2-16 懐かしい男

​「本日14刻、喫茶店ソモロイに」

「え?」


 突然、声が掛けられた。

 振り向いた時には、男は返答も待たず、向かいの家へ入っていった。

「何なの、もう」

『意味深だったなシア』


 呪文のようにボソッと耳に吹き込まれた。

 謎の男が言った喫茶店は、今日も通うつもりの図書館横にある果物のシブーストタルトが絶品の店。

 シアはあれが大層お気に入りだ。


『あれ、その時間に何かあるってことかな。誰かに会いに行けってことかな?』

『どうだろうな。誰だか知らんが、待ち人が居たとしても、悪い話を聞かされそうではある』

 あんな連絡手段使う人間は碌なやつじゃない。後ろ暗い話にしか思えない。

『でも無視するよりはマシよね』

『まぁ知らないより知ってる方が』

『じゃ決まりね。よし。食べに行く理由ができたということで』

『はぁ。太るぞー』

『その分私の身体で、シンが運動すればいいじゃない』

『その理屈おかしいからな』


 しかし、これまで関わりの無かった向かいの住人が初めて掛ける声が挨拶ではなく、一方的な連絡。作為を感じる。

『いくら侯爵の太鼓判があっても、何かしらには巻き込まれているのか?』

『でもここ最近は平和じゃない? ゾフィーもリリアも好きにしてるし』

 ここ最近料理の腕を上げているゾフィー。

 主人としてはこれからが楽しみである。

『リリアは大体寝てるけどね』

『好きにしてることには変わらないな』


 何にせよ、時間までは予定通り図書館に行く。

 隣の喫茶店が待合場所というのは、都合が良過ぎるが。



  ●



「やあ、久しぶりじゃないか。シンシア君」

 どうしてあの男がここに……

 時間通りに喫茶店に向かうと、オルドア国軍装に身を包んだ男がいた。

 葉を刻んで、細巻きに詰めた、いわゆるタバコを吹かしながら、手を挙げるのは、オルドア王国軍ベーレン少佐。

 何食わぬ顔で、他国に現れる彼は相変わらず底が知れない。


『うわぁ。私苦手なんだけどなあの人』

『でも、食べたいんだろ? タルト』

『そうなんだけどねぇ。というより、彼と知り合っているのはシンの方じゃない?』

 そうだった。

『ど、どうしようシン』

『今更外見変える訳にはいかんぞ。むしろ気づかない顔で、帰るとか』

『それじゃタルト食べられないじゃない!』

『そこかっ』

 彼を無視する形でシアと俺が会話をしていると、おいおいと呆れた声を発するベーレン少佐。

「シンシア君、紳士であれ淑女であれ、挨拶は大事だと私は思うが、は、いかがかな?」

 内心の談合と慌てようが、わかったのだろうか。

 そして俺とシアの中身について知っていること、外見について、気にしていないことをほのめかす。

 知っているようならいいか。

『ほら、とりあえず座ったらどうだ』

『へーい』



「初めてまして、と言うべきかしら?」

「掲示上、君を知ってはいるがね。いいだろう。初めてまして、シンシア君」

「ええ、ベーレンさん。 ――あ、いつものお願いしまーす」

「かしこまりました」

 やってきたウェイトレスに、いつもので通じさせるシア。

「さて、ご馳走の前に」

 そう言って、足を組むシア。

「何の用か聞かせてもらうわよ。こんな遠くまで来たんだもの。いい話を聞かせて頂戴ね」

「ははっ。頂戴ね、ときたか。同じシンシア君でも、淑女はおてんばらしい」

 まさしくその通り。

 達見である。

「あら、あっちの方シンだって、やることやってたよね?」

 ふっと、ルイナと寝た記憶がシアによぎる。

「確かに。しかし、それは男の性なのだよ。故に面倒ではあるが、扱い易い」

 持ち上げているようで、結局どっちも落としている。


「わざわざ他国に来るなんて、大丈夫なの?」

「心配は無用だとも。公務で来ているからな。明日には出立予定だ」

 公務でなければ、こんな服装はしない、と言いながら、制帽であおぐベーレン少佐。

「それにしても、なかなか満喫しているようじゃないか。ん?」

「どうしてそれを知っているの、という質問は訊いてよいかしら?」

「さぁて、どうだろうね、お嬢さん」

「とぼけなくてもいいよ。というより、密偵染みた人を潜り込ませていることに驚きかな。しかも、向かいの家に」

 ベーレン少佐との待ち合わせを告げた男は、おそらく、“オルドア側”の人間なんだろう。

「仕事だとも。それも必要だと認められた。君たちだって恩恵は預かっているんじゃないかな?」

「知らないわよ。私は」

「そうだとも。知らなくていい。知らずのうちに済んでしまえば良かったのだ」

「で、そういう訳にはいかなくなったから、あなたが出て来た。という事?」

「その認識で構わない。あくまでついでだが。でだ。大事なことを伝える。よく聞きたまえ」

「言われなくても。どうぞ」

「今週中に、トラシント公国ゼイフリッド侯爵本都を抜け、全力を以ってオルドア王国オードラント領国境の街へと戻っていただきたい」

「突然過ぎない?それ」

「何を言ってるんだい、シンシア君。私は君に、与えた義務からの解放を宣言したのだよ。喜ぶべきだと思うぞ」

「トラシント首都に向かえ、が、オルドアに戻れ、に命令が変わっただけでしょ。何が解放よ」

「やれやれ。私は君たちのことを案じた上での提案であるのに」

「また見え透いたご冗談を」

「冗談で結構。それこそ私の生き方だ。ともあれ、命は発せられた。さあ、契約に従い行動したまえ。オルドア冒険者に我が国は門戸は閉じない」

「とは言うけど、一応ゼイフリッド侯爵の要望でここにいるのはご存知よね?」

「知っている。だからなんだと言うんだ。追いかけられようが、振り切ればいい。君たちなら大丈夫だろう」

「高名な竜騎兵団とかでも?」

「努力次第でなんとでもなる。それに、君を追う数はたかが知れている。彼らだってそう暇じゃないさ」

 ベーレン少佐は言うだけ言って、幸運を祈るとのたまって、去っていった。

『幸運を祈る、なんて、これから不幸が来ますよ~って言ってるようなものじゃない』

『まぁ、あの男のああいった態度は平常運転にも思えるが、相手はし辛い』

『ホントよね。ああもう。美味しい。追加しちゃお』

 文句を言いながら、パクパクとケーキを胃に落としていくシア。

 散財は程々にな。




「はぁ。とんだ悪い話だったわね」

 いい加減振り回されるのは勘弁願いたい。

「どうされました? シア様」

 ゾフィーは、一体何を基準にシアと俺を呼び分けているかわからないが、彼女は、外見がどうであろうと、正確に中身を見分けている。

「いやねぇ、ゾフィーとリリアにも伝えなきゃいけないんだけど」

「何でしょうか。あ、すぐにリリアを呼んできます」

 止める間もなく、リリアの居室に行くゾフィー。

 案の定、寝ていたリリアは寝ぼけ眼で、ゾフィーに肩を押されて現れた。

「なんだい、ご主人。あたしゃ眠いんだが」

 寝起きは機嫌が悪いのか、少し棘を感じる。


「ごめんね、リリア。リリアは知らない人なんだけど、さっき会ってね。それで話さなきゃいけないことがあるの」

「ゾフィー、クルカさんは今夕食の準備?」

「はい。本日はわたくしは、お休みです」

「ありがと。なら大丈夫かな」

 シアはさっきあったこと、言われたことを伝えていく。

「なぁご主人。それに従う必要はどのくらいあるんだ?」

『あのいけ好かない男に、俺らの正体を知られているのが大きいだろうな』

 ゼイフリッド侯爵にサイラス団長にも、知られていることもあるけど、彼は、それ以上を知っている。

 そして何より、あの男は何かを企んでいるし、人を焚きつけることに関しては、絶対得意だ。

 シアは、不満気なリリアにここまでに至る説明をすると、「まぁご主人の決定なら」と言って、納得した。

「シア様。出発はいつになるのでしょうか?」

 ゾフィーが不安げに聞いた。

 料理も覚えてきて、多少はここに名残でも感じているのだろう。

「そうだねぇ。今週中ってことだから、最後の日の、日の出前ぐらいがいいかな。クルカさんには見つからないようにしないと」

 大丈夫かなぁ。クルカはメイドとしては非常に優秀だけど、監視役も兼ねているはずだし、気をつける必要がある。


『とりあえず今週一杯はタルトを満喫しましょ』

『今日二つ食べたから、明日はナシだ』

『えーケチぃ』

 たぶんシアは安楽を覚えると、徹底的に堕落するタイプだ。

 そう思えば、街を出るのはいいかもしれない。

 と、無理やり納得させるのは難しいだろうなぁ。

『そりゃあね。美味しいものに罪はないし、それを食べることは歓喜だもの』

 ほらぁ。堕落している。

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