第45話 ブルターニュ公アラン
ブルターニュ地方とはノルマンディー西部に位置する、大陸から海へと突き出した広大な半島である。
ブレトン島(現在のイギリス)に近いため、古くからケルト系のブレトン人が住み着いていた地域だ。
かっては王国を称するほどの勢力であったが、一時ノルマン人の侵略と支配を受けた時代があった。
その後、ナント伯家のアラン二世公の指導の下、独立を果たしたのが現在のブルターニュ公国であり、そのブルターニュに君臨するのがブルターニュ公爵である。
ただし、先々代公爵がナント伯家に代わってレンヌ伯家から出た辺りからその支配領域は半減しかっての勢力を取り戻せずにいた。
現公爵はレンヌ伯爵を兼ね、名をアラン三世という。
彼はノルマンディー公ロベール一世の従弟でもあった。
兄妹交換婚とでも言おうか、先々代ノルマンディー公リシャール二世の妹アワイズが先代ブルターニュ公ジョフロワ一世に嫁ぎ、ジョフロワ一世の妹ジュディスがリシャール二世に嫁いでいた。
ロベール一世とアラン三世は父方と母方、二重の従兄従弟関係となる。
ジョフロワ一世がローマへの巡礼の途上で二十八歳にて死去したとき、アラン三世はまだ十一歳だった。
ブルターニュの統治は摂政として母后アワイズが担うこととなったのだが、他国から嫁いできた女性が一人で負うには荷の重い役目だ。
自然、アワイズは隣国の兄リシャール二世(また、母であるグンノール妃)に依存せざるを得なくなる。
ノルマンディー公を後見としたアワイズ妃による統治は、ブルターニュの臣下にとって事実上ノルマンディーの属国となることであった。
そして多感な時期を迎えていたアラン三世も、周囲に侍る者たちの影響を受けて同様の不満を抱える様になっていたのだ。
ノルマンディーでロベール一世が破門宣告を受けた一〇二八年、アラン三世は三十一歳となっていた。
通常、キリスト教徒領主の間では戦に勝って事実上の領地支配を奪っても、法的には支配権が認められない不法占拠となる。
だが、破門された領主はいわば『異教徒』である。
異教徒の領地の奪取にはなんら制約もないのだ。
「好機ぞ!」
アラン三世とブルターニュの臣下は、隣国への従属関係からの独立と領地拡張の好機が到来したと考えた。
混乱の最中で分裂したノルマンディーの現状は、彼らにとって千載一遇の機会にみえたのだ。
一〇二八年、アラン三世の軍勢がブルターニュとノルマンディーの国境の町アヴランシュを攻撃した。
右手の手のひらを自分の側に向けてみる。
向かって左側に位置する人差し指がブルターニュ半島、右側の親指がコタンタン半島とすると、親指の付け根あたりがモン=サン=ミシェル修道院の位置するところであり、そのあたりがブルターニュとノルマンディーの国境である。
アヴランシュはその国境のノルマンディー側、モン=サン=ミシェルに近いコタンタン半島の港町である。過去にブルターニュに属していた時代もあったが、現在はノルマンディー領である。
その地を守るのはアヴランシュ子爵タースティン・ル・ゴツという領主であった。
恐らくノルマンディー公家の遠縁であろうと思われる。
この時代に子爵の呼称を与えられていること、彼の孫にあたる初代チェスター伯爵ヒュー・ダブランシュがノルマンディー公から「甥」(この場合、子や孫などの直系卑属以外の親族男子を広く含める表現)とされて厚遇を受けていたことに基づく。
アヴランシュ子爵はブルターニュ公の来襲を知るや、すぐさまノルマンディー公ロベール一世へ救援要請の使者を走らせた。
今の情勢では援軍が来るかどうか、確実なことは言えない。だが、ほかに選択肢はなかったのだ。
アヴランシュはブルターニュ公の猛攻に晒されるが、数日にわたって果敢にも抵抗を続けた。
「ええい、しぶとい! 援軍など来ぬというのにいつまで抵抗する気か!」
ノルマンディー侵略の初手の段階から
「使者を出せ! 明後日最後の総攻撃を行う。それまでに降伏しておれば寛大な処置を考慮するが、間に合わねば全ての財は没収、一人残らず奴隷としてくれよう。よくよく考えて身を処せ、とな!」
命じられた側近は、すぐさま使者を送り出すとともに「明後日最後の総攻撃」のための準備に取り掛かった。
最後、と言うからには必勝の態勢でなければならない。やって攻め落とせませんでした、などという事になれば首が飛ぶのは自分である。
これまでは、後々略奪するためになるべく人や建物を毀損しないよう攻撃には手心が加えられていた。それが攻め落とすことのできなかった理由でもある。
アヴランシュが絶望し、自ら降伏することを第一の目標としていたのだ。なぜならそれがブルターニュ側の利益を最大化することになるからだ。
火を用いた殲滅を行わねばならないか。
焼けた石を投石器で飛ばし、火矢を放つ。
効果的ではあるが、燃え落ちた後には何も残らない恐れがある。
略奪の対象となるものが何もなくなってしまっては、何のためにこんなところまで遠征して戦ったというのか。
側近は重い足取りで攻撃準備の采配に向かった。
一方、ブルターニュ公の最後通告を受けたアヴランシュでは、アヴランシュ子爵を中心として主だった者たちが対応を協議していた。
「だから言ったのだ! とっとと降伏してしまえと。 これだけ抵抗した後ではどんな目に会うか知れたものではないぞ!」
「何を言っとる! それでは易々とやつらに財や民をくれてやることにしかならんと、何度言えばわかるんじゃ! すぐに降伏したからといって手心を加えてくれるという保証なんぞないんじゃぞ? お前のおっかあや娘っこが奴隷として売り飛ばされてもええってのか!」
議論は白熱しつつも堂々巡りを繰り返した。
アヴランシュ子爵は議論を見守りつつ黙考する。
ノルマンディー公の援軍が来なければ、いずれアヴランシュは力尽きる。そうなってからの降伏は凄惨な結末となるのは確実だ。
だが、すでに我らは抗うことを選び、実際に抗っているのだ。
ブルターニュ公の攻勢を跳ね返し続けたことは誇れることであるが、ノルマンディー公にかけた期待は外れだったか……。
アヴランシュ子爵が沈黙を破る。
「皆のもの……」
一同が発言をやめ、子爵を注視する。静寂の中、アヴランシュ子爵が決断を告げようとしたその直前だった。
「ご注進! ノルマンディー公のご使者が到着されました!」
「何っ⁉ 今すぐこれへ!」
場に微かな安堵の空気が流れる。ノルマンディー公の援軍が到着しブルターニュ公が退却するなら、彼らの選択は正解となるのだ。
かなり無理な急ぎ旅をしたのか、その姿は見苦しいほどに旅塵に塗れていた。
「御免。 ノルマンディー公ロベール一世閣下の侍従にてフルベール・ド・ファレーズと申します。アヴランシュ子爵タースティン閣下にお目通り願いたく」
アヴランシュ子爵はその名に覚えがあった。フルベール・ド・ファレーズ? 確か以前は公爵家の葬儀関係を仕切る侍従であった男か? いろいろ後ろ暗い噂が多く宮廷からは追放された聞いていたが……。
「お役目ご苦労。我がアヴランシュ子爵タースティン・ル・ゴツである。よく来てくれた。早速だが、貴殿はいかほどの援軍を率いてまいられたのか?」
「拙者は兵を帯同しておりませぬ。ノルマンディー公のご伝言を火急にお伝えするための急使にございます」
「なんと……!」
一兵も率いておらぬ⁉ ノルマンディー公は我らを見捨てなさったか!
取り囲むアヴランシュの人々からは絶望の悲鳴が上がり、崩れ落ちる者さえいた。
アヴランシュ子爵の狼狽した様子も明らかであったが、フルベールは余裕綽綽の様子で告げた。
「ご安心召されよ。ノルマンディー公ロベール一世閣下は決してアヴランシュを見捨てたりなどされません」
「……とは?」
アヴランシュ子爵が疑わし気に問い返す。
「公のお言葉をお伝え申し上げましょう」
フルベールの告げた内容に、アヴランシュの人々は驚愕する。
「そのようなことが!」
信じられぬ、というアヴランシュ子爵に、フルベールは答えた。
「できましょうとも。我らはノルマンなれば」
「よかろう! ならば全てを焼き尽くし、生き残った者は一人残らず拷問の上奴隷として売り払ってくれるわ!」
結局、アヴランシュは降伏を拒んだ。
小癪な、と逆上したブルターニュ公は厳しい攻めを命じた。
命じられた兵たちの方はうんざりした心の内を顔に出さないよう抑え込む。
彼らは血に飢えて戦場に来た訳ではない。様々な欲望を満たしつつ、割のいい儲けを得るための出稼ぎなのだ。
死体など一銭にもなりはしないし、下手を打って命を落とそうものなら大損だ。
せいぜい、燃え残った溶けた硬貨を焼け跡から掘り出せれば御の字、というところだろう。
ブルターニュ公の右腕が高く掲げられる。総攻撃を命じようとしたその直前。
「伝令! 伝令!」
大声で急使が公の面前に転がり出る。彼の
ゼイゼイと肩で息をしながら、その伝令は告げる。
ドル陥落、挟撃の恐れあり、と。
ドルとは現在の戦場から九リューあまり(三十キロ)南南西に位置するブルターニュ領の都市であり、今回の出征の根拠地である。
その地が奪われた、ということはブルターニュ公の軍勢にとっては、背後に敵が突然現れて前後挟撃の危険が発生し、かつ、補給が途絶することを意味する。
反射的に何者が、と問いながらも、ブルターニュ公はそれがノルマンディー公によるものであることをすでに確信していた。
だが、どうやって?
いったい、どこを通ってノルマンディー公は我らの背後の位置に忽然と現れることができたのだ?
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