面白い本
おーいらっしゃい! 来る途中で迷わなかった?
そう、それなら良かった。
いやいや、そんな申し訳なさそうにしなくていいよ。私も遊びすぎて終電逃して、あんたの家に泊めてもらったことあるんだからお互い様でしょ? 今日はあの時の恩返しさせてよ。ね、とにかく上がって!
それじゃあ、このベッドで寝てもらおうかな。寝る前にシャワー浴びる?
ん、どうしたの?
本棚大きいねって? ああ、本が好きだからねー。買いすぎちゃって整理できなくて困ってんだよ。ハハ…
最近のおすすめ? んー、最近ってほどでもないんだけど… あった。これね、めっちゃ面白いの!
なんとなく難しそうな感じがする? そんなことないよ! …多分。
いや、なんでもない! そうだ、良かったらこの本貸すよ? 読んでみてよ、マジで面白いからさ!
いいのいいの。ほら、あんたのバッグに入れておくから持って帰って。で、シャワー浴びるなら浴びてきちゃっていいよ! 私はリビングで寝てるから、なんかあったら呼んで! それじゃ、おやすみー。
ん、何?
この前借りた本読み終わったから返すよって? ああ、ありがとう。すぐにバッグにしまってと… で、どうだった?
でしょ! すっごい面白いよね! 特にどのシーンが良かったとかある?
いきなり言われても思いつかない? いいよ、ゆっくり思い出して。
…どうしたの? 顔色が青くなってきてるけど…
…内容がまったく思い出せない? ストーリーも登場人物も何一つ?
…じゃあ、本のタイトルは覚えてる? 作者の名前は? 表紙はどんな絵、あるいは写真、あるいは模様だった?
覚えてない? ついさっきまで見てたのに? …そっか。
パニくらないで。多分それでいいんだよ。
実は私も覚えてないから。内容も登場人物も、今バッグに入れるときに見たばかりの表紙も、何もかも。
これは、そういう本なんだよ。読んだことは覚えてるし、面白さを感じたことも覚えてる。なのに、具体的な話を思い出そうとしても思い出せない。話だけじゃなく、装丁すらもね。
記憶に残らないってだけじゃない。間違いなく置いたはずの場所からいつの間にかなくなって、何日かしたら何事もなかったかのように別の場所で見つかったりする、そんな神出鬼没なところもあるの。私は何も覚えてないはずなのに、見つけると「これはあの本だ」って、なぜかいつもすぐに分かった。
この本は、私が小さい時から、いつの間にか家にあった。その頃から、そんな感じで、面白いけど他の本とは違ってた。
家の人達にこの本が何なのか訊こうと思ったことは何度もあるけど、いつも訊き忘れたり、そういう時に限って本が見当たらなくなるから訊けなかった。大人になってから表紙のタイトルを見ながらネットで調べようともしたけど、そのたびにスマホやPCの調子が悪くなったり、急な来客や電話が入って目を離したすきに本が消えちゃったりで結局ダメだった。
今住んでる家に引っ越してきたときも、荷物に入れた覚えはないのに気が付いたら当たり前のように本棚に収まってた。多分、捨てたとしても戻ってくるんじゃないかなあ。なんだろうね、どうしても自分の正体を知られたくないくせに、なぜか私からは離れたくないんだって気がする。
この前この本貸したのは、他の人も覚えてられないのかどうか確かめてみたくなったからなんだ。勝手に実験台にしちゃってごめん。
そんな本持ってて怖くないのかって? そうだね、変な本だとは思う。でも怖くはない。
だって、面白いから。
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