184話
「レイリオは……レイリオは無事なんですか?」
開口一番投げ掛けられたエレナの声に動揺を見せながらも平静を保とうと努めていたアイラは、分かりません、とだけ首を横に振る。
「一報として齎されたのはグランデル子爵の独立宣言と……武力による言論の統制や行動の制限は行わないとした声明だけでしたので……」
寝耳に水であったのはアイラとてエレナたちと同様で、直ぐに真偽の確認と情報を集める為に商会の者たちを街内に走らせてはいたが、現時点では商工会の一員として出征式典に参加しているレイリオの安否は不明であるとしか言い様が無かったのだ。
「大層、御立派なお言葉だけど何処まで信に置けるかは疑わしいものね」
と、アニエスは信用するに足りぬ、と一笑に付す。
この段に至り青銅騎士団がシャリアテ港と商業区画の警備任務に就いていた事が偶然などとは考え難い以上、恐らくは既に商工会や組合、協会や魔導船の発着場を始めとした主要施設は青銅騎士団が掌握している可能性が高い。
例えそれが戦術的に都市制圧の常套手段であったとしても、胸元に刃を突き付けられて、危害を加えるつもりはない、などと言われても安心出来る者が居る筈もない。
窓の外、屋外へと意識を向けるアニエスの耳には今だ緊張を孕んだ気配や異変を知らせる街の喧騒は聞こえては来なかったが、まだグランデル子爵の宣言が街中に広がってはいないのであろう、今の段階では今後どの様な事態に発展していくのかはアニエスでも読み切る事は難しい。
「流石に商工会の人間たちに手を出す愚は冒さないと思いたいのですが……」
慎重なアイラにしては多分に願望を含んだ口ぶりに自身でも納得していないのだろう、その表情を曇らせている。
商人たちを敵に回せばグランデル子爵はシャリアテを支えて来た経済的な基盤を失うことになる……支配体制がどう変わろうが商工会と組合が健在ならば都市機能は保たれる……しかしその逆は有り得ない。
グランデル子爵がシャリアテの発展を支えて来た彼らと真っ向から対立する様な行為に及ぶとは考え難いが、それでも中央広場でもし民衆の暴動でも起きれば、グランデル子爵の意思はどうあれ武力による鎮圧は避けられないだろう。
そうなればその混乱の中、レイリオの身に危険が迫る可能性は十分に考えられた。
「憲兵隊がどう動くかだけど、中央広場で武力衝突が起きている可能性はないんですか、アイラさん」
「ない……とは言えませんが仮に起きているのなら最初の一報で報告が届いていると思います」
「真っ向からぶつかっても騎士団相手に勝ち目がない事くらい彼らにも分かる筈よ、それにエレナ……貴女を巡る一件で領主派もハイラム派も力を失っている今の状況で彼らにまともな反抗が出来るとは思えないわね」
ハイラム派の貴族たちが大勢を占める憲兵隊が王国からの離反など、貴族制の廃止など認められる筈もないであろうが、主であるハイラム・マーモットは既にグランデル子爵の指示の下、青銅騎士団に拘束されている。
同様に領主派である赤銅騎士団はシャリアテを離れ、領主オベリン・シャウールもグランデル子爵の手の内となれば自ずと彼らの行動には制限が掛かり、少なくとも迂闊な行為は控えるであろう事は容易に想像出来た。
現在のシャリアテで青銅騎士団に対抗出来るだけの力を有する組織は、多くの傭兵たちを動かす力を持つ協会だけであろうが、王国の権威の中ですら独立した権限を持ち、原則中立をお題目に掲げる協会が性急に何かしらの行動を起こすとは考え難い。
王国の内紛に干渉する事に益など無いだろう協会が矢面に立つことを嫌い、少なくとも当面は事態を静観する構えを見せるだろう、とアニエスは考えていた。
「まずは情報を集めクレストさんの帰りを待とう、もしレイリオの身に危険が迫っているのなら必ず救い出す……でも私たちが下手に動く事で火種を作り出してしまう危険もある」
こうなるとエレナが巻き込まれたオベリンとハイラムの失脚に繋がった一連の事件自体が始めから全て計画されていた可能性すらある。
そうではないとしても今のエレナは青銅騎士団の庇護下にあり、事件に関わったエレナたちの動向には注意を払っているだろう事は間違いない。
そんな自分たちが不用意に動けば要らぬ騒動を引き起こしてしまう恐れは捨てきれず、それが大きな暴動の引き金にならないとも限らない。
ゆえに慎重に物事を進めねばならない。
エレナは壁に立て掛けられていた双剣の下へと歩みを寄せ……伸ばしたその手が鞘を掴む。
「アニエス、アイラさん……私に力を貸して欲しい」
振り向くエレナの黒い瞳にはもう迷いの色は見られなかった。
――――静寂。
中央広場に集まる数万人を越えるであろう、人々の視線がグレゴリウスの隣へと姿を見せた壇上の女性へと釘付けになっていた。
彼女の姿が目に届く人々は息を呑みその姿を追い続け、朧げに彼女の輪郭だけを映す後方の人々は作り出された沈黙に抗う術を持たず口を閉ざす。
老若男女……集まる全ての者たちの目を惹き付けずにはおかぬ存在感を示し女性、クラウディア・メイズは集まる人々一人ひとりに語り掛ける様に、問い掛ける様に顔を巡らせる。
「人は生れ落ちてから既に平等ではありません」
透き通る様なクラウディアの声は大気へと浸透し、語られる言霊と共に人々の耳元へと響き渡る。
「果たしてそれは真実なのでしょうか……誰がそう決めたのでしょう、そう定めたのでしょう……人間の可能性を閉ざし未来を殺す……その様な偽りの幻想を私は否定します」
クラウディアの真摯な想いは風に乗り、中央広場を吹き抜けていく。
「人間は誰もが等しく生きる権利を、幸福を求める権利を、そして自由を得る権利を持つのです……しかし長き歴史の中、多くの為政者たちの力による圧政で人々の尊厳は踏みにじられ続けてきました」
貧困、差別、格差……その全てを生み出してきたのは貴族たちが都合良く改竄してきた歪んだ歴史なのだとクラウディアは訴える。
「争いの絶えぬ世は魔物を生み出し、多くの犠牲と悲しみを今尚生み出し続けています……しかし……いえ、だからこそ、人が相争う時代が終わりを告げた今、私たちは災厄の悲劇から学び変わらねばなりません」
犠牲となり死んでいた者たちに報いる為に、次の世を生きる子供たちに同じ悲しみと痛みを背負わせぬ為に……流した涙と悲しみの数だけ人は変わって往けるのだとクラウディアは人々に説き続ける。
「自由都市エラル・エデルは求める全ての人々を迎え入れしょう、国に寄らず人種に寄らず、貧しき者たちには平等に働ける機会を、支配ではない人々に寄る統治を約束します……どうか皆様の力をお貸しください、そしてこの都市から共に始めましょう」
虐げられ涙する者の無き世の始まりを……差別なき、争い無き世を作るために。
「エラル・エデル評議会を代表して私クラウディア・メイズが宣言します」
人間は等しく平等であると。
口を閉ざしたクラウディアの眼前に広がる人々の姿……静寂という名の少なからぬ時間を経てざわめきは波紋の様に広場全体へと広がり、やがて堰を切ったような大歓声が沸き上がり中央広場を包み込む。
貧民街に住む者たちは地に伏し涙し、貴族たちへの不満を持つ者たちは熱に浮かされたが如くクラウディアの名を叫び、魔物への恐怖、時代への不安を抱える者たちはその熱狂に吞み込まれ未来への希望を見る。
青銅騎士団の騎士たちに規制され遠巻きにその様子を眺める事しが出来ずにいた憲兵隊員たちや、既得権益を持つ者たちはクラウディアの姿を忌々しそうに眺めるが、この熱気と歓声の中、彼らに出来る事は何もなかった。
この日、司法議会を解散させ新たに設立されたグレゴリウスを議長とする評議会は新たなる自由民の登録制度の実施を公布し、同時にこの地を去る者の退去を認めた。
波乱に満ちたクラウディアとグレゴリウスの王国への反抗は、大きな波乱を含みながらも驚く程に血を流す事なく成就を見る。
しかし新たな幕開けを迎えた新生エラル・エデルが辿るであろう道程は困難を極め、その渦中にあるエレナを巻き込む騒動の顛末は遥かな先、まだまだ終わる気配は見られない。
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