第33話

 闘神の宴の開催を間近に控え、俄かにお祭りムードが盛り上がり始めた人々の心に水を差すような事件がライズワース全体を駆け巡った。

 瞬く間に事件の全容が明るみになると、どの区画でも今やその話題で持ち切りであった。酒場では無論の事、街角でも商店の中でも誰かがその話を囁く声が聞こえてくる。


 「遥遠の回廊……とうとうやっちまったんだってな」


 「なんだお前、前から事情を知ってたような口ぶりしやがって」


 「まぁな、あそこは最近経済的に苦しかったらしいからな、でもなぁ……何も疎遠になっちまったからって、元得意客の息子を誘拐した上に殺しちまう事はねえよな……しかも息子の護衛についてた連中は皆殺しにされちまったらしいぜ、現場はひでえ惨状だったらしい。そんな殺し方する程憎かったのかねえ」


 隣のテーブルから聞こえてくる男たちの世間話にエレナの食事の手が止まる。

 事態はエレナの予想を超え大きく動き始めていた。

 遙遠の回廊が起こしたといわれる殺傷事件の一報は、クレストを介して直ぐにエレナたちの耳にも入っていた。

 カウロ・アギーレを誘拐し殺害した実行犯は三人。その実行犯と目される男の一人とカウロの遺体が東の区画を横断するように流れるカリーヌ川の下流域で溺死体として発見されたことで事件は発覚する。

 カウロの父親であるベニート・アギーレの訴えで動き出した憲兵隊の元に次々と齎される遙遠の回廊の関与を示す情報の数々。

 ベニートの別宅で発見された護衛たちの遺体。多発する目撃情報。そしてアギーレ本人が切々と語ったという遙遠の回廊との深い確執。まだ調査段階だというのに漏洩を重ねる調査情報。

 ここまで稚拙な三文芝居はあまりお目にかかれない、という程のあからさまな情報操作ではあったが、恐らくは最大限に人脈と資金を注ぎ込んだであろう黄昏の獅子の工作は此処までは功を奏しているといっていい。

 既に世論では何も決定的な証拠が出ていないにも関わらず、遙遠の回廊の犯人説を疑う事無く信じている。何故ならそれに反論する遙遠の回廊側の言い分が全く聞こえて来ないからだ。恐らくは何処かの段階で黙殺されているのだろう。

 もし憲兵隊内部、或いはその上にまで奴らの力が及んでいるのだとしたら、この流れを利用して遙遠の回廊を潰すことも可能だろう。


 「この一件が片付けば次は私たち……ということなんでしょうか……」


 エレナと共に食事に来ていたカタリナがやはり男たちの話を聞き、少し心配そうに呟く。カタリナも今回の事件に関してはエレナとほぼ同様の見解を示していた。


 「楽観視はできないですけど、そう単純な話では無いのかな、と私は考えてるんですけどね」


 今回の事でエレナには一つ分かったことがある。黄昏の獅子が統一した意思の下で行動する、一枚岩のようなギルドでは無いということだ。

 どういった構造になっているのかまでは分からないが、幾人かの人間がそれぞれ自分たちの思惑で行動しているのだとすれば、双刻の月を短絡的に襲ってきた事や今回のようにある程度大掛かりな仕掛けを仕込んでいたことへの整合性が取れるのではないか。

 だとすればその辺りに付け込む隙があるとエレナは考えていた。


 「黄昏の獅子にとって魔法人形の製造と売買は人脈と莫大な金を産み落とす金脈かも知れません。でも同時にそれは破滅へと導く諸刃の剣。遙遠の回廊は今回それを逆手に取られてしまった格好になりましたけど、その事実が変わったわけではないと思うんです」


 「それが今日私を食事に誘った理由ですか?」


 カタリナはエレナがレティシアやシェルンではなく自分だけを食事に誘った時点で、彼女の中で何かしらのの腹積もりがあるのだろうとは考えていた。


 「実は……カタリナさんにどうしても協力してほしいことがあって……」


 少し言い難そうに少女が上目遣いにカタリナを見る。その少女の仕草にカタリナは自分の頬が上気していくのを感じた。

 レティシアやシェルンが惚れ込むのも無理はない。エレナが意図的にそうしている分けではないとわかっていても、彼女の神秘的な黒い美しい瞳に見つめられるとのぼせてしまったように思考が鈍る。彼女の瞳から目が離せなくなる。

 心を奪われる。そう表現するのが的確なのだろうか。同性の自分ですらこうなのだ。果たして男たちの中に彼女の頼みを断れる者などいるのだろうか。

 傾国の美女。そんな言葉がふとカタリナの脳裏に浮かぶ。

 もしエレナが自分の魅力に気づき、それを最大限利用する様になったら彼女は一国すら滅ぼしかねないのではないか、などど場違いな心配をしてしまうカタリナであった。


 「闘神の宴までの残り四日間、ギルドを離れて単独で行動したいんです」


 なるほど、とカタリナは思った。こんな相談はあの二人には出来なかったのだろう。だが賢明な判断だとも思う。あの二人が知ればそれこそけんもほろろに反対するだろうし、それどころかその瞬間からエレナの傍から片時も離れなくなる可能性が高い。


 「危険は無いのですか?」


 「無いとはいえません……」


 「危険があるというのなら、私を納得させるだけの理由を説明して下さい。そうでなければ大切な仲間であるエレナさんを一人で行かせるなど承服出来かねますし、あの二人を止める事など出来るわけもありません」


 エレナがカタリナに相談した最大の理由もそこにある。幾ら必ず戻るから、と説明しても自分が姿を消せばあの二人は必ず自分を探そうとする。それは予想では無く確信としてエレナの中にあった。

 自分を本当の兄弟のように大切に想ってくれている二人なら間違いなくそうする……何故なら自分が逆の立場なら同じ事をするだろうから……。

 そしてそれを止められる人間がいるとすれば、それはカタリナだけだ。だからこそエレナはカタリナを説得しなければならなかった。


 「今回の事件が示すようにあの書面があれば奴らの密売の証拠を掴むのは難しくありません。問題なのは今は黄昏の獅子の影響力……力が強すぎてそうした行動を起こせば足元を掬われてしまう、ということです。だとすれば黄昏の獅子の影響力が弱まればどうでしょうか?」


 「確かにそれなら告発も可能かも知れませんが……一体どうやって?」


 エレナは次の言葉を一瞬躊躇う。それを口にしてしまえば軽蔑されるかも知れない、失望させてしまうかも知れない……そんなことが脳裏に浮かぶ。


 「黄昏の獅子が組織として不安定になればいい……頭を潰すか足を捥ぐかはこの先の状況次第ですが」


 カタリナはエレナの言葉に息を呑む。

 直接的な表現は避けたとはいえ、エレナは黄昏の獅子のギルドマスターや中核になる構成員たちを暗殺するといっているのだ……だがそれは……。


 「自分にその力があって為すべき理由があるのなら、私は力を行使することを躊躇しません」


 迷いの無い美しい黒い瞳がカタリナを見つめる。


 「幸い、連中も私のことなど誰も知らないでしょうし、都合よく第三勢力を演じられます」


 エレナは少し自虐的に笑う。そして僅かな不安を湛えた瞳でカタリナに問う。


 「幻滅……しましたか?」


 「怒りますよエレナさん、幻滅して欲しいんですか?」


 カタリナはエレナの言葉に少し怒ったような表情を浮かべる。


 「分かりました……でも四日だけです。もし四日経ってもエレナさんが戻らなかったら、あの二人だけではなく私も何をするか分かりませんよ。だからエレナさん、無茶だけはしないで下さい。何があろうと、例えどんな結果になっても、私たちが貴方の帰りを待っていることだけは忘れないで……」


 「勿論必ず帰ってきます、皆が居る私の居場所に」


 エレナは立ち上がるとフードを深く被り直す。そのせいでもうエレナの表情はカタリナからは伺えない。だがそのことにエレナ自身どこかほっとする。

 今自分がどんな表情を浮かべているのか、自分自身でも分からなかったからだ。


 

 まだ日も落ちいないというのに薄暗い室内。

 広い室内に置かれたテーブルの扉側に四人の男たちが、その向かいに男が一人座る。そして部屋の奥、一段高くなったまるで玉座のような豪華な椅子に腰を下ろし、肘掛に手を置き億劫そうに男たちを見下ろすアンゼルムの姿があった。

 アンゼルムの屋敷に黄昏の獅子の主立った面々が顔を揃えていた。


 「あの赤毛の小僧、なかなか使えるじゃないか」


 酒を呷りながら上機嫌な面持ちでそう呟くのは、大手派閥を仕切る四人の内の一人。イヴァン・ヨーハスである。

 もっとも黄昏の獅子の構成員たちが全てこの四人の派閥に属しているという分けではない。彼ら以外にも数十人単位の派閥がそれこそ無数に存在するのだが、その中では影響力が強いだろうという理由でアンゼルムに呼ばれたに過ぎない。


 「あれだけ金を使ってお膳立てしてやったのに、女一人殺れなかった木偶の坊じゃねえか」


 イヴァンの言葉に剥きになって反論しているのが同じく四人の一人。デレック・アデスだ。


 「本来の目的は果たしてるんだから、それはおまけみたいなもんだろ」


 酔っているのか、或いはデレックをからかっているのか、イヴァンの声音にはどこかデレックを茶化している節が見られた。


 「てめえら、頭の前だぞ、少し場を弁えろ」


 そう二人に怒鳴り散らす男。アルマン・アルバートンはこの四人の中でも最多の、黄昏の獅子最大の派閥を仕切る男であった。


 「しかし頭、あの餓鬼とどういった関係で? 外の人間にいきなりあんな大役を任せるなんて……俺には動くななんていってたのによ……」


 エドラットがアンゼルムに噛み付く。

 あの夜、双刻の月とかいうギルドに送ったアダンたちも結局戻ってくることは無かった。正直かなり酒が入っていた為に、その時のことは良く覚えてはいなかったのだが、弱小ギルド如きにこけにされたという事実は変わらない。

 直ぐに報復しようとしていたエドラットにアンゼルムから制止が入ったのが翌日のことだ。エドラッドにして見れば面白いはずもない。


 「おいおい、勘違いするんじゃねえぞ、あいつの話が面白そうだから手を貸してやった、それだけだ。お前ら履き違えるなよ、今も昔もこのギルドは俺とそれ以外しか存在しねえ。その中で金が欲しいやつは奪い取ればいい、権力が欲しいなら力で屈服させろ」


 まるで猛々しい野獣のように瞳を輝かせ男たちを見下ろすアンゼルム。


 「なあエドラット、俺がいつお前に動くななんて言った、俺はお前に良く考えて周りを見ろといったはずだよな。お前が金になると思えば好きにやりゃあいいんだよ。だがなこれだけは忘れるなよ、俺の傍に弱者はいらねえ。使えない奴は切り捨てていく、それだけのことだ」


 アンゼルムの言葉に場が静まり返る。誰も何も反論する気配などない。逆らう事を許さない、そんな他者を蹂躙するような荒々しい威圧感をアンゼルムは放っていた。


 「俺が気にいらねえ奴はいつでも寝首を掻きにきな、俺より強けりゃお前らが明日から王様だ」


 アンゼルムの挑発的な言葉にも四人はただ黙っていることしか出来なかった。

 どこまでも暴力的で欲に塗れた暴君。

 だが同時に自由で何者にも縛られないアンゼルムの生き方に男たちはどこか憧れのような感情を抱いていたのかも知れない。

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