211話

 空間を極限までに圧縮する事で生じる膨大な力量と、臨界点を迎え暴発する反発力の全てを圧縮爆発へと性質変換させるエリーゼの禁呪『爆砕』は、上級位危険種をも一撃で活動停止に追い込む程の破壊の力を有している。

 

 であれば当然の事、人間の脆弱な肉体など爆発の直撃を免れたとて、放出された爆風の一薙ぎで致命的な打撃を被るであろう事は予見せずとも容易に想像がつく……自明の理、である。


 だが、時に現実とは理屈を超える。


 生じる風鳴りが虚空に旋律を刻み、美しき剣姫は舞い踊る。


 まるで大災害の爪痕が如く、魔物の蹂躙の傷跡が如く、破壊の痕跡が無残の広がるシャリアテの正門前は、だが今だ変わる事無く二人の生者の姿が見られる。


 其処で繰り広げられているのは、まさに死闘……いや、人外の攻防であった。


 発動前の魔法を切り裂くエレナの剣も、魔法士が行使出来ぬと云われてきた破壊の魔法を易々と扱い振るうエリーゼも……共に人の御業では無い。


 退く気は……ない、か。


 エレナは乱れる息を整えながら視界の中心に尚、エリーゼの姿を捉え続ける。


 いつもであれば当に煙に巻く様に姿を眩ませているであろう筈のエリーゼが、今だこの場を立ち去らぬ事が、矛を収めぬ事が、終わらせる、と告げた言葉が只の気紛れや短絡的な感情の変化ゆえでは無い重みと覚悟をエレナは理屈では無く肌で感じ取っていた。


 エリーゼに殺したいと思われる程に憎まれていた……考えた事が無いと言えば嘘になる……しかしこれは希望では無く偽りでも無く、思い当たる節があるかと問われれば否である。


 どれ程に記憶を辿ってもエリーゼ個人に憎まれる様な、恨まれる様な理由がエレナには思い浮かば無い。


 だがそれは詮無き事。


 これまで多くの命を奪い、また奪い続けている己が、誰かに憎まれる事を、殺される事の意味を詮索するなど無意味の極みである。


 許されざる咎人である自分が例えどの様な死を、最後を迎えたとて、因果応報……それは当然の報いと言うべきモノであるのだから。


 両者の抱く感情はどうあれ、決着を付けねば終われぬ闘争であるのなら、長期戦になればエレナの不利は否めない。


 理由は最早語るまでも無く、戦闘に置いて絶対的な持久力に欠ける、と言う克服できぬ課題はエレナ・ロゼの致命的な弱点、欠点と言って良い。


 だが、現状に置いて状況が一方的かと問われれば必ずしもそうとは言えない。


 己が周囲に生じる違和感を、視覚では無く五感で捉えるエレナの動きには一切の無駄がない。


 展開から発動まで、恐らく時間差の無い魔法を現出と同時に断ち切っていくエレナの淀み無い流れる様な動きは、銀閃の軌道を操る両の腕の動きと相まって、鬼気迫る、とはまるで対照的な、余りにも華麗な舞姫の姿は、幻想的なまでに美しかった。


 対してエレナから確かな、確実な距離を取り続けるエリーゼの纏う法衣には無数の刀痕が奔り、黒き法衣ゆえに目立ちはしないが広がる血痕が、決して全てが浅手では無い事を物語っている。


 空間に座標を固定して発動させる『爆砕』は、元々に置いて動く的を標的にするには不向きな設置型の魔法である。


 しかしエリーゼの演算能力を以てすれば、それは十分に補える……欠点とは呼べぬ程度の些細な制約……しかし対象の行動予測をも可能にするエリーゼの高度な演算能力すらも短、中距離の機動戦闘に置いてエレナの速度は完全にエリーゼのソレを超えていた。


 ゆえにこそ初手で見せた様に、その行動限界の範囲全てを包み込む広範囲の座標設定は一見有効に見えて……エレナの行動を制限できる近距離での座標設定とは異なり、大きく囲い込むがゆえに結合点を食い破られれば、一気に間合いを詰める切っ掛けを与える事となる諸刃の剣となる。


エレナの剣戟の間合いに捉えられれば、物理障壁が意味を為さぬ以上、有効な対抗手段が無いエリーゼにとってエレナの剣閃は云わば不可視なる刃、己の『爆砕』と同義の魔法と変わらぬのだ。


 己が魂を、己が身を削り合う両者の攻防は……まさに死闘であった。


 エリーゼ……笑わないで聞いてくれる?


 斬り漏らした『爆砕』が弾け散り、粉砕された石畳みの破片と共に爆風に晒されたエレナの身体は大きく投げ出され、木の葉の如く宙を舞うと次の瞬間には地面へと叩き付けられていた。


 彼と出逢う為だけに私は終わりの見えぬ永遠を生きて来たのだと……今ならそれが分かる……信じられる。


 「アインスーーーーーーーーーーーー!!!!」


 エリーゼの絶叫は空間全体を震わせ、生じる膨大な魔力の奔流が解放の時を迎えた歓喜に打ち震えるが如く渦を巻き上げる。


 私たちは別たれた一つの魂……だから大丈夫、例えそれが無窮の時の果て、遥かな未来の先であってとしても、私たちはまた惹かれ合い、巡り会う。


 咄嗟に力点を逸らす事で爆風の直撃を避けたエレナではあったが、石畳に強打した衝撃で肋骨の何本かは砕けたのだろうか、倒れ込んだ姿勢のまま激しく吐血を繰り返す。


 例え今生で結ばれずとも……それが終わりではないわ。


 これまでとは明らかに質の異なる濃密な気配に、自分を中心として展開し発動しようとする魔法の規模を感じ取り、エレナはエルマリュートを石畳へと突き立てると気力を振り絞り立ち上がる。


 しかしそれは余りにも……遅すぎた。


 発動の閃光は遠く離れたシャリアテ湾で観測できる程の規模であったと後に伝えられる程、眩い輝きは全てのモノを包み込んでいく。


 黒き瞳に唯一人……エリーゼの姿だけを映し出しエレナは自分の全てを、想いの全てを己が双剣に託す。


 だからエリーゼ……また会いましょう。


 「想えばこその永遠……信じればこその……未来」


 膨張した閃光が一瞬の内に一点へと収縮し……爆散する。


 凄まじい爆音と共に、エリーゼの眼前の全てのモノが灰燼と帰し失われていく。


 「心配せずに二人は先に往きなさい……後の事は……残りの全ては……必ず私がこの世界を終わらせてあげるから」


 エリーゼの頬を伝い流れる涙の滴が零れて落ちる。


 齎された高熱が、爆風が、全てを燃焼させ吹き飛ばし、砂丘が如き砂の地に生者の姿は無い。


 魔力のほぼ全てを放出したエリーゼは、流石に限界を迎えたのだろう、その場に両膝を付き流れる涙を拭う事も無く俯いた視界の端に……有り得ぬ影を見る。


 咄嗟に見上げた視線の先、先程まで存在し得なかった者の姿を前に、エリーゼは只茫然と迫るその影を見つめる事しか出来なかった。


 「どうやって……いや……有り得ないわ」


 魔法は発動した……ならばこそ回避など無意味。


 如何に直撃を避けようとも、灼熱の熱風があらゆるモノを焼き尽くし範囲全てを焦土と化す『焦熱』は、『爆砕』に比べて発動に膨大な魔力と時間を要する反面、威力に置いて文字通り比較にならない。


 発動したら最後、範囲内に置いて生き延びる術など皆無の筈。


 それは一瞬の思考。


 吹き抜ける旋風が如く、エレナは瞬く間にエリーゼとの間合いを詰める。


 相対する両者の距離は……エレナの剣戟の間合いは、正にエリーゼにとっての死の範囲。


 最早転移は間に合わぬ、と何処かで理解していたのだろうエリーゼは、瞳に映るエレナの姿に……親しき、愛しき二人の面影が重なり消える。


 エリーゼは気づく。


 自分の魔法に対抗出来得る存在が酷く身近に居た事に……その唯一人の存在に。


 「貴方たちは一つの魂……この私がそれを失念するなんて」


 限りなく低くとも決して零では無い可能性……それを信じられたからこそ……私は……。


 違わぬ軌道を描き、エレナの剣閃はエリーゼの首筋へと迫る。


 両膝を付いたまま動けぬ、棒立ちのエリーゼを前にしてもエレナの瞳に、その剣に、迷いは無い。


 だが、その命を断ち切ろうかと言う瞬間、己の死を悟ったのであろうエリーゼの見せた微笑みに……その悲し気な微笑みに……抗えぬ強烈な過去視がエレナを襲い……変化は余りに劇的に。


 直前で大きく軌道を変化させた為に、逆らう圧力に耐えきれずその手から投げ出された双剣はそのまま二人の背後の砂地へとずさり、と落ち、勢いのままに体勢を崩したエレナの身体は、結果的に膝を付くエリーゼの胸元へと身を預ける様に倒れ込んでいた。


 エレナの意識が消失している事は、大人しくエリーゼに抱かれる形となって尚、まったく抗う様子を見せぬその姿からも容易に見て取れる。


 結果として命を繋いだ奇跡を、エレナの突然の変節を、しかしそれを奇跡などという安い言葉で一括りになどエリーゼには出来る筈も無い。


 「まったく……何処までも……馬鹿な子ね」


 初めは茫然と……しかし誰よりもソレが分かるゆえに、エリーゼは言葉とは裏腹にエレナの黒髪を愛おしそうに優しく撫でる。


 「この世の全てを憎みなさい……絶望しなさいエレナ……それこそが貴方だけに許された権利なのだから」


 まるで眠り姫が如く浅い吐息を繰り返すエレナを抱き寄せたままエリーゼはその耳元で囁く。


 「おいおい姉ちゃん、お偉い賢者様ってのはソッチの趣味かよ」


 傍から見れば恋人たちの逢瀬の如く映りかねない光景を前に、野太い声の主がそれをいきなり目撃したのであれば明らかに場違いな、とは云えど無理からぬ反応とは言える。


 「この遊戯、クラウディアの、そしてわたくしたちの勝ちですわね……エリーゼ・アウストリア、ですのでこれ以上わたくしたちの至宝に無用なおいたはお止め頂けますか」


 聞き覚えのある女性の声にエリーゼは口元を歪める。


 無論ソレは……。


 眼前に姿を見せた三人組。


 大熊の如き巨漢の男にエリーゼは見覚えは無い……だが残りの二人については良く知っている。


 漆黒の装具を纏う騎士然とした男は従者ルシウス。


 そしてエリーゼに対して悠然と勝ち誇る女の名はアルテイシア・ミレット……協会の最高意思決定機関『アルメイズ』の第二席に座す魔女の名であった。


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