1-10 おまえの歌が聴きたい

 目を覚ますと、そこは心地よいベッドだった。


 部屋を見渡すと、石造りの壁に装飾がつけられた調度品がある。

 窓から見える景色は下に手入れがされた庭が広がり、昼間の街が見下ろせた。


『シア、シア起きているか』

『うーん、ぼちぼち』

 ものすごく眠そうだ。


『どこまで覚えている?』

『クラウス氏が黒い空間に運ばれていくところ』

 同じだ。

 俺たちは、ゾフィーはあれからどうなったんだ?


 扉を開く音がした。

「シンシア様、起きられましたか。只今水をお持ちします」

 この屋敷の使用人らしき女性がパタパタと出て行く。


 どうやら、領主のヴェッセル伯爵に保護されているようだ。

 使用人が戻ってくると、ヴェッセル伯爵が共に現れた。


 水を一口、俺が飲むのを待ってから、伯爵は話し始めた。

「怪我は大事ないか?」

「はい。大丈夫です」

 傷跡も消えている。

 これは、聖杯を持つ者の回復力なのだろうか。


「そうかそうか。それは良かった。いや、神殿の神官を呼んだときには既に回復が起こっていたのだがね」

「あの、伯爵様。状況がわからないのですが」

「ああ、すまない。では、私が知っていることを話そう」

 ヴェッセル伯爵は随分気さくに話す。

 人の良いオヤジに品の良さを足したような人だ。


「お願いします」

「任せなさい。……南の広場に魔人が現れた報を聞いたのは、執務室でのことだった。すぐさま、強力な個体の戦闘に向いた選抜部隊を差し向けたところ、魔力の光を散らしながら夕闇で戦う二人がいたそうだ」

 俺たちと魔人クライスか。

「二人の戦いは熾烈を極めていたという。部隊の者たちは、戦闘の動向を見ていた」

 ただ単にとばっちりを食らいたくなかったか、参入する能力がなかったか、魔人の消耗を期待したのか。

 なんにせよ俺を犠牲に、有利を得ようとしたわけか。


「ああ、すまない。我が領軍は領民を第一に考えているのは確かだ。助けに入れなかったことは私が代表して謝ろう。すまなかった」

 正直に謝られると責める気も起きない。もともとその気もない。

 問いたいことがあるとしたら――


「ゾフィーという名の女の子をご存知ないですか?」

「……いや、聞いてないな。一緒にいたのかね?」

「そうです」

「そうだったのか。なにぶん、暗かったので見逃している可能性もある。だが、戦闘が終わったときには君しかいなかった。そうだ、これを渡そう」

 ベッド脇のナイトテーブルに欠けた球を置いた。

 クライスの核だ。

 欠けた部分はおそらく、ゾフィーの使った魔法で飲み込まれ消えたのだろう。

「これは通常の市場では価値があるかはわからない。だが、然るべきところに持っていけば役に立つかもしれない。トラシントの王都ならわかる人がいると思う」


 魔人の核。人であり、魔族であるものの素。

 クライスも人であった時代があったのだろう。

 彼はどんな人生を送ったのか。


「私が知っているのは、このぐらいだ。今日は一日休むといい。食事もここに持って来させる。安静にしなさい。では、明日の朝食にでも」

 そう告げてヴェッセル伯爵は出て行った。


『ゾフィーどこいったんだろうね?』

『そうだな』

 千里眼で街を隈なく探しても、見当たらない。


 既に魔人と化したゾフィー。

 街を発って、どこかに行ってしまったのだろうか。


『また歌聴きたいね』

『ああ』


  ●


 夜、ベッドで休んでいると、窓が開く音がした。


 起き上がると、月明かりに翼を収めていくゾフィーの姿があった。


「ゾフィー」

「今日も男性の姿なんですね。ご主人様」

 初めて、俺たちを主人として呼ぶゾフィー。

 もう主従は切れているのに。

「ああ、さすがに街中じゃほいほい変われないからな」


 一歩、ゾフィーが近づく。

 つられるように俺も立ち上がる。

 堰を切ったようにゾフィーが、泣き声を上げ、俺の胸の中に飛びつく。

 優しく抱きしめる。


「ごめんなさい。わたくしのせいで、危険な目にあって。わたくし、何もできなくて――」

 しきりに謝るゾフィー。

 一つ一つに頷き、綺麗な銀糸の髪を撫でる。


 一通り泣くと、ゾフィーはそっと俺から離れた。

「わたくし、人だからでもなく、魔族だからでもなく、ご主人様が好きでした。……ですが、お別れです」

「どうして?」

 ゾフィーは微かに微笑をたたえ、首を横に振った。


「ご主人様が気にしなくても、周りが気にしますもの。だから一緒には居れません」

 違う。そんなことはない。


 ゾフィーが再び翼を伸ばし、窓に手をかける。


「さようなら。わたくしのご主人様」

「嫌だ」

 まるで、我侭な子供になったかのようだった。


 俺は彼女を抱き寄せ、唇を奪う。

 肩を押していたが、抵抗する身体から徐々に力が抜けていく。


「人から避けられますよ? もしかしたらまた魔人に狙われたり、人類にも狙われるかもしれません」

 それで、もし不幸になるとしたら、それはただ俺の器量不足だ。そうだろう?


「知らないな。必要なら、俺がその戒めを変えてやる」

 強く断言する。根拠などいらない。大事なのは意志だ。


「――優しいご主人様。そして、変な人」

 一筋の光がゾフィーの瞳から流れていった。


  ●


 男らしさというのは常日頃忌み嫌うところがあるけれど、いざとなれば発揮する強引さを持ち合わせている以上、自分は男なんだと思うときがある。


「おはようございます。シンシア様……そちらのお方は……」

 使用人が怪しげに聞いてくる。


 ゾフィーが、服を脱いで俺と寝ていたのだ。


 特に変なことはしていない。

 いくらゾフィーが魅力的でも、そんな気分にならないこともある。

 ただ彼女に優しくしたかっただけだ。


『言い訳をしなくても、誰がどうみても、和合したと思うわよ』

『勘違いだ。わかるだろう?』

『まぁまぁまぁ。シンのことはわかるわよ。でも、私が寝ている隙にゾフィーがいるし。なんか勿体無いことしたなぁーって』

『すまない。起こすのを忘れていた』

『まぁ、逃さなかっただけいいでしょ』

『しかし、シアは魔族に対して思うところはないのか?』

 シアは実際、特殊な彼女に対して別に嫌悪もない。

『失礼ね。そんなに下等な教育受けていないわよ』

 シアの受けたという教育というのが、どのレベルで、どの層が受けているかどうかわからん。

 でも、そうでもなければ、訳の分からん俺なんかと居れないな。

『そういうこと』


「一緒にいたゾフィーだ。朝食で紹介すると伝えてくれ」

「承知いたしました」

 さすが伯爵家付きの使用人だ。何があったなんか聞いてこない。


 使用人がいなくなると、寝ぼけ眼のゾフィーが、もぞもぞと動いた。

 ああ、小振りな肩下についている結構なボリュームが腕に当たる。

「おはよう、ゾフィー」

「おはようございます。ご主人様」

 明るいところでは恥ずかしいようで、そそくさと脱いだ服を着ようとする。

「毎日同じのもあれだろう。これ着ていいぞ」

 一昨日の買い物で、さりげなく服飾店で簡素なワンピースも買っておいた。

「ありがとうございます。嬉しいです」

 喜びもあらわに、ワンピースを胸にかき抱くゾフィー。


『ずいぶんと変わったわねゾフィー』

『きっとなにか、心のつかえが取れたんだろう』


 猫キャラだったのに、一気に犬キャラになってしまった。

 ついつい頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めている。


 ゾフィーの掲示を改めてみる。



名前:ゾフィーリア・ローネンブルク・クセノス

種族:魔族

所属:-

位階:高等奴隷※


※シンシア:上等契約者



生命量:10000

魔力:8000


固有特性:冥 鍵

後天特性:歌姫 飛翔 従属者


基本技能:生存技能30

     生活技能6

     学術技能10

     魔術技能40

     戦闘技能25

突出技術:空間魔法

     大鎌使い



 魔人となったゾフィーは常人以上の能力を手にしている。

 最早、俺たちより安定して強そうにも思える。


 それと彼女は奴隷主従の再契約を欲した。

 互いの真なる同意さえあれば奴隷になれるというので、試したらすんなり、掲示が変更された。


 たぶん、いやいや同意させても無理なんだろう。

 そうでなければ、奴隷商人の商売の旨味も減ってしまう。


 主従契約は、色々な形があり、強制力を必要としなければ、仲介人も不要らしい。

 高等奴隷というのは、奴隷が主人として奴隷を持つことができる形態で、多くの自由も認められている。



「おはようございます。ヴェッセル伯爵様」

「お初にお目にかかります。伯爵様」


 人々の反応に怯えるゾフィーの手を見えないように握る。

「彼女が私が探していたゾフィーです。奴隷身分でございますが、一度は挨拶に伺おうと思いこの場をお借りいたしました」


 あんぐりと口を開けるヴェッセル伯爵以下家族や近従の人々。

 掲示を見たのだろう。

「ま、魔人!」

「ご安心ください!」

 あわや騒ぎになろうとしたところで、一喝する。


「重ねて言います。彼女は私の奴隷です。魔人クライスを打ち倒したのは私であり、魔人ゾフィーリア・ローネンブルク・クセノスなのです」

「ということは、シンシア殿は魔人を従えるのですか?」

 落ち着いたものの、怯えが隠せない伯爵嬢や伯爵夫人。

「そうなります」


 魔人だから人間の敵ではないことを理解してもらえたのか、ただ俺の奴隷だからなのか、一応は平静を保つ。


「は、ははっ、はははははっ。魔人を従える冒険者。結構ではないか」

 おかしくなったのか、器が大きいのか、ヴェッセル伯爵は笑い飛ばした。


「さぁ、私は腹が減っているんだ。席につきなさい。シンシア殿に、ゾフィーリア殿」

 領地の主らしく場を収めると、粛々と食事を始めた。

 ホッと席に着くゾフィーを見て、微笑ましい気持ちになる。

 俺も世界をまるで知らないが、ゾフィーにはもっと暖かい世界を知っていってほしい。


「時にゾフィーリア殿はかのクセノス家のご令嬢では?」

 朝食を腹に収め、満足気に茶を飲んでいると、ヴェッセル伯爵が話し掛けた。


「ええ。わたくしはクセノス家次女になります」

「そうだったか。お悔やみ申し上げる」

「いいえ。あれは仕方がないことでした。何もかも巡り合わせが悪かったのです。わたくしを設けたことも不運の一つでした」

「……すまない。そう言わせるつもりはなかった。さぞ辛かっただろう」

「いいえ。わたくしは何一つ後悔していません。ご主人様がいらっしゃるからこそわたくしが生きているのです」


『妬けるねぇ』

『シアもご主人なんだからな』


 食事を終え、退席しようとすると、伯爵が近づいた。

「シンシア殿、魔人にも色々いるものだな。魔人は人類への怒りに燃えているというのが通り相場だが、彼女に殺意が全くない。ああ、私にはわかるのだ。謀反を起こす臣下と同じものがない。だが、気をつけなさい。私が珍しい方だ。この場にいるものさえ、私以外は疑いを捨てきれてない。何か起こる前に屋敷を出た方がいい。街中でも目立つことは避けなさい。いいね?」

「ありがとうございます」


「それと用意した謝礼金とちょっとした衣服を用意した。食事中、部屋に運ばせたから早めに持っておきなさい。誰かが渡すべきではないと言い出す前に」

「そこまでのお気遣い、本当にありがとうございます」


 部屋には、俺用の上等な衣服とゾフィー用のドレス、装飾品が数点あった。

 悲しいことに俺用の服はシアには似合わないかもしれない。まるっきり男装になる。

『似合うかもしれないじゃない』

『まぁ変人の烙印を押されるかもしれないけど』

『あーいつも美味しい時はシンなんだから』

『わかったわかった。公都に入る時はシアに任せたよ』

『お任せあれー』


 謝礼金はなんと3金貨だった。

 魔人討伐をしたぐらいだ。これぐらいが妥当なんだろうか。

 空間保存法が使えるようになったゾフィーに持ち物を分配して、屋敷を出る。


 見送りは誰もいない。

 ヴェッセル伯爵も立場があるだろう。


「あんな方もいらっしゃるのですね、ご主人様」

「そうだな。まだまだ色々な人がいる。そんな人たちに会いに行こうじゃないか」

「ええ。その通りですね」


 ほんの少しの間だがヴェッセル伯爵は本当にいい人だった。

 もしなにかあれば、協力したい。


 しかし魔人との戦闘を経験して、力不足が露呈した。

 手数や選択肢が少ない。魔刃も防殻も貧弱。

 何より強力な攻撃に対する対処ができなかった。

 余裕があれば、最後の傷も負わずに済んだはずだ。


 とりあえず魔人戦を経て飛躍的に能力は上昇した。

 これからの方針としては、地道に能力を上げながら、手段を増やしたい。

 単純にあの風の魔剣を破れるレベルの武器の入手でもいい。


 ゾフィーも戦闘に加入できるから、立ち回りを考えなければならない。

 というよりも、単純に俺たちよりも優秀な点が多い。


 あと、空間移動を使ってみて、アレンジが可能なこともわかった。

 応用も思いついたら試していきたい。



  ●



 朝の南広場は人が少ない。

 そこには魔人との戦闘の跡が残っている。


「ここはわたくしの新しい生を受けた場所。人も魔族も関係ない新しい世界の生を受けたところ」

 ゾフィーが俺に背を向け、感慨深くつぶやいた。


 そして、振り返って俺に晴れやかな笑みを向ける。

「ご主人様。いつまでもわたくしのご主人様でいてくださいね」

「ああ。もちろんだ」

「嬉しい……」

 ゾフィーがまた泣いてしまう。

 本当はこんなにも感情が豊かな女の子だったんだ。

 涙を指で拭いながら、俺は前に断られたことをお願いする。


「歌が聴きたいな」

 しゃくりあげながら、強く頷くゾフィー。


 頭を一撫でして、ちゃんと立っていることを確認して、一歩離れる。

 彼女は胸元でぎゅっと両手を組んで、真っ直ぐ前を見た。

 一度深呼吸をする。


 ――ゆっくりと、神秘的な音階から歌が始まる。

 ソプラノの澄み切った哀調は苦難の物語。

 水を抱くように優しげな歌声は慈愛に満ちている。

 それは、全てへの感謝の歌。生への喜びの歌。


 いつまでも聴いていたいと、この優しさと喜びを受けていたいと。

 そう思った。


 ゾフィー。


 君はこんなにも人を動かせる力があるじゃないか。

 心を動かす、歌の力。

 君は無力なんかじゃない。

 たとえ、魔族であろうと、人であろうと。

 輝かしい光を持っている。




 第一章完

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