195話


 エラル・エデルとして独立を宣言して以降、国内のみならず諸外国からの定期便の運行が途絶えていたシャリアテの魔導船発着場は人々に不安を与えぬ為、また無用な混乱を避ける為に緊急時に備えて交代で常駐している整備師や職員たち一部の関係者以外の立ち入りが禁止されていた。


 その為、魔導船の離着陸が行われるシャリアテ港に面した広大な敷地には此処数日、路面の状態を維持する為に整備師たちが訪れる以外の出入りは無く閑散とした風景が広がるばかりであったのだが……今日、この日ばかりは状況が一変したかの如く様変わりした光景が見られた。


 管制塔としての機能を果たす長大な建物を背に扇方に陣形を構成する完全武装の青銅騎士団の騎士たち……その中にはローレンスやフェリドと云った主要な大隊長たちが顔を揃え、轡を並べる騎士たちの後背には元貴族、或いは民間から選出された評議会の面々が並び、扇の中心、要にはグレゴリウスとクラウディアの姿がある。


 エラル・エデル評議会の主要な面々が一同に介し……しかし式典の様な華やかさなど微塵も見られぬ緊張感の中、会話すら交わされぬ沈黙の中、一同の視線は一様に虚空へと中天へと注がれていた。


 束の間の時、或いは長き時の末であったかも知れない……遥か上空から微かに生じた銅鑼の音が瞬く間に大気を揺さぶる大音響へと変化を遂げながら、雲間を切り裂き船底を……ゆるやかに降下しながら優美な船体を現し飛来する一隻の魔導船がグレゴリウスたちの視界へとその姿を現す。


 空路を担う物流の要である輸送艦級……従来の輸送艦と同規格でありながらもソレは船体の先鋭的な造詣と云い、施されている装飾からも通常の輸送艦とは一線を画した存在感を誇っていた。


 オーランド王国軍旗艦・魔導艦『ノイエニール』。


 王国からの独立を宣言したとは云え、動乱期の大陸をオーランド王国の騎士として転戦してきたグレゴリウスたちが決して見忘れる筈などないその機影は、王家の象徴として変わらぬ雄姿を誇る空の王者は、今シャリアテの地へと舞い降りようとしていた。





 「御主人ー、御主人方ー、準備出来ましたよー」


 長大な皮袋から伸びる紐を首で結び、背中へと垂れる皮袋を一杯まで膨らませて背負う若い娘の姿は語弊なく火事場泥棒のソレである。


 火事場泥棒……もとい、トリシア・エインズワースはこれもまた年季の入った荷馬車を背に公邸の扉から姿を見せる二人の少年たちを両手を振って迎える。


 「五月蝿いぞ平民、もう少し静かには出来ないのか……まったく」


 苦々しく呟く目付きの鋭い……トリシア曰く極悪亜麻色髪ことクロイル・マドラーの悪態をすました様子で聞き流し、より一層ばたばたと手を振るトリシア。


 トリシアは貧民街で逞しく生きて来た経験から多少なりと人を見る目には自信を持っている……一見してクロイルの態度や言動は選民思想に凝り固まった旧時代的な貴族そのものの様に思えるが、実際に投げ掛けられる言葉や眼差しからは、平気で自分を平民と罵りながらもその実、見下す様な響きも蔑みの色も無い。


 それは若くして子爵という高位貴族である者としては稀有な存在と言って良い……トリシアとしても初めて接する希少種と呼んで良い種の人間であった……最も人を小馬鹿にする言動それ自体は腹が立つのでトリシアとしては褒めてやる気などはまったく無かったのだが。


 「馬車の手配ご苦労様」


 ぼろぼろの……しかも荷馬車じゃねえか、と横で悪態を付くクロイルに苦笑を向けるものの、トリシアの労を労うもう一人の少年、此方はトリシア曰く腹黒栗色髪ことレオニール・バローネに平身低頭といった様子でトリシアは媚を売る。


 レオニールは人の良さそうな、一見して騙し易そうな鴨の様に見えて、クロイルの様に直情的な人間よりも厄介な……腹の内を読ませぬ油断のならない少年、といった印象をトリシアは持っている。


 よいしょ、と背中に荷物を背負ったまま荷台の縁に足を掛け、細い生足を晒しながら女性としては些か……いや大分はしたない姿を見せて荷台へと上げるトリシアの姿を目にし、クロイルは深く溜息を吐き、レオニールは苦笑を貼り付けたまま各々御者台へと上がる。


 老朽化の激しい古い荷馬車の手綱を貴族の若者が握り、荷台には貧民街出身の娘が腰を下ろして座っている……ある種珍妙な……だがそれは今の三人の関係を端的に表している情景とも云えた。


 「でも御主人、こんなにばたばたと急いで引き払う必要があったんですか?」


 ゆっくりと走り出し公邸を後にする荷馬車の荷台から、今の状況を良く理解出来ていないトリシアの疑問の声が上がる。


 数刻前、グレゴリウスの名で届けられた書簡……その内容の意図を掴みきれていないトリシアにしてみれば、師匠であるフルブライトと合流してトルーセンまで避難する事を瞬時に決めた二人の真意が今だ測れずにいたのだ。


 「今日の正午に協会経由で組合、商工会……そして評議会宛に王都からの一報が齎されたんだよ」


 それは本来ならば自分たちの下になど届く筈の無い情報……それを書簡に纏め届けてくれたのは恐らく……いや間違いなくグレゴリウス個人からの気遣いであろう。


 端的に云うならば書簡に記されていたのは王都から派遣された使者の到来。


 「使者ですか……でも王国が交渉に応じる姿勢を見せた事は寧ろ朗報なのでは?」


 随分と急な話であり、また困難な交渉にはなるだろうが、王国側から話し合いの門戸を開いたというのに何を二人がそんなに慌てているのかがやはりトリシアには分からない。


 「交渉……ならな、だがその記された使者の名を見れば王国の真意は考えずとも明白だ」


 苛立ちを感じさせるクロイルの言葉……それが全てを物語っていた。


 全権を担う使者として記されていた者の名は――――オルフェス・バレスティン子爵。


 オーランド王国に置いて騎士たる者……そしてそれを志す者が知らぬとすれば恥とされるほどの……災厄の折、中央域での遠征軍に……宣託の騎士団へと自ら志願しながらも王国の守護の要として国王であるランゼが屋敷まで赴き引き止めたという余りにも有名な逸話を持つ、聖騎士の頂点……頂に君臨する軍神の名が其処には記されていた。


 「バレスティン卿は交渉の……和平の使者など担わない……彼の御仁が司るのは宣戦の……戦の狼煙……」


 経験の浅い若き騎士である二人ですらオルフェスの到来が齎す意味を正確に理解していた。


 「遠からず……いや数日中にはこの街は王国と開戦する事になる……直ぐに街を離れなければ巻き込まれるぞ」


 動乱期に改定されたオーランド王国の敵国条例の内容は苛烈を極める……宣戦布告を経て開戦に至った段階で敵国認定されたが最後、どの様な理由があれこの街に残る者たちは敵国民と定められ生殺与奪の権利のみならず人間としての尊厳と権利……その全てを剥奪される。


 街に留まれば待ち受ける運命は只一つ……果て無き蹂躙の末に齎される惨たらしい最期のみ。


 「グレゴリウス卿……これが貴方の望んだ結末か……違うだろう……なのに何故……くそったれ……」


 手綱を握るクロイルの手が込められた力の強さが窺えるほどに小刻みに震える。


 この一報を受けて恐らく機に聡い商人たちは一斉に逃げ出すだろう……金を持つ裕福層も然り……だがシャリアテの人口は二十万を越え、滞在者を含めれば三十万にも届く筈……。

 仮に評議会が全ての船舶を開放し避難を誘導したとしても一体どれ程の数の住民たちが取り残される事になるかなど……それはクロイルには想像も出来ぬ事であった。


 財を持つ者たちは優先的に海路を、傭兵や協会の者たちならば陸路に活路を見出せよう……だが……。


 「どの様に高き理想を掲げようと……崇高な志を語ったとて……最後には結局弱き者たちを……力なき者たちを犠牲にするつもりかグレゴリウス」


 「僕たちがこの地に残れば王国の騎士として、この地の人々に剣を向けなければならなくなる……だから今は」


 「分かっている……」


 綺麗ごとも泣き言も後で好きなだけ吐き出せば良い……逃げることは弱さではない……信念無き剣を振るう事こそ恥ずべき愚行だと教えてくれたエレナの為にも……今は……。


 「幸いフルブライトさんが雇われているガラート商会といえば大手の商会……上手く運べば船の手配も容易になるかも知れない」


 フルブライトの所在を確認する様に一度荷台のトリシアを振り返るレオニールに、トリシアは間違いない、と応える様に何度も首を縦に振る。


 今だ混乱らしきモノは見られぬ閑散とした特別区画の通りを一路三人を乗せた荷馬車はガラート商会のある商業区画へとその足を急がせるのであった。


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