第128話


 「なるほどね……さてどうしたもんかねえ」


 天幕の中にはマドックとカルヴィンの二人のみ。昼の日差しの照り返しで天幕内は蒸し暑く、カルヴィンからの報告を受けたマドックは一人だらだらと流れる汗を拭いながら大きな身体を揺らし鼻を掻く。

 付き合いの長いカルヴィンには見慣れた光景……妙に親父臭く、また端から見れば貴族にしては品格に欠けるこうしたマドックの仕草には覚えがあり、得てして何か言い難い、困った事案を抱えた時に見せる特有の行動の一つであった。


 「それで、もう糞ジジイには報告はしたのか」


 「そりゃあ勿論、いくら俺の主が大将だとはいってもその上の貴族様に事後報告って訳にはいかないでしょうに」


 呆れた様なカルヴィンの言葉にマドックは汗まみれの顔をこれ見よがしに歪ませる。

 マドックにとってオルセスという存在は反りが合わぬ、などという次元を超えてうっとおしい存在であり、さりとて政敵と呼ぶには家の格そのものが違い過ぎる何とも形容に難しい関係であったのだ。

 カルヴィンにしても事が自分たち従騎士団内で解決できる問題であるならば態々オルセスの耳に入れる様な真似はしたくはなかったが、内陸部の街道に向かった一千五百ものダラーシュ騎士団の分隊が壊滅したこの異常事態を流石に報告しない訳にはいかなかったのだ。


 「この事態を受けてあの糞ジジイがどう動くかなんぞは考えるまでもねえからな……まったく頭が痛てえよ……」


 マドックは大仰に頭を抱えて見せると、カルヴィンに報告に戻ったという傭兵団の者たちを呼ぶように声を掛ける。彼らには色々な意味で借りもある……だからこそこの先恐らく彼らの意には沿わぬ方向に動くであろう事態の説明だけはしてやるのがせめてもの……最低限の筋であるとマドックは考えたのだ。


 マドックの言葉を受け、一度天幕から姿を消したカルヴィンが再び天幕の内にと姿を見せ、連れ立ち天幕の入口を潜る二人の女の姿にマドックはあんぐり、と口を開いたまま固まる。

 カルヴィンからは事前に聞かされてはいたが、長身の女と小柄な少女……その姿を初めて目にしたマドックは年甲斐も無くその美しい二人の容姿に目を奪われていた。

 女の身でありながら傭兵という因果な稼業につく者は珍しく、マドック自身これまで女の傭兵などという者に出会った事が無かった。カルヴィンからは確かに見目の麗しい女たちだとは聞いてはいたが、正直話半分に思っていたこの二人の存在はマドックにとって衝撃的ですらあった。


 これほどの女……貴族の令嬢の中でも滅多にお目に掛かれねえぞ……。


 やや冷たさは感じさせるが切れ長の緑の瞳が印象的な妙齢の美女とそして……。


 戸惑いを見せるマドックの眼前でまだ幼さを残しながらも犯し難い処女性すら感じさせる可憐な少女はすっ、と跪く。そのまるで違和感の無い少女の所作に比べやや遅れて長身の美女もそれに倣うが、マドックに対して頭を下げる少女に比べ、頭すら垂れずそのままマドックの姿を見つめる長身の美女の緑の瞳にはマドックに対する敬意や尊敬の色などはまるで見られない。

 如何にマドックが貴族階級の中では上流とは呼べぬ下位の貴族であろうと王国から男爵位を賜る純然たる王国貴族である以上、本来ならば謁見の場において傭兵風情が許可なくその尊顔を拝す事など許されはしない。

 そうした通常の慣習から見てもこの長身の美女の行為は礼儀を知らぬと断罪されても仕方が無い無礼な行いではあったのだが、正直マドックはそんな顕示欲よりも自分の前に跪くことで顕わになった美女の豊かな胸元に……その二つの豊かな丘の谷間へとマドックの視線は釘付けになっていたのだ。

 ごくり、と知らず喉を鳴らすマドックの自分を眺めやる無粋な視線に長身の美女は繕う事なく不快そうにその美しい眉根を寄せる。


 「うおっほん……」


 一層冷たさを増す緑の瞳を目にしたマドックが我に返った様にその胸元から視線を外すと殊更大仰に、露骨な咳払いをついた。


 「我ら身分卑しき傭兵如きを直接招き、また帯剣すら許される寛大な御心とその懐の広さ、真に感謝の言葉も尽きませぬ、マリオン様」


 妙な流れに成り掛けた場の雰囲気を引き締める様に絶妙な間で天幕に響く少女の口上。顔を伏せたままの少女から紡がれる声音は凛として淀みなく涼やかな清涼感すら感じさせた。

 どう見ても十五、六にしか見えぬ少女から発せられた堂々とした口上に、その立ち振る舞いにマドックはまじまじと少女の姿を見つめる。

 自ら身分不確かな、などと言ってはいるが、恐らく……いや間違いなくこの少女は貴族の家系、少なくともそうした教育を受けた家柄の令嬢である事は疑いようもない。そうでなければこの歳でこれほど自然に宮廷の作法を、貴族を前に礼を示す事など如何に腕の立つ傭兵であろうと市井の者に、ただの街娘などには到底不可能であり見様見真似で身につくというものではなかったからだ。

 そう思えば思うほど、マドックはこの少女に対する興味を、湧き上がる好奇心を抑えるのに苦労する。

 この麗しく可憐な少女が何故傭兵などという因果な道を選択せねばならなかったのか、生い立ちから今この場に至るまでにどの様な道を歩んできたのか、その興味が尽きる事はない。

 だが……とマドックは気を引き締める様にもう一度咳払いして場の雰囲気を均す、少なくとも今この場に二人を呼び寄せたのはそうした自身の好奇心を満たす為ではなかったからだ。


 「エレナ殿とアニエス殿であったか、俺は堅苦しいのは苦手でな、楽にすると良い」


 この場で上座に座すマドックが地べたにそのまま胡坐をかく様に座り込むと、その側に控えていたカルヴィンもまたそれに倣う様に座り込む。

 その男たちの姿を前に長身の美女、アニエスは跪いたまま姿勢を変えぬ少女、エレナに視線を向けるが尚動かぬエレナの姿に自身は立ち上がり天幕の入り口近くへと男たちと距離を取るように下がる。


 「申し訳ありませんマリオン様、この様な場において殿方の前にどう座れば良いかも弁えておらぬ無作法者ゆえ、姿勢を崩さぬことどうか御容赦下さい」


 席が用意されているなら兎も角、男たちと同様に地面に直接座り込むなど一般的に見れば女の身では些か躊躇われる粗野な行為である。エレナだけでなくアニエスが座らず立っていたのもそうした慣習ゆえなのだが、勿論それは貴族であるマドックに対しての警戒心から……その言葉を額面通り受けとる事への用心からくる行為ではあった。


 「そうか、ならば問わぬ」


 エレナの言葉や態度にマドックは特に気分を害した風はなく、それどころか何処か満更でもない様子すら窺える。そのマドックの仕草に遠目から見つめるアニエスの瞳がやや鋭さを増し細まる。


 格式などに媚びている訳ではなく相手を尊重するという意味において頑ななまでに筋や道理を通そうとするエレナの姿勢は、エレナの真っ直ぐな在り方の一旦を現す欠点とは呼べぬ種の行為ではあったのだが、だからと言ってそれが異性であった場合、その男たち全てに感銘を与えるとはとても言い難い事も事実であった。

 エレナが示す一定の敬意は男たちの自尊心を擽るには十分であろうし、この可憐な少女が恭しく見せる所作全てがともすれば従順とも取られ男たちに邪な妄想を抱かせる事はアドラトルテでの一件で既に証明されている。


 「早速で済まなぬが時間も惜しいゆえ、本題に入らせて貰おう」


 マドックは其処まで言うと言葉を切りカルヴィンへと視線を送る。

 その目配せを受けたカルヴィンが恨みがましそうな視線をマドックへと返すが、マドックは素知らぬ顔でカルヴィンから顔を背ける。そんな主の様子にカルヴィンは、はあ、と小さく溜息をつくが仕方が無いとばかりにエレナとアニエスの方へと向き直った。


 「言い難いんですがね、端的に言って援軍は出せないって事らしいんですよ」


 ばつが悪そうに語るカルヴィンの言葉に顔を伏せたままのエレナの表情は窺えない。そしてアニエスにしてもその予想通りのカルヴィンの返答になんら表情を変える事はなかった。

 元よりアニエスにしても内陸部に派遣された部隊が壊滅している時点で新たな救援の部隊が編成されるとは考えてはいなかった。それは心情的な面は別においてもこの野営地に駐屯している千にも満たぬダラーシュ騎士団の構成では援軍の派遣など物理的な問題として難しい事は始めから分かっていた事であったからだ。


 内陸部から南下する魔物の数が不明な上に其処に上級位危険種の存在が確認されていると言うならば尚のこと、少なくともオルバラス地方方面に魔物が流れていくならば当面此方側には影響は少ない現状においてこの問題を先送りにしようという判断を下すだろう事は容易に想像できた。

 心情面は別にしてアニエスにしてもその判断が間違っているとは思わない。発端はどうあれ上級位危険種が絡む問題ならば王国や協会が対応しなければならぬ脅威であり、一従騎士団で対処できる限界をとうに超えている事は恐らくその未知の魔物と遭遇したであろう分隊の末路がそれを証明しているともいえる。


 「それでなんですがね……恐らく呼び寄せるだろうトルーセンに残した部隊の到着を待って我々は本隊と合流を目指す事になる……って事になりそうなんですよ」


 「事態の変動に対処出来ないから、トルーセンすら見捨ててさっさとセント・バジルナに帰りたい、とそういう事かしら……立派な騎士道精神だこと」


 現在トルーセンには自力で街を防衛出来る戦力は存在していない……つまり今ダラーシュ騎士団が街を離れれば単独での防衛が出来ぬ以上それは即ち丸裸で魔物の脅威に晒されるという事だ。

 裏を返せばトルーセンを見捨ててもジルベルトへの評価に影響を及ぼさぬ程に上級位危険種の存在はそれだけで免罪符に成り得る程の脅威という事なのだろう。


 辛辣なアニエスの皮肉にカルヴィンは苦笑を浮かべその口からは反論の言葉はない。事実その通りであるので返す言葉がないと言った方が正確であろうか。その様な事情からかマドックにしても渋い顔でその二人の遣り取りを眺めるだけで弁明する気も、またアニエスを叱責しようという様子も見られない。


 「前線で戦う騎士の方々に対して小娘如きが誹謗するなど分を弁えよアニエス」


 やや重苦しい空気が支配する天幕にエレナの声が響く。


 誰よりもこの騎士団の対応に憤りを感じている筈のエレナの言葉に、アニエスの隠し切れぬ驚きを宿した瞳が跪く少女へと向けられる。

 顔を伏せていたエレナが顔を上げ自分へと向ける眼差しにアニエスは思い出す。

 そう……自分とエレナでは思想面において騎士に対する絶対的な価値観が違うということに。


 アニエスにとって騎士とはアインス・ベルトナーの存在を筆頭に人々の希望となり、憧憬と尊敬の対象として有り続けねばならぬ者たちであると、少なくともそう勤めねばならぬ責務を負う者たちで在らねばならないと、その思いは今も変わらない。

 救世の騎士アインス・ベルトナーと宣託の騎士団。

 揺るがぬ意思と絶対的な力を行使し人々を救い導いた彼らの存在こそがアニエスにとって騎士としての理想の姿であり、アニエスの中で崇高な存在として在り続ける彼らと比べカルヴィンを始めダラーシュ騎士団の者たちに対するアニエスの評価が辛辣になる事は否めなかったのだ。


 「ご無礼の数々どうか御容赦下さい、またマリオン様のお心遣い感謝いたします」


 顔を上げマドックを見つめるエレナの瞳にはアニエスに見られる不穏な色は見られない。

 騎士として国に、主に仕える以上、個人の感情や思いがどうあれ全体の意思に従わねばならぬのは必定であり、またエレナ自身もそう生きてきた。だからこそマドックの心情は痛いほど理解できる……そして本来ならば伝える義務も責務もないにも関わらず自分たちに騎士団の内情を明かしたマドックの誠意に対しては寧ろ感謝の念すら抱いていたのだ。


 「往くのか」


 何処へ、とは聞かず立ち上がり退席の意思を示すエレナにマドックは短く言葉を掛ける。


 「騎士の方々が翳す剣が遍く照らす陽の光ならば我らの剣は儚い篝火のようなもの……しかし陽の光が届かぬ闇もまた御座いますれば、いずれは必ず差し込む日の輝きを待つ刹那の闇を、一時なれど小さな明かりを灯して回りたい……そんな愚かな思いゆえで御座います……どうか小娘の戯言とお笑い下さい」


 初めて見せた少女の笑顔の余りの純粋さに、真っ直ぐな瞳の輝きにマドックは眩しそうに僅かに目を細める。


 己の信ずるものの為だけに剣を振るう、か。


 その少女の在り様に、その姿にやがてマドックの口元が僅かに緩む。


 「カルヴィン、お前の中隊もお嬢さんたちと共にいきな」


 「大将、いいんですか? 」


 「なあに、糞ジジイ共には四の五の言わせねえよ、こっちは気にせず行って来い」


 まるで悪戯小僧の様に笑うマドックの姿にカルヴィンは苦笑を浮かべる。

 言い出したら聞かぬ、そんな人間臭い其処か子供じみたこの主を、いやそんな男だからこそ自分は気に入っているのだな、とカルヴィンはしみじみとそんな事を思い返す。


 「俺が居ないからって無茶して勝手に死なないで下さいよ」


 「阿呆か、死んでたまるかよ、縁起でもねえこと抜かすんじゃねえよ」


 凡そ主従の会話とは思えぬ二人の遣り取りをエレナはただ黙って見つめていた。今の二人の関係がかつての自分と重なりその瞳には懐かしさと共に哀愁にも似た淡い色を帯びるのであった。


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