18 天国と地獄

 辺りが暗くなりはじめた人の気配が無い公園。

 美穂子を探していたら、トイレの裏から出てきた素行が悪そうな二人組に出くわしてしまった。


 菊乃は身体を固くする。


 まさか美穂子はこの男達に!?

 いや、そんなに長い時間は経過していないはず。


 身体は動かないが思考だけは意外にクリアだ。

 菊乃は必死で考えた。

(な、何とかしなくちゃ……)


 そこである考えが閃いた。

(もうこれしかないっ!)


 そう思って、菊乃は男達にくるりと背を向けると大声で叫んだ。

「カズ君~、こっちこっち! ほらカッチーもゴッキーも早くぅ!」


 これは賭けだった。


 本当はまだカズの姿なんて見えていない。


 ところがその時、たまたま犬を連れた二人連れが公園の敷地内に入ってくるのが見えた。


(ナイスタイミング!)

 菊乃はわざと大げさに「早く早く!」と連呼した。


 そこでチラリと振り返ると男達が慌てているのが目に入った。


 二人組は口々に「マジかよ」とか「やべぇ」とか言いながらそそくさと退散した。


 菊乃はガラの悪い二人組が公園の裏口方面から走り去るのを見送ってから急いでトイレの建物の裏側に向かった。


 建物の裏では美穂子が泣きながらうづくまっていた。


「美穂子! 大丈夫?」

 菊乃がしゃがんで美穂子の顔を覗き込む。


 上着は着ていないが着衣に乱れは無い。

 こんな時に何と言って声を掛けたら良いのか菊乃には分からなかった。


「美穂子……何かひどいことされなかった?」


 美穂子がフルフルと首を振る。


「ケガは無い?」


 美穂子は何度か首を縦に振ってから声を振り絞るように訴えた。

「レイプされるかと思った……」


 菊乃はそっと美穂子の頭を抱き寄せた。

「ゴメンね……怖い目に合わせちゃって……」


 彼女の震えが一刻も早く収まるように願いながら菊乃は抱きしめる腕に力を込める。


「何だ。ガセかよ」

 ふいに高い位置で声がした。


 聞き覚えの無い声に菊乃がハッとして顔を上げる。


(あ! さっきの二人組)


「てめぇ……ダマしやがったな!」

 ニット帽の男が、ものすごい形相ぎょうそうで菊乃達を見下ろしている。


 その隣で金髪男が苦々しそうに口を開く。

「さっきのは散歩のジジイとババアじゃねぇか」


 いつの間にか、さっきの二人組が戻ってきていたのだ。


「ふざけやがって!」と、ニット帽が手元で『カシュッ!』と音を出した。


 何かと思って見ると手には折りたたみ式のナイフが光っている……。


 目の前に現れたナイフに菊乃は凍りついた。

「あ、あ、あ……」


 ニット帽は、いやらしそうな笑みを浮かべてナイフを見せつける。

「へへ。これでたっぷり遊んでやっからよ……」


 金髪男も同じように嘗め回すような目つきで言う。

「よく見りゃ、二人とも中々、イケてんじゃん。俺らで楽しんだ後は、皆にお裾分けしてやっか?」


 まさか探偵の真似事が、こんなピンチを招いてしまうなんて……。


 目の前の不良少年が何をしようとしているのかは明白だ。

 抵抗したところで力では敵わない。

 しかも、相手はナイフを持っている。


 菊乃は覚悟した。

(もうダメ……ゴメン! 美穂子!)


 そう思った瞬間、横の方から声がした。

「お前らごときじゃ遊び相手にもならんな」


 聞き覚えのある声! 

 そしてその長身のシルエット!


 ニット帽が声のした方向に向き直り、ナイフをかざして威圧する。

「あんだテメェ?」


 長身のシルエットは冷静に返す。

「下らないパフォーマンスはいいから早くかかってこい。このヘタレが」


「何だとこのっ!」

 いきり立ったニット帽が突進、と思いきや『ゴッ!』と、鈍い音。


 金髪が「何だコラッ…」と、キレかかった途端にまたも『ゴッ!』という音。


 お約束のハイキック2連発!


 その動きは点滅する蛍光灯の明かりの下、ストロボの連続写真のように見えた。


 腰が抜けるとはこのことか。

 菊乃はその場にへたりこんでしまった。


 まるで何事もなかったかのように菊乃達を見下ろす声の主は「ばかものが」と、吐き捨てた。


(ゴッキー……)


 地面に座り込んだままの菊乃が目を潤ませて大志を見上げていると、先に美穂子が、ぱっと立ち上がった。


 そして、大志に体当たりした、ように見えた。

「ありがと。ありがと。後藤君!」


 美穂子は興奮気味に大志に感謝の言葉を浴びせる。

「う! くっ、くっつくな!」と、大志が身体を反らせて美穂子の密着を避けようとする。


 それに構わず美穂子は大志の手を握りしめて離さない。


「や、やめ、うぁあ……」

 どうみても大志が嫌がっているようにしか見えない。


 にしても異常なリアクションだ。

 美穂子がくっついてくるのを本気で嫌がっている。


 いつの間にか現れたカズが大きな声で美穂子を制止する。

「森野さん! ごめん。大志にあんまりくっつかないで!」


 それを聞いて美穂子が、はっと我に返る。

「カズ君……」


 カズの姿を見て美穂子がまた目に涙をためる。

「怖かったよぉ!」


 美穂子が今度はカズに体当たりする。


 よしよしとカズに頭を撫でてもらいながら泣きじゃくる美穂子。


 それを茫然と見つめながら菊乃がゆっくりと立ち上がる。

(美穂子ったら……でも、さっきのゴッキーのリアクションって……)


 そう思って菊乃は大志の方を見る。


 美穂子の密着攻撃から逃れられた大志が何やら呻いている。

 それどころか、しきりに首の辺りを掻きむしっている。


「ゴッキー何やってんの?」


 疑問に思って菊乃が尋ねると大志の代わりにカズが事情を説明した。

「大志はね、ダメなんだよ。生理的に。女の子に触れられると酷いジンマシンが出てしまうんだ」


「はぁ?」


 菊乃には意味が分からなかった。

 カズ君は何を言っているのだろう?


「大志は昔からそうなんだ。アレルギーの一種みたいなものなんだ。何でだか分からないけど……多分、女の人の匂いがダメなんじゃないかな」


 追い討ちをかけるようにカズの一言一言が、確実に菊乃の正常な思考を侵していく。


(アレルギー? 何ソレ? カズ君、何言ッテンノ?)


 菊乃は目の前が真っ暗になっていくような気がした。


 まるで頭の中の血液がすべてズルズルと落ちていくようにテンションが下がっていく。


 脱力感? というより、どうしようもない『やるせなさ』が急速に菊乃の身体を重くする。


(ゴッキーが女性アレルギー? そんな……ウソでしょ……)


 菊乃は倒れそうになるのを必死で堪えた。

 いっそのこと倒れた方がマシかもしれない。


 絶体絶命のピンチから救ってくれた王子さまは、女性アレルギーだった?


 まさに天国から地獄。


 このショックは計り知れない精神的ダメージを菊乃に与えた。


 多分、目を開けたまま気絶するというのは、こういう状態のことをいうのではないかという気がした……。

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