204話


 一面に広がる草原を貫く様に続く街道の石畳を蹴り上げ、一頭の黒馬が疾駆している。


 土煙を巻き上げ走る黒馬の背には一組の男女の姿……全力で疾走する黒馬から振り落とされまいとまだ若い娘は手綱を握る男……いや、少年の背に顔を埋める様に両腕を青年の腰へと回し必死にしがみ付いていた。


 「ごーしゅーじーんー無理ですって……無理無理……落ちちゃうー」


 死んじゃう、死んじゃう、と情けない悲鳴を上げていたトリシアはひぐっ、と奇妙な声を一度漏らした後、不自然な程に黙り込む……手綱を握るレオニールはトリシアが揺れる馬上で舌を噛んだのであろう事を察するが今はその身を心配している余裕は流石にない……この様な無茶をしなければならぬ理由が、原因が背後から迫っていたからだ。


 振り向くレオニールの視線の先、土煙を上げながら自分たちに忍び寄る複数の魔物の姿を映し出す。


 その形状は蜥蜴……鱗に覆われた四肢を地に這わせながら有り得ぬ速度で追ってくるそれは、爬虫類特有の有鱗目を忙しなく蠢かし……だが確実に獲物との距離を詰めていく。


 他の国や地域に比べて格段に安全性が確保されているセント・バジルナ、ライズワース間の街道に置いて最悪の脅威……出逢ってしまう事が即、死に直結する下級位危険種――――鋼鉄の蜥蜴『アイアン・リーパー』の群れがレオニールたちの後背へと迫っていた。


 「くそっ」


 レオニールの視界に映るのは五体……群れとしては小規模ではあったが、数の大小はこの際に置いて生存確率に大きな変動を齎す材料とは成り得ない……例え追ってきている個体が寄り少数であったとしてもレオニールでは単独でソレに対処する事が出来ないからだ。


 個体の戦闘能力……性能を比較すれば北部域に群生する背徳の蠍『ノー・フェイス』に捕食手段に置いて劣るアイアン・リーパーではあったが、生物としての狩りの本能を色濃く残すその性質ゆえに、個としても群としても対人捕食能力、機動性能に置いてアイアン・リーパーはノー・フェイスを上回る。


 この規模の群れを相手にするならば傭兵ならば傭兵団規模で、騎士団であれば最低でも数個小隊が必要とされる……つまりレオニールの技量とは関わりなく魔物という存在と対した時、人間という種では抗い難い……生物としての能力差が両者の間には……其処には存在しているのだ。


 ――――今ライズワース近郊でギルド主導の大規模な魔物の漸減作戦が行われていてな、この期間逆に魔物どもの活動が活発化される恐れがある……時間が無いことは理解してはいるが十分注意を払っていけよ。


 セント・バジルナで自分たちの事を何かと気に掛け、半日と満たない滞在ではあったが尽力してくれたガラート商会の男の言葉がレオニールの脳裏に蘇る。


 今回の遠征で旗下のダラーシュ騎士団の……戦力の六割強を失い、二十七家門の内半数以上の当主たちを戦場で失った都督ジルベルト・ルーデバッハの権勢は大きく翳りを見せ、また上級位危険種討伐という大きな戦果を挙げたにも関わらず、凱旋した騎士団からは離脱者が続出するという負の連鎖の中、行政に置いて大きな混乱は見せずとも、最早ダラーシュ騎士団単独でのセント・バジルナ近郊の治安維持が不可能な程の大きな損害をジルベルトは被っていた。


 自らの矛と盾を失う形となったジルベルトに代わり、現在は協会とセント・バジルナに駐留する聖騎士団が魔物の討伐と都市の治安維持の任を引き継いでいる……これに連動して王国が生命線となる街道の安全の確保を憂慮しギルド会館に対して何らかの働きかけがあった事は王都ライズワースやセント・バジルナでは周知の事実となってはいたが遠く離れたシャリアテにまでは齎されてはいない、レオニールたちが知らぬ王国の情勢、情報であった。


 そうした事情を事細かくカロッソと名乗った商会の男から聞かされていたレオニールは、ギルドが活動している重点区域を避け、迂回路を辿って王都を目指していたのだが……結果としてそれが裏目に出る事となる。


 しかしその事でレオニールを責めるのは酷と云うモノであろう……アイアン・リーパーの群れと遭遇するなど想定する中でも最悪な事態であり、それこそ運が悪かった、と諦めざるを得ない不幸な巡り合わせであったのだから。


 「御主人!! 追い付かれちゃいます……追い付かれちゃいますよ!!」


 切迫したトリシアの悲鳴に再度背後を振り返るレオニールの視界に黒馬の直ぐ後方にまで迫ってきている個体の姿が映る。


 アイアン・リーパーは瞬発力、到達速度のみならず持久力に置いても馬のソレを上回る……まして二人の人間を背に乗せて走る馬がアイアン・リーパーを振り切るなど土台不可能な話ではあった……だがそれでも此処まで……かなりの距離を走りながら追い付かれずにいたのは一重に二人が跨るこの馬の、巨躯を誇る黒馬が他の馬たちと比べ見ても余りにも規格外であったおかげと云っても良いであろう。


 手綱を握りながら自身の腰の剣の柄へと視線を落とすレオニールに、突如黒馬が短く、だが鋭く嘶く。


 それが黒馬……ルイーダからの警告……警鐘であることを瞬時に気づいたレオニールはトリシアに強くしがみ付け、と咄嗟に叫ぶのと同時に――――前脚を踏み抜き急制動を掛けたルイーダの馬体が一瞬浮き上がり、投げ出されそうになるレオニールは手綱を離しルイーダの首に腕を回し必死に落馬せぬよう身体を支える。


 急速に減速したルイーダの背後から先頭を走っていたアイアン・リーパーが襲い掛かり――――刹那、馬体が浮き上がる程の力量を利用し、レオニールの体重の十倍はあろう馬体と人間では生み出せぬ強靭な脚力から放たれたルイーダの後ろ脚がアイアン・リーパー頭部を蹴り上げる。


 鈍い激突音と共に下顎を粉砕された個体が真上へと浮き上がり――――瞬間、背を向けたまま仰向けに地面へと叩き付けられる。

 

 その衝撃の凄まじさを現すかの様に小刻みに身体を痙攣させているアイアン・リーパーの眼球は飛び出し、その口からは血の泡が溢れ――――悠然と向きを変えたルイーダは大きく前脚を上げると全体重を乗せ瀕死のアイアン・リーパーの頭部を踏み潰す。


 鋼鉄の硬度を持つとされるアイアン・リーパーの頭部をまるで紙屑の様に――――。


 その光景を目にした残りの個体は本能ゆえか瞬時に足を止めルイーダとの距離を取る。


 例えてソレを馬と表現することは適当であるのだろうか……四体の個体を見下ろすルイーダの瞳には恐れの色など微塵もなく、牝馬特有の気性の荒さとは異なる激しいまでの闘志を湛えた瞳で外敵を見下ろし、見据えている。


 重心を落とし前脚を幾度となく蹴り上げながら威嚇を繰り返すルイーダを警戒してかアイアン・リーバ―たちは距離を保ちながら様子を窺う……その姿はまさに獲物を狙う狩人のソレであった。


 魔物は基本的に人間という種以外の生物を捕食する事はない……馬とて例外ではなく本来は魔物に襲われぬ種の生物である……だが人間との関わりが深く寄り身近な生き物ゆえに多くの場面に置いて障害の一つとして魔物たちに排除される馬たちは、人間の道具として育てられ扱われる悲しき生き物であると云えようか。


 草食動物である馬は警戒心が強く臆病……人間とは比べる事が出来ぬ程に五感が発達した生き物であるがゆえに時にそれが災いし、魔物を前にして恐怖で錯乱し自滅的な行動に走る事も少なくはない。


 しかし、レオニールたちを背に乗せたまま魔物たちと対峙するルイーダの姿はそれら常識とは一線を画し……その瞳には意思の輝きが、気概が……主人から託された人間を害そうとするモノに対する敵意は闘志となり覇気となり……その姿は人ならずとも馬ならず……軍馬……闘馬という存在すら越えて一個の女傑の姿が其処にはあった。



 「旅の人、そのまま走り抜けなさい!!」


 余りの光景に目を奪われていたレオニールの耳に若い女性の声が響き――――街道を此方に向けて走りくる複数の機影を目にした瞬間、ルイーダが走り出す。

 

 獲物を前にして……自分たちから背を向け走るルイーダを現れた新手の存在を警戒してかアイアン・リーパーの群れが追う様子は見られない。


 互いに向かい合い走っているゆえに急速に詰まる両者の距離――――レオニールは武装した騎馬の集団をはっきりと認識し、集団の最後尾に協会の随行員らしき男の姿を視認すると彼らがギルドに所属する傭兵たちであるのだと気づく。


 恐らくは街道を巡回していたのであろう、彼らとの出会いはまさに――――。


 「感謝を!!」

 

 すれ違いざまレオニールは先頭の女性へと心からの謝意を述べる。


 レオニールの声に応える様に馬上から長い金髪を靡かせる女性が頷いた様に見えたが、一瞬の邂逅ではそれを確認する事は出来ず、速度に乗るルイーダは次々と騎馬たちの横を走り抜けていく。


 先頭の女性に続き走る馬上の青年が両の腰から長剣を……双剣を抜き放つ瞬間を目撃したレオニールは束の間その姿に目を奪われるが、すれ違い遠ざかる一瞬の間ではそれ以上目で追い続ける事は出来なかった。


 見る間に傭兵たちから、アイアン・リーパーの群れから離れ、ルイーダの背から振り返るレオニールの視界にはソレらが小さな点となり……やがて消えていく。


 「あの人たち……大丈夫なんですかね?」


 速度に乗ったルイーダの背でレオニールの腰に必死にしがみ付いているトリシアは生じた疑問を口にしていた。


 トリシアの憂慮は最もであり……アイアン・リーパの群れを相手に如何にギルドの傭兵といえどもたったの五人で対処するなど常識的に考えて余りにも無茶であり無謀に過ぎる。


 「彼らなりの考えがある……そう信じるしかないよ」


 助けられた身で自分たちに出来るのは彼らを信じる事だけ……と、トリシアに語るというよりは自分にレオニールは言い聞かせる。

 

 今から引き返しても自分では足手纏いにしかならない事をレオニールは自覚していた……それに恐らく手綱を引いてもルイーダは止まらぬだろう……彼女は自分たちを無事送り届ける事を最優先に行動している……だからこそ彼らの……傭兵たちの存在に素早く、そして迷いなく反応したのだろう。


 ならばせめて誰かにこの事態を伝えよう――――。


 無人の野を疾走するルイーダの背でレオニールは強く唇を噛み締める。


 疲れなど微塵も見せず、ルイーダはライズワースへと……王都を目指し駆け抜けていくのであった。

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