第142話


 オルバラス地方、交易都市シャリアテ。

 推定人口十数万人、多くの商人や傭兵たち、そして国内のみならず各国から訪れる来訪者を加えれば二十万人を超えるであろうシャリアテはライズワース、セント・バジルナに次ぐ地方領最大の都市である。

 

 オルバラス地方とソラッソ地方に跨る様に外海へと繋がる大河メーデ・ナシル。

 大規模な河川工事により枝分かれした分流がシャリアテを包み込む様に流れ、都市全体を囲う二層の外壁と共に魔物の侵入を拒む自然の防壁を為している。

 大陸の東方海路において北部域の玄関口、中継拠点として東部域、南部域からの航路を渡る商船の寄港となるシャリアテは貿易港として賑わう湾岸部、そして各国からの来訪者たちを迎える一大歓楽街……湖の都として知られる都市中央部という異なる二つの顔を持ち、交易、観光と言う二つの経済基盤を有していた。


 大陸の各都市が日々抱える魔物の脅威、その中にあって三重の防御壁に守られるシャリアテは大陸の他の都市に比べ高い安全性を誇り、またライズワースの様に厳しい規制も高い関税も無いゆえに、その安定した物価や価格、また近隣に広がる豊かな森林部や美しい湖畔、そうした風光明媚な環境を比較的安全にまた安価に楽しめることで中流層の人々にも人気の高い都市としても有名であった。

 貿易と観光、二つの要素を内包した地方都市……それがシャリアテを、二つ星『ツイン・スター』の別称で国内外にその名を知られる由縁ともなっていた。


 そのシャリアテの湾岸部、網の目の様に伸びる通りの中でも賑わいを見せる大通りの一つにその建物はあった。

 改修工事の途中なのであろうか、建物の敷地内に幾台もの荷馬車が止まり体格の良い人工の男たちが荷台から木材などを建物の中へと運び込んでいる。

 商業区画の一角、通りを行き交う多くの人々の中、真新しい看板を掲げるその建物を前に足を止め興味深そうに眺める商人風の男たちの姿が見える。

 敵情視察、と呼べる程物々しいものではなかったが、新しい商売敵の登場を前に様子見と言った心持ちであったのかも知れない。


 改修工事で慌しい喧騒に包まれる建物の二階の廊下を一人の女性が歩いている。

 まだ二十代後半であろうか落ち着いた雰囲気を持つ肩まで伸びる亜麻色の髪が印象的な女性の名はアイラ・ホーデン。

 オーランド王国内で三店舗目となるガラート商会の支店、このフィアル・ロゼの支配人に就任した女性の姿であった。

 

 廊下の中頃、一つの扉の前に立ったアイラは失礼します、と控え目に声を掛け扉を開く。

 見事な調度品で飾られた室内に足を踏み入れたアイラはこれから自分が座ることになる支配人室の椅子に腰を下ろしている青年へと目を向ける。

 

 青年、レイリオ・ガラートはアイラに微笑み掛けると対面する様に置かれているソファーに座る様にとさり気なく勧め、アイラは主人の気遣いに一礼で返しソファーへと腰を下ろす。


 女性に女盛りがあるように、男性にも男盛りというものがあるのであろうか、とアイラは思う。

 それ程にアイラの視線の先、見上げたレイリオという青年の姿はとても魅力的で惚れ惚れとする艶やかな、心を惹かれるそんな絵になる姿であった。


 レイリオの商人らしからぬ貴族然とした風格とその涼しげな容貌は、裕福な環境で育ったという育ちの良さを窺わせる……育ちが良い、という表現は悪い意味で使われる事もままあるがレイリオの場合においては人を安心させる、信用を得易いという意味においても良い意味で、と付け加えた方が適当であろうか。


 オーランド王国に三店舗、そしてロザリア帝国、ファーレンガルト連邦にも支店を構える若き新鋭の大商人、近々ガラート商会の看板を下ろし完全に独立した自らの商会として新たな看板を掲げる意向を示している、自信と才覚に満ちたこの青年が女性の目から見て魅力的に映らぬ訳が無い。


 トアル・ロゼで共に働いていたアイラにはこの若き主人が以前、多くの女性たちと数多くの浮名で鳴らした優男であった事実も、また共に働いていたからこそ多くの美女たちに囲まれていたにも関わらずトアル・ロゼ時代、レイリオの周囲にまるで女性の影も、浮いた話の一つも無かったその理由もまた知っていた。


 「ご報告が二つ、専門の傭兵たちを雇い安否を確認させていますが今だ彼女たちの生存の確認は取れていないようです」


 そうか、と呟くレイリオの口調の平坦な響きに、アイラは主がどちらの女性に対しての報告なのかを正確に理解している事を察する。


 レイリオは中央域に渡るための布石の一つとして、オーランド王国内での実績を作るという名目で傭兵団としてオリヴィエたちをトルーセンで募集されていた内陸部の遠征軍に参加させていた。

 一見回り道をしている様にも思えるが各国共に中央域に立ち入る為にはその国の許可が必要となる為、最低でも傭兵団としてある程度の実績がどうしても必要であったのだ。

 協会を主体とした調査団が中央域に足を踏み入れるなど、定期的に行われるそうした活動を見ても傭兵団が中央域に渡ること自体にそこまで厳しい規制が掛けられている訳ではない。

 だがだからといってオーランド王国でいうならば、そうした裁量権を持つラテーヌ地方に駐屯する中央方面軍の総督府が、何の実績すらない傭兵団に簡単に許可を出すかと言えば否と言わざるを得ない。

 総督府に無許可で、という方法もないではなかったが後々の事を考えればレイリオとしてはその手段を取らせるのは避けねばならなかったのだ。

 オリヴィエたちが自国領ではなく王国領から中央域を目指している時点で、これが帝国の総意でないことくらいは容易く想像が出来る……ならば尚更一傭兵団に対する援助という形を崩す訳にはいかない……例えそれが建前であったとしてもだ。

 帝国やオリヴィエたちの思惑はどうあれガラート商会としては表立った、あくまでも王国の国法に反しない範囲の援助に留めることが必要であり、またそれが自己の保身にも繋がるとレイリオは考えていた。


 だがまさかこんな事態になろうとは流石のレイリオにも予想すら出来なかった。


 予想外の事態とはいえレイリオは自らが彼女たちを死地に向かわせた、という罪悪感を抱いていた……だが同時にオリヴィエたちが此処で命を落としてくれれば後腐れなく面倒事から開放されるという打算的な思いが無いと言われれば嘘になる。

 既に報酬の一部としてオデルトの口利きで幾つかの大きな商談を纏め商会として大きな利益を上げている……正直此処で彼女たちが不慮の事故で命を落としてくれれば、此方から契約を破棄した事にはならぬであろうし、多少遺恨を残すことになろうとこの押し付けられた面倒極まりない案件からは開放される。

 その為ならば事後処理の為、調停に動いてもらうことになる貴族たちに払うことになるであろう莫大な金銭すらレイリオは惜しいとは思わなかった。

 レイリオ・ガラートという青年は気の良い若者という側面と共に、商人として厳しくまた打算的な思考も同時に併せ持つ。それを冷酷と、冷徹と評するかは人それぞれの主観に寄る部分が大きいだろう。


 「引き続き内陸部の動静には注意を払って置くように、このシャリアテにまで脅威が及ぶことは無いとは思うけど、何事にしろ絶対などはないからね」


 「畏まりました」


 レイリオの言葉にアイラは慇懃に頭を下げる。

 

 とは言え当面ガラート商会として出来る事は限られていた。既にシャリアテでもこの問題に対して対策は講じられていたし、一商人でしかないレイリオに出来ることなど精々が臨時に徴収される費用の一部を負担する程度の援助くらいであったからだ。


 「それともう一つ、エレナ様に関しての事案ですが、手配していた傭兵の一団を乗せた船がセント・バジルナの港を発った模様です」


 エレナ、という名に反応しレイリオの表情が変わる。

 表情を曇らせ、何処か余裕の無いレイリオの変わりようはアイラにしても普段決して見る事の出来ぬ主らしからぬ姿であり、それだけにレイリオの動揺の大きさを窺わせた。


 「しかし……本当に宜しかったのですか、あの様な得体の知れぬ魔法士の言を信用なされるなど……」


 レイリオ様らしくありません、と続けるアイラの口が真っ直ぐ自分を見つめるレイリオの眼差しに気圧された様に閉ざされる。


 信用……信用などしてはいない……だがオリヴィエたちの協力者と名乗ったあの魔法士が言っていた事が仮に事実であったとしたら確認している時間的余裕などありはしない。

 虚言であったのならば寧ろその方がいい……だがもしエレナの窮地を前に手を拱いて間に合わなかったとしたら、その時は絶対に自分を許すことなど出来ないであろう。それを考えれば高々金貨数百枚の出費など安いものだ……いや例えそれが数千枚であったとしても自分は迷わなかったであろうとレイリオは思う。


 大陸一の商人になるという見果てぬ夢の先にこそエレナと歩む道がある。


 その事をレイリオは信じて疑わぬ。

 だからこそライズワースを旅立ったエレナの消息をレイリオは追わなかった。

 

 以前シェルンという少年は自分に言った……剣を握れぬ者ではエレナ・ロゼの隣には立てない、と。


 確かに今の自分がエレナの傍にいる事は出来ない……エレナもそんな事は絶対に望まないだろう。

 

 だが同じ道を歩めぬからといって違えた道がこの先も交わらぬと誰が言える……例え何十年掛かろうと絶対に己の野望を成し遂げる。そしていつの日にか必ずエレナを振り向かせて見せる……かつて二人で交わした約束を果たすのだ。


 だが今の自分ではエレナの為に出来る事などそれこそ限られている……だからこそ僅かでも出来る事があるのならレイリオに迷いなどあろう筈もなかった。

 

 「事の真偽など直ぐに分かる、それよりもトルーセンとの連絡は密に取り合い報告を欠かさぬように」


 レイリオの顔には先程まで僅かに見せていた動揺の色は最早ない。

 

 多くは黙して語らない……だがそんな姿が逆に秘めたレイリオの想いの深さの現れである様に思え、アイラは黙って頭を下げる。

 

 レイリオ・ガラートという青年はアイラにとって尊敬に値する申し分の無い主であった。

 年齢や性別に関わりなく、実力を認められさえすればこうして自分の様な者でも支店を任せて貰える……実力主義という言葉以上に厳しい競争の上に成り立ってはいたが、家柄や性別だけで全てが決まってしまう閉ざされた世界に比べれば遥かにやり甲斐があるというものだ。


 だからこそ、この主が其処まで惚れ込むエレナ・ロゼという少女にアイラは興味があった。

 トアル・ロゼ時代、エレナという少女に会った事のある者たちは皆口々にその美しい容姿を褒め称えていたが、そんな外見の美しさだけでレイリオ・ガラートが此処まで入れ込むなどそれこそ有り得ない、とアイラは思っている。

 アイラは期待していたのだ。

 エレナ・ロゼとの出会いは自分にとって更なる成長と飛躍の足掛かりとなるのではないか、と。

 

 まだ見ぬ少女を前にアイラは、是非一度会って見たいものね、と胸の内で呟いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る