198話
青銅騎士たちが腰の剣の柄へと手を掛け、伝わる緊張に呼応する様に王国の従騎士たちの気配もまた色濃く剣呑なモノへと性質を変化させていく。
エレナとオルフェス……交わされる両者の問答の終わり――――譲る事の出来ぬ信念を示した少女の独白はこの場の者たちの内に確かな何かを刻み、それぞれが抱く強き信念ゆえにその帰結に待つ闘争へと全てが動き出そうとしていた。
「いつの日か……それが果て無き時の先、遠く……遠く遥かな未来であろうとも、悲しみではない笑顔の為に、絶望ではない希望を胸に、人が自分ではない誰かを想い振り上げた剣を下ろせるそんな日が……導きではない己の意思で歩んで往ける未来が在ると……人の……人間の可能性だけが争いの因果を……定めすら超えて往ける」
対峙するエレナとオルフェス……交差する両者の眼差し……最早全ての想いを語り尽くしたかの様にエレナの口からはそれ以上続く言葉が綴られる事はない。
束の間の静寂――――。
オルフェスは踝を返すとエレナに背を向け歩き出す。
拒絶、と表現するには余りにも堂々と、颯爽としたオルフェルの姿に周囲の青銅騎士たちは動き出す好機を完全に逸し、身を乗り出せはすれど一瞬の間、躊躇を見せる。
「メーデ・ナシル下流域には現在、貴様らが体良く追い出した赤銅騎士団が野営地を構築している……其処まで辿り着けた者らに関しては我が名をもって庇護を与えよう……力が伴わぬ誓いなど只の妄言に過ぎん……エレナ・ロゼよ、そなたの信念が真であるならばまずはその力、証明してみせよ」
去り際に発せられたオルフェスからの言葉。
大河メーデ・ナシルと云う自然の要害の恩恵を余さず官需しているシャリアテの都市近隣部は、水辺を嫌う魔物の特性と日々の間引きの成果により、一部指定地域が観光客たちの遊覧の為に解放されている程に魔物の出現頻度は低い。
その都市近隣部からは多少の距離は離れるとは云え、メーデ・ナシル下流域……流れる河川の円環の内側、シャリアテの都市部側であるのならば、陸路である事は変わらずともその安全性は他の地域とは比べるべくもない。
騎馬や馬車であれば数刻……健常者ならば半日程度という下流域までの距離を考えても、現実的に避難が可能な選択肢であった事は間違いない。
野営地の規模や受け入れ体制が果たして万を超えるであろう避難民たちの数に対して本当に機能するのか、一時的な避難とは云え食料の問題など多くの不安が尽きぬものの、市街戦が避けられぬであろうシャリアテに留まる危険を考えれば、それがオルフェスが示した最大限の譲歩であろうことを踏まえても、最後の……一縷の希望の光である事だけは疑い様もない。
遠ざかるオルフェスの背にエレナが再び膝を折る事はない……しかし深々とその背に頭を下げるエレナの姿を目にした青銅騎士たちの足は鉛と化したかの如く動かず……エレナ・ロゼの言葉を聞き、その在り方を知った今の彼らには、オルフェスの背を見送るエレナを前にして、人の可能性を信じ民を憂うエレナの想いを踏み躙り、この場でオルフェスを謀殺する真似など出来様筈もなかった。
「グレゴリウス様……エレナ様と再度会談の場を」
囁かれるクラウディアの言葉にグレゴリウスからの答えは無い。
クラウディアを始めこの場の者たちがエレナ・ロゼに抱く思いや送る眼差しとは別種の……グレゴリウスの瞳には異なる想いの色を帯びている。
尊いがゆえに残酷で……気高いがゆえに報われぬ……まだ成人の儀を迎えたばかりでろう少女が、一体どれだけの死を……どれだけの悲しみを超えれば此処までの境地へと達する事ができるのであろうか……。
それに想いを寄せた時、グレゴリウスの眼差しの先、今は亡き息子の面影をエレナの姿に見る。
武人としてではない子の親として、グレゴリウスの瞳に宿るのは深い……深い悲しみの色であった。
「何度も申し上げています様に契約に記された守秘義務が御座いますので」
まるで大地震……大災害にでも見舞われた後が如く、慌ただしく倉庫や書庫から荷を運び出している者たちが行き交うガラート商会の一階の広間に隣接した応接室の一つで、此方でも異なる舌戦が繰り広げられていた。
「非常事態ゆえに無理を押してこうして頼んでいる……この娘にとってあの爺……ごほんっ……フルブライト・エクオースは師という以上に親代わり……いいや、実の親子同然の絆で結ばれた家族なのだ」
「あのー御主人……いくらなんでも師匠と私では歳の差が……せめて孫と――――あいたっ……」
トリシアに話の腰を折られ掛けたクロイルは素早く左手でぱしり、とトリシアの後頭部を叩き無駄な横槍を物理的な手法を用いて制する。
「シャリアテの情勢が落ち着き次第、契約の履行は必ず約束しますので当面二人の身柄をトルーセンのマドラー子爵家で保護したいのです……ボーデン――――いえ、アイラさん」
友好的な笑みを崩さぬ女性はアイラで構いませんよ、と告げ、レオニールは言い直す。
レオニールが敢えて示した子爵家の人間という言葉にも動じた様子を見せず、三人の集まる視線の先、ガラート商会の支店『フィアル・ロゼ』の支配人を名乗った女性、アイラ・ボーデンの好意的な姿勢が崩れる事はない。
「皆さまも既に大凡の情勢を御存知のご様子……事態が事態ゆえに初めに言葉を濁しはぐらかした事どうかお許し下さい……実はフルブライト様はもうこのシャリアテを離れられているのです」
と、一転して思案げな、だが三人の身元を信じたゆえ、と暗に示す様に禁じられていた秘密を告げる如く身を寄せアイラは語る。
大きな商談を前に仲介役としてフルブライトの存在は欠かせぬ存在ゆえに早々にセント・バジルナへの商船に乗せ身の安全を最優先に考慮したと。
今頃はセント・バジルナへと向かう船の上であろうから後日必ず連絡を取らせる、と語り聞かせるアイラの言葉には嘘がある様にはとても見えず、寧ろ真摯に、そして親身になって語るアイラの姿からは傍目から見ても好感以外の感情を抱くのは難しい。
「そうですか……」
と、残念そうに呟くレオニールであったが胸中では或る種の確信に近い思いを抱く。
まだ二十代前半であろうアイラ・ボーデンと云う女性は眉目秀麗、若く聡明で物腰も穏やか……この状況下、取り込み詐欺だと疑われてもおかしくない身元の確認が難しい他領地の騎士を名乗る自分たちを相手に、しかもガラート商会として何の益もない面倒極まりないであろう要求をする自分たちを相手に、親身に対応してくれている。
非の打ち所がない……好感しか抱きようもない対応を前に、アイラの態度や言動が演技とは思えぬ自然なモノであればある程にレオニールの中に生じるアイラに対する違和感は拭い切れぬまでに高まる。
この女性は嘘を付いている、と。
商会の者たちの表情を、慌ただしく荷を積み出している姿を見れば商会内の雰囲気が、現状が如何に逼迫しているかなど嫌でも見て取れる……にも関わらず、何故大手商会の支配人自らがが態々貴重な時間を割いてまで現状何らの価値すら見出せぬであろう自分たちに会う気になったのか……。
フルブライトの名を出されては直接相手の意図を確認せねばならない……見極めねばならぬ程に彼の老人が面倒事に巻き込まれているかも知れない可能性。
それらは全てレオニールの憶測ではあったが、アイラの落ち着いた穏やかな表情が、親しみを抱かずにはおれない微笑みが……自分たちという迷惑極まりないであろう異分子を前に苛立ち一つ見せない自然な好意が逆に不自然な違和感としてレオニールに不信感を抱かせる。
魔法士アウグスト・ベルトリアスの一件以来……自分の浅はかさが……不用意さが仲間の……大切な少女を危険に晒してしまったという苦い記憶と、その戒めゆえにレオニールは他者の行動や言動には細心の注意を払うようになっていた。
ゆえに今アイラが見せている自分たちへの無償とも云える好意が自然であればある程に、魔法士の持つ特融の……とは云えぬ人間が持つ醜悪な側面を知るがゆえに、無償の善意などレオニールは信じていない。
この世に只一人特別な……エレナ・ロゼという例外を除いて……。
「お忙しいところお手間をかけました」
アイラの言葉を信じた風を装いレオニールは席を立ち、それに追従するかの如く無言で立ち上がったクロイルの姿にトリシアは意外そうな表情を浮かべるが、此処は何も言うべきではない、と察したのか二人に倣いトリシアも席を離れる。
「御力になれず申し訳御座いません」
と、応接間を出ようとするレオニールに三人に先立ち入口で腰を折るアイラは懐から何かを取り出し――――瞬間、レオニールへと手渡そうとしていたソレを横からクロイルが手を伸ばし奪い取る。
クロイルは手にしたソレを確認する事もなく、すまんね、とアイラに感謝と呼ぶには刺々しい皮肉めいた言葉を残し一人応接室を出ていく。
その背に小走りで続くトリシア……そんな二人の姿に肩を竦めて呆れた様子を見せるレオニールではあったが、アイラに軽く会釈をすると自身もまた応接室を後にする。
そんな三人を商会の外まで見送りに出たアイラの態度は最後まで恭しく礼儀正しいもので、レオニールたちが通りに消えるまでその姿勢に変化が見られる事はなかった。
「一応監視は付けておきなさい」
「はい」
三人の姿が消えた通りを見据えたまま呟かれたアイラの囁きに、入口からは死角にあたる場所で控えていた黒い礼装の女性は返事と共にアイラへと頭を下げる。
通りを歩くクロイルが手にしたソレを宙へと投げ、黄金色の輝きを放つソレは重力に従いまたクロイルの手へと落ちてくる。
「顔を出しただけで金貨一枚とは羽振りが良いにも程があるだろ……たくっ商人て輩は最後は何でも金で解決しようとしやがって……気に入らねえ」
不機嫌そうに金貨を弄んでいるクロイルの姿を……いや、金貨を何とも云えぬ眼差しで追いかけるトリシア。
「そうだね……だから今夜もう一度お邪魔しようと思ってる」
流石に予想外だったのか何気なく呟かれたレオニールの予期せぬ言葉に、思わずクロイルは投げた金貨を取り落とし……瞬間、神業の如くトリシアが地に落ちる前にその金貨を掴み取る。
「爺さんがあそこに居る確証でも掴んだのか?」
「そうじゃないけど、帯剣していた僕らが店に入った時、商会の人たちは皆一様に二階へと視線を向けていた……でも支配人を名乗った女性は一階の奥の部屋から姿を見せたよね」
「つまり、上には気に掛けなければならない誰かが居たと?」
「可能性はあると思う」
「私も、私もそう思います!!」
と、レオニールに賛同を示すトリシアだが、しれっとそのまま手にしていた金貨を懐へと仕舞おうとしてまたクロイルに後頭部を叩かれる。
「勘違いだったらどうする?」
「その時はまた事情を説明して謝ればいいさ」
再度訪ねる、という意味がまっとうな訪問の方法ではないだろうことを考えても何処までレオニールが本気なのか窺うクロイルであったがやがてまあいいか、と不敵に笑う。
「こんな事エレナが知ったら顔を真っ赤にして怒るだろうな」
そうだね、と小さな肩を怒らせ、呆れた眼差しで自分を叱る可憐な少女の姿を連想しレオニールは苦笑してしまう。
「でも成すべきを成さず、やれる事を厭うた結果、後悔する事になったら……その時こそ本気でエレナさんに叱られてしまうから」
無言で返すクロイルの……其処に否定の色は見られない。
そんな二人の姿を前にトリシアはいつになく真剣な眼差しで二人のやり取りを見つめていた。
付き合も浅い自分たちの為にどうして二人が其処までしてくれるのかが今だ理解が出来ずトリシアは困惑してしまう……困った時は最大限利用して用が済めば簡単に裏切り切り捨てる……そんな世界で生きてきたトリシアには二人の姿が眩しく映り……性格も恐らく思想すら異なっていたであろう二人を繋げる少女の存在に強い興味を抱く。
ふと柄にもなくそんな物思いに耽っていたトリシアは歩みを進める二人との開く距離に、自分との生まれの差……いや、埋まらぬ何かを感じ足が止まる――――だが。
「さっさと着いて来い平民」
「行くよ、トリシア」
当たり前の様に振り返り掛けられた二人の変わらぬ声に、表情に、足に掛かる重石が取れたように――――トリシアは小走りに駆け出す。
「ちよっ……待って下さいよー御主人方ー!!」
焦った様に叫ぶトリシアの表情には先程一瞬垣間見せた憂いは最早見られなかった。
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