第13話 紅の姫

 「オーゲル、どうだ見えたか?」

 「どうやら地下にいるようだな。ここからじゃ距離が遠過ぎて、詳しい所までは見えない──」

 

 オーゲルと呼ばれたフードを被った男は、背後から近寄ったもう一人のフードを被り長い楊枝を口に加えた、体格の良いエルフの問い掛けに振り返らずに答えた。二人は建物の陰に身を潜めながら正面に見える保安所を見つめる。そして、ため息が一つ漏れる。


 「まったく姫様も人使いが荒いぜ。ご自分がシュヴェールを犯人に仕立て上げたせいで、逆にこんな事になってるってのに──」

 「よさないかスキアーズ。誰かに聞かれでもしたらどうする」

 「そうカリカリすんなよ。誰も聞いちゃいない。それにしたって、見張れと言われても、これじゃあな──」


 スキアーズは肩を竦めてお手上げだとばかりに、おどけた仕草で悪ふざけした表情を見せる。いつもの癖で眉間に深い皺を寄せているオーゲルは、そんなスキアーズに非難の視線を送る。しかし、スキアーズはまるで沼に杭を打つ様に気に留める様子も無く、陰湿な笑みを浮かべながら保安所を眺めている。


 「まがりなりにも相手はとは言え、祈祷王グランアヴニルの血脈だ。スキアーズ、舐めて掛かると痛い目に合うぞ」

 「ああ。解ってるさ。を防がれたのは不覚だった。一撃で決めてガッポリ稼げる美味い仕事だと思ったのによ」


 『チッ』と小さく舌打ちをすると同時に、スキアーズの顔から陰湿な笑みが消え去り、その瞳は獲物を狙う捕食者を思わせる鋭いものに変わった。


 「次は決めてやる。あの薄汚れた肌を一撃で切り刻んでやる」

 「慈悲は必要ない。殺らなければオレたちが消されるぞ」

 「ああ。解ってるさ」


 少なからず彼らも動揺していた。オーゲルとスキアーズはこれまで何度となく任務を完璧に遂行してきた一流の祈祷傭兵だ。しかも、最も得意としているのが暗殺任務だった。その彼らがしくじった。『一流』と呼ばれる様になってからは初めての経験だ。


 「でも、思ったより姫様は怒ってなかったぜ」

 「そ、そうなのか?」

 「ああ。姫様に言わせれば予定通りなんだとよ」

 「予定通り?」

 「ああ。とりあえず次の指令を伝えるから戻って来いとよ」


 『解った──』そう言い掛けてオーゲルは、不意に思い付いた自分の考えに眉間の皺を深くする。もしや、姫様はオレたちがシュヴェールを仕留めそこなう事を、想定していたと言うのか。つまり、最初から目的はシュヴェールの足止めだった。もし、そうだとすればオレたちは、最初から信用されていなかったと言う事か。このままでは──。


 「どうしたオーゲル?」

 「い、いや、じゃあ後は頼むぞ」

 「ああ。オレは見張りを、お前さんは姫様のお守りだ」

 

 スキアーズがそう言って陰湿な笑みを投げ掛けたが、今のオーゲルにはそれに答える余裕は無い。振り返らずそのままその場を後にすると、周囲を気にする様に早足に少し離れた場所にある一軒の酒場へと向かった。


 ギイギイと音の鳴る扉を開けて薄暗い店の中へと入ると、オーゲルは脇目もくれずに真っ直ぐに店の奥へと向かう。最奥にある一段と明かりの届かないそのテーブルには、フードを深々と被った小柄な女性が、テーブルにもたれかかる様にしてひっそりと座っていた。物音を立てずに速やかにその女性の目の前の席に腰を掛けると、オーゲルは俯いたまま呟くような小声で話し始める。


 「今のところに動きはありません。恐らく今夜中の移送は無いと思われます」

 「そうか──」


 フードを被った小柄な女性は、テーブルの端で木の実をかじるリスに似た小動物を眺めながら、オーゲルに気の無い返事を返す。目の前の席に緊張気味に座ったオーゲルは、何も言わずにテーブルに視線を落としたままだ。


 「そ、それで次の指令と言うのは──」

 「何も飲まないのか?」

 

 『え?』女性の言った言葉の意味が解らずに、オーゲルは思わず声を漏らした。女性は小動物に木の実を与えたまま、けるとつまらない物を見るかの様に視線だけをオーゲルに向けると、ゆっくりと諭す様に口を開いた。 


 「ここは酒場だぞ? 普通は何か注文するものだ」

 「あ、ああ。そうですね──」


 オーゲルは急いでカウンターの向こうにいる店員に向け、身振りで酒を持って来いと合図を送る。そして、間もなく運ばれた器を手にすると、フードを被った小柄な女性の様子を窺う様に覗き見た。そして、目が合うと慌てて愛想笑いを浮かべて、手に持った酒を一気に喉に流し込み、再び伏し目がちにテーブルを眺める。


 「いくら雇い主とは言え、お前らの様な屈強な傭兵が、私の様なか弱い女を目の前にそんなに硬くなるものか?」


 『か弱い?』オーゲルは心の中で問い返すが、決して言葉には出さない。たしかに目の前に座るエルフの女性は、まだ少女の面影が残る顔つきで華奢な体格をしている。腰にぶら下げたナイフを振りかざせば、あるいは一突きで息の根を止める事も可能の様に思える。しかし、これまでに何度か彼女の本性を垣間見る機会があったオーゲルは、それが妄想でしかない事を十分に理解している。自分ではまったく歯が立たない相手だと言う事を。


 オーゲルとスキアーズが『姫様』と呼ぶこの女性こそ、他でも無い、祈祷王グランアヴニルの息女シャルヴェールであり、ゲヘルトの祈祷師団の中でも十傑と称される最高位の祈祷師たちの中でも、群を抜いた存在であった。シャルヴェールは血の様な紅色の衣服を好んで纏った。更にその気性の荒さと残忍な性格も相まって、高位の祈祷師たちの間では密かに『紅の姫』と呼ばれていた。


 祈祷師には大きく分けると二種類ある。一つは怪我や病気の治療、信者の願いや悩みを聞く宗教的な意味合いの強い祈祷師。そして、もう一つは、祈祷術を用いた戦闘に特化した職業祈祷師だ。職業祈祷師は更に、国や領主に仕える祈祷兵士と、賃金を目的に仕える相手を選ぶ祈祷傭兵とに分けられる。


 オーゲルの感じている重圧は、シャルヴェールに与えられた、大金に見合う仕事をするための緊張感とは別のものだ。彼らにとってこの任務に失敗する事は、シャルヴェールの手による厳しい制裁を受けるだけではなく、ゲヘルト近郊のエルフ社会からの抹殺を意味した。そのプレッシャーがシャルヴェールの目の前に座るオーゲルには、直接その身に染みるかのように伝わって来るのだ。シャルヴェールは全てを見透かすかのように妖艶に微笑む。


 「オーゲル、お前にやって欲しい重要な任務がある」

 「は、はい」


 『これを──』そう言ってシャルヴェールはテーブルの上に一枚の紅色の札を置き、微かに顔を寄せて小声でオーゲルに何かを伝える。そして、最後に『頼んだぞ』と添えて、妖艶な笑みを浮かべながら席を立った後には、血の気の引いた顔でシャルヴェールの背中を眺めるオーゲルだけが取り残された。




 ボーネンの宿屋の向かいにある古ぼけた酒場で、オレとミュルは軽い夕食を取りながら、フードを被った三人組が宿に戻るのを待った。宿屋に三人組が戻れば初老のホビットが知らせをくれる予定だ。酒場での食事は基本的に簡単なものが多い。オレたちの目の前に出されたのは、その中でも比較的、手の込んだ料理だったが、厚めのクレープの様なものに炒めた肉とハーブが巻かれただけの、ファストフードの様な食事だ。


 「ミュルさん、もしかするとフードを被った三人組は、嘘の証言でシュヴェールさんを犯人に仕立て上げたって事ですかね?」

 「その可能性は否めんだろうな」

 「でも、何故でしょう?」

 「それなんだがな、儂はその三人組があのゲヘルトの魔女を襲った、張本人ではないかと思っている」


 『ゲホゲホッ』ミュルの驚き発言に、オレは思わず気管に飯が入り咳き込んだ。


 「ま、まさか……」

 「だが、そうなると一つ腑に落ちない点がある──」


 そう言ってミュルは手元の器に入った酒を口に流し込む。オレもそれに習う様に酒の入った器に手を掛けた。店の外がガヤガヤと騒がしい事に気付いたのはその時だ。最初はお祭りの様なものでもあるのかと思っていたが、異変に気付いて窓から外を眺めるミュルの表情が曇る。そして『サトウ』とオレの名前を呼び、視線で外を見るように促した。


 「あ、あれ何ですか!?」

 「儂にも解らん。ただ、大変な事になったのは間違いない。すぐにナーゼたちに知らせねば」


 店の外を見るオレたちの目に飛び込んできたのは、少し前までの穏やかな夕暮れの街並みとはかけ離れた光景だった。酒場から少し離れた通り一面を、奇妙な紅色の霞が包み込み向こうが見えない。明らかに異常な景色だ。オレの股間がブルブルと最大級の警笛を鳴らす。


 オレたちは店を飛び出し、駆け足で保安所を目指した。

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