第106話


 ロザリア帝国の帝都オルサリウスから遥か東、東海に面したこの地方には帝国の海の玄関口ともいえる貿易都市ロンバルダが存在する。

 ロンバルダはロザリア帝国の経済の中心であるオルサリウスに次ぐ第二の都市であり、ローディス王家と共にロザリア帝国を支配する四侯爵家の一人、帝国侯爵オデルト・ライヒマンが領主として治めるオルベール地方の主要都市でもあった。

 そしてオデルトは帝国の第二王子であるクレイヴが成人の儀を迎えるまでその後見職に就いていた程のクレイヴの理解者としても帝国では有名であり、このオルベール地方は自他共に認めるクレイヴの強固な地盤の一つであった。

 帝国にはクレイヴ派という一つの括りが存在する。

 とは言えクレイヴの父親でもある現皇帝バーネストと第一王子であるメルレインの両者とクレイヴの間に大きな軋轢が存在していた訳では無い。

 既にバーネストが次期皇帝にメルレインを指名していた事と、クレイヴが公言して憚らない魔物を駆逐した新世界の構築という思想は一部に熱狂的な支持層を有する反面、帝国全体から見ればまだまだ少数勢力であり、やや保守的であると揶揄されてはいても、他国への干渉を嫌い、内政を重視するバーネストの政策は国民の生活を安定させていた為、概ね現体制に国民たちも大きな不満は感じてはおらず、国民たちを含め現体制を支持する勢力が大半を占めていたからだ。


 そんなロンバルダの領主の邸宅にレイリオ・ガラートの姿があった。

 オルサリウスで大きな商談を纏めたレイリオは此処ロンバルダで商船に積み込まれる自分の積荷を確認し出航の手続きを終え次第、直ぐにライズワースへの帰路に着く予定でいた。

 ライズワースで開催されていた剣舞の宴。その開催期間中になんとしてもライズワースへと戻りたかったのだ。勿論その理由は愛しい女性であるエレナに会う為ではあったが、エレナに交わした約束の返事を聞く為ではない。

 答えを期待していないのかと言われれば嘘にはなるが、自分はまだ商人として成功を収めた訳でもなく、今だエレナに語った自身の理想には遠く及んでいない。それ故にレイリオはまだその資格すらないとすら思っていた。

 だが剣舞の宴が終わればエレナの目的も一段落つくのであろうし、レイリオ自身も多少は時間を作る事が出来る。

 叶うならばエレナと二人……それが無理なら他のギルドの人間も誘い数日程度、避暑地で過ごしたいと考えていたのだ。

 エレナとは南方の地ルーエンで別れてからまだ一度も会っていない……少し我がままな思いではあるが、エレナも数日程度なら付き合ってくれるかも知れない、とレイリオは期待に胸を膨らませていた。


 レイリオは無意識に胸に手を伸ばす。

 その懐にはオルサリウスで購入したエレナへの土産が忍ばせてある。

 エレナは普通の年頃の女性が好む様な装飾品にはまるで興味を示さない。そして何より高価な贈り物を贈られるのを好まない。

 そんなエレナの正確を良く知るレイリオが悩んだ末に購入したのは、髪留めと腕輪であった。

 紅石を銀細工であしらったこの二品は露店で売られていたにしては見事な細工が施された一級品であり、恐らく名の知られていない工房の職人の手によるものなのか、安価な紅石を使っている点を考慮にいれてもかなりお手頃な値段であったのだ。

 紅石は宝石の一種ではあったが採掘率が非常に高く宝石としての価値は恐ろしく低い。だが昔から魔除けの効能を持つと信じられ一般に広く普及している紅石は、余り裕福ではない庶民でも手に入れられる最も身近な宝石でもあったのだ。


 この程度の物ならエレナも受け取ってくれるだろう……と言うやや打算的な思惑はあったが、エレナの美しい黒髪には紅石の紅い輝きは良く映えるであろうな、などと想像し思わず口元が緩んでしまう。


 そんなレイリオの淡い思いも廊下に響く靴音に、自分をこの様な場所に呼び出した人物の登場に一変し険しい表情で応接室の扉を注視する。


 「すまないね、少々待たせたかなレイリオ君」


 共の者が扉を開け放ち、遅れて姿を見せたのは中年の男性……この地方を治める領主であるオデルト・ライヒマンの姿であった。


 レイリオはオデルトの入室と共に速やかに席を立つと床にと跪く。

 此方が一方的に呼ばれて来たとはいえ相手は帝国四侯爵の一人。本来他国の商人であるレイリオなどが直接会う事など適わぬ種の人間なのだ。


 「君の噂はかねがね殿下から聞いていてね、若いのに中々有能だそうじゃないか」


 「勿体無いお言葉です」


 オデルトはレイリオを一瞥し、そのまま席へとつく。だがオデルトは席についた後もレイリオに席お薦めるどころか顔を上げさせようとする素振りすら見せない。

 だがレイリオはそうしたオデルトの態度を傲慢だとは思わない。支配階級に君臨するオデルトの様な人間にしてみれば自分などは道端の石ころと変わらない。同じ人間として見なしていないのだからそんな配慮など思いもよらぬのだろう。

 そんな事より問題なのは何故自分がこの場に呼ばれたか、だ。


 「君を呼んだのは他でもない、少々お願い事があってね」


 オデルトの口調は穏やかで、お願い……という比較的穏やかな言い回しではあったが、両者の立場を考えれば無論レイリオには拒否権などあろうはずがない事は言うまでもない。


 「東部域に縁のある商人たちに頼むには些かな問題がある事案が発生してね、勿論相応の見返りは用意させて貰うよ」


 四大国にはそれぞれ商人たちの寄り合い組織が存在する。大きな目的は商人たちの相互扶助ではあったが、其処には他の地域の商人たちの台頭を防ぎ所属する商人たちの利益を担保するという意味合いも当然含まれている。

 レイリオの生まれは南部域のファルーテ王国であり、父親のノルト・ガラートは南部通商連合に所属している。レイリオ自身は拠点をオーランド王国に置いている事もあり今はライズワースの商館に所属していた。

 四大国を股に掛ける大手商会などはそれぞれの支店がその地域の組合に所属するのが常識であり、ガラート商会が二つの組合に所属している事もまたおかしな事ではない。

 結局の処、商人に必要なのは資金力と才覚、そして信用であり、組合に所属する最大の利点はまさに今オデルトが示している点であろう。

 四大国で成功する為には貴族たちとの関係が重要であり、今のオデルトの発言の様に多くの貴族たちが他国の商人よりも自国の地域に所属する組合の商人を重用し優遇するのだ。


 きな臭い話だな……。


 無論表情に出すような馬鹿な真似などする筈もないが、内心では面倒事に巻き込まれそうな我が身の不運を嘆く。


 オデルトの様な大貴族が自分の様な人間に直接話を持ち掛けてくるだけでももう十分に怪しい話だというのに、その上自国の商人を使いたがらぬなどと……最早あからさま過ぎて怪しいなどという段階などとうに超えている。

 とはいえ現状レイリオには話を受けぬという選択肢が無い以上腹を括らねばならない。無論危ない橋を渡りるという覚悟ではなく、最もらしく話しを聞き早々とライズワースに戻ってしまおう、という意味合いでだ。

 その場合折角苦労して手に入れたロザリア帝国での人脈ごと無駄に捨ててしまう事になるのは惜しいが、目先の利益に釣られて軽々と考えなしに甘い話になど乗って、最終的に切り捨てられ身を滅ぼしたのでは本末転倒というものだ。


 「お話を伺っても?」


 この時点でまったく話を受ける気など無かったレイリオではあったが、それらしく興味を抱いた様にオデルトに調子を合わせる。


 「災厄から二年近くが経って尚、何故未だに各国で魔導船の新造艦が一隻も建造されないか、その理由を君は知っているかね」


 「一般的に語られている程度の理由でしたら」


 魔導船の動力は大陸でも希少な鉱石である魔石に魔法士の術式を組み込み増幅させた魔力を核として浮力を得ていると言われている。

 その魔石の純度により建造出来る魔導船の規格が異なるようだが、動乱末期には今大陸で確認されている鉱脈は全てが枯渇したと言われ、最も純度の低い輸送船級の魔石すら発掘される事は無かった。

 現状新たな鉱脈を探そうにも陸路を満足に移動も出来ぬのでは専門の調査団を送る事すらままならない。


 「何も新たな鉱脈を発見せずとも確実に魔石を手に出来る方法はある」


 そのオデルトの言葉にレイリオはこの取引の内容をおおよそ理解した。

 そう……今この大陸には高純度の魔石が大量に眠る場所が一箇所だけ存在する。

 中央域……滅びの都ノートワール。

 数多の上級危険種が跋扈するその近郊には今も数百の魔導強襲艦と三隻の戦艦が朽ち果て眠っている。


 応接室の扉が叩かれ、開かれた扉から一人の騎士が姿を見せる。


 「遅くなり申し訳ありません、ライヒマン卿」


 「構わぬよオリヴィエ。殿下の護衛の任ご苦労であったな」


 今だ顔を伏せているレイリオには新たな来訪者の姿を見る術は無かったが、その澄んだ声音から若い女性であろう事は伺えた。


 「顔を上げたまえレイリオ君」


 オデルトに促され顔を上げたレイリオの視界に美しい銀髪が印象的な若い女性の姿が映る。


 「彼女の名はオリヴィエ・ハーヴェル。彼女はクレイヴ殿下の従騎士であり、今回君を手助けする良き協力者でもある」


 オリヴィエは跪いたままのレイリオを値踏みするように見つめる。


 剣など握った事などないような線の細いレイリオの姿にオリヴィエは内心眉を顰めるが、クレイヴ殿下が推挙した男である以上、商人としてはそれなりに有能なのだろう。


 アインス兄様と魔石、その両方を手にする為にこの男には協力して貰わねばならない。


 「レイリオさんでしたね、どうぞ席にお掛け下さい」


 オリヴィエはレイリオに微笑み掛けるとオデルトの許可を求め、レイリオを席へと促すのであった。

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