過保護少年と脱走少女-5

『皆様にお知らせしまーす。花火大会の場所取り今できてなくても順次観覧会場は拡張していきますから焦らずに!』


 条辺先輩の軽妙な声が響いた。

 花火が上がる八時前が、忙しさのピークだ。

 放送の声に怖じ気づいたのか、桐花は下を向いてしまった。


「桐花、座ろう。もう少し甘えたっていいんだぞ?」


 俺はずっと陽太郎と嗣乃に甘えてかつ甘えられて生きてきたからか、桐花にもそうして欲しいと思ってしまう。


 桐花の顔は下を向いたままだった。


「よし、もう一度座ろう」


 桐花は座らなかった。

 頑固だなぁ。


「あのさ、俺は今無茶なお願いをしてるんだよ。セクハラされてショック受けてんのにまた同じ所に戻って同じ仕事しろっつってんだぞ? 動けないならもう少しやすむぞ」

「む、無茶、じゃない」


 煽るようなことを言ってしまったが、今は桐花が自分で動くと決断するまで待つよりなかった。

 ゆっくりだが、桐花は歩き始めた。


 社務所の通訳案内口が見えてきた。

 大きく「English Information Center」と書いてある。その隣に中国語と思われる馴染みのない漢字が三文字並んでいた。「案内所」の意味らしい。


 一緒に中へと入ってすぐ、桐花は急いでカウンターの裏へと回った。

 そして、訪れていた外国人の相手を始めてしまった。

 山丹先輩がこちらを向いて、親指を立ててくれた。

 でも、その笑顔は見たがないほど憔悴していた。


「ah, y... yes, a, I mean no! The parking lot is only for ah... sort of... for authorized people so... a...」


 桐花はしどろもどろだが、何かの案内をしていた。

 桐花なりの精一杯で話せているように見えた。


 元々の案内所に回ると、そちらも千客万来だった。


「あ、お帰り」


 良かった。陽太郎がカバーしてくれていたのか。


「あ、お子さんお腹痛いんですか? えと、空いてるトイレは」

「よー、ここのトイレ使ってもらって」


 陽太郎が親子連れを社務所のトイレへと誘導した。

 急いでテーブルについて、タブレットのスリープを解除した。

 案の定、大量のチャットが届いていた。


「首尾は?」


 隣の交野氏は不敵な笑みを浮かべていた。


「すみません、時間かかっちゃって」

「じゃ、戻るから!」


 陽太郎が殺人的な爽やかさと共に台詞を吐いて案内所を出て行った。


「あぁ、助かった!」


 それにし対してちょっと爽やかな返しをしたかったけど、うまくいかなかった。


 陽太郎が社務所を出ていくと、案内所はほぼすっからかんになってしまった。

 列を作っていたマダム達は本物の案内係を無視して陽太郎に付いて行ってしまったようだ。『マダムキラー』のスキルまで会得したのかよ。


「いやぁ、瀞井陽太郎君すごかったわー。あれホントに君の従兄弟? 似てるといえば……似てるかなー?」

「目鼻の数は一緒ですよ」


 俺の中では鉄板だが、一度も受けたことがないジョークだ。

 交野さんはケラケラと笑った。


「はっは! 月人君面白いわ! 今度奢るから飲みに行こうよとか言いたくなっちゃった! よしサイゼ行こうサイゼ!」

「そ、それくらいなら……うひ!」


 どん、とまた背後の扉が開いた。

 また問題か?


「いやぁ、良かった! 本当に助かったよ、安佐手君!」


 さっき俺を呼びに来たおっさん……もとい、この祭りを陣頭指揮する町内会長さんだった。誰も怒ってなくて良かった。


 ただ見つけて引っ張ってきたという説明で、町内会長さんは満足して出ていった。


「ねぇ……ほんとにそんだけぇ? ただ見つけて引っ張ってきただけぇ? フラグガン立ちイベントで?」


 だが、交野氏は不満いっぱいという顔をしていた。


 ちなみにこのおっさんもどきも生粋のギャルゲーマーだ。

 リアル嫁に満足してないんだろうか。


「まぁいっかぁ。花火上がる時間になったら彼女誘って行っといで。おじさん空気読める人だから」


 マイペースな人だ。

 全然空気読めてないし。


「だからそういう関係じゃないです。交野さんも先生と行ってきてくださいよ。一時間くらいサボっちゃったし」

「えぇー? 依子から何を学んでんだよー! その年で社蓄みたいこと言っちゃだめでしょー!? この仕事日当なんだからサボったって給料変わんないよ?」

「そういう問題じゃなくて! 交野さんに迷惑をかけたっていう話ですよ!」


 はぁ?

 という顔をされてもな。


「うーん迷惑はかけられたね! こんなにあらゆるシチュエーションが揃いに揃ってるのに金髪ちゃんと何もなかったの!? 凄いねぇ、俺みたい! あ、これけなしてるからね! 俺の青春ポイント加算に貢献してない点は超絶迷惑かけてるからね!」


 この人青春男だったのか。

 確かに嫁はある意味電波女だ。

 でも、俺と桐花はそんな間柄じゃないんだよ。


 中二病的表現を使えば、共有者だ。

 正直、桐花に惹かれる部分はすごくある。

 まず大前提として、俺は男で桐花は女だし。

 女子に真っ直ぐ見つめられたら、男は誰しもどきっとするだろう。


 世話焼きだの過保護だのと瀬野川によく指摘されるが、それは世話を焼きたくなる相手に出会ってしまったからだ。


 桐花のことはまぁ、好きだ。

 でもそれは俺が嗣乃に抱く好きという感情と同じで、一緒にいても苦痛にならない兄妹のような関係の好きという感情だと思う。

 だからこそ、桐花に対して必死になってしまうかもしれないんだ。


「はぁ」


 ふと、そこまで考えてため息をついてしまう。

 こんなことを考える度に気付かされる。


 俺にはまだ、多江への気持ちが残っていた。

 早く忘れないといけないのは分かっているけれど、理性だけではどうにもできない問題だ。

 多江に一歩引いてみろと言ったのは、自分への言葉だったのかもしれない。


「どうしたの黙っちゃって? 俺から湊ちゃんにお願いしとこか?」

「だから行きませんて。仕事させてくださいよ」

「んじゃ明日は行きなよ! おじさんとの約束だ!」

「約束しませんって!」


 日陰者は日陰者らしく陰でコソコソしてるべきなんだ。


「いやぁ、依子から聞いてたけど君ほんとにネガティブだねぇ。いいことだよ!」

「……いいこと?」

「分かんないの? ネガティブって素晴らしいんだよ? たとえばさ、おじさん嫁に捨てられたら死ぬ自信があるの。ちなみに餓死ね。近所のお寺の坊さんみたいに即身仏ね」

「は、はい?」

「だからね、常に嫌われないように最悪の状況をシミュレートしておくの。ほら、脳内だったらリセットボタン押し放題っしょ?」


 何言ってんだこのおっさん?


「おじさんね、依子に離婚届突きつけられたら次の瞬間自分の喉笛引き裂いて依子にだっぷり返り血浴びてもらうパターンがベストかなぁって思ってんの。でね、離婚届も血に染めて提出できたもんじゃなくして依子は夫と死別でバツ付かず! 俺が死ねば団体信用保険で家のローンもゼロになるから住居もゲット! 生命保険もちょっとは受け取れるし! WIN-WINでしょ?」


 え? 何この話? 何がWIN-WINなの? 団体信用保険って何?


「なーんて、今考えたんだけどね」

「な、何なんですか……?」


 話が見えねぇ。

 この人怖い。


「だからさー、最悪ベースで物事を考えるのは素晴らしいってことよ! んでね、その最悪ベースのシナリオを避けるように生きていくの。分かる?」


 この人、例え話が絶望的だな。

 でも、一理あるか。

 ネガティブ思考ってのは卑下するものではなく、うまく付き合うものなのかもしれない。

 桐花は常に最悪のシナリオを考えながら生きてきたのかもしれないんだ。

 友達ができても、アメリカに連行されてしまえば離ればなれだ。


 でも、それならどうして自治会に入ったんだろう。

 そんなリスクを背負いたいと思うほど、嗣乃と仲良くなりたいと思ってくれたんだろうか。


「やほー。我が可愛い生徒とわりとどうでもいい旦那! 花火行こうぜ! どうせもう誰も来ねーし」


 依子先生は楽しそうだな。

 もう酒が入っているみたいだ。


「行きませんって。仕事させてくださいよ」

「うっわぁ社蓄キメぇ! 先生そんな風に育てた覚えないんだけど?」


 夫婦揃って似たような発想しやがって。


「つっきーは早く花火始まる前に金髪説得して来いよ! アイツ行かねーの一点張りなんだよ!」

「当たり前でしょうが! 金もらって働いてるのに!」

「えー? でもみなっちゃんと沼っちは行ったよ? ダメ子も放送かけたら行くしぃ。警備の名目でぇ」

「いいんじゃないですか? 普段から働き過ぎだし」


 それは良かった。先輩達には羽根を伸ばしもらいたかった。


「はぁ? テメーと金髪が一番働き過ぎなんだよぶわーか! お前らがずっと働いてっから何度クソジジイアメージングに怒られてると思ってんだボケェ!」

「教頭をガンプラ呼ばわりしないでくださいよ!」

「うっわ! 誰が教頭のこと言ったかなー? 教頭のことをアメージングなクソジジイだと思ってんだ! うっわー! 言いつけよー!」


 ちっ。古典的な手に引っかけようとしやがって。


「いいですよ。教頭先生がどっちを信じてくれるか目に見えてるしぃ」

「んだとー!?」

「ケイオゥ!」


 突然交野さんが叫んだ。格ゲーか。


「つっきー君の完全勝利だねぇ」

「はぁ!? なんでよ!?」


 交野さんがカウンターをほいと乗り越えて依子先生の頭をつかんで連れて行く。


「はいはい、じゃお言葉に甘えて行ってくるから宜しくね!」


 憎めない人だ。

 この軽いノリが依子先生と付き合う秘訣なんだろうか。


 外に出ると、先生の言う通りだった。

 屋台のおじさん達も手を止めて談笑していた。


 明日は本当に花火を見に行くか。

 小学生の頃は、よく一人で花火を見ていた。

 花火に近付きたい一心で、夜中に丘を登ったことがあったくらいだ。

 なんて危ないガキだったんだろう。


 空が急に明るくなって、花火の轟音が響き始めた。

 社務所の前では、木に阻まれてよく見えなかったが、木の隙間から見える花火もなかなかだ。


 いつの間にか、桐花が隣に立っていた。


「ここの花火も結構良くない?」


 花火の方を向いたまま、桐花が頷いた。


「モチモチの木みたい」

「へ? ああ、絵本の? 現実にあったらこんな感じか」


 笑いが込み上げてきた。


「ぶふっ! 俺はクリスマスツリーとか想像してたのに、モチモチの木って」


 やばい。ブサメンが吹き出すなんて気持ち悪いよ。

 横の金髪がキャラと大きく違うことを言うので耐えきれなかった。


「日本人だもん」

「だよな、ごめん」


 自覚はしているらしく、桐花も笑っていた。

 花火ってやっぱり良いもんだな。

 この場所で見るのも悪くはないが、もっときれいに見える場所へ行きたくなってきた。


「明日、ちゃんと見える場所に行こっか?」


 桐花は少し目を見開いてから、ブンブンと首を縦に振った。

 あれ? 自然に女子と約束を取り付けてしまった。いや、桐花だからか。

 女の子ではあるけど、その前に桐花だ。


 桐花は俺をどんな風に捉えているのか、分からないけれど。

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