聖杯を抱きし乙女が見る夢は
第72話
季節は巡る。
凍える様な冬が終わりを向かえ、人々に惜しまれながら誕生の春は過ぎゆき、そして季節は初夏を迎えようとしていた。
アインス・ベルトナーが賢者エリーゼの手により、エレナ・ロゼという人形の身体に魂を定着されてから一年と三ヶ月、エレナがライズワースを訪れてから七ヶ月が過ぎようとしていた。
南方の大国ファーレンファルト連邦を襲った一連の魔物の騒動が一応の収束を見てから五ヶ月。
此処、ライズワースのギルド会館は来るべき剣舞の宴、その予選の開幕を前に慌しさを増していた。
単純に予選開催に向けて事務的にも実務的にも遅れが生じていたという事もあったのだが、一番の要因は剣舞の宴の本選を観戦に来る各国の要人たちへの対応に追われていた為であった。
剣舞の宴を主催するのは王国では無く、ギルドを統括するギルド会館である。
当然、王国からの協力は得られるとは言え、そうした来賓たちの宿泊施設の手配、歓迎式典の準備からその日程の調整、その他諸々の雑務は全てギルド会館側の主導で行われる。
明け透けに言うならば、そうした想定外の雑事が一気に増えていたのだ。
前回、記念すべき第一回目となる剣舞の宴はオーランド王国中から多くの者が殺到し、人々の熱狂の内に幕を閉じた。しかし、それはあくまでオーランド王国という国内の中だけでの話であり、盛り上がりを見せた国内とは裏腹に、他国の反応は何処か冷めた、一線を引く様な対応を示していた。
それを如実に現していたのが、ギルド会館側が各国に向けて出した招待状に応じてライズワースに訪れた各国の来賓が、各国共に礼儀を失せぬ程度、悪く言えばその程度の身分の者たちだけであった事からもその事実を物語っていた。
だが今回はまだ此方から招待状を送る前段階の時点で、各国から錚々たる面々のライズワース訪問の打診を受けていたのだ。
ロザリア帝国からは第二王子のクレイヴ・バルタ・ローディス。
ファーレンガルト連邦からは連邦議会副議長であり、ニールバルナ執政官であるマルーク・エルメリオ。
そしてアドラトルテの住民たちの圧倒的な支持を背景に、新たにアドラトルテ執政官へと就任したラグス・バラッシュ。
同連邦、ファルーテ王国からは国王の甥であるベルチ・リマーリオ。
そして閉鎖的でこれまで他の四大国からは明確に距離を置いていたビエナート王国からも、外務大臣であるオーギュスト・ゼッケルがこのライズワースを訪れる事となっている。
これら四大国からの来賓たちは、一人一人が四大国の中でも大物や重鎮たちばかりであり、こうした国賓級の面々からの次々の要請に王国とギルド会館がその対応に当たっていた事が、剣舞の宴開催に向けて大きな遅れの原因となっていたのだ。
そしてもう一つ特筆すべき事柄として、災厄以降各国の強い要請にもまったく応じる様子すら見せず、隠遁生活を送っていた賢者エリーゼ・アウストリアが本選を観戦する為に早々とこのライズワースを訪れており、現在は来賓として王城に招かれている。
何故此処まで他国の者が急に手の平を反す様に剣舞の宴に関心を示しだしたのか、ギルド会館の職員たちには理解出来ずにいたのだが、それら全ての中心にエレナ・ロゼと言う一人の少女の存在が関係しているなどと、当然彼らは知る由も無かった。
そう……つい先程までは。
「正直、納得出来る説明が欲しいですな」
ギルド会館の会議室に顔を揃えているのは剣舞の宴を取り仕切る実行委員会の面々である。
実行委員の男が苦々しい表情を浮かべ、手にしていた一枚の書面を荒々しくテーブルへと置く。
「とはいえ、これは王国からの要請である以上、異例ではあるが認めざる得まいよ」
別の男が手にした書面に再度目を通す。
オーランド国王の署名と刻印が押されたその書面には、一人のギルド員の予選の免除をギルド会館側に求める旨の記載が為されている。
テーブルに置かれた資料の中にその人物についての略歴が書かれた書面が置かれていた。
所属ギルド 双刻の月。ギルドランク五十二位。
エレナ・ロゼ。女 十六歳。
序列番外。
特筆すべき功績 無し。
略歴を見る限り、この人物を特例で予選を免除させる理由が何一つ見つからない。
万を越えるギルド構成員の中から本選に出場できるのは僅か百二十八名。
序列二十八位までが予選を免除され本選の出場権が約束されている為、僅かに残された百という枠を巡って激しい予選が繰り広げられるのだ。
その貴重な枠の一つを序列も、目立った功績すらない凡庸な人間に与えるなど異例中の異例と言わざるおえない。
何より本選の出場を認めると言う事は、その時点で序列百二十八位までを確約する事になる。
この少女がオーランド王国の王族か、それに近い有力な貴族と何か強い繋がりがあるのだとしても、これは明らかな王国の越権行為であり、ギルド会館が此処まで作り上げてきたギルドランク・序列制というものを冒涜する行為であり、不当な圧力以外の何物でもない。
「どれ程不満や疑問があろうと、これは王国のそれも国王陛下の署名の為された正式な要請である以上、ギルド会館の独立性を謳う前にオーランド王国の臣民である我々にそれを拒否する事など出来ますまい。為らばこの様な不毛な議論を続けるより、大会の開催に半月近くの遅れが生じているこの現状についてこそ話し合うべきではありませんかな」
進行役のベルノルトの言葉に、実行委員の一同が不承不承の態ではあるが同意の意思を示す。
にこやかな笑顔を浮かべたまま、そうした一同を見回し次の議題へと話を進めていくベルノルト。
だが仮面の様な作り笑顔の裏でベルノルトは、実行委員に選ばれたこの面々の無能さを嘲笑う。
剣舞の宴の実行委員に選出される事は、ギルド会館の内部では幹部候補であることが認められた選ばれた者の証である。
だが本来蹴落とすべきライバルたちの無能さにベルノルトは正直呆れていた。
不審を抱いたならどんな手を使ってでも徹底的に調べればよいのだ。そうした基本的な事すら怠り、現状の地位で満足しているこの連中に哀れみすら抱く。
書面の内容をいち早く知ったベルノルトは既にこのエレナ・ロゼと言う少女の事を調べ尽くしていた。
この少女が所属する双刻の月の事は、以前の経緯から大体の調べがついていた。だが流石にそれ以上の事、特に双刻の月が先の上級位危険種。穢れし殉職者の討伐戦に深く関わっている事まで突き止めるのには大分骨が折れた。
二体目の穢れし殉職者。そしてそれを討伐したエレナ・ロゼと双刻の月の存在。
これらはギルド会館でも一握りの人間しか知らされていない秘匿事項である。
それに加えエレナ・ロゼはファーレンガルト連邦で起きた魔物の騒乱にも深く関与し、今や南部域で英雄視されている存在なのだ。
そんな事実すらも知らず、子供の様に喚き、不満を洩らすだけの馬鹿な連中にベルノルトは心底呆れ返る。
エレナ・ロゼ。彼女の存在はまさに金の卵。
彼女の存在により間違いなく、今回の剣舞の宴は前回などとは比較にならぬ程の莫大な利益をこのオーランド王国とそして自分に齎すだろう。
その恩恵により自分は更なる高みへと登ってゆくのだ。
お前たちは今見ている景色で満足していればいいさ。
笑顔と言う仮面の下でベルノルトは実行委員たちを見やり、そして笑顔を重ねる。だがそれは侮蔑と蔑みに満ちた薄ら笑いであった。
参加ギルド百五十三。所属する構成員三万四千名。
それらの頂点を決める大会の幕が今開けようとしていた。
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