策略
北陸電力の中央給電指令所長である中井誠一は、東京丸の内での打合せ会議を終え富山まで戻るために東京駅に向かっていた。
歩いていける距離だったが、急いでいることもあり銀座から地下鉄丸ノ内線に乗った。電車の中は夕方のラッシュですし詰め状態だった。
鮫島が、三島の妹救出のために韓国へ向かい犠牲になったことは、中井にとってかなりショックな事だった。
今回の北陸電力へのウイルス攻撃の件で鮫島を誘ったのは中井自身であったし、それが尾を引いてこのような結果を招いたからであった。友人であると同時に、唯一無二の才能を失ったことは大きな損失でもあった。
後悔しても後悔しきれない思いがこの数ヶ月間ずっと中井の頭にこびりついて離れなかった。
<裕也、やはりどうしても俺の中で決着しないといけないことがある。お前を死に追いやった犯人を見つけ出さないといけない。そうだろう?>
それに対して、鮫島の答えはいつも決まっていた。
<まあまあ俺のことはいいから、警察にまかせておけよ>
中井にとってはいつも忸怩たる思いのままの悶々とした日々を繰り返していた。
東京駅へ着いて、駅の改札へ向かう途中、中井の携帯電話が鳴った。北陸電力のグループ長で中井の部下である山村俊之からの電話だった。
「ああ、山村君、今、東京駅でこれから新幹線に乗るところだ。これから富山へ帰るから」
「わかりました。中井所長、実はですね・・・東京電力のシステム室の永原という方から緊急の相談があるということで連絡がありまして、・・・」
「東京電力、緊急って?」
改札近くの雑踏の中で多くの雑音がしてよく聞き取れない。中井は携帯電話の通話口を手で包み込むようにして聞いた。
「ええ、東京電力のシステム担当者の方ですけど、不可解なメールが届いていて、それがどうも前回の北陸電力へのウイルス攻撃に関することみたいなんです」
「不可解なメール?」
「ええ、それ以上は詳しくは言ってなかったんですけど、ともかく所長に至急電話が欲しいそうです」
「わかった。ご苦労さん。すぐに電話してみるから」
手短に話し、連絡先の携帯の電話番号を聞いて山村からの電話を切った。
中井は、鮫島を死に追いやった首謀者を知る手掛かりになるかもしれないと思い、教えてもらった東京電力システム室の永原(ナガハラ)と名乗る男へ電話をかけた。
「・・・、・・・、はい」
数秒間をおいて低く野太い男の声がした。
「あ、私、北陸電力の中井といいますけど、そちらは東京電力の永原さんでよろしかったでしょうか」
「はい、そうですけど。・・・中井さんですね、わざわざ電話いただいてすみません。実は、・・・折り入ってお話したいことがありまして、いま東京にいらっしゃると聞いたもので、いまどちらですか」
永原と名乗る男は落ち着いたゆっくりとした口調で言った。
「あ、今は東京駅ですけど」
「そうですか、ちょっとお時間取れませんか?今からだと三十分後ぐらいにそちらへ行けますが」
「わかりました。では、東京駅サウスコートの改札口入口のところにブックカフェになった喫茶がありますからそこで待っています。東京駅に着かれたらそちらからご連絡下さい」
中井は、几帳面な性格で事細かに説明した。そして東京電力の永原という男が来るのを喫茶店に入って待った。レジで注文したセルフのコーヒーを持って席に着いた。
ブックカフェに入ったのは理由があった。読み掛けていた"リチャード・ブローティガン"の"東京モンタナ急行"を開きたかったからである。モンタナで暮らしつつも、東京に何度も滞在していたブローディガンによる百三十の日常の素描集である。忙しい中井としては、移動中も区切って読めるのと、笑ったり、怒ったり、時に考え込んだりするブローディガンの心の移り変わりに共感を覚えていた。と同時に、読みながら、高校時代の鮫島とのことを思い出していた。
ほどなくして、中井の携帯電話に永原を名乗る男から連絡が入った。読み掛けの本を閉じ、カップの底に一ミリ程残った冷めたコーヒーを飲み干し東京駅南口の外へ向かった。近くに車を止めているからという誘いに応じ、中井は誘われるままに永原の待つ車に乗った。乗ってすぐに中井は何者かに後頭部を鈍器のようなもので殴られそのまま意識を失った。
暗闇の中で、中井はうっすらと目を開けた。
<俺は一体どうしたというんだ?そうか、確か東京駅で山村からの電話を受けて東京電力の永原という人物に電話をかけ、・・・・それから・・・そうだ、待ち合わせして車に乗り込んだんだ。あれからどうなったのか・・・・>
意識が朦朧とする中で、中井はぼんやりと思い起こした。
<そうだ、それで急に意識を失ったんだ・・・>
考えているうちに、後頭部が疼くのを覚えた。
<何だ、後頭部がズキズキと痛いが・・・そうか、殴られたのか。それで・・・>
中井は、暗闇の中で今の状況を必死で把握しようとしていた。
<ということは、俺はあの時に永原と名乗る男に襲われて拉致されたのか・・・>
中井は手探りであたりを触ってみた。コンクリートの床で何もない。這いつくばいながら、動いてみた。手の先が壁らしきものに触れた。
<壁、いや、ドアか>
起き上がりながら、その壁らしきものをなぞっていった。ドアノブが手に触れた。ガチャガチャと廻して見たが開かない。
<これは、・・・ドアだ。あきらかに監禁されている。なんてこった、何で、何で俺が監禁されるんだ>
中井はようやく事の重大さを理解することができた。
<北陸電力の所長ということで襲われたのか、この前のハッカー攻撃の犯人なのか、だとしたら・・・どういう要求をしようというんだ>
中井は、暗がりの中で成すすべもなく茫然としていた。
中井との電話のやりとりから一日が経過した。グループ長の山村は、当然ながら昨日の夕方には戻る予定だと思っていたが、途中、東京電力からの連絡があり、その件を中井へ伝えたこともあって急遽予定が変更になり遅くなったためにそのまま自宅へ帰ってしまったのかもしれないと思っていた。
しかし、中井の几帳面な性格を良く知る山村は、予定が変更になったならば当然ながら電話をかけてくるはずだが、と思った。
それが丸一日経過しているのである。中井の携帯電話は電源がオフのままだった。余計なことかと思われそうだが、一応念のために東京電力の永原という男に電話を入れてみることにした。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめになり・・・」
<使われてない、どういうことだ?>
電話番号の押し間違いかと思い、もう一度丁寧に番号をひとつずつ押しながら再度試して見た。結果は同じだった。
山村は、慌てて東京電力のシステム室に永原のことを問い合わせた。
「すみません、こちらは北陸電力の山村といいますが、そちらにいらっしゃるシステム室の永原さんという方をお願いしたいのですが」
「はい、な・が・は・らですか?システム室ですね・・・・少々お待ち下さい」
ほどなくして再び電話口に係りのものが出た。
「申し訳ございませんが、こちらにナガハラというものは在籍しておりませんが・・・」
「えっ、いない?いや、実は昨日そちらのシステム室の永原さんと名乗る方から電話があって・・・・」
山村は、こと細かく事情を話した。
電話口に東京電力システム室の責任者である中園泰というものが出てきた。
「それでそちらの中井所長さんは今日まで連絡がないということですか」
「ええ、それでそちらに電話させていただいたんですけど・・・」
「いやあ、永原という人物はここにはいませんし心当たりもないですね。それは、一応警察へ届出だけでもされた方がいいかも知れませんね」
気遣ってはいるが、どことなく他人事のような応答であった。
「そうですか・・・・・わかりました。ありがとうございました」
山村は思わぬ事態になっていきそうな不安を抱え電話を切った。
山村は、どうしようかと考え込み不意に、この前北陸電力がハッカー攻撃を受けた際に来ていた中井の友人である鮫島とそれに関連して拉致されていた三島のことをテレビの記者会見を見て思い出した。
<そういえば、あれから中井所長の友人であった鮫島裕也は事故で亡くなり、もう一人三島貴之という男がいたはずだ。彼に聞いてみたら何か手掛かりがわかるかもしれない>
そう思い、山村は三島の事務所である福岡のインターコスモへ連絡を入れた。
三島と、若菜、前村の三人は福岡空港の三階出発ロビーの中にあるレストランにいた。ここからは、空港の滑走路が一望に眺めることが出来た。
「何だって附いて来るのかねえ~、まあ今更帰れとも言えないけど、でも俺は遊びで行くんじゃないからな」
三島が手元に握ったコーヒーカップを持ち上げながら言った。
「わかってますよ、三島部長。無償で働きますから」
悠紀子がハンバーグをナイフで切りながら明るく答えた。
「とりあえず、まず何処へ行かれる予定ですか」
若菜が真面目な口調で言った。
「そうだな、まずはホテルベストインかな、まだ運営してるみたいだし・・・」
そう話している最中に三島の携帯電話が鳴った。大崎からだった。
「何だって、中井が?」
「一昼夜連絡が取れなくなっているらしい。それだけならよくある話だが、その東京電力の永原と名乗る男が在籍してないとなっては、・・・・」
大崎は、三島に頼るような口振りで言った。
「・・・うん、・・・うん、わかった。そうすることにしよう。じゃあ」
携帯電話を切った三島は、二人に向き直って言った。
「韓国行きは中止だ。このまま国内線に変えて富山へ行く」
三島ら三人は、そのまま国際線から国内線の富山行き直行便へ乗り換えて、北陸電力中央給電指令所へ急遽向かうことになった。
富山空港へは北陸電力グループ長の山村が直接迎えに来ていた。
「すみません、何か手掛かりが分かればと思って連絡させてもらっただけで、まさかわざわざお越し頂いたんで恐縮しています」
山村は、三人を迎えに来た車の中で助手席から振り返りながら言った。
「いや、どうせ暇だったんで、韓国でも行こうかとしてたところなんですよ。そうしたら電話があったもんで」
富山空港から中央給電指令所へ向かう車の外は、ドライバーの視界を遮らんばかりの霙が降っていた。
「で、中井からはまだ連絡無いままですか」
三島がフロントの助手席に座る山村へ後部座席から聞いた。霙は容赦なく車の窓ガラスにバチバチと打ちつけていた。
「そうなんです、一昼夜何も連絡が無いままで、こういうことは今まで無かったもんですから・・・」
山村が不安そうに答えた。
「そして、その東京電力の永原と名乗る人物からの電話の件を中井さんへ伝えたということですね」
横から若菜が言った。
「ええ、その永原という人物は東京電力には実在しなかったということです」
「山村さん、おそらくですけど、私が思うに、韓国での九州観光に関わる拉致事件、その後の私の妹の拉致事件、そして鮫島の事故、これら一連の事件にキム・デホが関与しているんじゃないかと思うんです。そして中井はその最初の拉致事件の時に発生した北陸電力へのウイルス攻撃の時の被害者でもあります。ですからこれは間違いなくキム・デホが関与しているんじゃないかと思うんですけど」
「やはり、先日のウイルス攻撃のあの時の首謀者ですか」
「そうですね、おそらく中井は彼の一味に拉致されたのかもしれません」
「拉致?それは・・・・どうしたらいいでしょうか」
山村は実害が出てないものの一層の不安と共に答えた。
「キム・デホはコンピューター関連のハッカーです。おそらく北陸電力へのシステム攻撃かそれ以上のことに出てくると思います。で、今度は所長である中井を人質に取っての攻撃を仕掛けて来るかもしれません」
「サイバー関連の警察の部署へ連絡した方が・・・・」
「もちろんそうして下さい。でも警察も今の段階では中井の捜索願いでしか動けないでしょう。一応今後の対策として、実は鮫島裕也の友人で彼と同等以上のハッキングスキルを持ったジョセというアメリカ人に連絡を取りました。たまたま来日してたのでもうじきここへやって来ます」
ジョセは、たまたまアイリーンのコンサートの件で日本へ来ていた。それで、三島からの連絡を受けて急遽、富山へ向かっていた。
一方、山村は中井の家族と連絡を取り警察へ中井の捜索願を出した。
警視庁では、中井の捜索願を受け一連の拉致事件との関わりを踏まえハッカー攻撃に対する対策本部が設置された。
無論、現段階では中井が行方不明になり連絡がとれなくなっているだけである。ひょっとしたらひょっこり現れるかもしれない。
しかし、北陸電力、警視庁ともに万全の体制を整えてその対応策に追われた。
ジョセが北陸電力の中央給電指令所へ到着し、関係者全員が会議室へ集まった。
「こういった輩が人質を取り仕掛けて来るといったらどういうことが考えられますか」
山村がハッカーであるジョセに聞いた。
「クレイジーなやつがどういう動きをするかはクレイジーな故に予測不可能だが、俺の考えではいくつかのポイントが考えられる」
ジョセは、両手でジェスチャーを交えながら答えた。
「まず、前回の新井が仕掛けてきたハッカー攻撃は、鮫島の防御によって失敗に終わっている。だからこの防御に対しての制限がひとつ。それと、今回は人質がいるという利点を生かして、各電力会社、あるいはそれ以外の機関へも攻撃を仕掛けて来るということだな」
「それ以外の機関といったら、例えば・・・・・」
三島が横から聞いた。
「おそらく、国の主要機関である政府や警察や自衛隊も含まれるはずだ」
「ばかな、どれほどのハッカーか知らないが政府や警察へハッキングしたとして何が出来ると言うんだ」
北陸電力システム担当責任者の澤田幸一が言った。
「まあ、そうだな。国を乗っ取ろうなんて誇大妄想も甚だしいと普通は考えるだろうけど、でもさっきも言ったが、クレイジーな輩は破壊そのものが目的だったりするから、その被害を最小に抑える対応をしないといけない」
ジョセは落ち着いて答えた。
会議室のドアをノックする音がし、システム室の別の担当者が入ってきた。すぐに澤田の元へ駆け寄り耳打ちした。澤田の表情がこわばった。
「どうしました?澤田さん」
やり取りを見ていた山村がせっつくように聞いた。
「犯人らしきものから連絡があった。中井所長の命を預かっていると。二十四時間以内に送電を全てストップするように要求している」
「二十四時間以内に全てだって?無茶だ!」
山村は会議室全体に響き渡る大声を荒げた。
「山村さん、すぐに警察へ連絡してください」
三島は促すように言った。
すぐに警視庁の対策本部へ伝令が飛んだ。やはり中井は拉致され人質として捕らわれていた。
対策本部は予測はしていたが、いきなりのカウンターパンチをくらったかのように色めきたった。
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