第146話


 ――――静寂。


 だが少女と異相の魔法士を中心に広がる、刺す様な、ひり付く様な空気は穏やかさとは程遠く、殺伐などと評すには余りにも生温い。

 耳鳴りを齎す程の異様な静けさの中、感情の篭らぬ瞳を魔法士の男に向けたまま、その口元に薄っすらと冷笑すら浮かべている少女の横顔を垣間見た少年たちはただ立ち尽くしていた。

 

 少女の前に居る魔法士の姿は、見間違う筈などないその異様な姿は、全ての元凶たる忌まわしき魔法士の姿……だがそれに気づいて尚、少女に警戒を呼び掛ける事すら出来ず、二人がその場を一歩も動くことが出来ぬのは、自分たちに背を向ける少女の小さき背から放たれている深遠の底が如く深く、底冷えする程に冷たい殺意が……彼らの中の本能的な恐れを呼び起こしていたからだ。


 彼らにとっては絶対に認め難い事ではあったが、この場において根源的な恐怖を呼び覚ます存在は、本能が激しく警鐘を鳴らす程に恐ろしき存在は、自分たちをこんな事態に巻き込んだ魔法士ではなく、自分たちを救い、護り導く少女の方であったのだ。


 二人の視線の先、僅かに覗く少女の横顔は変わらず美しい……しかしそれは二人が良く知るエレナ・ロゼという少女の姿ではない……見知らぬその少女の姿はまるで無慈悲なる冥府の女王、シャウラを思わせ……いや、その者といわれても疑わぬ程にどこまでも妖しく美しく……そして身が震える程に恐ろしい。


 「久しいな魔法士……だが次に出会えば必ず殺す……私の言葉、忘れた訳ではあるまい」


 「ああ……忘れる筈などあろうものか……我が盟友よ」


 ともすれば皮肉とも取れるアウグストの言葉に、だがエレナの黒き瞳からは一片の揺らぎすら垣間見ることは出来ない。


 感動の再会などと呼ぶにはほど遠く、因縁深き両者が今、人知れぬ深き森の中邂逅を果たす。


 「あの出会いからこれまで、我はそなたを見続けてきた……矛盾に満ちたその生き様を……狂気に塗れたその生き方を……なる程あの毒婦が執着するのも頷ける……その擬体に宿るそなたの在り様はまるであの女と生き写し……慈愛に溢れ、情深き故に数百万に及ぶベルサリアの民の命を奪い尽くした虐殺の女王……災厄の魔女カテリーナにの」


 余りにも唐突で……だがしかし、それは必然であったのだろう……両者を繋ぐ縁など他には何一つ無かったのだから……。

 

 アウグストは紡ぐ――――未曾有の災厄に隠された本当の真実を語ろう、と。


 まるで謎掛けの様なその告白に、だが驚天動地と呼べるであろうその独白に、刀身の刃先を向けたままのエレナに動きは見られない。微塵も揺るがぬアル・カラミスの刃先からはエレナの心情を伺い知ることは出来なかったが、動かぬエレナの姿にアウグストは言葉を続ける。


 「そなたは疑念を抱きはしなかったか? 三日で大国ベルサリアを滅ぼしたカテリーナが、世界の滅びを望んでいたとされる魔女が、何故直ぐに他の四大国に侵攻しなかったのかと……遠征軍などというものを結成させる程の時間的猶予を与えたのかと」

 

 アウグストの言う様に一個体ですら大陸を滅ぼし得るとされる特定位危険種を始め、万に届こうかという上級位危険種、そして中級位、下級位危険種を合わせれば数千万にまで及ぶ魔物たちを統べていた魔女カテリーナ。

 魔物という未知の生物に対する知識がまだ希薄であった災厄当初とは違い、現在の人間たちならばその規模が……当時においての魔物対人類の余りにも掛け離れた戦力差に抱く感情は例えて絶望であろうか。


 数日で大国ベルサリアを滅ぼした魔物たち……だがその後大きな動きを見せず、現在に至るまで中央域を離れぬ大半の魔物の行動に、その不可解なカテリーナの動向の意図に、現在に至る今も尚その真意が掴めずそれ故に後の有識者たちも又、災厄における最大の謎の一つとして幾つもの憶測と推察を含む持論を飛び交わせていた。

 だが異論なく一致している見解もまた存在する。

 中央域から溢れた魔物たちだけで大陸の総人口が半数にまで激減する程の壊滅的な打撃を各国は被っていたのだ……最盛期の四大国の軍事力すら遥かに凌ぐ圧倒的な戦力を背景にもしカテリーナにその意思があったのならば、各国は遠征軍を結成する暇すら与えられず容易く人類は滅亡していたであろうことは、多くの学者たちの中で疑い様の無い事実として認識されていた。


 「そもそも何故魔物などという生物が誕生した? 自然発生したなどと考えるなどそれこそ有り得ぬ話であろう……人の片鱗を窺わせる歪な身体……そなたとて覚えがある筈だ……災厄以前、動乱のただ中、大陸全土で魔法士たちが暗躍していた事実を……だがそなたは知らぬ……その中心には常にベルサリア王国の影が存在していたという事を……我ら魔法士とベルサリア王国には共通の――――」

 

 ――――刹那閃く銀閃がアウグストの言霊を断ち切る。


 無造作に放たれたアル・カラミスの一閃がアウグストの右肘の付け根から先を斬り飛ばし、跳ね上げられたアウグストの右腕が音を立てて地面へと落ちる。


 「囀るな、下郎」


 衝撃的なアウグストの独白を前に、だが見下ろすエレナの黒い瞳はまるで深遠の闇を思わせる程に暗く……深い。

 感情無き仮面にも似たエレナの表情……抵抗の意思無き者の腕を切り落とすなどエレナ・ロゼを知る者ならば想像すら出来ぬ姿であろう……だがアウグストは襲い来る激しい激痛の中表情を歪ませ笑う。


 「要らぬ口を聞くな……貴様は私にとって――――」


 刹那エレナの脳裏に浮かぶのは赤毛の青年の……妹の為に生き、そして死んで逝った友の姿。


 逡巡すら見せず、無慈悲なまでに淀みなくエレナの左手が奔り、エルマリュートの刀身がアウグストの首を刎ねる。無造作に払われた一刀により、歪な笑みを貼り付かせたままアウグストの頭部が宙を舞い、緩やかな放物線を描きながら、やがて地面へと落ちると数度転がり、左腕のみとなったぼろ雑巾の様な上半身もまた力無く仰向けに地面へと崩れ落ちた。


 ――――そなたの心が絶望に染まる時、その狂気が世界を殺す……我が忠告……夢忘れる事無かれ――――。


 瞬間、エレナの耳に届くアウグストの声。

 

 幻聴と言われれば信じたかも知れぬ程の刹那の囁き――――エレナの視線の先、地に落ちたアウグストの生首は微動だにすることは無く、歪な笑みを貼り付かせた口元が動いた気配はない。


 「事の真偽など今の私にはどうでも良い事……私にとっての大事は、貴様という存在をこの世界から消し去る事と知れ、貴様は黙って煉獄に沈め、お前にはそれが似合いの場所だ」


 そう……救世の騎士アインス・ベルトナーはもう居ない……ノートワールの地で仲間たちと共にその生涯を終えたのだ……だからこそ舞台の壇上から降りた今の自分には今更災厄の真実などに興味など無い。

 大陸の行く末を託すに足る多くの若者たちの存在を自分は知っている……ならば無力な自分が、去り行く自分が出来ることなどそう多くはない。

 だからこそ残された僅かな時間はせめて己の力とこの剣で……いや、許されるのならば己の信ずるままに、我侭に生きようと決めたのだ。


 小さく吐息を吐き、エレナは護るべき少年たちへと振り返る。


 そして気づいてしまう――――自分を見つめる少年たちの瞳の中に生まれた、今まで見られる事の無かった異質な色を……恐怖と恐れの色に。

 瞬き程の一瞬の間、エレナの黒い瞳が僅かに揺らぐ……だが次の瞬間にはまるで何事も無かったかの様に、少年たちを安心させるかの様にエレナは微笑んで見せる。

 だがそれは凛として咲き誇るエレナ・ロゼという花には似つかわしくない、何処か寂しげで儚い……そんな悲しげな微笑みであった。



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