第10話 ル・マン金貨とランゴバルド

「マイエンヌ卿にわざわざ我が領地までお越し願ったのは」


「一つには、マルコ殿が追っている者の手掛かりを求めての事。ベレーム領内であれば我らも多少なりと手助けのしようもあるのですが、他領の事情については難しゅうござる」


「また、マルコ殿の存在を隠すため、という理由もござる。マルコ殿が追手としてここに在る事を知られてしまうと、警戒され、また逆襲を食らう恐れがありますので」

「逆襲?確かに、戦などで出払っておれば手薄にもなろうが」

マイエンヌ卿は苦々しげに続ける。

「これだけの武辺が揃っておれば、そう恐れることも有りますまいに。それこそ、大軍で囲まれでもしなければ」


「いいえ、恐れておりますのは、眼に見える暴力ではありません。かの者が製法を奪った毒薬による暗殺、もしくは・・・最悪、飲み水へ毒を投棄し領民の皆殺しを企てることでございます」

マイエンヌ卿は思わず息を飲んだ。

「そのような神をも恐れぬ所業を……」

「行わない、という保証はございません」

「かの毒は、きわめて暗殺に向いた性質のもので、無味無臭の猛毒、飲食物に混入されれば、まず防ぎようがありません」

「無味無臭の猛毒、ですと……!? 厄介な……」

「その様な強力な手段を有しながら、わざわざ手のかかる襲撃を行うとは考え難い」

「しかも、量を加減すれば長期に渡って徐々に体を害することも可能です。その場合には毒見役を置いていても気付く頃には手遅れとなります」

暗殺のためにこれ程適した毒薬はない。ただでさえ、毒による暗殺は珍しいことでは無い。が、その様な利便性の高い毒薬が出回るようになってはこの世はどうなるのか。


 修道士が『イスラム秘儀の毒薬』と云ったのは、ヒ素である。

 ヨーロッパにおけるヒ素の『発見』は、トマス・アクィナスの師としても有名な教会博士アルベルトゥス・マグヌスが、その著作において言及した一二五○年のこととされている。

 だが、これはあくまで書物に記された、というだけであり、発見自体は当然それよりも早い。

 そして、イスラム世界においてはアルベルトゥスに先立つこと五百年ほど前の八世紀、伝説的自然哲学者・科学者であるジャービル・イブン=ハイヤーンによって既に白色無味無臭の三酸化ヒ素が合成されていた。


「事情は呑み込め申した。されど、我がどの様にお役に立てるのやら見当がつきませぬが……」


「かの者、名はニコラと申しますが……サレルノを出た後、北上してブルゴーニュ公領を抜け、トゥレーヌを通り過ぎた所までは追えておりました。それが十五年ほど前のことでございます。ですが、ここまで来たところで拙僧も移動が思うようにいかなくなり」

なるほど先ほどの盗賊の件か。

「しかし、十五年前というと、既にその者はこの地より遠く離れてしまっているのでは?」

当然の疑問である。

「それに、足跡を追うといっても……厳重に変装を仕立てれば、その者とは分からぬのでは?」


「ニコラは、著しく目立つ外見の美しい男でした。サレルノに居た当時より、女性たちはおろか、同性にまで言い寄られるような容色・容貌でして・・・。ロンバルディア貴族の落胤、などという噂もございました。当時は『月の君』などと異名を取ったほど。もちろん、ご指摘の通り外見など幾らでも偽りようがありますし、実際ニコラもその様な偽装を行っていた様です」

「であれば……」

「ですが、私も外見だけを頼りに追跡を行っていたのではありません。もう一つ、ニコラの残した足跡、特徴的な手掛かりとなるものがございました」

「それは?」

「秘儀の毒を用いたとみられる、暗殺・毒殺事件です。ニコラはその使用を躊躇ためらってはいませんでした。むしろ、積極的に使用に及んでいた感があります。この毒による殺害の場合、死体からその痕跡りょうせきを見出すことは難しいのですが、毒の種類が不明であり、症状として手足に紫斑が出るなどの特徴から推測が可能です。むしろそちらの事件を追う事の方が効果的でした。ですが、こうした事件の詳細、特に症状の詳細などはなかなか伝手つてがないと調査が難しいのです」

それはそうだろう。毒を用いた暗殺など、普通一部の上流階級の一族内で起きることだ。そう簡単に話が漏れる程、家中の統制が緩い様では困るというものだ。

「ノルマンディー領やフランス王領の方には幾分伝手があったのですが、メーヌ方面は皆目」

ベレーム卿はノルマンディーおよびフランス王との主従関係があるので、という事だろう。

「残念ながら儂がベレーム卿に仕え始めた頃には、もうアヴェスガルド殿はル・マン司教にお成りで繋がる伝手もなく」

ジロワが補足した。


「さらに、」

修道士が言を繋ぐ。

「最近ラツィオ(モンテカッシーノのあるイタリアの地方)の支援者から連絡があったのですが、秘儀の毒の原料が取引され、その対価に」


「『生ける神々の標』と刻印されたル・マン金貨が支払われた、というのです」


「……なんと!?」


 ル・マンでは数代前のメーヌ伯爵時代から、『神の恩寵』という警句の刻印された金貨が鋳造されていた。

 この頃の金貨といえば、ビザンツで鋳造されるノミスマ金貨が支配的であったが、品質の良さからル・マン金貨も西フランクを中心に比較的広く流通していた。

 エルベールが伯爵位に就いて以降、その金貨には前述の『生ける神々の~』という警句とエルベール伯のモノグラム(頭文字などを組み合わせた印)が刻印されるようになっている。


 その警句が刻印された金貨が使用された、ということはつまり、この(エルベールが伯爵位についてからの)三年の間に鋳造された金貨を手に入れた何者かが、そのイスラム秘儀の毒の原料を取引した、ということである。


 さらに、一般の商取引が銀本位制のフランク王国圏において、金貨を入手・使用するというのはごく限られた層となる。

 高額の金銭授受を行う機会と必要がある支配層、東方・イスラム圏との取引を行う長距離交易商人。

 どう考えても、現在のメーヌの貴族層・大商人が関係していると絞られてくる。


 なるほど、これはメーヌ伯の側近たる自分の話を聞きたがる訳だ。自分ほどその目的に適う者はそういない、と言えるくらいだ。

 

 だが。

 だが、しかし。

 

「類稀なる美貌の男、または、種類不明の毒による殺害、ですか」

「左様」


ううむ。マイエンヌ卿は唸りつつ、残念そうに言った。


「神賭けて申し上げるが、少なくとも我の知る限り、それらに該当する様な話は見聞きしておりません」


「……そうですか」

マルコ修道司祭はがっくりと肩を落とした。


「お役に立てず、申し訳ない。だが、我はメーヌ伯エルベール様の側近として、メーヌの統治にいくばくの責を負う身、かような怪しき者の跋扈ばっこを見過ごす訳には参りません。その様な兆しを見出した際には、必ずご一報申し上げよう」


かたじけなく存じまする」


「この事、我が主には打ち明けても構わないだろうか?」

主君の知らぬ用件でよその領主と連絡をとる。まかり間違えば謀反・裏切りの相談と取られかねない。


「マルコ殿の存在を秘匿していただけるならば。ただ、誰がその『月』と関係しているか分かりかねますゆえ、お話はご主君までに限られたく」

「御尤も」


ところで。と、マイエンヌ卿が言葉を継ぐ。


「我は先ほどの通り、メーヌの統治に責ある身として捨て置けぬゆえ、ご協力申し上げるのですが、」

「クルスロー卿にあっては、何ゆえかように御尽力されるのか?」

なぜ地方の小領主ごときがこれほど熱心に厄介な暗殺者退治に協力するのか?

確かにジロワは統治の責任といってもせいぜいクルスローの村近辺、毒殺の手間を掛ける程の、また、それを深刻に恐れなければならないほどの地位の重要人物ではない。


「恩義ですな」

「恩義?」

「左様。マルコ修道司祭はこの領地に滞在の間、医者として領民を治療して下さったのみならず、技術者として水車の建設や新様式の農法の伝授など、我らに多大な恩恵を施して下さった」


ランゴバルド同価報償、ですよ」


 ランゴバルド「同価報償」とは、「贈り物を介して友好が確立され、贈られたものと同価値の報いがなければならい」というゲルマン慣習法の概念である。

領地に対して有形無形の恩恵を施したマルコ修道士に対する報恩が、ジロワらの動機である。


「なるほど」

マイエンヌ卿が納得して笑顔を見せると、ジロワが先を続けた。


「さて」


「次に貴殿の身代金の額についてですが」


打って変わっての苦い話に、マイエンヌ卿の笑顔が引き攣る。


「我らとしては、貴殿の格式を考慮し、相場として以下のものと考えております。ロジェ」

 ジロワに話を振られ、ロジェ家宰が身代金の概要を口述する。

 言の通り、納得できる相場の様だ。身代金の額というのは捕虜の格式に応じるため、割り引いたりすることは侮辱行為にあたる。身代金が安過ぎる、と文句をつける捕虜がいたという逸話もあるが、その負担は臣下や領民に及ぶので迷惑な話である。

「異存ない、了承した。すぐに領地に使いを出そう」

「伝達はベレーム卿の方で仲介してくれるそうですので、お願いいたしましょう。ところで」

「何かな?」

「先ほど、マルコ殿の仇探しにご助力を頂けるよし、ご承諾くださいましたな?」

「いかにも。必要なことゆえ、口からの出任せではない、必ず遂行することをお約束する。誓いオースが必要か?」

「いやいや、さにあらず、さにあらず。そうではなく」

「我らの願いを聞き届け、ご助力下さることをお約束いただいた貴殿に対し、我らは何かで報いたいと存じましてな」

「ほう?」

「身代金は相場で頂戴つかまつりますが、その半額を我らからの贈り物として貴殿にお贈りしたい」

「!?」

 ふむう、と唸ってマイエンヌ卿は腕を組み宙を睨む。


 やがて、

「受け取れば、友好の樹立ランゴバルド

と呟く。


「左様、ランゴバルドです」

 ジロワが静かにほほ笑む。


「いかにも、ランゴバルド、ですな」

 マイエンヌ卿もニヤリと笑みを作る。


 二人の笑みはやがて高らかな笑い声となり、館の内に木霊した。


 マイエンヌ卿の身代金がクルスロー領に届けられたのは、その数日後のことであった。

運んできた身代金の半分をそのまま持ち帰ると告げられ、さらに大層名残惜しそうに別れを惜しむ主の姿を見せられた、マイエンヌ卿の家臣たちは困惑の態であった。


 帰路についたマイエンヌ卿と入れ替わる様に、クルスロー領に訪れたのは、立派な身形みなりの使者の一行だった。


 何かを成し遂げることなく老いる自分を嘆いていた男に、運命の潮目が変わる時が到来しようとしていた。

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