第29話 領地会議
空の高みを、大きな鳥が輪を描いて飛んでいた。
「気持ちの良い空模様だな」
「いかにも。だが、帰りは酒場で気持ち良くなりたいものですな」
緊張感の欠けた答えに、やれやれ、と首を振るのはジロワの腹心、
「さて、行きましょうぞ。我らが『戦場』へ」
おどけた様子で先を促すのは、これまたジロワの腹心、衛兵長ル・グロことタースティン・エイリークソン。
二人は、肩を並べて歩き出す。
旧エウーゴン領に派遣されたロジェとル・グロらは、モントライユ(モントルイユ)にエウーゴン旧臣らを招集していた。
モントライユを指定したのは、エウーゴン領の中でルーアンに最も近い主要都邑であったためだ。「-ライユ(ルイユ)」とは、古くからある城砦都市を意味している。城壁で囲まれた都市のことであり、起源はフランク王国以前の時代にまで遡る。
そのモントライユを防衛するモントライユ城は、領主の居城というよりも要塞や砦と言った方がよい軍事目的の施設である。
だが城内に設けられた石造りの礼拝堂は、そこそこの人数に昇る関係者を収容するのに充分な広さを確保でき、手頃であることから会見場として選ばれた。
「一時はどうなることかと案じられましたが、無事ご承継が叶い安堵いたしました」
既に一同が揃っている広間に、遅れてロジェとル・グロが入室するや、奥正面の上座から着席のまま亡きエウーゴン卿の家宰であったエメリという男が声を掛けて来た。
ジロワとジゼルが婚約中、エウーゴン側の窓口としてロジェの交渉相手となっていた人物である。ことあるごと、大身貴族の家格を
「まったくです。ところで……」
鷹揚に応じたロジェは、一呼吸おいて静かに続けた。
「エメリ殿、貴方が座っているのは私の席です。お空けいただこう」
この一言が幕開けであった。
一瞬呆気にとられたエウーゴン家の前家宰は、怒りと猜疑を押し殺し、平静な表情を保ったまま、隣を
ただ、席ひとつ空けただけではル・グロの座る場所はない。
これは意図したものか。
ル・グロは、構わん、という意図を頷きでロジェに伝えた。
そして、正面奥中央の最上席に座したロジェの背後に守護者然として佇立する。
無礼とも無作法とも非難されうる挑発的な振る舞いであったが、歴戦のル・グロが発散する闘気に気圧され、一同が押し黙った。しかし、口にはしないものの怒りはうっ積し、緊張は高まっている。
「さて、まずはこの度晴れてノルマンディー公のご裁可をいただき、亡きエウーゴン卿の旧領に封じられた主ジロワ卿より、各々方へのお言葉を預かっております」
ロジェは一旦言葉を切って室内を見渡す。
「ノルマンディー公の下にその人ありと謳われたる名高き勇士、亡きエウーゴン卿の統治を支えた諸兄のこれまでの尽力に敬意を表する」
「卿の家名の断絶はまことにもって口惜しくあれども、縁あってこのたび公爵閣下より封を賜り家名を立てたからにはこのジロワ、エウーゴン卿にも劣らず主君公爵、ならびに領民の安寧の礎たらんと粉骨砕身の働きを誓うものである」
「……なお、頼りなき新興の我が家は仕えるに足らず、栄えあるエウーゴン家への献身を誇りとし、より栄達の途を求めんと去るもよし、また己が力試さんと一戦を求むるもよし。すべからく各々心のままにされよ。以上でございます」
怒りを押し殺してエメリが発言する。
「これは、儂の聞き間違いだろうか? ジロワ殿は我らが家中を去っても構わないとの仰り様に受け取れるが……失礼ながら貴殿らのみでは宮中での交際も大領地の経営も立ち行きますまい。とてもではないが正気の物言いとは思えませぬな」
あまり駆け引きや談合になれていない者たちがきょとんとする中、さすが経験豊富な前家宰は要点を衝いてきた。エメリの指摘を聞いて、なんとそういう意味か、と周囲の者たちが騒ぎ始める。
「さに非ず」
ロジェは間髪入れず反論する。だが。
「いかにも我らは田舎の小領地の経営しか知らぬ成り上がり者。されど、エウーゴン卿とて一代で身代を築かれたからには、最初から大領主であったわけではありますまい」
ロジェは声を高めて続けた。
「我らも同様、一歩づつ、高みを目指してゆく所存。我らはエウーゴン家を継いだのではなく、新たにジロワ家を起こすのです」
言葉は否定だが、内容は肯定である。
もはや、婿として入り家を継ぐという、以前の状況ではない。ジロワは公爵に授封されて新たに自ら領主となるのだ。
はじめは不手際もあろう。だが、それは自分たちで苦労して乗り越えて行く。
エウーゴン家の、それも臣下筋である者たちに頼るつもりはない。残りたければ残るもよし。去りたければ去るもよし。そして、戦いたければ、戦うもよし。
露骨な宣戦布告といってもいい。
そんなばかな、話が違う!
我らに出て行けというのか!
惑乱した思慮の足りない者が騒ぎ出す。
ジロワがエウーゴン領を継ぐことが決まり、(以前の様に)自分たち優位のままで新領主を迎えられる、と高を括っていた者たちはあてが外れて身勝手な憤慨を覚えている。
そうくるのであれば、ここは一戦してその途方もなく思い上がった鼻柱を叩き折ってくれようか!
当初から公爵の援軍を頼む無様を晒されては、その大口もいささかは常人並みとなろうぞ!
おうとも、一戦を所望するならそれもよし、と向こうも言っておるのだ。ここはひとつ苦い教訓を与えてくれよう!
威勢のよい者たちがさらに気勢を上げる。
「重畳、重畳!」
沸騰した場に、場違いなほど陽気な大音声を発したのは、ロジェの背後を守るように立っていたル・グロであった。
「確かに、主ジロワはやるなら相手になるぞと申しておるのだ。遠慮なく起たれるがよい。喜んでお相手申し上げよう」
ル・グロの待ってました、と言わんばかりの態度に、警戒の色が生まれる。
少し冷静になれば、ノルマンディー公の支援を取り付けたジロワと争っても勝ち目が皆無であるのは明らかだ。
だが、初手から主君頼みでは、ジロワの面目は丸潰れで名声も地に落ちよう。それでも構わないというのか?
「かのメーヌ伯にも劣らぬ、と自負する御仁には、またとない機会でござろうよ」
沸騰していた旧エウーゴン臣下一同の熱が一斉に冷めた。
なぜ、忘れていたのか。そもそもジロワが名を挙げ、表舞台に躍り出てきたのは何があったからか。
ネウストリアに武名を轟かせた『眠らない番犬』メーヌ伯エルベールを、劣勢の中押し返して大逆転の勝利を掴んだからではなかったか。
たとえジロワがノルマンディー公の援軍を要請しなかったとしても、彼らは必ず勝てると言えるのだろうか?
確かに戦って勝てば得られる名誉は大きい。
しかし彼らにとって、この戦いに終局的な勝利はない。
一旦戦端を開いたなら、彼らエウーゴン旧臣が得られる最善の結末というのはより有利な条件での妥協、である。
ノルマンディー公の後見を得ている以上、最終的にはジロワ側が勝利するのは動かない。彼らとしては、ノルマンディー公の介入を避けつつ優位を保たねばばならないのだ。
勝つことは前提だが勝ち過ぎてはいけない。負ける事は許されないのに大勝利も許されない。絶対的優位が無ければ極めて困難な舵取りである。
勝てればよいが、では、負ければどうなるのか。
形式的に彼らの領有権は、ノルマンディー公からエウーゴン卿へ、エウーゴン卿から彼らへ、と階層的に授与されている。
エウーゴン卿の存在が消滅したため、彼らは新たにノルマンディー公から支配権を承認されたジロワと主従関係を成立させるか、あくまで可能性の上での選択肢として直接ノルマンディー公と主従関係を成立させるしかない。
自力救済が前提の法のもとであるため、実力で(戦いに勝って)居座り続ければ事実上の独立支配状態は維持できるが、敗北した場合には形式的(法的)権利すらも認められていない以上、全てを失って追放されるという結末が待っている。
あまりに分が悪いではないか! なぜこんなことに!?
名門企業の吸収合併対象となった中小企業が、ヒット商品の開発に成功して大躍進し超の付く大企業と資本提携することとなる。
一方、件の名門企業の方は突然のカリスマ社長の急死により事業継続を断念、売却される名門企業の事業を買収したのが、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの中小企業。
立場が逆転したのにも関わらず、危機感もなく優越意識を捨てられずにいたところを、ガツンと立場を思い知らされる一発を喰らわされた名門企業社員たち。
俗な展開だが、今のエウーゴン旧臣たちの姿はこの様なものだ。
「さて、それでは各々方の所存を伺うとしましょうか。戦いに栄光を求めんとされる方には特段お話しすることもございません。早々に立ち去って頂いて結構。次は戦場にてお会いいたしましょう、次に……」
話を進めようとするロジェに、エメリが声を上げる。
「ま、待たれよ! 今ここで選択せよとは性急過ぎましょう! せめて熟慮の期間をいただかねば
「できませぬ」
エメリの要求をロジェはきっぱりと拒絶した。
「我らは早急に統治の体制を整えねばなりません。治安の維持も軍役招集も、領主のの都合などお構いなしなのはお判りでしょう? 貴殿らの長考を待っている時間的余裕はないのです」
「しかし……」
なおも食い下がろうとしたエメリに、ロジェが宣告を下す。
「お迷いなら、それはそれで結構。拒否されたものとして扱うだけです」
「む、無体な!」
だが、君臣契約はあくまで契約である。どちらか一方でも契約しない、という意思を持てば話はそこまで。契約を選択する自由はあるが、契約する義務はないのだ。
結局、参集したエウーゴン旧臣達の中に、この場を立ち去る者は現れなかった。
強引な展開ではあったが、ロジェはエウーゴン旧臣との調整を取りまとめ、支配体制作りの第一歩を踏み出す。
青空の高みから差す陽光が、地上を熱く焼き始めた。
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