ジロワ 反撃の系譜

桐崎惹句

クルスローの騎士

第1話 行軍

 これは負け戦、だな。


 ベレーム卿ギョームに仕える騎士の一人、クルスローの領主ジロワ卿は、溜息をこらえた。

 また一つ、経歴に敗戦が書き加えられるのか。

 生来、体格に優れ武技もそこそこ鍛えてきた。能力だけなら並みの騎士に勝る、そう自負もしてきた。だが、突き付けられた現実は、名誉と無縁な凡庸以下の五十年の人生だ。


 一○二○年早春の灰色の空の下、陣羽織タバードを上に重ねた鎖帷子チェインメイル、くたびれた老馬にまたがる初老の騎士に、内面のさざ波は窺われなかった。

 白髪の混じり始めた砂色の髪を押し込めた、傷だらけの武骨なノルマンヘルム。その下から、憂いを帯びた翠眼が周囲の観察を続ける。

 隊列に連なる他の騎士、それに率いられる兵士たちは一様に無表情だ。

 だが、むりやり押し隠した怯えと猜疑さいぎにじんで見える。


 この戦では、無理もない。


 右手を流れるオルヌ・ソスノワ川は、ベレーム方面から南西方向に流れ、要衝バロンの先でル・マン市街を南北に貫く主流サルト川と合流する。

 ベレーム卿の軍勢は、川を道案内代わりにバロン城へ向け、黙々と歩を進める。川沿いに行けば、城の北側まで迷うことなく行き着くのだ。

 ベレーム城下から攻略目標のバロン城へは、南西におよそ九リュー弱(三十三キロメートル程度)。軍勢の行軍距離としては、ほぼ一日分。城まで一リューほど手前で、少し早めに野営を張り、翌早朝より攻城に取り掛かる手筈てはずである。


 北フランスは起伏の少ない平坦な地勢であり、大小の河川がその平野を縦横に走って主要な交通手段となっている。街や村の間は未開拓の森や草原が広がり、開けた場所では霞む遥か先を遠望することもできる。


 徒歩でジロワの前をゆくウェールズ人弓兵、のっぽの老オルウェンが、長い前髪の隙間から目をすがめて南を凝視していた。

 進行方向に対して左斜め前方、南の遥か先に見える森から、黒い染みが沸き立った様な気がしたが、自信はない。老弓兵は、その優れた視力で何かを捉えているのか。うつむき加減で歩む周囲の者たちは気が付いていない。


 振り向いた弓兵と視線が合う。


 オルウェンはわずかに顔をしかめて、うなずいて見せた。

 すぐに前を向いたので、ジロワが頷きを返したのを彼は見ていない。


「やれやれ、今夜は忙しくなるか」

 二人のやり取りに気が付いて、言葉とは裏腹のにやけた表情で呟いたのは、短く刈り上げた白金髪プラチナブロンドで一目で生粋のノルマン人と分かる巨漢ル・グロふとっちょだ。

 

 ジロワの意識は再び、思索の海に沈んだ。


 ベレーム卿は兵の数こそ掻き集めたものの、相手が悪い。


 戦は軍勢の多寡で決まる。それは、正しい。


 だが、怯えた逃げ腰の兵ならば、いないも同じだ。


 いつもの戦なら、味方が多いという事実が勝利への自信となり、兵の士気を高めてくれるものだが……この敵にはそれが働かない。

 これから彼らが戦おうとしているのは、寡兵を率いてブロワ伯の大軍を散々に打ち破ったという華々しい武功を誇る”眠らない番犬”、メーヌ伯エルベールなのだ。

 避けられるものなら避けたい従軍であったが、急な召集で、クルスロー領の手持ちを掻き集めても、軍役代納金(軍役の代わりに収める金銭)は用意できなかった。


 この時代、騎士の従軍は、臣従契約にもとづく軍役の遂行であった。主君は臣下に封領(領地)と保護(外敵来襲時の救援)を与え、臣下は主君の要求に応えて従軍する義務(軍役)を負う。

 ただし、その軍役には、日数や範囲の条件、例えば”年間四十日、行軍距離は一日の範囲まで”などの取り決めがあり、これを超える場合には別途契約となって報酬が支払われた。

 また、実際の従軍に代えて金銭を納めることもあり、これは軍役代納金と呼ばれた。

 軍役の条件内での従軍の場合、原則的に臣下騎士に褒美は与えられない。

封領や主君の保護が、いわば報酬の前渡し、となっているからだ。

 当然、軍役遂行は、無い方が利益となる。

そのため、臣下騎士たちはあの手この手で軍役を回避しようとした。


 少し後の時代(ノルマン征服後のイングランド)の事例で、何とか軍役を出させようとする直接授封者テナントインチーフの修道院長と、これを回避しようとする臣下騎士たちの間で、激しいせめぎ合いがあったことが記録されている。


 別途報酬のない戦で、騎士の得られる役得があるとすれば、それは敵を捕虜にした場合だ。

 騎士が捕虜になると、その捕虜の武具や馬は、捕えた側の戦利品となる。加えて、捕虜の解放と引き換えに多額の身代金を要求することができる。

 これはのちの馬上槍試合トーナメントで、勝者が敗者の武具・馬を戦利品として獲得した、その由来である。馬上槍試合は元来、模擬戦争(訓練)であった。


 その役得には、勝ち戦ならば、という条件が付く。


 負け戦の中、自らが捕虜とされた場合には、逆に身代金を要求される側となる。

負け戦で敵を捕虜にする、ということも理屈では可能だ。

だが、現実には、捕虜を抱えたまま、安全に撤退するのは困難である。


 野営前の軍議では、アヴェスガルド司教がエルベール伯を悪し様にき下ろし続け、ベレーム卿の下から二人目の息子で”タルヴァス”の異名を取る若い方のギョーム卿が、まさしく叔父上司教殿の仰る通り、と合いの手を入れる。そんな、やり取りが延々と繰り返された。

 出席している諸卿もいい加減うんざりし始めた頃、司教が咳き込んだのを機に、ベレーム卿の長子フルク卿が割り込み、野営の配置と翌日の城攻めの陣立ての指示を一気に説明した。そして、

「明日は払暁より出立ゆえ、ご一同には早目に休まれたく」

と、散会を告げた。司教とタルヴァス卿は、言い足りなさを隠していなかったが、皆がそそくさと退出を始めたため、諦めた模様である。


 比較的新参で身代も小さいジロワの立場は低く、軍議と言っても発言権は事実上無かった。ただ指示を受けるために出席していただけである。ジロワの野営配置は、最も西側の端、つまりバロン城方向の先頭であった。


 部下を待たせているところへ戻りながら、ジロワは出陣前夜、クルスローの領主館での晩餐を思い起こしていた。

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