1-10 戦闘

「痛えーっ!」

 天使が現れるときに必ず振ってくる空か空間あるいは時空の破片の直撃を受け、あたしの腕の切り傷がまた数を増す。

 実際、あの破片の正体は何なのだろう? 

 頭、痛くなるよ。

 そして――

 そうだよなあ……。

 状況からいって、まあ、現れるよなあ。

 ……と天使の出現をボンヤリと考えているうち、怪物の腕器……というかハサミの根元ごと、あたしが天使に椀ぎ取られる。

 ドスン!

 乱暴ではあるが、まあ安全に、あたしが天使に救い出される。

 ある意味頼もしい天使をすぐ近くに眺めながら、でも、あたしはこう思っている。

(キミに油断という言葉はないだろうが、ヤツはおそらくキミ対策をしてると思うよ)

 珍しいことに、そう考えた刹那、天使があたしを振り返る。

 もっとも、あたしの言葉が天使に届いたかどうか不明。

 天使は怪物とあたしの間に腰をすっくと落とし、構え立ち、息を整え――そういう肺みたいな器官があるならばの話だが――すぐに闘いの体勢に入る。

 すかさず右腕を伸ばし、怪物目掛けて電撃を放つ。

 ごおおおん!

 凄まじい音がして、ホテルの化粧ガラスのほとんどが吹き飛ぶ。

 灰塵の去った後、よく見ると柱もひしゃげていたので、ホテル自体も直に崩落するに違いないと見て取る。

 ぐあんぐああん、と空気が内側から揺れている。

 すると――

 怪物の擬態が吹き飛んでいる。

 ……っていうか、そんなふうに感じられる。

 とにかく身を隠したそれが吹き飛んだということは、怪物の透明外装は周辺環境の背景に色を合わせたカメレオンのような保護色擬態ではなく、どうやったかは不明だが、事実上の装甲だったわけで、ということは――どうにも理解し難いが――空間の一部を纏っていたことになる。

 通常の人間あるいは目を持つ知的生命体の視界に露わになった怪物の全体像は、透明だったときにあたしが想像した形状と本質的に違いはない。

 生物界でいえば甲殻綱/十脚目/短尾下目(カニ)と節足動物門・鋏角亜門/クモ綱/サソリ目(サソリ)を足し、さらに脊索動物門/尾索動物亜門/ホヤ綱(ホヤ)を付け加えたような姿だ。

 が、そんなことは些細な問題。

 重要なのは顔器の表情。

 あたしは、初めて怖いと思える怪物の顔を見る。

 確かに良く見れば、その元の相貌には愛嬌の片鱗が隠されているし、どこかこの世のものではないような無味無臭さも感じさせる。

 しかし目前の怪物の顔器が浮かべた表情とでも呼べるものは、この世の憎悪を……というより、この世の知的生命体共通の憎悪を体現している。

 よって、あたしは不安になる。

 それは天使が敗れるかもしれないという不安ではない。

 もっともっと、あたしにとって大切なものが蔑ろにされたかもしれないという摸たる不安だ。

 怪物は空間の装甲を吹き飛ばされたものの、大きなダメージは受けていないようだ。 

 少なくとも、あたしにはそう見える。

 天使が続けざまに左右の腕から怪物に電撃を放つ。

 思いの外、軽い身のこなしと、実は反射板も兼ねているらしいハサミとホヤの体表を巧みに利用し、怪物が天使の攻撃を交わしたり、いなしたり、逆攻撃を仕掛けたりする。

 自分が発した電撃の反射を受け、天使がわずかに弾き返される。

 感情が無いので怯むことはないが、どこか悄然としているようにも感じられる。

 電撃では埒が明かないと判断したのか、天使は戦法を肉弾戦に変える。

 あたしが見る初めての攻撃パターンだ。

 目に捉えられないほど高速の手刀や種々攻撃技が時を割るようなスピードで繰り出される。

 天使の動きはどちらかといえば甲殻類/甲虫類または機械的なので、その限りにおいて怪物の攻撃法と似ていないこともない。

 もっとも、どんなに間引いて計算しても天使の動きの方が優雅だが……。

 これが点数制のボクシングだったら天使の勝利は間違いないだろう。

 ヒットポイントは間違いなく天使の方が稼いでいる。

 だが――

 この戦いは正体不明の代理戦争であり、それぞれの側の敵殲滅作戦であり、平たくいえば殺し合いなのだ。

 そこではヒットポイント合計値は意味を持たない。

 天使の攻撃ばかりが目に入ったが、怪物が反撃をしないわけではない。

 天使の手刀をものともせず、そのまま天使を押し返し、床に捻じ伏せたり、これも初めて見る攻撃だったが、例の口器から延ばしたストローのような器官を天使にズブッと刺したりする。

 その攻撃には、天使も面喰らったようだ。

 思わず身を仰け反らし、よろよろと飛び退る。

 ストローが突き刺さった辺りの天使の表皮は、ヒトではないので血は出ないが、いくらか透明化したように感じられる。

 ついでに言えば、ホテルの方も、そう長くは持たない様相を呈している。

 そもそも天使の電撃で外壁および支柱の数本を既に破壊されている。

 それに加え、天使に投げられた怪物による衝撃、もしくは逆に怪物によって天使が壁や床に叩きつけられた衝撃により、相当のダメージを受けている。

 ホテルの状態は尋常ではないのだ。

 そう思い、吹き抜けから上を見上げると、全体的に緩いが不規則な振動が感じられる。

 ……と、そこにタイミングを合わせたわけでもなかろうが、天使に投げ飛ばされた怪物がホテル外壁を突き破り、初めて街に姿を現す。

 深夜の地方都市に、その異様な形態を披露する。

 どよめき、さんざめいた人声の圧力は、すでにパニック状態を超えている。

 悲鳴が共鳴し、まるでひとつの言語のように聞こえ、途切れる。

 ついで天使も怪物を追い、夜の街にその姿を見せる。

 警官隊が向けたライトの照り返しを受け、天使はごく普通に光り輝いている。

 ホテルの外に向かうとき、あたしを連れて行かなかったのは、余裕がなかったからか?

 それとも勝手に逃げろという示唆か?

 あたしとしてもぺしゃんこになる気はないので、たった今できたばかりの瓦礫の山を乗り越え、外に向かう。

 一応、

「もうすぐホテルが崩れ落ちるから、逃げるんなら急いだ方が身のためだよ!」

 と唖然と事態の進行を見守るしかない人々に声だけは掛ける。

 ちょっとした、礼儀みたいなものだ。

 ただ、それだけ……。

 時間的には、天使が現れてから、まだ二分も経っていない。

 天使は現在、劣勢。

 己の攻撃が利かなくとも、天使は焦りもしないし、怯みもしないが、その体色がだんだんと薄くなってきている。

 天使のエネルギー源が何かは不明だが、怪物の存在が濃厚なホテル周辺の空間全体に、それが吸い取られているような感じがする。

 そういえば、あたし自身もわずかに息苦しい気がするが、それはきっと思い過ごしだろう。

 グラリ……

 天使が怪物に投げつけられ、ホテル上階に背中から減り込んだとき、ついにシティー・ホテルの崩落が始める。

 正確にいえば、崩落は地上最下階から数階までで、それより上の部分は、あたしの目から見てこちら側――天使が減り込んだ側――に倒壊し始める。

「えー、ちょっと待ってよー!」

 ……って感じで、あたしがどう逃げようか、思い惑う。

 ペしゃんこ生命体になる実験をする気はまったくない。

 ……と、あたしの身体がフワリと宙に浮く。

 硬そうなハサミなのに、よくもまあ大して痛くもなく優しくあたしを持ち上げてくれたものだ。

 あたしの顔――まあ、小さい!――をくるりとこちらに向かせ、巨大な己の顔器と対峙させる。

 正直にいえば見たくない。

 が、今なら、はっきりとわかる。

 本来の怪物の顔器の上に浮かんだその憎悪は本庄武則の顔から構成されている。

 いい男の影は微塵もない。

 そして、まだ決着はついていないが、天使は『怪物+人間』タッグの前に劣勢に追い込まれている。

 それが怪物の、あるいは敵対空間の天使対抗策だったのだ。

 ただそのためにのみ、彼が空間に利用されてしまう。

 本庄武則の体験は嘘ではない。

 おそらく複数の人間にプローブが刺され、一人ひとり試されたのだ。

 最後に彼が選ばれ……。

「うおおおおおぉぉぉぉー!」

 いつしか、あたしが泣き叫んでいる。

 目の前の怪物の顔には憎悪しかない。

 あたしが喰われ、彼が救われるなら、それはそれで悪い選択肢ではないだろう。

 でも、そんなことはありえない!

 あたしの背後に圧迫感がある。

 天使が戻ったのだ。

 あたしを介し、天使と怪物が対峙している。

 が、今のままでは天使は怪物に勝てないだろう。

 勝つためには――もう見当はついているが――あたしを取り込む必要がある。

 そういうこと!

 皮肉にも己の庇護する存在に己の能力を託さなければならないというわけ。

 しかし――

 天使に、そんな機能があるのだろうか?

 ついに最上階までが地面に達し、ホテルが完全に倒壊する。

 そこかしこに破片が飛び散り、グシャリ、グシャと肉や骨の潰れ砕ける音が響く。

 舞い上がり舞い散る灰塵の量がもの凄く、辺りがまるで見えない。

 ホテル内に設置された機器が屋外に放り出され、外装が擦れる音がそこに混じる。

 あたしがそれを背後から聞く。

 すると――

「よう、ねえちゃん。お久しぶりーっ」

 落ち着き払った声で横倒しのコーラ自販機――たった今ホテルから投げ出されてきたヤツ――が言う。

 あたしは埃が舞う足許のそれにチラと目をやる。

「あんたらと話している余裕はないよ」

 今にも怪物の腹の中に納められようとしているのだからね。

「ま、そういいなさんな」

 臆することもなく、それが言う。

 あたしたちの会話に怪物が興味を惹かれた様子はないが、かといって行動を変えようとは思っていないだろう。

 天使に至っては顔さえ見えない。

「さてと、宇宙の自然定数が現在の数値だったとして……」

 なんだ、その唐突さは?

「宇宙がいくつあろうが、そんなことは知らないが、この宇宙でいわゆる生物体が現在の大きさで安定して存在できるのは電磁力の定数にある」

 つまり重力では、その影響が質量に依存するからヒトではほとんど無視でき、逆に核力は原子の中の関係性を決定するから、これもヒトとは直接関係しない。

 人間あるいは少なくとも地球周辺領域の生物体は細胞レベル、もっと遡れば分子レベルの集合体だから、それがバラバラにならないのは電磁力が今現在の強さだからだということだ。

「そういうこと」

 そんな会話が光の速度で交わされる。

 まあそれは比喩で、実際にはあたしの化学的情報伝達律速なわけだが……。

 そして――

 途端に、あたしの身体全体がバラバラになる。

 そこに別の作用でやはりバラバラに分解された天使が近づく。

 それら二つの質の違う二要素集合体が複雑に絡み合い、結合する。

 この空間領域の、いずことも知れぬ仮想時空の裏且つ表で……。

 この世のものとあの世のものとの婚姻だ! 

 外から見るものたちには、ただ光の爆発と映ったことだろう。

 今まで以上に大きな閃光及び轟音。

 宇宙は深く、そして天使は精薄だ。

 当然その意識は、あたしに支配されることになる。

 ……って、どう闘えっていうんだ?

 あたしが天使と融合する瞬間、時は止まっていたようだ。

 あるいは少しだけ戻っていたのかもしれない。

 バク転したその足で背骨を伸ばして怪物を蹴る。

 怪物が右往左往しつつ飛んでいく。

 が、あたしにもエネルギーが残っていない。

 天使の時間を継続しているから……。

 ゼイゼイと息が苦しい。

 胸が痛い。

 身体中が破裂しそうだ。

 起き直った怪物は不敵にあたしを睨み、紅蓮の炎を身のまわりに噴出しながら巨大化する。

 五~六倍の大きさになったのではなかろうか?

 空間からのエネルギー供給?

 それに伴い、あたしの身体がまた消えかかる。

 まずい!

 これではあたしがいる意味がない。

 これでは天使の闘い方と変わりない。

 とりあえず身を翻し、怪物に電撃を見舞う。

 ボンッ!

 決め手にはならないが、怪物の一部を吹き飛ばす。

 電撃の質が変わったか?

 それとも反射板を上手く交わし、命中したのか?

 けれども、まったく油断はできない。

 怪物の力は衰えてはいない。

 猛り狂い、一直線に、こちらに突進してくる。

 さて――

 電撃に効果はある。

 しかし、力不足だ。

 それを収束させる必要があるか?

 その方法は?

 結局、怪物からの次の攻撃は避け切れず、ものすごいパワーで数十メートルも弾き飛ばされてしまう。

 が、そのとき気がつく。

 空間を使えば良いのだ、と。

 あたしは電撃を空間内に放出し、空間の硬い部分でそれを包み込み、槍のような形状に変化させる。

 天使の槍。

 ついで瞬時加速し、怪物の許まで駆け寄ると、怯むことなく、それを怪物の心臓に向け、穿つ!

 正直にいえば、怪物に心臓という名の器官があるかどうかわからない。

 が、それに相当する器官は当然備えていたであろうし、それに怪物の一部は彼なのだ。

「キルヒャーァァァァァッ!」

 怪物の断末魔の叫び声があたしの耳には痛過ぎる。

 ついで世界が変転し、怪物はヒトに、あたしはあたしに戻り、彼だった怪物がやがて長身のイケメン麻薬売人に変わり、酔ったあたしが暗闇に向かって叫び声を上げる。

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