第34話

 無法者たちの穴倉に暮らすのは黄昏の獅子の構成員たちだけでは無い。ライズワースの各区画から弾かれた者たちが掃き溜めのようなこの地に難民のように集まってきていた。

 憲兵隊の目すら届かないこの街は無秩序な無法地帯と化している……と外に住む者たちの多くが想像する印象に反して、略奪や暴行が横行しているといった光景は意外な程に見られない。

 それどころか街頭には出店のような日用品を売る者たちの姿も見られ、簡単な軽食類などが金銭を介して取引されていた。例えどのような人種が集まり主義、主張が異なろうがそこに人間的な生活を求めればルールと秩序が自然に構築されていく。

 それは彼らなりの独自な基準ではあったが、だからこそ自分たちでそれを冒そうとする者は少ない。そのことがこの街に一定の社会性を持たせるに至っていた。


 赤毛の青年が街頭に佇むその少女に声を掛けたのは本当にただの気まぐれだった。薄汚いローブを羽織り顔すら隠す彼女が女性であると気づいたのは声を聞いた後の話だ。

 身長や体格から恐らく子供であろうことは察することは出来たが、それとてこの街では浮浪者紛いの子供など珍しい存在でもない。

 だからこそ、赤毛の青年の行動はその時の気分が齎した軽い気持ちからであった。


 「なんだ坊主、腹でも減ってるのか?」


 「…………」


 気安い感じで話しかけてきた赤毛の青年にエレナはフードに隠れた顔を顰める。

 街の構造を把握する為に街頭に立っていたエレナに声を掛けてくる連中は少なくない。僅かな金で体を売る子供たちを買うこの街の男たちの中には、性別や容姿すら気にも留めない嗜好の持ち主たちも少なくないのだ。


 「伝染病に掛かってるの……近寄らない方がいいよ」


 下手に拒絶するよりこの言葉が一番効果的だ。この街に流れ着く子供というだけでその言葉の信憑性は増す。事実それを聞いた男たちはまるで汚物でも見るようにエレナを睨み離れていった。


 「なんだお前女か、病気だって腹は減るんだろ、飯ぐらい奢ってやるよ」


 突然赤毛の青年に手を掴まれエレナは咄嗟に懐に忍ばせていた短剣の柄に手を伸ばす。だが直ぐに思い留まる。

 いくらなんでもここでは人目に付きすぎる。もしこの男が裏路地にでも連れ込もうとしたらそこで始末すればいい。

 だが赤毛の青年はエレナの予想に反して本当にエレナを連れ近くの酒場へと入っていく。昼間だというのにそこそこ込み合っている店内に空席を見つけると、やっと赤毛の青年はその手を離した。


 「好きなもん食っていいぞ、といっても大したもんはないけどな」


 そう言って席に向かう赤毛の青年の姿に僅かに逡巡したがエレナは仕方ない、というようにその後に続いた。


 「伝染病だっていってるのに、お前頭がおかしいんじゃないのか」


 席に着き開口一番そんな毒舌を吐くエレナに赤毛の青年は気を悪くした風もなく笑う。


 「俺の妹も流行病でな、街の人間たちからはそりゃひでえ扱いを受けたもんだが、あいつが死ぬまで俺一人で看病してたが俺は今でも健康そのものさ、病気なんてもんはうつらねえ時はうつらねえ、そんなもんだろ」


 事も無げにいう赤毛の青年の言葉に嘘を付いているといった感じは見られない。だがそれが本当にこの男の本心なのかどうかは分からない。人を偽る事に長けた人間の本性を見抜くのは難しい。まして会ったばかりの男ともなれば尚更だ。

 赤毛の青年はエレナに相談することもなく給仕の女性に次々と料理を注文し、給仕の女性がテーブルを離れるのを確認すると興味深そうにエレナを眺める。


 「それで、いつまで顔を隠しているつもりなんだ」


 「病気のせいで顔に酷い腫れ物があるの、それを人に見られたくない……」


 赤毛の青年にエレナは予め用意していた言葉を紡ぐ。


 「そりゃあ、女の身で難儀なこったな」


 それを聞いても赤毛の青年の様子は変わらない。本当にそう思っているのか、または何か別の意図があるのか、この時点でそれを判別するのは難しそうだ。

 それ以降も赤毛の青年はエレナの素性に興味を持ったように質問を重ねてきたが、エレナも矛盾が生じない程度に嘘を並べていく。何一つ真実の無い二人の会話はそれでも周囲から見れば些か奇妙ではあったが和やかな雰囲気に映ったかも知れない。


 「俺の名はアシュレイ・ベルトーニ。名乗るのが遅れちまったな」


 運ばれてきた料理に手を伸ばしながら、赤毛の青年はアシュレイはそう名乗った。


 「私は過去を捨てた……だから名前なんて私にはない……」


 そんなエレナをアシュレイは面白そうに眺める。


 「随分哲学的なことをいうねえ、いいぜ、だったら俺がお前に新しい人生と名前をやるよ、今日から……いや今からお前はアトリ・ベルトーニ。俺の妹だ」


 屈託無く笑い突然そう宣言するアシュレイの予想外の言葉に、エレナは思わず食事の手を止め呆気にとられたようにアシュレイを見つめてしまった。



 中央区に立つ遙遠の回廊のギルドの周囲には武装した兵士たちの姿が多数見受けられた。鎧に刻印された紋章から彼らがオーランド王国の憲兵隊であることは直ぐに見て取れた。

 事件の調査の為遙遠の回廊は一時ギルドの活動を停止させている。それに伴いギルドマスターであるエドヴァルドを始め主要な面々はギルドからの外出を制限され半ば軟禁状態にあった。

 ギルドの正面の入口に立つ二人の憲兵隊員が此方に近づいて来る人影に気づき手に持つ槍を交差させるように入口を塞ぐ。


 「今この建物への立ち入りは厳重に規制されている、早々に立ち去れ」


 人影にそう恫喝した憲兵隊員の顔が次の瞬間には歪む。自分たちの前に立つ人影、その女性の姿をよく知っていたからである。


 「アニエス……殿」


 「私のことを知っているのなら退きなさい。ギルドの関係者である私が道を遮られる謂れは無いわ」


 憲兵隊員たちはその言葉にあからさまに怯む。遙遠の回廊の権限は一時停止されているとはいえ、序列者のしかも王立階位を持つ彼女の序列や特権が剥奪された分けではない。

 王立階位を持つアニエスの特権は貴族に順ずるほどの権威を持ち、本来なら彼らのような末端の憲兵隊員が裁量出来る様な権限を大きく越えている。


 「お待ち下さいアニエス殿……今上官に確認を取りますので」


 慌てたような憲兵隊員の言葉を最後まで聞くことなくアニエスは入口へと歩みを進める。そのアニエスの姿に憲兵隊員たちは思わず槍を引いていた。


 「そう、ならば確認が取れたら伝えに来なさい。それまで私の行動を制限する事は許しません」


 そう言い残し扉の中へと消えていくアニエスを憲兵隊員たちは止める事が出来なかった。呆然とそれを見送り、やがて我に返ったように憲兵隊員の一人が上官の下へと駆け出していた。


 中に入ったアニエスの目に閑散とした広間が映る。最盛期には数百人という人間たちの姿で賑わっていたこの建物にも今は人の気配は無い。恐らく今この広い建物内には数名から数十名程度の人間しかいないのだろう。そのことが僅かにアニエスの中に哀愁を誘う。

 アニエスは迷うことなく階段を上り、誰一人いない広い通路を渡ると声も掛けずに目的の部屋の扉を開ける。

 部屋の中にはいつもの様に良く知った姿が奥の椅子へと腰掛け、アニエスの姿に気づくと笑いかけた。


 「よう、お疲れさん。お前さんのことだから何か合ったとは思ってなかったが、まあ無事で何よりだ」


 アニエスを責める風も無く、いつもの調子でエドヴァルドがそう呟いた。


 「ご免なさいエド、しくじったようだわ」


 「別にお前さんのせいじゃないさ、どうやらうちの動きは奴らに筒抜けだったようだな、お前さんを実行犯に加えなかった事といい、端から周到に計画されていたようだしな」


 アニエスをもし実行犯の一人に加えていたのなら、こうも迅速に事を運ぶことは不可能だったろう。それほどにアニエスの持つ王立階位の特権は大きいものであり、容易く冒しがたいものなのだ。


 「ギルド内に奴らの内通者が居たというの?」


 「まあ、そう考えるのが自然だわな、もっとも今となっちゃあそれを見つけるのは難しいがね」


 末端の者たちの中にそうした連中がいるのは間違いなかったであろうし、そうした者たちが入り込み安い環境にあったのも事実であろう。だが今回の計画はエドヴァルドが信頼を置いていた一部の古参の者たち以外は知らされていなかった筈。その中に裏切り者がいたというのだろうか。


 「色々合ったがこんなことで終わっちまうとは、呆気ない幕切れってやつだぜ」


 「エドヴァルド……」


 「おっと誤解するなよ、俺は後悔なんかしちゃいねえ、好きに生きてきたんだしよ、だがよ舐められたまま終わるのは性に合わなねえ、きっちりと落とし前は付けるつもりだ」


 そういうとエドヴァルドは机の引き出しから一通の封書を取り出し、封書をアニエスに向けてテーブルを滑らせる。


 「その前にお前さんが戻ってきてくれてよかったぜ、アニエス・アヴリーヌ。今日付けでお前さんは除名だ。長らく引き止めちまって悪かったな、これからはお前さんの自由に生きてくれ」


 「まだ、恩を返しきったとは私は思っていないわよ」


 その言葉にエドヴァルドは少し困ったようなような表情を浮かべ頭を掻く。


 「実はな、あの時お前さんを助けたのは行き掛かり上仕方なくでな、別に俺の本意からって分けじゃないのさ、それをお前さんが勝手に勘違いして恩義を感じてたってだけで、俺はそれを知りながらさんざんぱらお前さんを利用してきただけさ」


 「それでも、どんな理由であれ命を救われたことに変わりはないわ」


 「相変わらず堅てえ女だなお前さんは……だったらよ最後に一つ頼まれてくれよ、この事の顛末を最後まで見届けてくれ、一人くらいは全部知ってる奴がいねえと死んでいった連中もうかばれねえだろうしよ」


 その言葉にアニエスはエドヴァルドを見つめる。静まり返る室内にただ二人の視線だけが交差していた。


 「分かったわ」


 短くそう答えたアニエスの姿をエドヴァルドは目を細め眺める。

 しかし本当にいい女だな、と今更ながらにアニエスの姿に見惚れていた。そして何故これまで自分は彼女に手を出さなかったのだろうかと自問する。

 恐らくエドヴァルドが求めればアニエスはその身を許しただろう。それは恋愛感情のような甘い感情からではなく恩義を返す手段の一つとしてだ。彼女はそういう女だ。

 だからこそか……この時エドヴァルドは初めて自分の中に芽生えていたある感情に気づく。だが子供じみたその感情をエドヴァルドは一笑に付した。

 どこまでも純粋でそれ故に美しく、誇り高い。冷たい鋭利な刃のように研ぎ澄まされた氷の女王。それがエドヴァルドの中に在るアニエス・アヴリーヌという女性の姿だ。

 年甲斐もなく憧れた女性の姿。それを貶める行為は許されるものではない。それが例え自分自身であってもだ。

 なかなか悪い人生でもなかった。四十年近い自分の人生を振り返り、エドヴァルドはふとそんな事を考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る