第126話


 早朝にはダラーシュ騎士団の野営地を発ったエレナたち一行は街道の三叉路を北に、内陸部ラーゼンへと続く街道を進んでいた。エレナたちの馬車が進む先、平野に真っ直ぐに伸びる街道が終わりを見せる事なく続いている。この街道を半日程進むとラーゼンとオルバラス地方へそれぞれに分かれる分岐路へと辿り着く。エレナたちが次に目指すのはその分岐路までの街道の沈静化に向かったダラーシュ騎士団の野営地であった。


 災厄以前は大陸の公用路として人々が行き交っていたこの街道も今やエレナたちの馬車以外すれ違う人も馬車もなく、石畳の街道にも所々無数の亀裂が目立ちそれが一層寂れた印象を周囲に与えていた。


 馬車の御者台にはベルナディスが座り手綱を握ってはいたが、正直それは形だけであってこの二頭の馬には御者など必要としないことは此処まで旅を共にして来た事でベルナディスは気づいていた。

 主の意思と意向を汲み取る事に長けたこの二頭は大まかな指示を与えてやるだけで自らの判断で行動出来る聡い馬たちであった。この二頭ならば恐らく手綱など握らずとも道を違える事なく次の目的地であるダラーシュ騎士団の野営地まで辿り着ける筈だ。


 「態度には現さないけれどエレナの体調は恐らく余り良くはないわ、出来る事ならこのままオルバラス地方に抜けてしまいたいわね」


 不意に投げ掛ける様な、自問するかの様な女性の声に……隣に座るアニエスの言葉にベルナディスは少し考える様に瞳を伏せる。


 剣舞の宴で此処に居る者たちはそれぞれ大きな傷を負っている。ベルナディスを始め皆の傷も当然完治にはまだ程遠い。その中ではエレナが負っている怪我は軽傷の部類に属するものではあったのだが、言い方は悪いがエレナの身体は余りに脆弱であったのだ。

 今も先のヘイル・スロースとの戦いで負った脱臼の影響で発熱し馬車の中で休息を取っている。

 勿論エレナがその事で弱音を吐く事や態度に変化が現れる事はないが、鋼の様な精神力と強靭な意志の力だけでは身体の脆弱さが齎す生理的な負荷の全てを補える訳では無い事もまた事実であった。


 「エレナには……いいえ私たちにも休息は必要よベルナディス。万全の状態で望まなければノートワールまで辿り着く事さえ困難でしょう」


 ベルナディスにしては歯切れの悪い態度にアニエスは不審げに表情を曇らせる。

 中央域に入ってしまえば最早身体を満足に休める街や施設などは存在しなくなる。加えて出現する魔物も大半が中級位危険種以上と言われる中央域は人外の化け物たちが巣食う魔境なのだ。

 万全の状態で挑んで然るべき状況において無意識化の中時折見せる焦りにも似た感覚をエレナとベルナディスが共有しているようでその事がアニエスには不思議でならなかった。

 二人ほどの者が功に焦っているとは思えず……いやそもそもその様なものの為に剣を振るっている訳ではない二人が何故時間を惜しむ様な態度を時折見せるのかがどうしてもアニエスには理解出来ずにいたのだ。


 「ベルナディス――――」


 ガタリ、と僅かに馬車が揺れ、二頭が歩みを止めた事で生じた振動にアニエスは口を閉ざす。まるで伺いでも立てるかの様に御者台の二人に首を傾けるオルテガの姿に、アニエスの視線は馬車の進行方向へと移っていった。


 そのアニエスの視界の遥か先、街道沿いに幾つかの小さな黒点が映る。人間の視力ではまだ注視しなけえば気づかないその影に、二頭の馬たちは遥か手前でその魔物たちの気配を察して注意を促していたのだ。


 ベルナディスはオルテガの胴を摩る様に軽く叩くと、それを合図に二頭は再び歩みを進めだす。

 動き出す馬車……だが先程までとは二頭の気配は明らかに異なり、二頭が既に臨戦態勢に入っている事を示す様にその足取りは石畳を踏み抜かんばかりに強く重量感を感じさせた。


 馬車が進むにつれその黒点が明確な形を示していく。

 その黒い影の正体は三体のノー・フェイス。街道沿いだと思われたそれら個体の位置はやや街道から外れた平原にあり、馬車の進路を塞いではいない。

 先発したダラーシュ騎士団が討ち洩らしたのだろうか、それら個体を前にベルナディスは僅かに逡巡する。

 正直三体程度のノー・フェイスなど放置しておいても問題ではない。仮に此方に気づき追って来たとしてもこの二頭が本気で駆ければノー・フェイスなどに影すら踏ませぬであろう。

 だがベルナディスはアニエスに顔を向け、それを受けたアニエスが緩やかに歩みを進める馬車の御者台から身を躍らせる。一瞬アニエス長い金髪が宙に舞い上がり、次の瞬間には軽やかにアニエスの肢体が街道の石畳へと着地する。


 ベルナディスたちから見ればなんら脅威にも障害にすらならぬ魔物であっても、だからと言って放置する理由も見当たらなかった。

 今は封鎖されているであろうが、万が一にも商人たちの馬車の往来が無いとは言い切れず、それに直に後続のカルヴィンの中隊もこの街道を通過する事になるのだ。であるのならこの場で処理できる者が処理しておいた方が間違いは起きないだろう。

 最もこの様に判断したのは御者台に座っていたのがベルナディスとアニエスであったからであり、これがフェリクスとフィーゴであったならまた別な展開に発展していたであろう事は容易に推測できた。


 アニエスは着地と同時に石畳を蹴る様に駆ける。

 石畳の街道を外れ平原へと踏み入れたアニエスの膝下まであろうか、伸び放題の雑草が絡みついてくるがアニエスは構わず三体のノー・フェイスの下へと一気に間合いを詰めていく。

 伸ばされるアニエスの両腕、その両の指から放たれた鋼線が地を這うように扇状に展開してゆく。

 後背から急速に接近するアニエスに三体のノー・フェイスは緩慢な動きで身を蠢かせるが、振り返る能面の様な顔がアニエスを捉えた時には既にその距離五メートル。アニエスの絶対王域……その射程の範囲内にノー・フェイスたちは捕らわれてた。


 眼前で交差されるアニエスの両腕。

 刹那襲い掛かる鋼線が三体のノー・フェイスの四肢を、その頭部を切断する。見えざる刃に蹂躙され刻まれたノー・フェイスの身体が残骸となり血飛沫を上げて地面へと崩れ落ちる……しかしアニエスはその場を動こうとはせず美しい眉根を寄せ前方を見つめていた。


 最も接近したアニエスが始めにその異変に気づいたのだ。


 自分の接近に何故ノー・フェイスたちが直前まで反応しなかったのか……その答えがアニエスの眼前に広がっていた。臓物を撒き散らし四肢を切断されたノー・フェイスの残骸……だが明らかにそれとは異なるモノが其処には存在していた。


 ノー・フェイスたちは喰らっていたのだ……人間を。


 大半が喰らわれ、最早人の形を成さす残骸……先程まで喰らわれていたであろうそれらは数の判別すら難しいただの肉塊へと変わり果てている。しかしアニエスの前方には深い雑草で覆われた平原には数え切れぬ程の人間の死骸が散乱していた。その数は百や二百ではきかない。


 アニエスの視界の隅で街道を走っていた馬車が止まる。

 恐らくベルナディスも異変に気づいたのであろう、御者台からその身を躍らせる様に街道へと降り立っていた。それを目にしたアニエスが馬車の下へと戻ると、馬車が停車した事で異変を察したエレナたちも馬車から降り立ちそれぞれ平原へと視線を送っている。


 「あらら、これもう全滅してるよね」


 大げさに手を翳し平原を見つめるフィーゴ。

 深い雑草の為に一見遠目からは気づき難いが見渡す限りダラーシュ騎士団の騎士たちであろう死骸が平原を埋め尽くしていた。恐らくその数は千を軽く越える。


 「だが、これは一体どういう事だ……」


 ベルナディス声には自問にも似た響きが込められている。歴戦の騎士でもあったベルナディスにしてもこの状況は余りに理解の範疇を超えていた。


 魔物との戦闘で騎士団が壊滅したと言うならば別段不思議な話ではない。予想外の数、予測出来ぬ戦況など魔物との戦闘では当たり前に起こり得る事態であり、それが原因であるならば深刻な事態ではあったが此処まで驚く様な状況では決してない。

 だが彼らの死因は明らかにそうした魔物との戦闘によるものとは異なる。騎士たちの死体には明らかな矢傷と剣によるものと思える裂傷……これではまるで……。


 「派手に殺し合った、てとこか」


 フェリクスの言葉にベルナディスも、そしてエレナですら反論の言葉を口にすることは出来なかった。

 フェリクスの言う通りどう見ても互いに殺し合ったとしか思えぬこの状況では別の答えを導き出すには余りに情報量が少な過ぎた。


 内陸部の街道に山賊の類が現れるなどとは考え難い上に千を越える騎士団を壊滅させるだけの戦力を有しているなどと……最早想像するだけ馬鹿馬鹿しい話だ。なにより山賊の類が存在したとして騎士団を襲う理由が無い。

 従騎士団内での内輪揉めが原因と考えた方がまだ可能性はあったが、それでもこの状況下で騎士団全体が壊滅するほどの戦闘にまで発展するなど余りに現実味が無さ過ぎる。


 「エレナ、この手の魔物に心当たりはないか」


 残された選択肢……可能性があるとすればそうした呪いを持つ上級位危険種の存在だけである……ヘイル・スロースが出現したのであれば別の上級位危険種がこの地域に出現していたとしてもおかしな話ではない筈だ。


 ベルナディスの問い掛けに、まだ熱が引かぬのであろう汗が滲み赤みがかった顔でエレナはゆっくりと首を横に振る。

 この五人の中で間違いなく最も上級位危険種への造詣が深いであろうエレナが知らぬのであれば、存在しないか、かなり希少な種であろうことは間違いない。そしてその事がこの状況をより深刻な事態へと変貌させていた。

 この状況を作り上げたのが仮に魔物の仕業だとしたならば、この先遭遇した時点で恐ろしく勝算の低い戦いを挑まねばならなくなるからだ。

 上級位危険種が纏う呪いの類はその大半が初見殺しと言ってもいい。何の予備知識もなく挑むのは無謀以外のなにものでもないのだ。

 災厄初期、まだ協会も存在しない当時、数多の騎士たちが上級位危険種を相手にまるで太刀打ち出来なかったのはそうした情報が決定的に不足しその種の情報を共有出来なかった事が大きな原因の一つであったのは間違いない。

 そうした状況下で上級位危険種を討伐してきた宣託の騎士団の面々が如何に出鱈目な存在の集まりであったかは最早言うまでもないだろう。


 「一度野営地まで戻りましょう、このまま進んでも得られるものは少ないわ」


 内陸部の街道へと先発したダラーシュ騎士団がほぼ壊滅状態にあるなら、この先に進んでも其処に野営地が存在するかも分からない上に、仮に存在していても生存者が居ないのであれば危険を冒してまで進む価値は薄い。まして未知の魔物が存在するかも知れぬ以上、一旦引き返しこの状況を伝えた方が得策というものだろう。


 「アニエスの言う通り一度戻った方が良さそうだ、それにこれだけの死骸が散乱していては直に魔物も集まってこよう、我々だけで対処するには些か事態が大き過ぎるようだ」


 アニエスに賛同を示すベルナディスにエレナも頷く。

 その瞬間ルイーダが警告を発する様に短く嘶く。

 その嘶きに反応して一斉に街道の先へと目を向けるエレナたちの視界の先、点の様な影が土煙を上げて此方に向かってくる姿が映る。

 状況を考えてもそれは騎影であった。


 「まったくエレナとの旅は退屈だけはしないで済むぜ」


 フェリクスはその騎影を好戦的な瞳で追い、一人そう呟いていた。


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