185話


 日没を間近に控えるシャリアテ港は帰国の途に着く人々の姿で混雑を見せ、当日の船券を持つ者たちのみならず、最終便となる旅船の空席を求め集まった人々や、目的地を問わずシャリアテから出港する商船に搭乗しようと交渉をしている多くの者たちの姿で雑然とした様相を呈していた。


 それゆえにであろうか、商工会の建物に並ぶ列の中から時折聞こえる怒号や、船着場での揉め事などが各所で見られ、シャリアテ港は緊張感が漂う雰囲気に包まれている。

 

 それでも彼ら人々が度を越した行為や自制の効かぬ衝動的な行いに走らないのは、要所に配された完全武装の青銅騎士団の騎士たちの無言の圧力を肌で感じていたゆえある事は間違いない。


 これまで彼らが見てきた憲兵隊の者たちとは明らかに異なる統率の取れた行動や姿に、騎士たち一人ひとりが滲ませる気配は、彼らに冷静さを……いや、萎縮させるに十分な迫力と威圧感を与えていたのだ。



 こうした港の様子からも見られる通り、中央広場でのクラウディアの演説から半日と経たぬ現在、シャリアテの人々の反応は大きく三通りに別たれている。


 これまで低賃金で重労働を強いられてきた労働者たちを始め、働き口もなく貧困を抜け出す事が出来なかった貧民街の住民たちを中心とした低所得者層が熱狂的な支持を示す一方で、港での有様が現す通り、面倒事に巻き込まれる事を嫌う他国や直轄領からの観光客たちや、或る程度の財を持つ富裕層は泥舟から逃げ出す鼠が如くシャリアテから離れようとしている。


 そしてシャリアテでの住民権を得て安定した職に就いている大多数の人々と言えば、街角で酒場で、或るは家族と共に話題の中心として話し合われる内容は、支持派と懐疑派が半々と言ったところであろうか、今はまだ揺れ動く波の様に判断を保留する者たちが大半を占めていた。


 しかし共通の認識としてシャリアテを離れても他に行く宛てのない彼らはこの地に留まらざるを得ず、今の生活が保たれる事を願いながら固唾を呑んで動静を見守っている、というのが正直な見方であろうか。


 そんな三者三様といった住民たちの反応の中、シャリアテで商いを行っている土着の商人たちは別にして、大手の商会や貿易商たちはより冷静に事の推移を観察していた。



 色街の高級酒場の一つ、二階の個室を借り切って身なりの良い三人の男たちが酒を酌み交わしている。


 円卓を囲む男の一人の背後の窓からは夕闇に沈む通りの光景が垣間見え、通りを巡回している青銅騎士団の騎士たちの姿を映し出している。


 かなりの人数が動員されている事を窺わせるほどに頻繁に遭遇するそれら騎士たちの姿ゆえであろうか、夜間の外出に制限が掛けられていた訳ではないにも関わらず、通りを歩く人々の姿は疎らで、本来ならばそろそろ街頭に立っている筈の呼び込みの黒服や娼婦たちの姿は見られない。


 「どのくらい保てると思う?」


 「さてなあ……商工会や組合との交渉が上手く運んだとして……それでも精々三月……」


 男たちの話題の中心が多くの類に漏れず、と言っても良いのか、今回の独立騒動に関しての事柄で持ち切りになる事は仕方が無い事ではある。

 

 寧ろ今この話題に触れぬ方が不自然であり、酒の席とはいえ情報交換の場であるこの場所で、それは自然な流れと言うべきであったのかも知れない。


 商工会に加盟している商会の商人である彼らは独自の情報網を持つがゆえに、現在城内で話し合われているであろう、商工会と組合の代表者たちと評議会の間で行われている交渉の事実を既に掴んでいた。


 交渉の要請と言えば聞こえは良いが、あの場で出征式典に参加していた代表者たちにそれを拒否する選択肢が存在していたかどうかは甚だ疑わしく、男たちの表情には城内への同行を求められた彼らに対しての同情と、自分では無かった事への安堵が入り混じった複雑な感情が垣間見えたが、彼らに非が無い事柄でそれを責めるのは些か酷な話であろう。


 「ではこの街が潰れるまでその財を絞り尽くせるかはどうかは、商工会の腕の見せ所と言ったところか」


 「有利な条件をどの程度引き出せるか……だが」


 「我々は三大商会の御歴々の裾の影から甘い蜜を吸わせて頂くのが関の山ではあろうがな」


 他に人の気配の無い個室にも関わらず男たちは身を寄せて囁き合う。


 まるでまだ食卓にも上らぬ料理の取り分を決めるが如き男たちの会話は、その根底に王国からの離反を宣言したシャリアテに対して恐らく王国は武力に寄る制裁を行わないであろう、という予測を前提としている節がありありと感じ取れる。


 今の大陸で陸路を使っての制圧部隊……誅伐軍の派兵は考え難いが、セント・バジルナに大型の戦船を始めとする数多の軍船を保有する王国は、その気になれば数万規模の戦力を搭乗させた艦隊を編成する力を有している。


 しかしその編成とシャリアテの制圧に掛かるであろう莫大な戦費を考えても、現在十万人規模の遠征軍を内陸部へと派遣している王国が地方領の都市制圧の為だけにそれだけの負担を更に科すかと言われれば疑問符が付く。


 国の威信を揺るがせかねない地方領の離反など王国は絶対に許す筈もないが、もっと簡単にシャリアテを黙らせる手段があるとすれば、現状に置いて其方の選択肢を選ぶであろうと言うのがシャリアテの今後の見通しについて語り合う男たちの一致していた見解であった。


 国家反逆罪と騒乱罪の適用に基づく制裁措置としてのオルバラス地方への交易の禁止。


 国内全土に触れを出し他国に対して通達を回すだけで、貿易都市であるシャリアテは簡単に物流経路を絶たれ、最低限の食料資源すら自給出来ぬシャリアテは容易く干上がってしまう。


 勿論これまで蓄えてきた大量の物資の備蓄と莫大な財を持つシャリアテならば、厳重な海上封鎖でも行われぬ限り、商人たちのが持つ裏の経路でそれら物資を賄う事は出来る……しかしそれは緩やかな破滅へと、経済的な破綻へと至る病の様なモノ。


 男たちは最長でもシャリアテの命運は……行き着く破滅という名の結末まで三ヶ月程度であろう、と予測していたのだ。


 「所詮は剣しか振るえぬ馬鹿が見る夢……先を読めぬという事は恐ろしい事だ」


 「大方あの商売女にでも誑し込まれて要らぬ知恵でも吹き込まれたのであろうが、所詮浅ましい女の浅知恵……愚かしい事よ」


 口元を歪め嘲笑を浮かべる男たちに別の男が緊張した面持ちで周囲を見回し、その辺にしておけ、と制止する。


 恐れにも似た表情で顔を強張らす男に不審を抱いた男たちが問い質すと、迷った様子を暫し見せていた男は、此処だけの話、と念を押し明日のセント・バジルナ行きの商船に乗せる事を条件に憲兵隊員から聞き出した話の内容を語りだす。


 「今日の午後……憲兵隊の支部の執務室でバロッタ・ヘインズ男爵が変死したらしい……」


 「青銅騎士団の連中の仕業なのか?」


 「いや……青銅騎士団は憲兵隊の行動の規制はしていたが支部内の占拠までは行われてはいなかったらしい……」


 バロッタ・ヘインズ男爵はハイラム派の中でも強行派として知られる憲兵隊長の一人であり、ハイラムが失脚した現在においては憲兵隊の指揮権を束ねるであろう、と目されていた商業区画の支部長でもあった。


 そのバロッタが憲兵隊員に護られていた支部内で怪死するという前代未聞の事態を前に、青銅騎士団のこれ以上の介入を嫌った憲兵隊側が名誉の自決として内々に処理したというのだ。


 「これでバッフェルト男爵に次いで二人目か……」


 ハイラムの失脚の一件に巻き込まれた少女を不当に拘束した疑いで投獄されていたバッフェルト男爵が先日、その地下牢で不審死を遂げた事はまだ一般には公表されてはいない事実……。


 しかし青銅騎士団は身ずからの不手際を認め、正式に報告を上げていた為にその詳細は明らかになっている。


 その殺害方法は酷いもので、牢の鎖に繫がれたまま両手足の指を切断され、切り落とされた頭部には目や鼻、耳といった全ての器官が削り取られた拷問の痕が窺える無残な遺体の有様には流石の検視官たちも目を背けたほどだという。


 余りにも猟奇的な手口、犯行ゆえに青銅騎士たちによる私刑と噂されてはいたが、今となっては真相は深き霧の中、調査の継続も恐らくは弾劾される事すらないであろう、バッフェルトの死を悼む者は少なくともこの場には居ない。


 明日は我が身、と言う様に赤の他人の死に同情していられる程彼らとて余裕がある訳ではないのだから。


 ハイラムとオベリンの失脚にまつわる一連の騒動の顛末は自身も関わりを持っていたというセイル・ロダックから商工会に報告が齎され既に男たちも知っていた。


 弱者の救済と平等を謳いながら、平和を説くその裏で、評議会と対立する勢力の有力者たちが次々と謎の怪死を遂げていく……。


 男たちは口を閉ざし身を震わせながら、まるで其処に見えざる目や耳でもあるかの如く、しきりに周囲を気にする男たちがそれ以降この話題を口にする事はなかった。




 ほぼ同時刻、カラート商会の二階の客室でもエレナたちの間で同様の問答が行われていた。



 「条件の内容はともあれ、交渉自体が決裂する可能性は極めて低いと思われます……交渉が纏まり次第レイリオ様を含めた商工会の方々も無事に帰路に着けるだろうと言うのが大方の予想であると」


 「それじゃあ、クレストさんの帰りが予定より遅れているのも異変に巻き込まれた訳ではなくて、中央区画での混雑で馬車が立ち往生している、と?」


 「はい、ほぼそれは間違いないかと」


 集められるだけの情報を収集した末のアイラの結論に、エレナは僅かに安堵の吐息を洩らす。


 「レイリオ様が戻られ次第、皆様方は早急にセント・バジルナまで避難なされて下さい、船は此方の方で手配致しますので」


 シャリアテから離れる者たちの規制は現在行われてはいなかったが、王国側が近海の封鎖に踏み切れば簡単にはシャリアテから離れ難くなる……その前にレイリオやエレナたちをセント・バジルナへと避難させようとアイラは考えていた。


 「アイラさんは?」


 「私は『フィアル・ロゼ』の支配人としての職務を全うしようかと……この街にはまだ多くの商機が残されていますので」


 アイラの言葉の意味を察したエレナの表情が曇っていく。


 商人たちは計算高いゆえに機に敏く、客観的により現実的に物事を捉えているのだろう……だがエレナは知ってる、国と云うモノの本質を、それがどれ程に醜く恐ろしい生き物であるのかという事を。


 悪しき前例を残す事になる自国内の都市の反乱に王国がどう対処するか……都市や街単位での自治独立など、感染し広まりを見せれば王国の支配体制を脅かすこの病巣をどう切除するか……その処置の方法を、己の手でそれを行ってきたエレナは誰よりも良く知っていた。


 ――――子供たちの……懇願し助けを求める女たちの悲鳴がエレナの脳裏に木霊し……並べられ跪かされたまま首を刎ねられていく煉獄の光景が焼け落ちていく街並みと共に克明に蘇ってくる……その手を、その剣を血で染め上げ、積み上げられていく骸たちの虚ろな瞳に映る己の姿を目にしたエレナの意識は過去へと飲み込まれていく。


 それは強烈な過去視。


 エレナの異変に気づいたアニエスの指が動きかけ――――瞬間、自分の唇を噛み切るほどに強く結び、エレナは奔る痛みを認識する事で己の意識を現実へと引き戻す。


 エレナの唇から流れる血が滴り床へと落ちる。


 束の間の静寂……アニエスもアイラもエレナの姿を見つめたまま動けず――――そして徐に部屋の扉が開かれる。


 室内へと姿を見せたクレストと老人の視線は中心に立つ少女へと移り行き、視界に移すエレナの姿に老人は目を見開き身を僅かに強張らせた。


 老人、フルブライト・エクオースは目の前に立つ少女、カテリーナ・エレアノールの姿を前に千々に乱れる胸中で感慨にも似た思いに囚われる。


 これが因果の定めというモノなのか、と。

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