182話


 シャリアテの街は熱狂に包まれていた。


 港を基点に東西に広がる街並みを貫く様に整備されている中央大通りの車道を、武装した騎士たちが規律正しく行軍している。


 その騎士たちの勇姿を一目見ようと押し寄せた人々の群れが車道に劣らず幅広い二つの歩道を埋め尽くし、今中央大通りは移動する事すら困難な……まさに足の踏み場も無い、といった様相を呈していた。


 騎士たちが行軍している遥か先に見える正門に至るまで人々の長蛇の列は続き、時ならぬこの大混雑に全ての支部から動員され対応に当たっていた憲兵隊員たちは大通り周辺への民衆の立ち入りに制限を掛ける交通規制にまで踏み切り、混乱の抑制に神経を擦り減らせていた。


 しかしこれだけの数の人間たちが集まれば其処で少なからず発生する揉め事や混乱を完全の抑える事など出来様筈もなく、終始その対応に追われ、駆けずり回る事とはなってはいたが、その努力の賜物であろうか、車道を行進する騎士たちの足を止めようとする様な不埒者や大きな問題行動を起こす者の姿は見られず、壮麗な騎士たちの行軍は続いている。

 

 今回の派兵に動員された赤銅騎士団は全大隊合わせ一万にも上り、歩道の民衆たち同様、車道の先頭を進む騎兵と最後尾の歩兵との間にはかなりの開きが見られる中で、彼ら赤銅騎士団の騎士たち全てが正門を抜けるまでにはまだまだ長い時を必要としていた。



 立ち入りが規制されている中央通り周辺以外でも、中央区画の繁華街は何処も人々の姿で溢れ返るほどの賑わいを見せ、立ち並ぶ通りの酒場などは昼前だというのに既に満席の店もちらほらと見られる。


 商会の商店が少ない広場付近の通りなどでは臨時に開かれた露店などが軒を連らね、足を止める人々と通行人たちの間でちょっとした揉め事が生じるほどに見渡す限りの人の群れと、普段は比較的静かな広場にも多くの人々集まっている光景は、今シャリアテに住む人々が如何にこの中央区画に集中しているのかを窺わせる象徴的な光景となっていると言っても過言ではない。


 そんな人込みを避ける様に、一人の女性が広場に設置されている複数人が座れる長い石造の長椅子に腰を下ろし、しきりに辺りを見渡している姿は一見して待ち人を探しているといった様子が見られる。


 「不味いなぁ……完全にはぐれちゃいましたね……」


 トリシアは行動を共にしていたレオニールの姿を探し求めて視線を彷徨わせるが、大勢の人々の人垣の中、探し人の姿は見つけられない。


 下手に動き回るより、と思いその場から余り離れず待ってはいたものの、待ち始めてからそろそろ半刻近く……流石にトリシアの顔にも疲れと諦めの色が色濃く表れ出していた。


 やっぱり無理ですよねぇ……とトリシアは大きく肩を落とし溜息をつく。


 それはこの混雑の中ではぐれてしまったレオニールと合流する難しさに、という意味合いと共にエレナ・ロゼという名の女傭兵を探すという本来の目的への諦めが多分に含まれていた。


 既にもう一週間以上、自分が知る伝手の全てを使い聞き込みを続けても、レオニールと二人、共に訪れた商工会や組合で話を聞いてもエレナ・ロゼの所在処か名を知る者とすら出会うことが出来ず、何より絶望的であったのは傭兵たちが広く集う協会でも同様の結果であったという事……。


 何らの進展も見られぬ、まるで袋小路に迷い込んだ様なこの状況に此処まで敢えて口には出さず隠してきた感情がトリシアの中でむくり、と首を擡げて来る。


 正直もう無理だろう……はっきり言ってもう八方塞がり……万策尽きている、と。


 先程まで傍らを歩いていた筈のレオニールを見失ってしまうほどにこの街は広く人も多い……。


 彼らの住むトルーセンという街の規模は知らないが、恐らくこのシャリアテの半分……いや、それ以下の小さな港街と同じ感覚で宛ても無く人探しを続けても見つけられる訳がない……。

 名前と身体的特徴だけで簡単に個人を見つけられるほど、二十万人を超える人々が住むこの大都市は狭くはない、という現実をトリシアは改めて思い知っていた。


 しかしトリシアは始めからこの結果が予想外であった訳ではない。


 金の為、身の安全の為に口にはしてこなかったが、レオニールたちの認識の甘さ……これまで求めれば全てを与えられてきたのだろう、貴族ゆえの、恵まれて育ってきた者の無知さゆえだろう、彼らは余りにも世間というもを知らな過ぎる。


 そもそも何故、大陸に遍く知られる英雄の名でもあるまいし、一介の傭兵でしかない少女の……エレナ・ロゼの名を出せば誰かが知っているなどという根拠すらない自信を抱いていたのだろうか、と今更ながらトリシアは不思議でならない。


 二人からエレナ・ロゼが人目を惹く美しい少女とは聞いてはいたが、多少目鼻立ちが整った美しい女など色街にでも行けば通りの道端で見つけられる。


 シャリアテとはそういう街である。


 直接目にした事こそ無いが、行く先々で噂に上る色街の二大美姫クラウディア・メイズやエリーゼ・アウストリアの様に隔絶した美しさでも誇らぬ限りシャリアテでは美女そのものが珍しい存在ではないのだ。


 エレナという少女が若く、しかも女の傭兵という珍しさに加え、多少なりと整った容姿をしていた為にレオニールたちは思い違いをしていたのだろうが、小さな港街で褒め称えられる程度の美しさではシャリアテでは通用しない。


 淡い幻想が打ち砕かれた若者たちには可哀相だがこれが厳しい現実というものだ。


 と、己自身まだ十代の若者である筈のトリシアは妙に大人ぶった、知った様子で何度も頷く。


 「探したぜ、トリシアちゃーん」


 不意に背後から肩を捕まれ、最も聞きたくないその声の主を想像し、恐る恐る振り返るトリシアの視界にベネル・ギーレの姿が映り、見る見るトリシアの表情が青ざめていく。


 「ど……どうも……」


 動揺したトリシアは思わずベネルにそんな間の抜けた返事を返してしまう。


 偶然にしては不自然過ぎる最悪の邂逅にトリシアは椅子から腰を浮かし掛け……肩に置かれているベネルの手が加えてくる圧力と……新たに現れた『三叉の矛』の傭兵らしき男たちが自分の両隣に座る姿を目にしたトリシアは諦めた様に大人しくまた椅子に座り直す。


 「あ……あの、逃げた訳じゃないんですよ、お金を返す為に少しその……出稼ぎに……」


 連絡はしようと思っていた、とトリシアが言葉を続ける前に、残るベネルの腕が動き――――殴られる、と身を固くしたトリシアの肩をぽんぽん、と軽く叩く。


 「だよな、俺は信じてたぜ、お前はそういう女じゃねえってな」


 ベネルは機嫌が良さそうな顔をトリシアに向け笑う。


 ベネル・ギーレという男との付き合いの長いトリシアには、この頭がおかしい……狂犬の様な男が見せる薄気味悪い、不気味なほど上機嫌な様子を前に背筋が寒くなるほどの悪寒を覚える。


 「これでも反省してるんだぜ、お前さんや爺さんに無理をさせちまってるんじゃないかってよ」


 「は……はあ……」


 「考えて見れば利息も高すぎたよな……だからよ、これまでの利息分で借金はちゃらにしてやるよ」


 信じられないベネルの言葉にトリシアの不安は頂点にまで達し、無意識に何処かに居る筈のレオニールの姿を探して忙しなく視線を彷徨わせてしまう。


 「連れの兄さんなら暫くは戻らないんじゃねえかな、多分な」


 トリシアの様子から何かを感じとったのだろう、ベネルの一言でトリシアの疑念は確信へと変わる。


 最初から自分は付けられていたのだ……。


 完全に油断していた、とトリシアは今更ながら後悔する。

 

 三叉の矛の様な頭数を揃えただけの傭兵団に、自分たちの居場所を突き止められるだけの情報収集能力や、ましてこの人が溢れる繁華街で自分を捕獲する為の計画を立てられるだけの頭が回る人間が居るなどとはトリシアは思いもよらなかったのだ。


 「でよ、そんな優しい俺からのお願いなんだけどな」


 そら来た、とトリシアは愛想笑いをベネルに向けたまま内心身構える。


 「難しい話じゃねえよ、其処に止まっている馬車の御人に会って話を聞いてくれるだけでいい」


 ああそうか……自分は娼館ではなく、金持ちの変態に売られるのか……。


 と、自分の行く末を悟るトリシア。


 聞いてくれるよな、と顔を寄せ耳元で囁くベネルにトリシアは頷くしかなかった。



 広場の裏手の通りとはいえ、昼日中の祭りが如き喧騒に包まれている繁華街は裏通りであっても人の姿は多く、道の端に止まる馬車の手前で待つトリシアの周囲もまた、裏路地に見られる物騒な雰囲気などはまるで感じられない。

 

 暗澹たる思いに落ち込むトリシアの耳に馬車の窓を挟み中の人物と話をしているのだろう、ベネルの声が届き視界に映るベネルが幾度となく頭を下げいる姿に、これまで一度として見た事がないベネルのそんな姿に、トリシアは馬車の中の人物が相当な大物なのを察してごくり、と喉を鳴らす。


 やがてベネルに手招きで呼ばれたトリシアは、自分が逃げぬように背後に立つ男たちの無言の圧力に押される様にベネルの傍へと、馬車の隣へと歩みを寄せる。


 「それじゃあ旦那、失礼します」


 と、最後に馬車に向かいもう一度頭を下げ離れていくベネルの姿と前後する様に馬車の扉が開かれ……トリシアは一瞬躊躇うが覚悟を決めて馬車へと乗り込む。



 「し…失礼します」


 緊張した声を出してしまうトリシアの視線の先、貧民街の女を金で買おうなどという変態の姿は……想像とは掛け離れた紳士的な初老の男性の姿をしていた。


 「トリシア・エインズワース様ですね、この様な失礼な方法でお呼び立てしてしまった事、大変申し訳なく思っています」


 上位貴族の執事や家令と言われても違和感を覚えぬ上品な雰囲気を漂わせる、黒い燕尾服の初老の男性はトリシアに頭を下げ、次々に自分を襲うこの予期せぬ展開に混乱していたトリシアは呆けた表情で自分でも良く分からぬうちに頷いていた。


 「火急に魔法士としてのトリシア様にお願いしたき依頼が御座いまして、取り急ぎ無礼とは承知でこの様な方法を取らせて頂きました」


 「お仕事ですか……?」


 魔法士としての仕事と聞きトリシアが安心したか、と言えばそんな筈もなく、魔法士の協力を必要とする仕事があるのならば協会を通じて依頼すれば良いのだ……それを態々協会に属さない、それも貧民街の人間に依頼する事自体、訳ありのきな臭い話に決まっている。


 金持ちの変態に玩具にされるのはごめんだが、さりとて身の危険……より差し迫った命の危険が伴うのは寧ろ此方の話だろう、とトリシアは背中に冷や汗を滲ませながら生唾を飲み込む。


 「詳しい事情はこの場ではお話できかねますが、差し当たりこれを」


 と初老の紳士は懐から小さな紙に包まれた何かを取り出しトリシアへと手渡す。


 余りにも自然な動作で差し出された為に思わす受け取ってしまったソレにトリシアは視線を落とす。


 包まれた紙の合間に見える黄金色の輝き……手の平に伝わる確かな重みに、トリシアはこの状況を束の間忘れ、手にした金貨に魅入られたかの様に瞳を輝かせる。


 「報酬は金貨三枚、それは前金としてどうぞお納めください」


 「ききっ……金貨ですか……」


 破格すぎるその報酬額にトリシアは目を丸くし……そしてはた、と天恵の様に妙案を思いつく。


 トリシアとて馬鹿ではない……馬車の窓の外、視界の隅には今だベネルたちの姿があり、初老の紳士の言葉は一見、此方に選択肢がある様に思わせてはいるがその実、断る選択肢などは存在していないのだ。


 此処で申し出を断り馬車を降りてもこの初老の紳士は手荒な真似はしないであろう、という確信がトリシアにはある。


 多くの苦い経験から実地で処世術を学んできた来たトリシアだからこそ、目の前の初老の紳士が身に纏う品格や品位が、肌で感じ取れる気配そのものが、決して紛い物の赤石などでは無く本物の玉石である事が理解出来る。


 しかし同時に自分の身の安全がこの紳士によって保たれている事を、護られているだと言う事を忘れてはならない。


 ゆえに今馬車を降りるという選択はその保護を失うのと同義であり、関係が解消されて尚、その後の成り行きにまでこの紳士がトリシアに助力を、介添えをしてくれると期待する方が馬鹿な話であると言える。


 面目を潰され恥を掻かされたべネルたちを相手に自分が辿るであろう末路を考えれば、此処で馬車を降りるなどは自殺行為以外の何物でもない。


 少し考えを巡らせれば赤子でも理解出来よう……この状況自体が最早詰んでいるのだという事に。


 ゆえにこそトリシアは穏やかな眼差しで自分を見つめる紳士の姿にこそ言い知れぬ恐れを抱く。


 周到に此方が断れぬ状況を作り出してから、仕方がないと相手が諦める、いや、諦めさせる口実を、逃げ道を与える交渉術に、強かなそのやり様に。


 「私は今ある貴族様からの仕事を請け負っている身でして……ですので良ければ暇な……ごほんっ……高名な魔法士を紹介します」


 「フルブライト・エクオース様ですね」


 疑問すら差し挟まず返された初老の紳士の言葉に、自分たちの事を全て調べ尽くしていることを窺わせる紳士の姿に、トリシアは改めて全身に嫌な汗を滲ませながら小さく頷く。


 トリシアの意図を始めから察していた様に、ではお迎えに参りましょう、と初老の紳士が御者に合図を送ると行き先すら告げていないにも関わらず馬車が走り出す。


 そんな光景を前にトリシアは心の中で両手を合わせていた。


 師匠……私を恨まないで下さいね、と。


 良心の呵責どころか金貨の為にあっさりと師匠の身を売った弟子は悪びれた様子すら見せず師匠の冥福を祈るのであった。


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