第10話 縁結びのワイン

 キャベツの選定を終えたハルトとロサリア。

 これで頼まれた食材の片方を入手したことになる。


 そして二人は現在、ワインを買うため港通りの洋館に来ていた。

 ここは高級志向のワインを取り扱っているらしい。

 店に入ると、ロサリアの表情が固くなった。

 それを見て、ハルトは小さな声で尋ねる。


「……いつも買いに来てるんじゃないのか?」

「……行きつけの店が閉まってたのよ。他に大きなところはここしかないから見に来たの」

「なるほどね」


 どうやら、いつもの店は臨時休業しているらしい。

 唐突な休業は商店の特権だ。

 ハルトが益体のないことを考えていると、背後から声がかけられた。


「おや、いらっしゃい。ずいぶん若いね」

「どうも、はじめまして」


 ロサリアが率先して返事をする。

 現れたのは60歳ほどの男性。

 身なりのいい格好をしており、ここの看板と同じ印章が入ったバッジを付けている。


 この人が店主なのだろう。

 ロサリアはさっそく酒の目星を付けていく。


「オーク樽で熟成させた赤ワインはあります?」


 聞き慣れない言葉を発するロサリア。

 ハルトはぼんやりとした記憶から知識をたどる。


 オーク樽。

 オーク材と呼ばれる樫や楢を原材料とした樽のことだ。

 ワインの熟成においては、樽の種類で細かく風味に違いが出る。


 ロサリアの問いに対し、店主は顎のあたりをポリポリとかく。


「あるけど、お嬢ちゃんが飲むのかい?」

「いいえ、店に仕入れるものです」


 ロサリアがそう答えた瞬間、店主は残念そうに目を瞑った。


「じゃあ、料理する人を連れてまた来てほしいねぇ」

「なぜですか?」


 その言葉に、ロサリアが目を細める。

 ハルトは争いの予感を肌で感じた。

 何かあったら全力で止めようと心に誓う。

 そんな心配をしていると、店主が露骨に肩をすくめた。


「味の分からない人間には売らない主義なんでね」

「そうですか。でしたら、私は味に詳しいので売ってください」

「詳しい、ねぇ……本当に?」


 店主が疑いの眼差しを向ける。

 そろそろ我慢の限界が来るのではないかと危惧した。

 しかし、ロサリアは以外にも冷静だった。


 余裕の笑みを浮かべると、彼女は店主に優しく呟いた。


「客の選別は結構ですが、あまり無差別にしてると恥をかきますよ」

「へぇ、気が強いねぇ。まあいいや、ならついておいで」


 ロサリアのプレッシャーを受けて、店主が首を縦に振った。

 売ってくれる気になったのだろうか。

 ハルトは店内の酒店を見渡しながら、店の奥へ進む。

 奥に行けば行くほど、高級そうな品種のワインが増えてきた。


 数秒後、店主が足を止める。

 そして角にある棚を片手で示した。


「ここの棚は全部、オーク樽で熟成して寝かせた酒だよ」

「ありがとうございます、確認しますね」


 そう言うと、ロサリアはさっそく酒棚を検分し始めた。

 どうやら、元の世界のワイン名はあまり伝わってないらしい。

 この分だとワイン品種に関する知識は通用しなさそうだ。

 やはりロサリアを信じるしかない。


 ハルトが視線を注いでいると、ロサリアが一つの酒瓶を手にとった。


「この品種をお願いできますか?」


 黄ばんだ印紙が貼られた赤ワイン。

 日本語で文字が書かれていたが、聞いたこともないような品種名だった。

 やはり推測は当たっていたらしい。


「いいよ。こっちが合計60ヶ月で熟成長め、こっちが19ヶ月のやつだ。中間もあるがどうする?」

「熟成の長い方を試飲させてください」

「はいよ」


 店主が熟成期間の長いワインをグラスに注いだ。

 ガーネット色でオレンジがかった色。

 熟成期間はそれなりに長いようだ。

 ロサリアは匂いを嗅ぎ、ほんの少しだけ呷った。

 すると、眉をひそめてグラスを置いた。


「悪くないですが、想定している料理との相性は微妙ですね」

「ほぉ、ちなみに何と合わせるんだい?」


 ロサリアの反応に、店主が興味深そうに尋ねた。

 いきなり店主の雰囲気が変わったようにすら感じた。

 問いに対して、ロサリアは簡潔に答える。


「ロールキャベツです」

「なら、赤ワインで間違いないね。この品種が合うと思うが?」

「確かに。けれど、”このワイン”は合いません」


 強調するように断言するロサリア。

 すると、店主はますます表情を軟化させた。


「ほぉ、そりゃまたなんで」

「熟成が長いとのことですが、微妙に酸味が残っていますよ?」


 ロサリアが何を言いたいのか。

 理解するまでにハルトは数秒の時間を要した。

 しかし、すぐに思い至る。


 本当に味が分かっているのか試したのだ。

 目の前の店主は感服したように、ワインの瓶をまじまじと眺める。


「……へぇ、やるねえ。本物より10ヶ月短いだけだぜ?」

「試してまで客を選ぶなんて。顧客から不興を買いますよ」


 ロサリアが呆れたように呟く。

 しかし、店主は悪びれた様子もなく喉を震わせて笑う。


「心配どうも。でも、ウチが相手にしてるのは美食にうるさい貴族がほとんどでね。それ以外の客は選ばないと売る気にもなれないのさ」


 客を選別するタイプの商売人。

 ハルトにとっては天敵とも言える存在だが、それを本人の前で否定するつもりなどない。

 あくまでも信条は人それぞれ。

 ハルトはただ、悠然とワインを求めるロサリアに視線を定めていた。


「で、私には売ってくれるんですか?」

「ああ、合格だ。試したことは謝ろう。ちゃんとした熟成期間のものを出すさ」


 そう言うと、店主は酒棚の奥から同じ品種のものを取り出そうとする。

 その間に、俺とロサリアは改めて陳列されたワインを眺めていた。

 品揃えは恐らくこの都市でも屈指のものだろう。

 古今東西、様々なワインを集めていることが窺える。


 と、ここでロサリアの目がある一点に釘付けになっていた。

 店の最奥にある棚の最上段。

 その右端にある、文字のかすれた印紙が貼られた酒瓶。

 それを見て、ロサリアは慌てたように店主へ声をかけた。


「ちょっと、待ってください! あのお酒って――」

「ああ、こないだ交易商から買った掘り出し物さ」


 その説明が耳に入っているのかいないのか。

 ロサリアは食いつくように酒瓶を指さした。


「あれを、売ってくださいませんか?」


 その言葉で、店主の顔色が変わった。

 客を相手にする表情から、失望に満ちたものへと。

 彼は手を止めて、深いため息を吐いた。


「はぁ……俺の目が間違ってたか。初見のワインを味見もせずに欲しがるとはね」

「初見ではないです」


 ロサリアは力強く答えた。

 しかし、店主は頑なに首を横に振る。


「嘘はやめときな。このワインはこの国ではなかなかお目にかかれない。一介の嬢ちゃんが飲めるわけねえよ」

「少なくとも、あなたより知っている自信がありますよ?」

「へぇ、じゃあこのワインの原産国は? 貴族からはなんて言われてると思う?」


 ロサリアの言葉が嘘か本当か、店主が暴きにかかった。

 両者の間で火花が散る。

 ハルトは不穏な空気が館の中に充満するのを感じた。

 しかし、ここでもロサリアは決して声を荒げない。

 落ち着いた対応で、滔々と語り始めた。


「原産は旧ハンガー列島諸国。貴族間での通称は『我々の血』。巷では貴族のブドウ酒と言われてますね。ルビー色で味わいは繊細でベリーやプラムの芳香があります。既に滅びた国でしか生産されていなかったため、その希少性はワインの中でも群を抜いています」


 そう言うと、店主の顔が驚きに染まる。

 どうやら回答できたことが死ぬほど意外だったらしい。

 ロサリアは店主の反応を確認した上で、皮肉の効いた笑みを浮かべた。


「なにか訂正するところがありますか?」

「……驚いた。もしかしてあんた――」


 店主が言葉を紡ごうとした瞬間、ロサリアは口元に指を当てた。

 みなまで言うな、ということだろう。

 しかし、これで予感が核心に変わった。


「……ああ、やっぱ貴族だったのか」


 ハルトは聞こえないように呟いたつもりだった。

 しかし、ロサリアが超反応で振り向いてくる。


「ちょっと、いいところで口挟まないでよ。気が散るわ」

「地獄耳かよ」


 まさか貴族が街にある料亭で働いているとは思うまい。

 店主としても、ふらっとやってきた少女が貴族というのは驚愕だろう。

 あんぐりと口を開ける店主に、ロサリアは改めて尋ねた。


「それ、売ってくれるかしら?」

「……ね、値段による。よります」


 しばらく呆けていた店主だったが、戸惑い全開の口調で商売人モードに移行する。

 あとは金の問題だけだ。

 ロサリアはテーブルの上に財貨を並べていく。


「これでどうでしょう?」


 金を見て、店主も冷静を取り戻したようだ。

 さすがは商売人。一通り貨幣を数えた上で、渋い表情を浮かべた。


「ちょっと少ないですねぇ」


 承服しかねると言った顔。

 しかし、先ほどとは打って変わって物腰は柔らかだった。

 これが貴族パワーか。

 ハルトが感じ入っていると、ロサリアは堂々とした態度で微笑んだ。


「ご勘弁を。なにぶん経営が苦しいもので」

「……ま、いいけどさ。持っていきな」


 意外にも、店主はあっさりと譲ってくれた。

 位置的にこの店で一番高いレベルの酒だったはず。

 大丈夫なのかとハルトが尋ねる。


「貴族に売る酒じゃなかったんです?」

「まあ、値段は釣り合ってないですな。ただ、俺は味の分かる人間にしか売らねえ。それだけです」


 要するに、このワインの味が分かる人は顧客の中にいないということだろう。

 それゆえに、その酒を誰よりも知っているロサリアに譲る。

 一貫した商売人魂だった。


「じゃあ、もらっていくわね」

「ええ。またのご来店をお待ちしてます」

「ええ。いつもの店が休んでたら、また来るかもね」


 そう言って、ロサリアは悠然と洋館を後にするのだった。



      ◆◆◆



 お使いからの帰り道。

 ハルトは開放感に満ちた気分で街を歩いていた。

 これで頼まれた仕事は完了。

 意気揚々と店へ帰れるというものだ。


 横を歩くハルトに対し、ここでロサリアがボソリと呟いた。


「……文句、言わないのね」

「ん、なにが?」

「このワインよ」


 ロサリアは手に持った酒瓶を示した。

 他に候補がある中で、強行して手に入れた一本。

 そのことに何も言及してこないので、逆に不安になったのだろう。


「私情で買ったのは分かるでしょ? てっきり後で何か言われると思ってたわ」

「別に、酒の目利きならロサリアに任せた方がいいしな」


 ハルトは知識こそ人並みにはあるが、酒の味は参考程度にしか分からない。

 元の世界では、年齢ゆえに限られた状況下でしか飲むことが許されなかったのだ。

 その点、リミッターの外れた場所で育ったロサリアの方が味には詳しいだろう。


「ミトさんが私達二人に頼んだわけだし、あなたの意見も聞こうと思ったの。今さらだけど」


 本当に今さらだな、という言葉がハルトの脳裏に浮かんだ。

 しかし、ハルトとしては反対する理由が何一つなかった。

 なぜなら――


「まあ、その酒がロールキャベツに合うってことだけは確信してたからな」


 ロサリアの説明で、そのワインがどういうものなのか分かった。

 恐らくは『テンプラニーリョ』を使ったワインなのだろう。

 元の世界では最高級ワインを作るのに必須と言われたブドウ。それを使ったワインは、ロールキャベツなどの煮物にベストマッチする。


「へぇ……なかなかやるじゃない」


 元いた世界の知識を交えて話すと、ロサリアは感心したように頷いた。

 ただ、驚いたのはむしろハルトの方だ。


「しかし、古ぼけた印紙が一枚はられただけの酒だったのに。よくその酒だって分かったな」

「……お父さんが、好きなお酒だったからね」


 ピタリと、ハルトは足を止めた。

 すると、ロサリアも同時に歩みを止める。

 触れてはいけない。

 ハルトの第六感がそう告げていた。


 しかし、ここで知らぬ存ぜぬを続ければ、今までと変わらない。

 ミトがせっかく用意してくれた場なのだ。

 気分を害さない程度に、踏み込むべき――


 ハルトは先程ロサリアが話していたことに触れる。


「ちなみに、ハンガー列島諸国っていうのは?」

「もう滅びたわ。大飢饉を放置した王家が革命を起こされて失墜。元いた貴族は没落したか、無一文で他国へ亡命したの」


 ――それで、私は後者。


 ロサリアは何でもないことであるかのように告げた。

 本当に、気にしていないように見える。

 ハルトはなんと言おうか迷い、なんとか言葉を絞り出した。


「それは……大変だったな」

「なによ、同情されても嬉しくないわよ。終わったことで憐れまれても困るわ」

「いや、同情じゃない。ただ……羨ましいなって」


 気の利いたことを言える自信はない。

 自分が素直に感じたことを伝えるので精一杯だった。


「そんなことがあったのに、前を向けるってのはすげえよ」

「……ふぅん。まあ、褒めてくれてるってことだけは分かるわ」


 ロサリアはつれない口調のままそっぽを向いた。

 そして、止めていた歩みを再び開始する。

 顔が見えないので、彼女の感情が読み取れない。

 怒らせてしまったのだろうか、とハルトは不安になる。そんな時――


「そういえば、ハルトってさ」

「ど、どうした?」

「包丁が握れないのは理由があるって聞いんだけど。昔は使えてたの?」


 ハルトの過去について、触れてきた。

 自分でもあまり回想したくない部分。

 しかし、ロサリアが向こうから踏み込んできてくれたのだ。

 発作が出ないよう気をつけつつ、ハルトは記憶を巡らせる。


「ああ、余裕でな。それこそ包丁一本で何でもできたさ」


 多国籍料理が専門だったため、様々な包丁の技術が必要だった。

 正直、何度もくじけそうになった。

 しかし、自分を高めるためと思って踏ん張り、その多くを習得してみせた。

 だが、今は――


「じゃあ、なんで使えなくなっちゃったの?」


 誰でも感じるであろう、至極まっとうな質問。

 それを思い出した時、自分は包丁を握れるようになるのだろうか。

 しかし、ハルトは内心で首を横に振る。

 きっと、今のまま思い出せば、古傷が開いて壊れてしまうだろう。


 そうなれば、二度と料理人として――


「……分か、らない。思い出したくない」

「そう。じゃあいいわ」


 苦悶するハルトを見て、ロサリアはあっさり切り上げた。

 ハルトは無意識に、自分の心臓のあたりをおさえていたことに気づく。

 発作が出る直前だったようだ。


「まあ、包丁はともかく――」


 ロサリアは一つ息を吐いて、話題を切り替えた。

 その上で、彼女はハルトの顔を覗き込む。


「ハルトがいて現にミトさんは助かってるんだから、いじけないで頑張ってよ」

「……ああ」

「じゃ、早く戻りましょ。ミトさんが待ってるわ」


 すると、ロサリアはハルトの袖を引いて歩みを早めた。

 ただひたすらに、前を行く。ハルトを片手で引っ張りながら。

 後ろ向きになりかけていた想いが、反転する――


 最初は不安で仕方なかったけれど。

 ハルトはここにきて、一つ確信した。

 ロサリアという少女は、やはり根が優しいんだな、と。


 こうして、初めてのお使いは無事に完了したのだった。

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