ジャンキージャンクガンズ~鉄想機譚~/天酒之瓢/【2/10】書籍発売決定!

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File01.神の頭事件

第一幕「かくして彼女は失った」

 つむじ風が、砂塵を巻き上げ渦を描く。

 見渡す限りに広がる赤茶けた大地。時折突き出す巨岩が景色に変化を、寂しげに生えた草木が彩を添える。


 この地に動くものは、ただ風に運ばれるモノのみ。

 しかしそこに、例外が現れた。


 砂埃に霞む風景の中を、一頭の『馬』が、進んでゆく。

 異様なまでに規則正しい動きで歩を進める馬。しかしよく見れば、それは明らかに尋常の馬では、ありえなかった。

 何しろその肌は金属の質感を放ち、時折各部から蒸気を噴き出しているのだから。


 その正体は、金属質の外殻をもち超自然的な力によって動く機械――『鉄動馬オートホース』であった。

 本来は磨き抜かれた鉄の外装を持つ鉄動馬も、長旅の間に埃にまみれて、すっかりとくすんでいる。

 その頭部にある照眼アイアンサイトと呼ばれる光学機器が、小さな光を灯して景色を睨んだ。鉄動馬は誰にも命じられることなく自律的に動き、進むという存在意義を遂行しようとする。


 その胴体の上には鞍と、乗り手の姿があった。

 襤褸けた外套に包まれた姿。日射しよけのために襟を立て帽子を目深にかぶっており、その表情は容易には窺い知れない。


「街までは、まだかかるな」

「……ああ、うんざりする」


 どこからか落ち着いた声が話しかけ、かすれた声がそれに応じた。

 不思議なことに、馬上に見えるのは旅人がただ一人のみ。今しがた会話を交わした相手は、どこにいるのだろうか。

 残念ながら、その不思議を気にかけるような者は、この荒れ果てた場所にはいない。


「主よ、少し休んではどうだ。鉄動馬は私が見ていよう」


 そうして声にうながされ、旅人は億劫げに周囲を見回した。果てなく続く、乾いた景色。見ているだけで気が滅入りそうだ。


「そう、だな。さすがに飽きた。しばらく任せる」

「承知した」


 旅人は首元の布をあげ、なおさらに顔を覆った。こうしておかないと埃が飛び込んで、後で大変なことになる。

 身体がずり落ちないように固定用のベルトを固く締めると、旅人はゆっくりとベルトに背を預けた。

 いくらもしないうちに、風の音に微かな寝息が混じりだす。紛いものとはいえ馬上であるのに、器用なものだ。


 眠りに落ちた旅人を揺らしながら、金属でできた機械の馬は黙々と足を動かし続ける。

 低いうねりを伴う足音が、風の音にかき消されてゆき――。



 それは、ウィットフォード子爵家の一人娘である『アレクサンドラ・ウィットフォード』が、十二歳の誕生日を迎えた時のことだった。

 由緒ある『詠術士ウィザード』の家系に生まれた者にとって、十二歳という年齢は特別な意味を持っている。

 それは、自分だけの『使い魔ファミリア』を得て、一人前と認められるための儀式を執りおこなうことができる年齢なのである。


 そのように重大な日であるからして、アレクサンドラは朝から落ち着かない様子でいた。

 無作法も構わず、屋敷の床をカツカツと鳴らして歩き回り、さらに入念に整えたはずの服装を何度も繰り返し見直している。

 しまいには、あまりにもいじくりまわすものだから着付けを担当する使用人にたしなめられてしまうほどであった。


「だって、今日は特別な日なのですもの!」


 普段は大人しい少女であるとはいえ、やはり年相応にやんちゃな面も持っている。

 溌剌とした、微笑ましさすら感じる彼女の姿に、周囲は苦笑を浮かべつつもやんわりと注意するのだった。



 天の主たる太陽ケイオサスに代わり、妻たるルテンベーチの優しい光が差し込むころ。『使い魔の儀式』は、始まりを告げる。

 儀式のために用意された部屋は、厳かな雰囲気に包まれていた。床一面に『呪紋オーソワード』を表した文様が描かれており、蝋燭の揺らめく光がそれを波立たせている。


 部屋の真ん中ではアレクサンドラが、一人静かに座っていた。

 緊張を隠せない彼女の前に、二匹の猫がやってくる。子猫をくわえた母猫、ウィットフォード家で飼われている猫たちである。

 母猫は彼女の目の前に子猫をおろすと、いったいどちらを安心させるつもりか、小さく鳴いた。


 何も知らない子猫は旺盛な好奇心のままにころころと動き回ろうとして、そのたびに母猫にやんわりと押しとどめられている。

あまりにも邪魔されるものだから、ついに母猫にじゃれつき始めた。


 くすくすと、アレクサンドラの口元から笑いが漏れる。猫たちの様子を見ているうちに、いつしか彼女の緊張は溶け去っていた。

 手を伸ばし、子猫の頬をくすぐる。新たな興味の先を見つけた子猫は、指先をつかもうと盛んに転げ始めた。


 そうこうしていると、ウィットフォード子爵――つまり、アレクサンドラの父親だ――が台を抱えてやってきた。

台の上に載せられているものは、実に奇妙な取り合わせであった。

 数枚の『金貨』と、金の装飾をあしらった『回転弾倉式リボルバー拳銃』が一挺。その銃把グリップの部分には、ウィットフォード家の紋章が刻まれている。


「これで、準備が整った。アレクサンドラアリー呪紋オーソワードはちゃんと憶えてきたか?」

「はい……大丈夫です! 何度も何度も、復習しておきましたから」

「よろしい」


 父親はそれだけ確認すると台を置いて下がり、部屋の隅に立つ母親の隣に並ぶ。


「さぁ、始めなさい。私たちはここから見ている。どうしても困ったときだけ、手伝おう」


 アレクサンドラは、やや堅くなって頷いた。

 この儀式をこなしてこそ、一人前の詠術士と認められる。誰かに手伝ってもらうのは失敗するよりはマシであるが、さりとて一人前には程遠いと考えられていた。

 この日のために繰り返し練習してきた手順を思い出す。積み上げてきた成果が、彼女を後押しした。


 一度、大きく息を吸い込むと、それから彼女は意を決して金貨を手に取った。

 両手で握りしめると胸に抱き、瞳を閉じる。


「……我は、希う」


 少女の声が、朗々と呪紋を紡ぎだす。言葉は静かに波を広げ、世界を震わせてゆく。


「黄金を供に捧ぐ。父なるケイオサスよ、母なるルテンベーチよ。水面漂う、囁き拾いたまえ」


 蝋燭の頼りない光の下でも褪せない輝きを放つ、金貨。

 ウィットフォード子爵家は魔術の名家であるとはいえ、普段から金貨を使うほど贅沢な暮らしはしていない。

 しかもこれは魔術の儀式。この金貨とてただ、金銭としての価値のみを必要とされているわけもなく。


「これ遠き双子、近き他者。彼ら、かそけき魂をつながん」


 そうすると、彼女の手にある金貨に変化が起き始めた。

 言葉が紡がれると共に、金貨がじょじょに光を放ち始める。まるで金そのものが光に変えられているかのように、じわりと染み出し輪郭をぼやけさせてゆく。

 やがて、金色の光は少女の手から溢れ、周囲へと漏れ出し始めた。強く、しかし眩しくはない光。


「……さぁ、おいで」


 アレクサンドラが手招くと、子猫は疑うことなど知らないかのように、素直に彼女を見上げた。

 そこに両手を掬うように差し出すと、手の中から金色の光がこぼれだす。

 もとは確かに金貨であった金色の光は、まるで水のように手から流れ落ちてゆき。子猫へと降り注いだ光が、染み入るように吸い込まれていった。

 捧げられた供物――黄金を対価に、そこに『魔術』が発現する。


「理の詠み手に、従者を与えよ」


 変化は、劇的であった。

 アレクサンドラが言葉を進めるにつれて、子猫のまなざしが変質してゆく。

 無邪気さの代わりに聡明さが、野生の代わりに知性が。その存在が根本から異なるものへと、変じてゆく。

 もはやこの子猫は、ただの獣などとは呼べまい。まったく違う、何ものかであり――。


 少女の眉間に、皺が寄った。

 黄金の力は、きわめて強力だ。それは気を抜けば彼女の制御を外れ、飛び出してしまいかねない。

 細心の注意を払いながら、彼女は力を望む方向へと導く。


「我、ここにとこしえを望む。光よ導け、証を示さん……」


 やがて彼女が詠唱を終えるとともに、金色の光も収まっていった。

 部屋が蝋燭の明かりに満たされたところで、子猫が身を震わせた。最後まで残っていた金色の光が、鱗粉のように散って消える。

 そして、子猫はアレクサンドラを見上げて。


「……契約に従い、御前に」


 そう、告げた。それは獣の鳴き声などではない、明瞭に、人が交わす言葉だ。

 ここにいるのは既に、ただの子猫などではなく。新たに誕生した『使い魔ファミリア』なのである。


 アレクサンドラの表情が、喜色に満ちてゆく。

 浮かれそうになる心を押さえつけながら、彼女は忘れることなく最後の仕上げにとりかかった。


使い魔ファミリアとして契約の証に、汝に名を与えん。……『ブラットリー』、それが汝の名なり」

「承った、我が主よ」


 名付けられたばかりの使い魔は頷くと、身軽な動きで彼女の肩まで登ってきた。

 大ぶりな瞳が、じっと彼女を見つめている。それを見つめ返しながら、アレクサンドラは未知の感覚を覚えていた。

 それは、例えるならば『つながり』とでもいうべきもの。使い魔である子猫との間に、おぼろげながらしっかりと感じ取れるもの。


 彼女の心が、輝きで満たされてゆく。

 使い魔の儀式はその性質上、極めて形式が整えられ安定したものであるが、それでも複雑な儀式と呼んで差し支えはない。

 それを全て成し遂げ、彼女は喜びとともに大きな安堵を覚えていた。


「さぁ、アリー。使い魔との契約はこれで完了だ。だが、まだ仕上げが残っている」


 父親に促され、アレクサンドラははっと我に返った。

 彼女は、握りしめたままの手のひらを見つめる。そこには、まだ溶け残った金貨があった。


「はい。……黄金を供に願う。盟約の鍵を、この手に」


 彼女が手を握りこむと、小さく残っていた金貨は見る見るうちに姿を変えてゆく。

 ほっそりとした手を広げるとそこには金貨の姿はなく、代わりに一発の黄金の弾丸が残されていた。


 次に彼女は、台に残された拳銃を手に取った。幼い少女の手にはあまる銃を持ち上げ、そろっとした手つきで弾丸を弾倉へと差し込む。

 薬莢カートリッジ唱薬キャストパウダーもなかったが、弾丸はぴったりと弾倉にはまった。


「我が名、アレクサンドラ・ウィットフォード。汝、黄金なる夜明けよ、この名、一族とともに刻まん」


 重い銃をまっすぐに持ち上げ、危なっかしげに引き金を引く。

 瞬間、強い金の光が走った。金で錬られた弾丸が、そのすべてを代償として魔術を発現させる。

 光が脈打つように銃身を走り。次の瞬間には吸い込まれるように、ふっと消えていった。


 恐る恐る回転弾倉を開いてみれば、そこに黄金の弾丸の姿は残っていなかった。


「お父さん、全て終わりました!」


 アレクサンドラは、満面に喜色を浮かべて振り返る。

 その時、それまで儀式を見守っていた母猫が駆けだし、彼女の母親の腕の中へと収まった。

 使い魔の元となる動物は、その家で飼われていることが多い。この猫は、代々ウィットフォード家の使い魔として飼われてきたものだ。

 アレクサンドラも同じように、新たに自身の使い魔となった子猫を腕の中に抱きしめた。


「……ああ、よくやったアリー。これでお前も一人前の詠術士ウィザードとなった。我がウィットフォード家に連なる者として、誇りに思うぞ」

「ええ、よく頑張りましたね」

「はい!」


 父母からの惜しみない称賛を受けて、アレクサンドラは誇らしげに胸を張ったのだった。


 儀式の後には、祝いを兼ねたささやかな晩餐が開かれていた。

 華美ではないが、普段よりも手の込んだ料理が並ぶ。普段はおとなしい少女も、この日ばかりは慎みを捨ててはしゃいでいた。

 何せ彼女の祝いであるから、、無作法を咎められることもない。いつもは厳格な父親も何一つ小言を言わず、彼女の言葉に頷いていた。


 そんな、楽しいひと時はすぐに過ぎゆく。

 やがて夜は更け、宴は終わりを告げた。後片付けを使用人に任せ、一家はそれぞれに寝室へと引き上げていった。


 自室に戻った後も、アレクサンドラは興奮のあまり随分と遅くまで寝付けずにいた。


「ねぇ、ブラットリー。使い魔になるって、どんな気持ちなの?」


 彼女は寝台に寝転び、横に転がる子猫を構う。


「悪いものではないかな。しかし主よ、気持ちはわかるが夜更かしが過ぎるぞ」


 生まれたての使い魔にまでたしなめられ、彼女はぺろりと舌をだす。お返しとばかりに、首の辺りをくすぐった。

 使い魔の儀式を越えた子供が夜更かしをするのは、もう通過儀礼のようなものだ。

 それでも時間が経てばいずれは寝付くので、父母もあえて注意はしない。今日はやはり、特別な日なのである。


 そんな興奮も、時の経過には勝てなかった。深夜にさしかかり、さすがの少女もうとうととし始めた頃。

 ――突如として部屋の外から聞こえてきた物音に、アレクサンドラははっと顔を上げた。


「……? お父さん? お母さん?」


 彼女は、自分が明らかに夜更かししていることを理解している。

 都市部ならば粉鉱灯オーアライトが夜遅くまで明かりを提供することもあろうが、人里離れた場所にあるこの館ではそのようなこともない。

 屋敷の中には、暗闇と静寂のみがわだかまっているはずである。

 だというのに、ガタガタと音は大きさを増していった。家人が起き出したにしては、奇妙な様子である。


 ――物盗りかもしれない。

 そんな考えが浮かび、彼女はにわかに緊張を増した。街からは離れているとはいえ、ありえないことではない。


「……!」


 少女の体がビクリと跳ねる。いつの間にか、子猫ブラットリーが彼女の手に寄り添っていた。

 その頭を一度撫で、彼女は一度息をつくと、意を決する。


「私だって、一人前の詠術士になったのだもの。うろたえてはダメ」


 寝台をおり、アレクサンドラは歩き出す。ブラットリーが、素早くその肩にかけあがった。

 彼女たちはそっと、扉から顔をのぞかせて様子をうかがう。


 廊下には、さめざめとした月の光が差し込んでいた。

 その中に、明らかとされる長い影。窓を背負った位置に、何者かが堂々と立ち尽くしている。


「……あれは、なに?」


 すぐに、アレクサンドラは強烈な違和感を覚えていた。

 その影は、何かがおかしい。そう、例えば、人ならば必ずあるべきものが、ないかのような――。

 そうしてわずかに視線を巡らせた彼女は、やがてその違和感の正体へと辿り着いた。


 影の主には、ない。

 ――『頭』が、ないのだ。


 体や手足はごく普通の人間のそれでありながら、頭だけが、存在しない。

 それがひどく全体の均衡を崩し、強烈な違和感を生んでいた。


 彼女は息を呑むと、慌てて部屋へと引っ込んだ。

 心臓が、破れそうなほどに激しく鼓動している。自分はいったい何を見たのだろう。夜更かしによる興奮が、ありもしない幻を見せたのだろうか。

 しかしすぐに、キシ、と廊下の軋みが聞こえてきて、彼女はそれが一時の幻ではないことを知った。


「……主、このままではいけない。隠れるんだ」


 呼びかける声に、彼女はビクりとして振り向く。そこに子猫ブラットリーの、焦りを帯びたまなざしを受け止めた。

 子猫とはいえ、その正体は使い魔である。それは、主を助けるためにこそ存在する。


 わずかではあれ冷静さを取り戻したアレクサンドラは、すぐに動き出した。

 さっと彼を抱え上げると、僅かに迷った末に、寝台の下へともぐりこむ。


 少し遅れて、扉が、開かれた。

 彼女の心臓が、いっそう高鳴る。頭のない怪人は、間違いなく彼女を探してやってきたのだ。


 その、頭のない怪人は、絨毯を踏むくぐもった足音を伴い彼女の部屋を動き回った。

 最初は寝台の上を調べ、それから衣装棚を開く。当然、そのどちらにも誰もいない。

 それはしばしの間うろうろと部屋を往復していたが、やがて扉の軋みを残して出ていった。


 アレクサンドラは、その気配が出ていった後もしばらく、寝台の下で息を押し殺していた。


「……あれは、何? いったい何をしているの?」

「わからない。ただの物盗りとは、とうてい思えないが」


 深夜の、招かれざる来客。

 それが人ならば尋常に物盗りを疑うところだが、頭のない怪人の目的など、いまだ幼い彼女には想像もつかなかった。


 そうして寝台から出れないまま、彼女は逡巡していた。

 これから、どうすべきか。今すぐ両親へと異常を伝えるべきだ、しかし部屋から出れば、あの怪人と鉢合わせするかもしれない。

 その時、いったい自分に何ができるのか――。


 だが、彼女が迷っていられる時間は、さほど残されていなかった。

 部屋の外から、争うような物音が響いてきたのだ。そして絶叫が、屋敷を震わせる。


「……あっ。ああ、うっ……うう……」


 アレクサンドラは、震えの止まらない自らの体を抱きしめていた。

 わからない。一体何が起こっているのか。彼女はどうすべきなのか。何もかもが、わからない。

 寝台の下から見える狭い視界が、今の彼女の知りうるすべてなのである。


「主、危険だ。まだここを動かないほうがよい」


 周囲の様子を探っていたブラットリーが、彼女のもとに寄り添う。

 使い魔となったばかりであっても、彼は儀式によって高い知性を与えられている。使い魔は、主の安全を守るべく全力を尽くしていた。

 その姿が、彼女の支えとなった。

 胸を押さえて鼓動を落ち着けると、アレクサンドラは顔を上げる。


「ブラットリー。私は栄えあるウィットフォード家の一員として、一人前として認められたのよ。いつまでも恐れるばかりの子供では、いられないわ」

「主よ、しかし無理はするな。まずはお館様のもとへいこう」


 頷いて、ようやく彼女は寝台の下から這い出る。

 子猫を抱え上げて、しっかりと抱きしめるその様子から、その本心が垣間見えた。


 扉を少し押し開けてみれば、外は先ほどまでの物音が嘘のように静まり返っていた。

 彼女は床を鳴らさないように、慎重に歩みを進める。


 目指すは、父母の寝室がある場所である。

 何よりも互いの無事を確かめたかった。あるいはすでに、両親が怪人を倒して全てを解決しているかもしれない。

 彼女の両親は、当代きっての詠術士と讃えられるほどの人物なのだから。


 不自然な静けさに満ちた屋敷の中を進み、彼女は目的地へとたどり着いた。

 扉は、すでに開いていた。内部から漏れた燭台の明かりが、廊下にくっきりと線を描いている。


 どうしてか、アレクサンドラの歩みが遅くなっていった。

 光の中に踏み出すのを躊躇い、残る一歩が遠い。


 彼女は無意識のうちに、肩に乗る使い魔へと手を伸ばしていた。確かで、柔らかな感触が手のひらに返る。

 その温かさに押されて、彼女は光の中へと最後の一歩を踏みだした。


「お父さん、お母さん」


 恐る恐る、部屋の中を覗き込み。瞬間、アレクサンドラは呼吸を止めた。


 ――そこには、彼女の両親がいた。

 父母であるはずだ。この部屋におり、しばしば目にする夜着を纏っているそれは。


「お父さん……? お母さん……?」


 それが断言できないのは、『なくなっていた』からだった。

 そこには、あるべきものがない。彼女の両親は。彼女の両親であるはずのそれは。


 首から上が、無くなっていた。


 膝から力が抜け、少女はへたり込む。

 じわりと湿り気を帯びた絨毯の感触も気にならず。呆然と、両親だったものを凝視し続ける。


「お父、さん。お母さ……ん……」


 彼女の両親は人間だ、あの怪人とは違う。

 そして頭を失った人間は、死亡するしかない。正しく、そこにあるのは『死体』であった。

 その時、アレクサンドラはひどく冷静に、そんなことを考えていた。


 目の前の光景が理解できないのに、意味だけは、しっかりと捉えられる。

 ふわふわと自分が抜け出て浮き上がり、背後から見ているかのような。不思議な感覚が染み込んでゆく。


 遠くなる。遠ざかる。

 彼女の意識が体から抜け出て、はるかに離れてゆくかのような。そのまま彼女はふらりと体を傾かせて――。


「主! 主、しっかりす……の……!!」


 ◆


「……主よ! どうした!?」


 ――必死に呼びかける声を耳にして。

 『アレクサンドラ』が目を開けると、そこは砂塵舞い散る荒野であった。瞬く間に六年の時を越え、彼女の意識が現在へと舞い戻る。


「主よ、しっかりするのだ。ひどく、うなされていたようだが」


 外套の中から、一匹の猫が心配そうな様子で顔を出した。

 ついさきほどまで小さな子猫だった彼女の使い魔『ブラットリー』は、今では立派な成猫となっている。

 アレクサンドラは息を整えると、首を振って砂と眠気を掃った。


「いいや、なんでもない。少し、昔の夢を見ていただけだ」

「昔の……それは」


 彼女は強張った体をほぐすと、手綱を掴みなおす。


「喜んでくれ、ブラットリー。私はまだ、忘れていない」


 覆い布の下で、口もとが弧を描く。

 人生で最も誇らしく、同時にもっとも凄惨なあの夜の記憶。それは彼女の奥深くへと根付き、消えることはない。

 すでにそれは、彼女の人生の指針そのものとなっていた。


「あの夜から、六年か。ずいぶん色々な場所を探し回ったが、『頭のない男』の手がかりは見つからなかった。……だが」


 彼女は懐を探ると、折りたたまれた紙束を取り出した。

 色褪せた紙面に書かれた、事件をつづる文字。ふとした折りに手に入れた、新聞である。


「まだ、終わっていない。『詠術士が殺され、頭部が持ち去られる』事件。奴か奴らかは、まだ活動しているんだ」


 そこに書かれたある記事が、彼女をこの地まで導いた。


「奴は、この『新大陸』の、どこかにいる」


 砂塵が、強く舞い上がる。

 果てしなく続く大地の向こうに、おぼろげな影が浮かび上がった。次の目的地である、街だ。


「どうあれ、まずは稼がないとな。こいつのためにも」


 アレクサンドラは、腰のホルスターに収まった銃を撫でさする。

 金の装飾と、ウィットフォード家の紋章が刻まれた回転弾倉式拳銃。持ち出すことのできた、数少ない両親の形見である。


 それから彼女は手綱を振って、鉄動馬をひた走らせる。

 荒野を越えて、一人と一匹の魔銃使いスペルスリンガーが、街へと辿りついたのだった。


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