第11話 まかないポトフと危急の知らせ


「ふぅ……疲れた」


 荷物を抱えるハルトは深い息を吐いた。

 ちょうど太陽が沈む頃、料亭みとりへと帰ってきたのだ。

 ロサリアもお疲れらしく、一足先に部屋へ戻っていった。


 ハルトはキャベツとワインを置くために厨房へ向かう。

 すると、そこではミトがぼうっと立ち尽くしていた。

 端正な顎に手を当て、深刻な顔をしている。


 料理の研究でもしているのだろうか。

 ハルトは邪魔をしないよう、控えめの声で報告した。


「買い出し終わりましたー」


 しかし、ミトは一切反応を返さない。

 小さく何かをブツブツと呟いている。

 さすがに心配になり、ハルトは横から声をかけた。


「ミトさん?」

「――はっ」


 すると、ミトは俯いていた顔を上げた。

 そしてハルトがいることに驚きの表情。


「や、やあ。おかえり、買い物ありがとう。助かるよ」


 どうやら完全に気づいていなかったようだ。

 やはり考え事をしていたのだろう。

 ハルトはそれとなく尋ねる。


「なにか起きたんです?」

「そ、そうだ! 大変なんだよハルトくん!」

 いつになく狼狽しているミト。

 非常に新鮮な姿だった。

 普段の冷静沈着さに慣れていたので、思わず見とれてしまう。


「みりんで毒霧の練習でもしましたか?」

「楽しそうだから今度やってみたいけど、もっと大変なことが起きたんだ!」


 やってみたくはあるのか。

 ハルトは内心で脱力した。

 冗談めかした口調だが、困っていることは確かのようだ。


「お困りなら手伝いましょうか?」

「いや、ひとまず僕の方でなんとかしてみるよ。これは僕が考えるべきことだ」


 一転して凛々しい顔をするミト。

 心なしか仮面の柄まで引き締まったように思える。

 そんな彼女はいくつかの食材を手に、ハルトの肩をポンと叩いてきた。


「ただ、今日のまかないはハルトくんにお願いするよ」

「え?」

「それじゃあまた後で!」


 急転直下の頼みごと。

 ハルトが反応するよりも早く、ミトは厨房から立ち去った。


「ちょ、ちょっとミトさん!?」


 一分一秒も惜しいのか、ミトの足は速かった。

 料理目録と食材を手に、私室へこもってしまう。

 呼びかけても出てきてくれなさそうだ。


「……むぅ」


 ハルトは改めて厨房を見渡す。

 空気に熱が残っており、火を使っていたことが分かる。

 匂いからして、恐らくスープを作っていたのだろう。

 今日作る料理の試作をしていた可能性が高い。

 その途中で何かに詰まり、熟考している最中といったところか。


「しかし……まかない、か」


 ハルトは底知れぬ胸騒ぎを覚えた。


 まかない。

 店の従業員などの食事用に作られる料理。

 実家で料理の手伝いをしていた頃、何度も経験したことがある。


 だが、以前働いていた職場では、全く任されなかった。

 いや、確か、一度だけ作ったことがあったか。

 その時の反応は――


『まっず。客に出さないからって手抜いたろ、オマエ』

『あーあ、佐々来のせいで腹減ったまま仕事かよ』


 ギリッ、と奥歯が軋む。

 思い出したくもない、嫌な記憶だ。

 間違っていたのは、自分の腕だったのか。

 それとも連中の底意地だったのか。

 今となっては分からない。


「……平気だ。怯えるな」


 震え始めた足を叩き、自分に言い聞かせる。

 急な話とはいえ、せっかくミトが自分に任せてくれたのだ。

 その期待には応えたい。


 ハルトは気合を入れなおし、食材の在庫を確認する。

 今日のロールキャベツに使う食材は別にしてあるようだ。

 見たところ、野菜とソーセージに余りがあるらしい。


 これを使ってまかないを作ることにする。

 この食材ラインナップで、腹に溜まるものは――


「あれでいいか」


 ハルトは必要な食材を選出した。

 にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、ウインナー。

 そしてスパイスとしてローリエを少々。


 少し時間はかかるが、調理自体は簡単な料理。

 しかし、今のハルトにとっては、すべての料理に高い壁が立ちふさがる。

 どうしたものかと思っていると――


「あら、ハルト?」


 二階からロサリアが姿を見せた。

 荷物を置いて上がってこないのを疑問に思ったのだろう。

 彼女はハルトを見るなり首を傾げた。


「どうして一人で厨房に立ってるの?」

「いや、ミトさんがまかない作れってさ」

「え……ハルトが?」


 ロサリアは意外そうな顔をする。

 いつもはミトが作っているので、不安になったのかもしれない。

 彼女は食材を前にしたハルトを細めで見つめる。


「いいけど、変なの作らないでよ」

「俺を何だと思ってるんだ」


 とはいえ、自分でも自信はあまりない。

 開き直るにはあまりにも、否定され続けてきたのだ。

 しかし、いじけて止まっているつもりもない。

 ハルトは大きく頷いて、階段に佇むロサリアを見上げた。


「悪いけど、ちょっと手伝ってもらっていいか?」

「えぇ!? 私、料理できないわよ」

「心配するなって。適当に野菜切るだけだから」


 ハルト一歩立ち位置をずらし、流し台の一角を空けた。

 それに対し、ロサリアは料理そのものに自信がないのか、首を横に振ろうとする。

 しかし、何かを思い出したのか、小さくため息を吐いた。


「……あぁ、そういえばそうだったわね」


 彼女は昼の会話を思い出したのだろう。

 なぜハルトが料理補助という立場にいるのか。

 何が原因で、料理を一人で完遂できないのか――


「ほ、包丁使うところだけだからね?」

「ああ、十分だ」


 ハルトは大きく頷いた。

 すると、ロサリアは深く息を吐きながら厨房に入ってくる。


「はぁ、もう……私は接客専門なのに……」


 文句を言いつつも、ロサリアは包丁を洗い始める。

 その姿を、ハルトはぼんやり眺めていた。

 出会った初日に頼んでいたら、確実に断られていただろう。

 少しだけ、警戒を薄めてもらえているのかもしれない。


「それで、切ればいいのね?」

「ああ、切り方は教えるよ」


 ハルトの指示を受けながら、慎重に野菜に刃を立てていく。

 包丁自体、握り慣れていないのだろう。

 非常に危なっかしい手つきだ。

 逐次修正しながら、ハルトは指示を出していく。


「まず人参は、水分が溜まってるところを薄く切り取って……違う違う! そこは刃を入れなくていい!」

「うるさいわね! 適当でいいって言ったじゃない!」


 真っ二つにする勢いで野菜を切り裂いていくロサリア。

 それを何とか正しい切り方に近づけつつ、野菜のカットを行っていく。


 ――10分後

 

「前衛的だな……」

「だから言ったじゃない……!」


 まな板の上では、戦争後の廃墟のような雰囲気が漂っていた。

 あらぬ角度から切られた野菜がうず高く積まれている。

 しかし、ハルトの監修もあり、なんとか火の通りは均一になりそうだ。


 ロサリアも自分で不出来を悟ったのか、少し涙目になっている。

 そんな彼女に、ハルトは朗らかな声で礼を言う。


「いや、不揃いでも大丈夫な料理だからいいよ。ありがとな、助かったよ」

「……そ、そう? まあ、せっかく手伝ってあげたわけだし、お腹減ってるんだから早くしてよね」

「おう」


 包丁の必要な工程は終わった。

 後はいつも通り、自分の料理をすればいいだけだ。

 鍋を熱して少量のバターを溶かし、ロサリアの切った野菜とソーセージを炒めていく。

 頃合いを見て、水と白ワイン、そしてブイヨンと胡椒を鍋に投入した。


 そしてアクを取りながらじっくりと煮込む。

 すると、徐々に香り高いコンソメの匂いが漂ってきた。

 ハルトは確認のために鍋の蓋を取る。


「……もう少しだな」


 見た目は整ってきたが、野菜が完全に柔らかくなるまではもう少しかかる。

 ここで、ロサリアが横から鍋を覗き込んできた。

 そして燦然と目を輝かせる。


「わぁ……おいしそう。もしかしてポトフ?」

「意外だな、知ってるのか」


 そう、作っているのはポトフだ。

 西洋における代表的な家庭料理の一つ。

 じっくり煮込んだカラフルな野菜と、奥まで火の通ったソーセージ。


 そして、肉と野菜の出汁をたっぷり吸ったスープが魅力の料理だ。

 しかし、一般家庭の料理という印象があるため、ハルトは首を傾げていた。

 それに対し、ロサリアはコクコクと頷いた。


「ええ、たまに食べてたから」

「え……まさかポトフって貴族料理だったりするのか?」

「知らないわ。自分で作ったことないし」


 だろうな、と言いかけてハルトは言葉を飲み込む。

 恐らく、料理には頓着しない生活を送ってきたのだろう。


「そういえば……他の家の子に話しても何それって言われてたわね」

「ほぉ……」


 この分だと、やはり貴族はあまり口にしない料理であるようだ。

 それなのに、大貴族の娘であったロサリアが食べ慣れているとは。

 妙な話だな、とハルトはぼんやり思った。

 そんなことを考えているうちに、決めていた時間がやってきた。


「おっそ、そろそろか」


 改めて鍋の中を見て、味を整えた。

 ジャガイモと人参はホクホクで柔らかくなり、玉ねぎは美しく透き通っていた。

 また、立ち上る湯気が熟成されたスープの香りを届けてくる。

 今を除いて食べ時はない状態だった。


「よし――完成だ」


 新鮮な野菜をふんだんに使ったポトフ。

 名付けるなら『ゴロリ野菜のハーブ添えポトフ』といったところか。

 なにやら無性につくってあそびたくなる名前だが、味は完璧のはず。

 ハルトが出来栄えに満足していると、隣でロサリアが器を構えていた。


「ほんと、いい匂いね……減ったお腹には毒だわ」

「さっそく食べてみるか?」

「いいの!?」


 別に誰が最初に食べても一緒である。

 ハルトも小腹が空いているが、ここは文字通りハングリー精神の豊富なロサリアに味見してもらおう。

 器に一通りの具材をすくい、上から浸透させるようにスープをかけた。


「はいよ。慌てて食べると火傷するから気をつけろよ」


 注意すると、ロサリアは慎重にふーっと息を吹きかける。

 そして湯気の立つジャガイモに意気揚々とかぶりついた。

 その瞬間、彼女の目が見開かれた。


「あ、熱っ、あふい……!」

「ほら、言わんこっちゃない」


 すごく熱がっている。

 もう少し冷ますべきだったのだ。

 しかし数秒後、ロサリアは熱さなど関係ないと言わんばかりにゴクリと飲み込んだ。

 夢中と言わんばかりである。


 ハルトは感想を聞こうとしたが、ロサリアは続いてソーセージを口に運んでいく。

 歯を立てると、パリッといい音がして肉汁が溢れだす。

 あっという間に一本平らげて、彼女はスープを上品に飲み始めた。

 完全に虜になっているのか、飲み干す勢いでスープを堪能している。


 そして数秒後、深い吐息を漏らした。

 ここでハルトが尋ねる。


「ちなみに……味はどうだ?」

「おいしいけど?」


 それだけ言って、ロサリアは人参へとターゲットを移した。

 言葉を紡ぐ間も惜しいと言った様子である。

 彼女の簡潔な感想を受けて、ハルトは安堵した。


「そうか、そりゃよかった」


 おいしい。

 その一言が、胸の奥に染み渡る。

 たった4文字の言葉だというのに。


 これほどまでに報われた気分になるのはなぜだろう。

 感慨に浸りながら、ハルトもポトフに手を付けていく。

 ジャガイモは口に入れると一人でにホロホロと崩れていく。

 そして出汁の染みこんだ旨みが全体に広がり、涎が止まらなくなる。


 人参も絶妙の火加減で、野菜の甘みを存分に引き出していた。

 玉ねぎはツルツルの舌触りでありながら、噛みしめればジュワッとスープが溢れ出す。

 野菜のポテンシャルを見事に引き出していた。

 ソーセージも皮のパリッとした食感を残しつつ、ホクホクの柔らかい肉が舌の上で解けていく。


 スープは肉と野菜の出汁が効いており、いくらでも飲めるのではないかと思ってしまう。


「上出来だな」


 なかなかの完成度だと自分でも思った。

 やはり、自分の料理はまだ死んでいない。

 料理人として欠け落ちてしまっていても、料理だけは諦めたくない。

 そう実感させてくれる一品だった。


 まかないを食べ終えたロサリアは、満足そうに店の椅子に座っていた。


「はぁ……お腹いっぱいで幸せ」

「食ってすぐ寝ると太るぞ」

「寝ないわよ! これから開店なんだから」


 怒ってはいるものの、いつものキレがない。

 やはり食欲が満たされると人は温厚になるのだな。

 そう感じて、ハルトは苦笑していた。


 その時だった。


「ふふ……なるほど、なるほどね」


 フラフラと、階上から一人の女性が姿を現した。

 幽鬼の如き足取りで降り立ったのは他でもない。

 自室に戻っていたミトである。


 仮面に隠されているため表情は分かりにくいが、口元が若干引きつっていた。

 なにやら異様な気配を感じたハルトは、恐る恐る尋ねる。


「ミ、ミトさん。問題は解決しました?」

「ああ、ひとまず結論は出たよ」


 彼女は晴れやかに椅子を引き、優雅な所作で着席する。

 そして今までにない笑顔を見せた上で、とんでもないことを告げるのだった。


「――今日の料理、出せないかも」

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