第14話 「アメリカ人の生存本能」を使って、アメリカを分析してみよう。
アメリカ人は「先に攻撃しないと全滅する」と、本能の部分で信じています。
これは「外国から見て変なところ」である「銃社会」と「世界一の軍隊」、アメリカの特徴である「アメリカ独立戦争」から推測することができます。
アメリカは攻撃し、勝利することで、国として誕生し、成立していった国なのです。
そして南北戦争や西部開拓時代にも、攻撃することで、生存権を獲得していきました。
このようにアメリカ人は、「攻撃すること」によって、国を得て、生存権も獲得していったのです。
これが生存本能として、アメリカ人に定着していったのが、「先に攻撃しないと全滅する」という、アメリカ人の生存本能です。
また、このアメリカ人の生存本能は、アメリカ人の世界観を表しています。
つまり、アメリカ人は世界中の誰もが、「先に攻撃しないと全滅する」と思っているはずだと、本能の部分で信じています。
生きている人は「誰もが攻撃してくる者」なので、先に攻撃しないと全滅してしまうというのが、アメリカ人の生存本能であり、アメリカ人から見た世界の姿なのです。
このアメリカ人の生存本能は、「銃社会」や「アメリカ軍」「裁判」「法律」「ロボット工学三原則」などに見ることが出来ます。
このアメリカ人の生存本能が分かることによって、今まで理解できなかったアメリカ人の言動やアメリカ人社会が理解できるようになります。
では、このアメリカ人の生存本能が見えると、どんなことが分かってくるのか、実例を挙げて解説してみましょう。
「なぜアメリカ人は、銃を捨てられないのか?」
アメリカでは銃乱射事件が起きるたびに、銃規制の運動が起き、規制強化が叫ばれてきました。
ですが、アメリカ人の手の中から銃が無くなったことは、一度もありません。
ではなぜアメリカ人は、何度も悲劇的な目に遭いながらも、銃を捨てられないのでしょう?
答は、アメリカ人が「先に攻撃しないと全滅する」という生存本能を持っているからです。
「先に攻撃しないと全滅する」と本能の部分で信じているアメリカ人は、銃や武器によってどんなに悲劇的な目に遭おうとも、「攻撃するための武器」を捨てることは出来ません。
なぜなら、アメリカ人にとって「攻撃する権利」を捨てることは、「生きる権利」を捨てることと同じだからです。
攻撃することによって、国家を樹立し、生きる権利を得てきたアメリカ人にとって、武器を所持する権利や攻撃する権利は、生きるために絶対に必要な権利となっているのです。
「攻撃権」=「生存権」であるアメリカ人にとって、自分の攻撃権を保証してくれる銃は、絶対に手放してはならないものになっているということです。
「政府を倒す権利」
アメリカの憲法で保障されている民兵組織は、政府が国民の敵となった場合に備えて、これを倒すためのものとして組織されています。つまりアメリカ人は、いつでもアメリカ政府を倒せるようにしているのです。
なぜなら、アメリカ人の生存本能が見ている「先に攻撃しないと全滅する」世界では、自分以外の誰もが、自分を攻撃してくる敵になりえるからです。
そしてそれは、政府であっても例外ではありません。
荒唐無稽に思えるかもしれませんが、アメリカ政府がいつか自分達を攻撃してくるはずだと、アメリカ人は本能の部分で信じているのです。
だから、いつでも政府を倒せるように、銃を持っているし、武器や民兵組織も用意しているのです。
日本で喩えると、日本政府や自衛隊が、いつか必ず自分達を殺しに来ると思い込むようなもので、かなり日本人の常識からは離れています。
ですが、信じて備えることによって全滅が防げ、今のアメリカがあることは間違いありません。
そういう世界にアメリカ人は生きているのです。
これもアメリカ人の生存本能である、「先に攻撃しないと全滅する」という考えから出来たものです。
「アメリカ軍」
アメリカ軍はステルス戦闘機やレールガン、スターウォーズ計画など、常に最先端の兵器を研究開発してきました。
そしてアメリカ軍は、アメリカ太平洋軍、アメリカ中央軍など、世界を六つの地区に分割して、全世界に軍隊を配置しています。
このような、全世界をカバーできる世界軍を持っているのは、世界中でアメリカだけです。
なぜこのような最新兵器が必要なのか?
なぜこのような全世界をカバーするような巨大な軍隊が必要なのか?
それは、アメリカ人の生存本能が求めるからです。
肥大化した「先に攻撃しないと全滅する」というアメリカ人の生存本能が、まだ見ぬ最新鋭の兵器を求め、巨大な軍隊を求めているのです。
つまり、「ここまでしないと全滅する」というアメリカ人の死の恐怖への反動が、最新の兵器や巨大すぎる軍隊を作り出しているのです。
誰かを倒したいとか攻撃したいという歪んだ意思ではなく、純粋な生存への渇望だからこそ、このような巨大ものを作り上げることが出来たとも言えます。
邪心ではなく、生き残りたいという本能が、このような形で具現化したとするなら、妙に納得できる気がします。
「フリーズとおもてなしは、同じもの」
アメリカの「フリーズ(動くな)」と日本の「おもてなし」は、どちらも生存本能から発生したという意味で、同じものです。
アメリカ人は相手を先に攻撃することで、平和を獲得しようとし、日本人は相手に問題を起こさせないことで、平和を獲得しようとしています。
武力による平和か、もてなすことによって、来た人全員を無理矢理福の神にしてしまう平和か。
平和という、目的は一緒なのですが、それぞれの国が持つ生存本能の違いによって、手段が違ってしまうということになります。
「やり過ぎてしまうアメリカ人」
「先に攻撃しないと全滅する」という生存本能を持ったアメリカ人は、ときどきその生存本能を暴走させ、やり過ぎてしまうことがあります。
つまり、過剰攻撃です。
日本に二度も原子爆弾を落としたのはやり過ぎですし、ベトナム戦争で枯れ葉剤を使用したものやり過ぎです。
地球上の生物を何度も全滅させるだけの核兵器を保有するのも、明らかにやり過ぎです。
これらは、アメリカ人の生存本能が過剰に働いてしまった結果出た出来事と見ることができます。
「攻撃」のやり過ぎで、逆に事態を悪化させたり、敵を増やしてしまうことが、アメリカ人にはあるということになります。
必要以上に攻撃してしまうのは、アメリカ人の一つの欠点なのかもしれません。
「日本とアメリカの裁判の違い」
世界中のすべての国の裁判に、その国の生存本能が強く影響しています。
日本の裁判には、日本人の生存本能が、アメリカの裁判にはアメリカ人の生存本能がという風に。
生存本能を使って読み解くと、日本の裁判所の意味は「問題を解決するためのもの」になります。
ではアメリカの裁判の意味はというと、「相手を攻撃するためのもの」になるはずです。
自ら正義のために、無罪を証明するのために、利益のために、裁判の場で相手を攻撃するのが、アメリカの裁判になります。
なぜ「攻撃すること」がそんなに重視されるのかというと、アメリカ人の生存本能が「先に攻撃すること」だからです。つまり、「攻撃権と生存権」が一体になっているのです。
だからどんな犯罪者にも、最後の生存権として、弁護士を雇って相手と戦い、打ち負かす権利が用意されているのです。
そして、正義や悪、問題の解決などに関係なく、裁判の場で相手を攻撃して、勝利した者が、その裁判での勝者になるということです。
つまり、生き残った者が勝者であり、生き残りを決める場がアメリカの裁判であるとも言えます。
アメリカで裁判が多い理由は、裁判の場で相手を攻撃することは、アメリカ人の生存本能と一致するからです。アメリカ人にとって「生存権」と「攻撃権」は同じものであり、裁判でもその権利を行使しているということです。
「アメリカ人に訴えられないためには」
アメリカで訴えられないようにするには、訴えられる隙を作らないこと、これが一番重要です。
なぜなら、「先に攻撃に攻撃しないと全滅する」という生存本能を持っているアメリカ人は、攻撃する隙があれば、必ず攻撃するからです。これは、アメリカ人の生存本能なので、善悪の判断の前に作動します。
つまり隙があれば、自動的に攻撃してしまうのです。
これは中国人の「騙されたほうが悪い」と同じです。「やったもの勝ち」の生存本能を持つ中国人は、隙があれば誰でも相手を騙してしまうのです。
そして生存本能によって行われる行為ですから、善悪の判断は作動しません。
アメリカでは攻撃される隙を作らないこと、中国では騙される隙を作らないことが重要であることが分かります。
そしてどちらも生存本能によって行われる行為ですから、罪悪感はありません。
隙を作ったほうが悪いという話になってしまいます。
また、生存本能にお壊れている行為なので、無くなることもありません。
十分注意してください。
「自己主張の強いアメリカ人と、空気を読む日本人に優劣はない」
自己主張の強いアメリカ人と、空気を読む日本人に優劣はありません。
アメリカ人の「自己主張が強い」は、「攻撃したもの勝ち」というアメリカ人の本能から来るものと推測できます。
そして、日本人の「自己主張が弱い」は、「問題を発生させたくない」という日本人の生存本能からくるものと、考えることが出来ます。
また外国人から、しばしば消極的な行為と受け取られがちな「空気を読む」という行為は、口に出しただけで問題が発生してしまう言葉に対して、事前に対処しているだけと見ることが出来ます。
仮に日本人の中に、自己主張の強いアメリカ人がいたとしたら、そのアメリカ人は自分の意見が通りやすくて、一時的に有利になります。ですが、日本と同じように空気を読むことは出来ないので、周囲との摩擦が起き、問題が発生しやすくなります。
日本の平和や安全は、問題を発生させたくないという日本人の本能から来るものです。
空気を読む日本人がいるからこそ、日常生活も平和で、親切な人も多いということになります。
逆にアメリカ人は、攻撃することで平和を保とうとします。
「攻撃したもの勝ち」が自己主張の強さに繋がり、「問題を起こしたくない」が自己主張の弱さにつながっているのです。
これらは生存本能からくる特徴であり、優劣はありません。
また生存本能からくる特徴なので、変更することも難しいでしょう。
「アメリカ社会の先進性と、日本社会の閉鎖性」
先に攻撃した者が勝ちの世界では、先にやったものが評価されやすくなります。
ということは、新しいことへの挑戦がやりやすいということです。
これが日本になると、新しいことへの挑戦が「問題の発生」とみなされることがあります。そして、問題とみなされると叩きつぶされてしまいます。
これはアメリカが先進的、日本が閉鎖的ということではありません。
そのように対応してしまう、国の生存本能を持っているということです。
「原子力発電所の安全検査から見えてくる、日本とアメリカの生存本能」
原子力発電所の安全検査は、日本とアメリカで違います。
アメリカでは、原子力発電所が「自分達を攻撃してくるもの」と仮定して、徹底的に安全検査を行います。原子力発電所で起こるかもしれない事故は、すべて自分たちへの攻撃と見なして対処するということです。
その攻撃をすべて防ぐことが出来れば、安全検査は合格。万が一防げなければ、不合格という考え方です。
アメリカ人にとって、敵からの攻撃は全滅をイメージさせますから、ここで手を抜くことはありません。
一方日本の場合、原子力発電所を生存本能で読み解くと、「問題を起こすかもしれないもの」ということになります。だから起きるかもしれない問題に対処するのが、日本人の原子力発電所に対する姿勢ということになります。
なので、想定されている問題に対処できていれば、日本の安全検査は合格ということになります。
逆に言うと、問題にならないだろうと思っている部分については、対処しないということです。だから、何が起こっても対処できる「完璧な原子力発電所」ではなく、「想定されている問題に対処できる原子力発電所」が、日本の原子力発電所ということになります。
「ロボット工学三原則」
ロボット工学三原則とは、もちろんアメリカの作家「アイザック・アシモフ」が考え出した、あの三原則のことです。
簡単に説明すると、ロボットが人間に危害を加えることを禁止する、三つの命令がロボット工学三原則になります。
この有名なロボット工学三原則も、アメリカ人の生存本能で読み解くことができます。
なぜそんなことが出来るのかというと、このロボット工学三原則はロボットの「攻撃権」を制限する原則だからです。
そして「生存権」と「攻撃権」を一体にして考えるのは、アメリカ人の生存本能に沿った考え方であり、アメリカ人の特有のものです。
「生存権と攻撃権は同じもの」と考えるアメリカ人にとって、生きている者はすべて攻撃する者になります。
だとしたら、生きているロボットにも、生存権という名の攻撃権が自動的に与えられることになり、その攻撃を防がないと危ない、という考え生まれることになります。その考えから誕生したのが、ロボット工学三原則ということになります。
ですが実際に、「生きているから、攻撃する権利がある」なんて考えるのは、世界中でアメリカ人だけなのです。未来のロボットが全部そんな生存本能を持って生きていたら、大変です。
つまり、アイザック・アシモフが作中で見ているロボットは、実はロボットではなく、アメリカ人だということが分かります。
「先に攻撃しないと全滅する」という生存本能を持ったアメリカ人を、無害なものにするためには、ロボット工学三原則が有効だということです。
同じように日本人がロボット工学三原則を作った場合、三原則は「問題を起こさない」ことを中心にしたものになるはずです。そして中国人だと、「騙さない」「自分勝手に動かない」を中心にしたものに。
韓国だと、「偉そうにしない」ことが絶対条件でしょうか。
そして、ロボット工学三原則がアメリカ人の生存本能に対応したものであるなら、このロボット工学三原則がロボットにとってはあまり有効ではないことも、推測できます。
なぜなら、各国の生存本能は、国という集団に属する「人間」を縛るためのものであり、人間にすらなっていないロボットには、不適当なシステムだからです。
ロボットにロボット工学三原則を適用するなら、まず最初にロボットを人間にして、さらに人間にしたロボットをアメリカ人にしないと意味がありません。
アメリカ人の生存本能に対応したロボット工学三原則は、人間となったロボットが、さらにアメリカ人の生存本能を獲得した場合のみ、有効なのですから。
人間にすらなっていないものに、各国の生存本能に対応したシステムを適用しても、使えないのです。
まあ、別の方向から見ると、アイザック・アシモフはロボットをアメリカ人と認識して作品を書いていたことになり、それはそれで微笑ましいのですが。
まとめると、ロボット工学三原則は、アメリカ人の生存本能に対応したものということになります。つまり、アメリカ人が思っている「人間とはこういうもの」ということが書かれた作品が、アイザック・アシモフのロボット作品ということです。
そして、ロボットのことを書いているのではなく、アメリカ人の生存本能について書いた原則が「ロボット工学三原則」ということになります。
これが「先に攻撃しないと全滅する」という生存本能を持った、アメリカ人から見た世界であり、人間観であるということです。
生存本能は、全滅を防ぐための絶対的な鍵です。
だからこそ生存本能を持っている人々は、全滅を避けるために、世界中の人々が自分と同じ生存本能を持っていると勘違いしてしまいます。
アメリカ人の生存本能を通して世界を見ると、中国人もロシア人も、アメリカ人の生存本能を持っている人に見えてしまうということです。
なぜなら、アメリカ人が見ることのできる「国家規模の全滅を防ぐ生存本能」は、「アメリカ人の生存本能」一つしかないからです。
そして、他国の生存本能は分からない。
分からないし、見えないけど、他の国の人が生存本能を持っていないと考えるのは不気味です。それでは、生存を放棄しているように見える。
だから、ついついアメリカ人は、世界中の人々全員がアメリカ人の生存本能を持っているように見てしまうし、思ってしまうのです。
それは、日本人も同じことです。世界中の人々に、ついつい日本人の生存本能を重ね合わせて行動してしまいます。
これが国の生存本能を持った人々の世界ということになります。
これと同じように、アイザック・アシモフもロボットの中に、アメリカ人の生存本能を見たということが推測できます。
なぜなら、彼がアメリカ人の本能を持っていたからです。
国の生存本能は、自分の中に一つしかなく、誰かの国の生存本能を見ようとしても、鏡に映った自分の姿しか見えないということです。
だから、ロボットの生存本能を真剣に見ようとしたアイザック・アシモフは、ロボットに映った自分の姿を見て、作品を書いてしまったということになります。
もっと簡単に言うと、アメリカ人の考える敵は、アメリカ人の考え方で行動するので、アメリカ人にしかならなかったということです。
「なぜアメリカのロボットは、すぐに反乱を起こすのか?」
アメリカのロボットがすぐに反乱を起こすのも、アメリカ人の生存本能で説明できます。
アメリカ人にとって、「生きているものは、すべて攻撃してくるもの」なのです。
だから、自分で動くことが出来るロボットも、「生きているなら、必ず攻撃してくるはずだ」となり、「人間への攻撃=反乱」となるのです。
生きている限り攻撃権があるのだから、必ず攻撃してくるはずだというのが、生存本能を通したアメリカ人の世界観なのです。
「生存本能は世界に一つと思いがち」
アメリカ人が「必ず相手は攻撃してくるはずだ」と思っているのと同じように、日本人も必ず相手も「問題を解決したいはずだ」と思ってしまいます。
これは、その国の人が、その国の生存本能を通して世界を見ている証拠であり、それぞれの国の人が、それぞれ自分の国の生存本能が、この世界の常識であると思い込んでいる証拠です。
つまり「先に攻撃しないと全滅してしまう」という生存本能のある世界では、誰もがそう考えると思い込んでしまうということです。
ですが、実際には日本には日本の生存本能があり、アメリカにはアメリカの生存本能があります。
このように複数の生存本能があると気づけない人は、世界には自分たちの生存本能しかないと信じ込んでしまいます。
そして、他国の人も敵も、同じ生存本能を持っていると思い込んでしまいます。
だから、想定する敵や想定する交渉相手が鏡に映った自分になってしまうのです。
ロボット工学三原則に出てくるロボットの行動原理が、アメリカ人の生存本能と一致するのはこのためです。また、アメリカ軍があんなに肥大化したのも、「先に攻撃しないと全滅する」と信じている敵が、いつ攻撃してきても勝てるようにしたためです。
つまり、アメリカ人の仮想敵は、常に鏡に映ったアメリカ人であり、敵の思考や行動もアメリカ人的なものをとるに違いないと信じて、対策します。
国の生存本能が世界に一つだけしか無い世界では、確かに敵も自分と同じように考えて行動すると信じるのは、正しい行為です。
ですが現実では、国ごとに生存本能が違います。
違うと分かったなら、それに対応した策を練るべきです。
アメリカだけでなく、日本や世界中の国々も「鏡に映った自分を、敵や交渉相手と思い込んで行動している」のですから、笑えません。
特に日本は、「相手も、問題を解決したいと思っている」はずだと、信じがちです。
ですが世の中には、問題を大きくすることによって、利益を得ようとする悪党もいるのです。
まずは相手の生存本能を知ること、相手が自分と同じ生存本能を持っていると思わないことが重要です。
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