第116話


 トルーセンの正門を騎馬たちが、武装した歩兵が足並みを揃え街道へと行軍していく。編成を終えたダラーシュ騎士団の部隊が順次街道を東へと東進を開始していた。

 それら騎士団の軍列を歓声と共に見送るトルーセンの住民たち。


 トルーセンに駐屯していたダラーシュ騎士団の使命は街道での激突が予想される本隊の支援の為にラーゼンへと続く街道を確保し、魔物の流れを分断する事にあった。

 だが当初予想されていたトルーセンを開放する為の人的被害が回避された事を受け、それら主任務と並行して街道を逆進し本隊と連携して魔物を挟撃する新たな作戦案が立案されていた。

 騎士団を失ったトルーセンの防衛の為に千騎、一個大隊規模の騎士団を残し四千もの騎士隊が今トルーセンの街から出立しようとしていた。


 そんな中魔物の襲撃から三日、エレナたちは今だトルーセンの街に滞在していた。

 中央域を目指し旅をするエレナたちが今だトルーセンに留まっている理由……それが今エレナたちの眼前に居る。


 「いやあ、無茶な依頼を受けて貰って本当に感謝ですわ 姉さん方」


 酒場に響く男の声は話の内容に似合わぬ軽い感じの響きを帯びて、何も知らぬ周囲の者たちにはそのテーブルで交わされている会話は、気軽いただの世間話と受け取っていた者も少なくない。

 エレナたちを相手に一方的に話し続けるカルヴィンの姿に半ば呆れた様にアニエスなどは整った眉を僅かに顰めている。


 エレナたちは領主であるロボスから傭兵団双刻の月として新たな依頼を受けていた。

 それは内陸部街道の調査。だがその裏にはラーゼンで孤立しているであろう騎士団への間接的な助力の意味合いが大きい。

 ラーゼンへと向かった騎士団との連絡が途絶えてから三日。

 その生存が絶望視されているのが現状であり、ダラーシュ騎士団も内陸部のラーゼンまでの遠征は少なくとも今回の作戦行動には含まれていない。

 ダラーシュ騎士団の構成は二万という大規模なものではあったが、ラーゼンとその近郊にどれ程の魔物が集結しているか分からぬ状況下で、騎士団を分散する程に潤沢な戦力を有していた訳ではなかったからだ。

 アドラトルテを襲った様な数十万という単位の魔物の群れは規格外であり考え難くとも、内陸部に存在するラーゼンに万単位に近い魔物の群れが形成されている可能性は十分に有り得る話であり、それらを不用意に刺激することは作戦行動の破綻どころか、騎士団の壊滅にも繋がりかねない不確定要素であったのだ。


 「うちの中隊と合同って事になるんですがね、まあ姉さん方は遊撃隊て事で自由に行動して貰っていいんで」


 「あくまでもラーゼンまでの街道の偵察が主目的と考えていいのかな、カルヴィン殿」


 ベルナディスはカルヴィンたち中隊の目的を再度確認する。

 恐らくロボスがこの依頼で本当に望むんでいる目的は騎士団の生存の確認ではあったのだろうが、仮に生存が確認できたところで騎士団ごと救い出すなどはいくらエレナたちが腕の立つ傭兵集団であろうと、たった五人の人間の力では到底成し得ぬ無謀な行為である。だからこそ、それが望めぬ以上、何処で折り合いをつけるかの線引きははっきりとさせておかねばならなかった。


 「ですねえ、うちも玉砕なんて割に合わんので街道沿いに魔物が溢れてた時点で交戦せずに撤収しますんで」


 ロボスからの再三の要請を無視できなかったのだろう、渋々といって良い形で協力に同意したダラーシュ騎士団からカルヴィンの中隊がその任を担う形にはなったのだが、カルヴィンからして見ればとんだ貧乏くじを引かされた程度の認識であるのだろう、使命感など微塵も感じさせないまるでやる気のない対応に感じられた。


 「しかし王立階位が揃い踏みとは、錚々たる面子の傭兵団ですなぁ」


 惚れ惚れとエレナたちを見やるカルヴィンの言葉には裏が感じられない……だがそれ故に軽薄にすら取れるカルヴィンの物言いがアニエスはどうにも気に触ってならなかった。

 はっきり言ってしまえば勘に触るのだ。もう二度と会うことなどないと思えばこそ忘却していた苛立ちにも似た感情が蘇ってくる。

 当人には自覚はないがエレナとは違う方向で頑なな一面を持つアニエスにはカルヴィンの見せる気安さは軽薄に、騎士の型から外れた自由な姿勢は覚悟の欠如にしか思えず、どうしても生理的に受け入れ難い人種の人間であったのだ。


 「でも腑に落ちないね、ライズワースに救援を求めればもっと大規模な部隊を編成できたろうに、そうすればラーゼンまで制圧することも不可能じゃなかったはずだよね」


 エレナの疑問は最もであり、普通に考えてもセント・バジルナ単独での救援部隊の編成には無理がある。またジルベルト公爵が置かれている複雑な状況を鑑みても些か強引な派兵にすら思われた。


 「それなんですがね」


 此処だけの話、と念を押しながらも嬉々とした表情で語りだすカルヴィンの姿にアニエスの眉がぴくり、と動く。


 今回の派兵にあたり手薄となるセント・バジルナ近隣の治安維持に犬猿の仲であった聖騎士団が全面的な協力を申し出た事と、王宮がジルベルトの独断を黙認する姿勢を見せた事には大きな繋がりがあると見るのが大方の読みであり、動向を見守る商人たちの予想でもあった。

 結果的にトルーセンが救われたとはいえ、今回の一連の事態はジルベルトの大きな失態であり、それを独力で沈静化できればよし、もし失敗し事態の悪化を招いた場合はその責任を問い都督の任を解くだけでなく、政治の舞台から引き摺り下ろし、浮き目のない完全なる失脚を目論んでいるのではないか、と。


 「ジルベルト公にとっては魔物の殲滅と街道の沈静化は最低条件ですからね、その旗下の貴族の方々がラーゼンにまで気がいかぬのも仕方ないんでしょうね」


 「まあいいんじゃねえの、俺たちにして見れば行き掛けの駄賃だしな」


 ラーゼンまでの行程は内陸部を経由し大回りにはなるが、エレナたちが次に目指すオルバラス地方に抜ける街道が続き、トルーセンから海沿いに繋がる街道を行くよりは格段に危険度が増すとはいえ、馬車を引く二頭の馬たちが並みの馬ではない上にエレナたちの力量を考えれば無謀と言うほどの無茶な行程ではなかったのだ。


 「そうそう、報酬は前渡しで全額貰ってるしね」


 いい加減この街での滞在に飽きていたフィーゴも珍しくフェリクスに同意を示す。


 「では報告の任はカルヴィン殿の中隊に任せ、我々も無茶はしない、それで良いかなエレナ」


 騎士団を救いたいと思っているであろうエレナにベルナディスは再度確認するように問う。

 エレナが望むならベルナディスは最後まで同行する覚悟ではあったが、その意思だけは確認しておきたかったのだ。


 「分かってるよベルナディス、それでいい」


 出来る事ならば救いたい。

 目の前で理不尽に奪われる命を見過ごす事など出来はしない。力なき者たちの為にならその命も懸けよう……だが彼ら騎士団は覚悟の上で戦場に立つ武人たちなのだ。

 ラーゼン近隣にどれだけの魔物が集まっているのか予測もつかないが、少なくとも数百では効かぬであろうその群れに仲間たちの命を危険に晒してまで身を投じる事は出来ない。

 矛盾……いや都合よく解釈する事で自身の気持ちすら偽る己の姿にエレナの口元に知らず自虐的な笑みが浮かぶ。


 「まあ街道にまで出張ってきてる魔物は三千と言われてますが、数だけで見るなら陸路の……本隊の連中だけで十分対処は可能なんでしょうがねぇ」


 「随分と引っ掛かる物言いをするね」


 実に分かりやすく言葉を濁すカルヴィンに、エレナは逆に問い直すがその隣でアニエスが珍しく苛立たしげにテーブルをカタカタ、と叩く。


 「この規模の魔物との戦闘は災厄以来久しく経験してませんからね」


 協会の公式な発表によると北部域に生息する魔物は全体の八割以上が下級位危険種で占められており、実際に海岸線に面したセント・バジルナや平野部に位置するライズワース近郊では中級位危険種の目撃例は数少ない。

 それは中級位危険種の生息域が主に内陸部に集中している為だと言われていたのだが、しかし今回の様に大規模な三千もの魔物の群れともなればその割合は未知数な部分が多い。

 近年アドラトルテの戦いにおいて、精強で知られるアドラトルテ国軍の師団の一つが数百の中級位危険種により戦線を瓦解させ、全体の戦局を崩壊させたという実例も報告されている。

 それ程に下級位危険種と中級位危険種とでは大きくその脅威度は異なり、仮に数十体程度の固体が確認された時点で数的優位に立つダラーシュ騎士団の優位性など容易く吹き飛んでしまう程に人間との絶対的なまでの戦闘能力の差が其処には存在する。


 魔物との戦いとは常にそうした流動的な上に理不尽ともいえる不安定要素を抱える、分の悪い戦闘を人類は強いられているのだ。


 そして魔物の中にはそれら中級位危険種よりも更に特殊な能力を有する種も存在する。呪いと呼ばれる分類すれば魔法の一種をその身に宿す固体である。

 絶対数は少なく一定の生息域を持たないそれら特殊な魔物たちは、穢れし殉職者アンダーズ・ペインの腐食を始めとして、確認されている全ての種が上級位危険種に指定されていた。


 最上位に指定されている三種の特定位危険種。


 最盛期のオーランド王国すらも上回る大陸最大の軍事力を持ったベルサリア王国……その大陸最強と謳われた航空戦力がたった三体の魔物により塵にと帰した。

 人々は畏怖と共にその名を語る。


 滅びの起源を持ち一切を灰燼へと帰す最凶の魔獣クリルベリア。

 再生を司り、不死を体現せし堕ちた女神ラウラ・ヴェヌス。

 そして神話で語られる主神アイオリオンを殺し世界を黄昏に染めたとされる悪神……世の理を歪め因果律すら支配すると恐れられる悪神に例えられ、畏怖と共に語られる恐怖と絶望の象徴たるその名を持つ魔物ネストール。


 人知を越えた能力を有し人間とは大きく異なるが明確な思考を持つとされる、討伐不可能、天災として扱われるこの三種の特定位危険種はある種別格としても、一固体で戦局を左右する程の驚異的な力を持つ上級位危険種の存在が最大の懸念として、拭い去れぬ畏怖と共に戦場で魔物と戦う者たちの中には常に存在する。


「そんな話を言い出したらきりがねえよ」


 フェリクスは下らないと言わんばかりに呆れた様な表情を浮かべている。


 支配し統治を目的とする人間同士の戦いとは異なり、魔物は人間を捕食するという本能的な衝動のみで動く故かその行動の予測は難しい。

 まして千を越える魔物の群れともならば尚更だ。その規模の魔物との戦闘経験を持つ者など災厄を生き延びた者たちを含めてもそう多くはない。

 だからこそフェリクスにして見れば、遭遇戦が基本となる流動的な魔物との戦闘においてそんな事をうだうだ悩んでいる様な連中は真っ先に死んでいくだけのただの弱者という認識でしかない。


 「いやいや、耳が痛い」


 カルヴィンはフェリクスの言葉に気分を害した素振りもなくへらへらと笑う。

 エレナはそんなカルヴィンのおどけた様な仕草を何処か微笑ましそうに眺めていたが、そのエレナとは対極的にアニエスの目は冷ややかに射抜く様な眼差しでカルヴィンを見つめる。



 明日の出立に備えたカルヴィンとの話し合いを終えた面々が思い思いに酒場を後にする中、アニエスは先を行くベルナディスを呼び止める。

 フェリクスは酒場に残り一人飲み続け、フィーゴは夜の街へと消えて行き、エレナとカルヴィンは会話が弾んでいるのか、楽しげな様子でアニエスたちの少し先を並んで歩いている。


 「あの男信用できないわ、明日は私たちだけで行動するべきではなくて」


 アニエスの視線の先には前を歩くカルヴィンの背中がある。


 「フェリクスと揉めたという中隊の者たちの事が気掛かりなのかアニエス」


 「そうではないわ、あのカルヴィンという男自体が信用に置けない……貴方は違うのベルナディス」


 少し思案する様な表情を見せるベルナディスの姿が正直アニエスには意外であった。

 この話をエレナにではなくベルナディスに持ち掛けたのは、ベルナディスもまた自分と近い印象をカルヴィンに抱いていると思っていたからだ。


 一概に短所とは言えぬがエレナは親しい者に甘い。

 情に深く不器用な程に真っ直ぐなその在り様がエレナ・ロゼという少女の魅力の一つである事は間違いないとしても、そうした身近な者たちに対する強すぎる思いは時に冷静な判断を鈍らせる。

 それがアニエスから見たエレナの最大の欠点であり、もしエレナの身に最大の脅威が迫った時、その思いこそが要因として……また足枷として致命的な事態を招くのではないか、とアニエスは憂慮していた。


 そうしたエレナの性格を考えて、少なくともカルヴィンに対して好意的な姿勢を見せている今のエレナに問うよりも、ベルナディスと共にエレナを支えカルヴィンに注意を払う方がこの場では最善ではないのか、とアニエスはそう考えていた。


 「そうか、アニエスは彼をそう見るのか」


 何処か含みを感じさせるベルナディスにアニエスは怪訝そうに眉を顰める。そんなアニエスの表情を読んだのかベルナディスはいつもの表情で頷いてみせる。


 「承知した。十分気を配るとしよう。確かに捨て駒の様に扱われては適わないからな」


 ベルナディスの態度にも些か腑に落ちぬ点は残るがアニエスは敢えて口にはしない。

 カルヴィンがどの様な男であれ所詮は刹那交わるだけの短く細い縁でしかない。そんな男の事で思い煩うのは余りにも馬鹿馬鹿しいではないか。

 そう考え、アニエスは僅かに頭を横にと振る。

 だが前を歩くカルヴィンの背中を、エレナと話すその横顔を知らず見つめるアニエスの緑の美しい瞳は鋭さを増し、何処か剣呑な輝きを帯びていた。


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