とんかつ
今回のお題は『とんかつ』です。
甲子園や大学受験が近づくと、親御さんの中にはこれを食卓に用意する方も多いのかなと考えてしまいます。
脂身とコクのあるロース、赤みでさっぱりとしたヒレ。どちらもそれぞれの美味しさがありますね。とんかつ屋で注文するとき、いつも迷います。
私にとってとんかつとは、父を思い出す料理です。
父は何かいいことがあったり、記念日になると、必ず近所のとんかつ屋に連れて行ってくれました。
それが年に数回あるかないか。そのときに食べるとんかつが紛れもないご馳走だったのです。
楽しみで仕方ない特別な日でした。大人の財布事情なんてわかりませんし、どんないいことがあるのかも子どもにはわかりませんから「今日はとんかつ食べに行くぞ」という言葉がいつ降ってくるかわかりません。それこそ、その言葉は天の声のようでした。
とんかつ屋で食べていたものはポテトサラダや漬物、お味噌汁、ご飯のついたありふれたとんかつ定食です。
子どもには大きすぎましたが、私と弟は「ご馳走だ!」と目を輝かせてたいらげました。
練りからしをちょいとつけて頬張る父が粋に見えて、その真似をしていましたね。でもやっぱり鼻に抜けて涙目になるのが、かえって両親には子どもっぽく映っていたでしょう。その影響か、今でもとんかつに練りからしは欠かせません。
それに、最後に登場するクリームソーダがまた嬉しくてたまりませんでしたね。
私の父は仕事一筋でして、おまけに子どもとの接し方がとても不器用でした。
家の中に仕事の話を持ち込まない主義は徹底していましたが、その反動か子どもと遊んだり、話したりすることもない昔気質の人だったのです。
幼い頃の私にとって、父は『畏怖』の対象でもありました。その父がとんかつ屋に行くときは、決まって微笑んでいるのが驚きであり、喜びでもありました。
きっと幼い私は、とんかつ屋のご馳走はもちろん、いつもは難しい顔をしている父が、朗らかな表情をしていることも嬉しかったのでしょう。家族で外食というのも、ほとんどありませんでしたから、そういう意味でも心が弾んだのかもしれません。
今思えば、とんかつは単に父の好物だったのかもしれませんし、近所にある外食できる店で一番近いのがとんかつ屋だっただけかもしれません。もしかしたら、店主と何かお付き合いがあったのかもしれませんね。
ただ、その思い出のおかげで私にとって『とんかつ』とはとっておきの日のためのご馳走になりました。
大人になって自分で給料を稼ぎ、なんでも食べられる年齢になっても、とんかつを食べるときだけはしゃんと背筋が伸びます。目の前にいるのは友人であったり、夫だったりするわけですが、どこかに父の気配があるような気さえするのです。
サクッとした衣を噛み、肉の旨みと弾力が口いっぱいに広がる瞬間、私は十かそこらの少女に戻る気がします。
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