ニグラ・ブランカ
スミバチ工房
第ー話
同じ大地で
一寸先は闇の中。
私は森の中を走っていた。
暗い、暗い、闇の中。
ランプも持たずに、ただ、がむしゃらに逃げていた。
何も持たずにここまで逃げれたことだけでも奇跡だった。だがその幸運は長くは続かず、怒り狂った民衆によって、郊外の外れで見つかってしまった。
「わんっ、わんっ」
犬が私の居場所を知らせる。
――しまった。撒けたと思ったのに。
「はあっ、はあっ」
足が重い。息が上手く吸えない。だけどそれでも走らなければならない。私は死にたくはない。捕まったら最後、殺される。
木の根に足を取られて体が傾いた。だが直ぐに体勢を立て直し、私は又、必死に足を動かした。
「待ちやがれ! この人殺し集団がっ! ぶっ殺してやる!」
――はっ。ミイラ取りがミイラになるのね。
後ろが騒がしい。「待て」だの「見つけたぞ」だの「殺しちまえ」だの、複数の怒鳴り声が追ってくる。
私は振り返ることはせず、前の闇をひたすら進んだ。木の枝が頬を掠め、私の体に細かい傷を付けていく。
それでも私は走るのを止めなかった。
民衆の怒りは、私の想像を遥かに超えていて、驚くほど我々を憎んでいた。そしてそのしつこさも、想像を遥かに超えていた。
一体いつまで走らなければならないのかな。
一体私は何処を走っているのかな。
一体どこまで追いかけて来れば、民衆は満足するのかな。
――ああ、一晩中鬼ごっこをするはめになるのかしら……。
民衆の声が、足音が、気配が、段々近づいて来ている。
早く、早く逃げなければ、逃げないと。
嫌だ死にたくない。あの死に方はしたくない。
頭の中で三日前の出来事がフラッシュバックする。
*
私は剣闘場で檻の中にいた。沢山の仲間と共に入れられて――
二本の縄と、二頭の牛がその場に用意されていた。
一人の仲間が檻から出され、彼の右手首に縄を一本、左手首に縄を一本、きつく縛られた。
空いている縄の端は、一頭の牛の後ろ足に結ぶ。同じように、もう一頭の後ろ足にもう一本を結ぶ。
手首に縄を縛られた彼は、膝を着き、項垂れていた。自然と腕が横に伸ばされ、Tの字の姿をした彼は大人しかった。
その時彼は恐怖に怯えていたのだ。
彼の最後は今でも鮮明に覚えている。
彼はずっと地面を見て、カチカチと歯を鳴らしていた。これから自分の身に起きることに脅えて。
元は何の職業だったのか、見た目の服装で町民と思われる男が、牛に鞭を入れる。
牛がゆっくりと、それぞれ反対方向に動いた。その瞬間、彼の体は縦に真っ二つに割けた。
悲鳴は無く、体内に詰まっていた臓器はドシャッ、と音を立てながら崩れ落ちた。
地面は赤を通り越して黒に染まっており、再び赤い湖と臓器の山が出来上がった。
周りの観客は、彼の死を目撃することができて喜びの声を、わっと上げた。観客が全員民衆だったその場は、明らかに異様な雰囲気が滲み出ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます