192話


 「どういう事だ……話が随分と違うではないか」


 魔物の討伐の報奨金を受け取る為に、或いは日銭になる依頼を求め、傭兵たちや依頼に訪れた商人たちで変わらぬ賑わいを見せる協会の広間とは対照的に、ある種隔離された空間とすら云える支部長の執務室では一人、フリスト・バルトロメイの呟きにも似た独白だけが漏れ聞こえていた。


 ――――導師フリスト、世俗とは真……面倒なモノでな……此方の状況も刻一刻と変化を遂げているのだよ。


 直接フリストの脳裏に響く男の声。


 遠話と呼ばれる魔法士間で行われる術法……導師の称号を受けるほどの高位の魔法士にしか扱えぬとされる遠話の魔法は協会でも秘中の秘とされ、その術式は一部の者にしか公開されていない高位魔法の一つであった。


 王都で一体何が起きている、と口走りそうになりフリストは辛うじて自重する。


 一見して万能な魔法の様に思われる遠話は、その実第三者が容易く干渉する事が可能な言うなれば公開問答の様なモノ……誰が聞き耳を立てているかも分からぬ状況で軽はずみな言動など出来る筈も無い。


 ――――導師フリスト、まずは早急に此方に戻られる事を強くお勧めする……詳細はその折に。


 脳裏に響く男の声はフリストの返事すら待つ事なく一方的に遠話の同調を断ち切り……それを察した瞬間、激昂したフリストは衝動的に右腕を薙ぎ払う。


 勢い良く払われたフリストの右腕は自身の眼前に置かれていた机の全てのモノを払い飛ばし、床に落ちる書物や書類の束、壁に叩き付けられ割れた陶器の置物などで執務室は一転して散々たる光景へと変貌を遂げていた。


 それは導師と呼ばれる最高位の魔法士であり、協会の意思決定機関『アルメイズ』に席次を持つ者として謗られても仕方が無い、軽率な行為であった事は疑い様もないが、同時にフリストが此処までの動揺を見せた事が今の事態の深刻さをも窺わせていた。


 「このような田舎の街にまで遣って来てこの様か……」


 魔法士にとって魔導研究の最先端を誇る王都ライズワースを離れる事は貴族たちが地方領へと赴任する事とはまるで異なる意味を持つ……無論地方領であっても己の工房を持ち独自に魔導研究に邁進する事は出来る……しかし最高の環境を約束されているライズワースと比べて全てが見劣りしてしまう事は否めない現実として確かに存在していた。


 一日王都を離れるだけで競う同僚たちと明確な差が生じる……そんな環境下にありながらフリストは一年という期間をこのシャリアテで過して来たのだ……左遷などと云う言葉すら生温いこの様な小都市の支部長などという各職に甘んじてまでただこの日の為だけに……。


 「後もう一歩というところで一体何に躓いた……」


 協会の最大の使命……それは真理の探求――――その為にはどうしても越えなければならない課題が存在していた。


 それこそが生命の神秘を紐解く生体実験の推進……それも人体を素体として行う人体実験こそが次なる段階に進むためにはどうしても必要であったのだ。


 協会と王家には暗黙の約束事が存在する。


 それは一定数の重犯罪人の身柄を協会に引き渡すという甚だ人道に反するモノではあったが、長きに渡る両者の協力関係の中、それは暗黙の了解として成立してきた。


 しかし、月に数人、年間でも十数人という数の問題に加え年齢や性別すらも精査できぬこれらの被検体ではどうしても数や質の面に問題が生じるのは必然であり、革新的な進展など望めぬのもまた自明の理ではあった。


 さりとて生体人形の製造や流通が大陸間協定で禁止されている事からも見て取れる様に、魔法士や魔法というモノに対する一般の者たちの理解は余りにも低い。

 一見して磐石な王制を敷くオーランド王国であっても、国家そのものが人道に反する人体実験などに加担したとなれば、動乱期、ロザリア帝国で行われたアウグストに関わる一連の騒動が示す通り、現王家の転覆に繋がるほどの暴動にまで発展する危険すら杞憂とは云えないのだ。


 そんな中出逢ったクラウディアからの誘いは余りにもフリストには魅力的であった。


 協会がシャリアテの独立を正式に支援する事と引き換えに、都市の行政機関である評議会が被検体となる素体を提供するという正式な申し出は――――。


 無論その条件には犯罪者に寄らず、年齢・性別も多岐に渡る……つまり女・子供も、という事だ。


 ライズワースの様な王家のお膝元では難しくとも、政治・経済ともに重要性の薄い田舎の地方都市……まして色街や貧民街を抱えるシャリアテならば色々都合の良い部分が存在している事も確かな事実であった。


 高品質の素体が充実すれば今は未検証の多くの技術や新たなる術式の創作すらも可能になり、例え年間で数万人にまで達するかも知れぬそれら尊い犠牲は、先の十年に渡りその何十倍……いや、何百倍もの人々の命を救う事になるだろう、とフリストは本気でそう信じていた。


 更にこれが実現すれば魔導研究の中心地がこのシャリアテに移る事になるのは明白……そうなれば一年と云う余りにも長く後塵を拝していた屈辱の年月が……『アルメイズ』における自身の不動の地位と共に報われる……そうなる筈であったのだ……。


 「まずは事態を把握せねば始まらぬか……」


 不安定な状況下にあるこのシャリアテを今離れねばならない事はフリストとて本意ではなかったが、だが一度ライズワースに戻らねばならない、という事の必要性も同時に理解していた。


 フリスト自身、転移魔法……それも高位の長距離転移を行う事は出来るが、王都までの距離を考えれば座標を固定する為の術式の構築に数日は必要とされるため、魔導船と云わず船旅でもそう日数は変わらない……つまるところ魔法とは人々が忌諱する程に、それほどに万能なモノではないのだ。


 「事に寄ってはクラウディアとの関係も清算せねばならぬであろうし……まったくもって世俗とはままならんものだな……」


 降って湧いた様な遠話一つで良い様に振り回されている己の姿にフリストは自虐的な笑みを浮かべはするが、さりとて今直面している事態が笑って済ます事など出来ぬ頭の痛い問題である事もまた間違いの無い現実であった。






 嘗ては豊富な鉱山資源に恵まれていたライズワースの北部区画は、今では危険を伴う深層まで掘り進めねば鉱石を採取する事が出来ぬまでにどの鉱山も枯渇の一途を辿っていた。

 

 北部区画の市街地から遠く離れた今は捨てられ廃鉱となった鉱山の一つ、本来ならばもう人など寄り付かぬ筈のこの場所に、目を疑う程の数の人間たちの姿が見られる。

 鉱山の入口を慌しく出入りしている学者風の者たち、手に肩に道具を抱えた職人風の男たち……何よりも異質であったのは鉱山を中心に展開している武装集団の姿であろうか。


 天幕を張り巡らせ、周囲を巡回している屈強な男たち……統率された動き、その立ち振る舞いや滲ませる雰囲気からも傭兵の類などでは無いことは明らかであり――――白銀の戦装束を纏う彼らこそ従騎士や準騎士すら排し選ばれた聖騎士たちのみで構成されるオーランド王国最精鋭、聖騎士団の姿が其処にあった。


 それら聖騎士たちが一千名強……この様な寂れた鉱山には余りにも不釣合い……それは異様な光景……だが人が空を自由に翔ける生物であったならば直ぐにその理由には気づけたかも知れない……鉱山と隣接する巨大な渓谷……其処に鎮座する様に横たわるソレの存在を目撃したならば……。


 魔導戦艦『グレイスワール』。


 今は大陸に現存する残された二隻の戦艦級の一隻が渓谷の底に長大な船体を横たえ、その存在を誇示していた。


 「貴女の協力を得ねば此処までの修復は不可能でした、感謝しますよエリーゼ殿」


 「平和への貢献は魔法士の地位向上に繋がる大事……感謝など……」


 船底から『グレイスワール』の雄姿を見上げる男女の姿……男からの感謝の言葉に、女、エリーゼ・アウストリアはしおらしく、だが蕩ける様な妖しく美しい笑みで男に答える。


 「これからの大陸の空は我らオーランド王国の管理統制の元、更なる経済的な発展を遂げる事となるでしょう……そして遠からぬ未来、魔物が駆逐された平和な世の到来を貴女に此処で誓いましょう」


 まだ三十台後半であろうか、若さが残る上品な顔立ちの男、クリフォード・マクベス侯爵はエリーゼの眼前に跪き右手を取るとその手の甲に口付けをする。


 オーランド王国に置いてクルムド王家に次ぐ権力を有する三侯爵家……宰相であるオルセット、セント・バジルナの都督であるジルベルトといった当主たちが文才を示す中、今だ四十歳に届かぬ若き当主であるクリフォードは自身もまた聖騎士としての誉れを誇る武人であり、聖騎士団長として武門の頂点に君臨する傑物としてその名を知られていた。


 貴方たちだけに協力するなどと言った覚えはないのだけれどね、


 と騎士の礼を受ける優美な貴婦人然とした姿を見せながらもエリーゼは楽しくて堪らない、といった様子で内心でくすくす、と笑みを押し殺す。


 「エリーゼ殿の御提案通り、まずは大陸諸国に対してこのクレイスワールのお披露目を行おうかと考えています」


 「その様な機会に恵まれれば良いのですが……」


 と、それらしく表情を作るエリーゼにクリフォードは言葉を続ける。


 「丁度良い舞台が一つ……街一つ焦土と化す事にはなるでしょうが先の未来の為、大を生かす為に少を殺さねばならぬ事もある……苦渋の選択ではありますがそれも我ら貴族の務め」


 「ご立派な御覚悟で御座います……クリフォード様」


 感涙に咽ぶかの如く瞳を潤ませる今のエリーゼの姿をもしエレナが目撃していたならば、演技が過ぎる、と一言で断じていたであろうが、クリフォードの表情から察するにそれを見抜けているとは到底思えなかった。



 愚かな生き物たちよ……末世の舞台で踊り狂うと良いわ……そして証明して御覧なさい、あの子が語った箱舟に真実乗る価値のある生き物であるのかを。


 まるで嘲笑うかの様なエリーゼの囁きは風に溶け、隣に立つクリフォードにすら届くことは無かった。


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