親の形見のナイフをぎゅっと握り締めて酒場へ帰還した。

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