五月一日(金)

          1   校庭 観覧シート


 抜けるような五月晴れの空。鳴り響く歓声やドンドンと響く応援合戦の太鼓。

 遂にやって来た体育祭当日。校庭に特設された観覧席の一角で、校庭の様子を眺める俺の視界に、こちらに向かって歩いて来る背の高い日傘の女性が映る。おや、あれは――

「やあ、坊や、今どんな感じだい?」

 黒いレースの日傘を差した女性――シャーリー姐さんが俺の横に立って声をかけて来た。

 彼女は黒いロングスカートの裾を気にしながら俺の隣の席に腰かける。

 長い金髪を頭の後ろで団子状に結い、上半身には胸元にフリルの付いた、膨らんだ肩の白いブラウスを着ている。

 前に会った時とはえらく違う、クラシカルな出で立ちに、俺は少々面食らった。

「とても体育祭の日の格好じゃないな」

 シャーリー姐さんはニヤリと笑って、

「跳んだり跳ねたりは得意じゃ無いんだよ、そう言うあんただってさ、日本一体操服の似合わない男に認定してあげるよ」

「そりゃあどうも」

 俺は苦笑する。似合わないのは百も承知だ。

「で? どうなんだい、今の所の勝負の様子は?」

「白組の若干優勢。でも今やってる騎馬戦で取り返すぞ、こっちには最終決戦兵器イシャがいるからな」

 ちょうど、校庭ではイシャの放った高出力レーザー『月光げっこう』が眩い光を放って白組騎馬軍団の隊列を切り裂いている所だった。

「へえ、あの娘かい? 去年、ラボ御自慢の防御フィールドを貫いて会場を火の海にしたってのは」

「うむ、俺は見ていないが、さながら野戦病院の様相を呈した保健室でアンナちゃん先生が一人キャッキャ言いながら治療していたとか。ま、今年はフィールド出力を1・5倍に強化したらしいから大丈夫だろ」

 会場では白組の三騎がイシャを倒すべくエネルギー光球、重力砲、ドラゴンブレスによる十字砲火を敢行している。

「あ、クソッ、体育祭如きで変身すんなよ、何て大人げない! がんばれー、イシャー!」

 声援を送る俺の横で出し抜けに姐さんが欠伸をした。

「あふっ……あらやだ御免よ」

「何だよ、寝不足か?」

「いやあ、昨日は古い友人達と朝まで騒いでいたものでね、そうそう、聞いたかい? 屋内プールの話」

 俺はその単語にピクリと反応する。

「朝来たらプールが何者かに壊されていたらしいよ、昨日の晩、鍵をこじ開けて侵入した奴がいるらしいんだ、心当たりはあるかい?」

「イヤー、ジブンニハ、マルデ、ワカンナイッスワー」

 俺は中空に視線を合わせて棒読みで喋る。

「フフッ、それならいいんだよ、今韮澤くんを中心に補修作業してるみたいだけど、大分スケジュール押すかもってさ――水泳っていえばさ、どうだい、何とかなりそうかい?」

「ふっふっふ。『我に秘策在り』とだけいっておこうかな」

 俺はシャーリー姐さんに視線を戻してニヤリと微笑む。

「おやおや、途方に暮れているかと思えば、水泳部相手に勝つ算段が立ったのかい」

「ふっふっふ、水泳ショー時間タイムが来るのを楽しみにしてな」

「フフッ、期待しているよ、あんたが水泳で誰よりも早くゴールする事に全部賭かっているって言ってもいいんだからね」

「アリスのクトゥルーの事か? プレッシャーかかる様な事言うなよ、大袈裟な」

「悪いね、しかし、フフッ」

「──なんだよ人の顔見て」

「ああ御免よ、なに、これはこの間初めてあんたと会った時から思っていたんだが」

 シャーリー姐さんは歳の離れた弟でも見るような優しげな目をして俺を見る。

「事前に一馬から『燃え尽き症候群の変身ヒーロー』なんて聞かされていたからさ、どんな寝惚けた顔をした男かと思っていたんだが──」

 姐さんは俺の目をじっと見つめながら、

「気付いているかい? あんた今、戦士の目をしているよ。燃え尽きどころか現役バリバリの顔さね」

「え、嘘っ」

 俺は慌てて自分の顔を触って確かめる仕草をする。

「フフフ、本当だよ、見つめられたらクラッと来そうなくらいさね」

 ……やれやれ、どうもこの学園には恥ずかしい台詞を平気な顔して言う人間が多い。

 照れる俺を眺めて、シャーリー姐さんは嬉しそうに微笑む。

「人の顔見てニヤニヤすんなっての、何がそんなに嬉しいんだか」

「いや、なにね、ここに来る前のあんたも多分、今みたいな目をしていたんだろうなと思ってしまってね」

 姐さんは少し遠い目をして話し出す。

「人間てのは厄介な物でね、耐えがたい苦難の日々にあっては、何でもない日常に恋憧がれるのに、本当にそれを手に入れた後は、今度はその終りの無い平凡が、逆にストレスになりだす――そしてまた、スリルとカタルシスに溢れた向う側に堕ちて行くのさ、そこも楽園じゃあ無いって解っていながらね」

「……この学園の卒業生達の事を言ってるのか」

「そうだね、宇宙開発事業団やSPみたいなカタギの職ならまだいい方で、各国の諜報機関や、はてはその物ズバリな特殊部隊なんかに買われて行くのも多いからねぇ」

 俺は姐さんの話を黙って聞いている。持て余す異形の力、戦うべき相手を失った今、この力を一体何に向ければ良いのか。自分は、どこへ向かえば良いのか。

 この学園に来た時からずっと心に付き纏っている疑問だ。

 姐さんの言う通り、今俺の目つきが変っているのだとすれば、アリスのクトゥルー捜索に苦手な水泳という久しく味あわなかった困難な状況を、俺自身、無意識に楽しんでしまっているのかもしれない。口では何と言っていても、俺も困難それを求めているのだろうか。

「この学園にいる間、皆悩み、考え、その上でやはり多くの者達が普通じゃない世界に戻って行く。思うんだけど、ひょっとしたらこの学園はその為にあるのかも知れないね」

「その為?」

「ふふふ、そちら側は退屈だろって分からせる為さ。一度向う側をのぞいちまった人間には、もう平凡な人生なんて無理なんだって理解させる為、そして自らの異形を受け入れ、向こう側で生きて行く。その覚悟を決める為に与えられた数年間の猶予って事さ」

「…………」

「あんたはどうだい? 何か、進むべき道は見つかったかい?」

「……さあな、考えた事も無いよ」

「そうかい、だがいずれあんたも思い悩む日が来る筈だ、覚悟だけはしておくんだね。さて……それじゃあたしはもう行こうかね。あんたも水泳を頑張っておくれよ」

 そう言って日傘を差した姐さんが席を立つと、少し離れた体育館の方から『おおー!』という歓声が聞こえて来た。

「プロレス研のエキシビジョンマッチだね、盛り上がっているみたいじゃないか。あんたも時間があったらオセのメインイベントぐらいは見に行ってやったらどうだい」

 シャーリー姐さんは、俺を見て一つウインクをするとブーツの踵を鳴らして立ち去った。


          2   女子寮


 カーテンを閉め切った薄暗い室内。

 両膝を抱え、部屋の一点を見つめる様にして座り込むアリス。

 今日は五月一日、学園では体育祭をやっている筈だ。

 今、どうなっているんだろうか。

 奥宮先輩からは体育祭が終わるまで辛抱してくださいと言われた。

 功刀先輩も、あの占い以来なにも言って来ない――先輩は水泳で勝てたんだろうか?

 クトゥルーは本当にそれで戻って来るの?

『あんたはそこで縮こまって、誰かがなんとかしてくれるのを震えて待ってるのかい?』

 あの魔女の言った言葉が頭の中をリフレインする。

 ボクの足は自然と例の魔法陣へと向かっていた。


          3   生活塔 裏庭


 五人の男子生徒が集まり、野球部員の様に円陣を組んで頭をつき合わせている。

「おいお前ら、作戦の段取りは覚えたな」

「おう、今度こそアイツらに吠え面かかせてやるぜ!」

「お、俺も、生き恥をかかされた礼をしてやる!」

「でもいいのか? 例の女からは暫く手を出すなって言われたんだろ?」

「いい。あの女はやっぱり信用ならねえ。『功刀達をやるのに協力したい』なんて言いやがるからこっちも言われた通りに手をかしてやったのに、あの襲撃以降ちっとも動く気配がねえ。何度催促しても『まあ待て、落ちつけ』だ。もういい、俺らだけでやる」

「応! 俺ら無敵の『五輪者ゴリンジャー』だぜ、その気になればあんな奴ら余裕のヨッちゃんよ」

「ようし、それじゃ、いつものやるか!」

「応!!」

 円陣を組んだ男子生徒達は、各々の左手を隣の者の肩に乗せる形で綺麗な円形に繋がった。次の瞬間、龍や虎の美しい刺繍の入ったお互いの学ランがそれぞれ、青、赤、黄、白、黒のはげしい光を放ち始める。

「うおぉぉぉぉ!『侠気循環おとこぎじゅんかん』!!」


          4   校舎脇 桜並木


 学園祭の歓声や応援合戦が響く喧騒の中。

 校舎脇の桜の並木道を、足元まである真紅のマントをたなびかせた黒髪の少女が、とぼとぼと肩を落として歩いている。

 葉桜の僅かに残った花びらの侘しさが、彼女を益々ブルーな気持ちにさせた。

 まったくもう。姉さんたら、いつもの事ながら酷すぎる。

『功刀の坊やが悪魔召喚師? あっはっは! 面白いジョークだね、誰が言ったのそれ? え、あたし? マジで? 言ったっけ、そんな面白い事――』

 はあ、私も、もう何度騙されたか分からないのに、どうして信じちゃうんだろう……

 だってさ、いつも話を聞いたその時は、いかにもそれらしい事を言っている様に聞こえるんだもの。うぅ……私は禅くんに襲撃を仕かけ、鎮目さんに喧嘩を吹っかけた、あの数日前の出来事を思い出して益々鬱うつになった。

 特に鎮目さん。あの恐い顔と、かつて感じた事の無い強烈なプレッシャーを思い出すと、今でも背中に嫌な汗が流れるのを感じる。

 あの時はこの次元遷移アセンションマントの能力で何とか逃げ出したけど、あのまま続けていたら、悔しいけど恐らく――

 仮面を被っていたせいで、鎮目さん、私だって事は気づいて居なかったみたいだけど、禅くんバラしちゃったかな? そりゃそうだよね、思いっきり悪人呼ばわりした上、殺すつもりの攻撃を仕掛けて来た相手だもん。

 うう、それもこれも、悪いのは私に嘘八百教えた姉さんなのに!

 姉さんたら、あれ以来全然捕まらなかったのが急にメールで校舎裏まで来いだなんて!

 失礼しちゃうわ! 今日こそとっちめて一緒に謝りに行って貰うんだから!


          5   生活塔 裏庭


 校舎裏の茂みの中で、カラフルな学ランから黄色と白の派手なオーラを巻き散らしつつ、ヤンキー座りの二人組みの不良がタバコを吹かしている。

「ちょっと、暑くなってきたね」

「脱ぐか? 伝説短ラン

「玄武の篤が戻って来るまでオレら、やることないもんね」

「ヘッヘッへッ、追いかけて来た所を待ち伏せして、今度こそフルボッコだぜ」

「こっちはいいんだけど、プロレス乱入組の二人はダイジョブかな?」

「あっちは後回しにしたかったんだが……やれやれ青龍の堅弥の奴め、配下の暴走族ゾクをやられたからって熱くなりやがって」

「まったくだよ、朱雀の潤君までつれてっちゃったし、キョーチョーセーなさすぎだよな」

「まあ、あの豹野郎は腕力以外、大した特殊能力は無いって話だから、堅弥と潤のコンビなら何とかなんだろ」

「ん?」

 彼等の視線の先に、校舎の壁の側に立って、キョロキョロと落ちつきなく辺りを見回す小柄な人影が見えた。伸びすぎたショートヘアの金髪、色の抜けたジーンズ、上半身にオリーブ色の薄手のフライトジャケットを羽織ったその姿は、遠目には、一瞬少年の様にも見えたが、ジャケットの隙間から覗くシャツの胸の膨らみがそれを否定していた。

 少女はまるで病人の様な足取りで壁沿いに手を付いてヨロヨロと歩いていく。

「あれ、アイツって、たしか――」

「ああ、そうだ。屋上で潤の奴を打ちのめしたロボット、あれを裏で操ってるって奴だ。あの女に見せられた資料に載っていた」

「あのロボットは連れていないみたいだね」

「へへへ、こりゃあいい。あいつを捕まえて人質にすりゃあ、功刀達は手も足も出なくなる。よし行くぞ」


「ハッハーッ、ごきげんよう、おじょうちゃ~ん」

 突然現れた二人の男子生徒がボクの前後を塞ぐ様に立ちふさがる。ひるんだボクは背後の男子生徒に捕まり校舎の壁に押し付けられた。

「な、なにを――」

「俺らの事忘れっちまったのかよ~、知ってるぜ~、屋上で潤の奴をノしてくれたロボットのパイロットだろ?」

 ギクッ! 素性がバレている? ボクは背筋に寒いものを感じた。確かに前にいる二人の男は屋上で見た気がするが……なぜ? だがそのボクの考えは強い痛みにさえぎられる。後ろ手につかまれた腕を捻られ無理矢理体を起こされたのだ。

「おっ? 男みたいな格好して、コイツ結構オッパイ大きいぞ」

 ニヤニヤといやらしく笑う不良男子生徒達、ボクはカーッと頭に血が上るのを感じ、

「は、放して――」

 そう言って何とか逃れようと身をよじるが単純な腕力の差はいかんともしがたい。

「ハッハー、そんなに心配すんなよ、オメエは大事な人質だ、エ、エッチな事なんてちょびっとしかしないからよ」

 顔を近づけて来る男子生徒。嫌だ、気持悪い。誰か、誰か――

 パァン! パアァンッ!!

「ギャッ!」

「痛っでえぇぇぇぇ!!」

 突如響いた二発の銃声に二人の男達は弾かれて倒れ込んだ。急に戒めを解かれた事でつられてボクもその場に座り込む。

 功刀先輩? なぜかそう思ったボクは向こうから歩いて来る足音の主に視線を向ける。

「待ち合わせ場所に来てみれば肝心の姉さんはおらず、いるのは醜悪な不良ども。昼間から罪も無い婦女子に乱暴を働こうなどと――」

 足元まで延びた真紅のマントをはためかせた人物がブーツの靴音をさせて歩いて来るのが見える、頭には両端が猫の耳の様にとがった特徴的なフードをかぶっている。

 功刀先輩じゃない。

「だ、誰だ、チクショウ!」

 マントの脇から出た右手で自動拳銃ジェリコを横向きに構えた黒髪の少女は、毒付く不良達に強い口調で言い放つ。

「外道どもめ、正義の名の元に、裁きを下します!!」

「て、テメエ、いきなり銃ぶっぱなすなんて、なに考えてやがる!『裏婆死武瑠りばーしぶる』してなかったら死んでんぞ!」

 パァン!

「あ痛だいっ!」

「貴女、早くこちらへ」

 ボクは彼女のその言葉に慌てて走り寄る。

「チックショ~、女だと思って遠慮してりゃあ~、目にもの見せてやんぞ!」

「そうだよ、義雄君! アレやっちゃってよ、アレ!」

「アレか? おおよ、任しとけ! はあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 掛け声と共に麒麟の義雄の纏う黄色い短ランが一層強い輝きを放つ。

 次の瞬間、彼等の周りの至る所の地面がボコボコと盛り上がり、土くれが見る見る人の姿を形作って行く。

 十数体に上るその土くれ人形達は、良く見るとリーゼントやアイパー、ボンタンにドカン、長ラン、短ランといった様々なオールド・ヤンキー・ファッションを象っている様だ。

「うひゃあ、なんか凄いの一杯出て来た」

 セシリーは銃を構えたまま呆れ気味の悲鳴を上げる。

「ヒャヒャヒャ、これが土を操る麒麟の学ランの力よ、『侠気循環おとこぎじゅんかん』の効果でいつもより数も三割り増し、今日の俺は一味違うぜぇ! 野郎共! 取っ捕まえろぃ!」

 麒麟の義雄の号令を受け、土くれヤンキー軍団はゾンビの様な動きで一斉に二人の少女に襲いかかった。

「ちっ、数が多すぎますね。一旦退却しましょう、貴女もこっちへ!」

「は、はい」

 セシリーはアリスは庇って土くれ軍団に向け数発発砲すると、背を向けて走り出した。

「待~ちやがれ~い!」


          6   校庭 観覧シート


「あの方々は大丈夫でしょウカ……」

 タンカで保健室に運ばれて行く、モザイク無しには見られない、あわれな犠牲者たちをイシャは心配そうに眺める。

「そんな心配しなくったって大丈夫だよ~、イシャちゃんのせいじゃないって!」

「そう、闘争の熱狂とは常にかなしみと隣り合わせ、そういう事だと思いなさい」

 俺はイシャの肩に手を置いて遠い目をして見せる。白組騎馬軍団を完膚無きまでにねじ伏せたイシャは、自らのやりすぎを反省して、だいぶ落ち込んでいるようだ。

「赤組の皆様の勝利に貢献したかっただけなのデスガ、まさかあの様な事になるトハ……」

 赤組騎馬軍団のエース、イシャに対して、徹底した集中砲火を敷いて来た白組騎馬軍団。 だが――

「よもや、自己防衛本能にスイッチの入ったイシャちゃんが、あの鎮目さんですら慌てふためく『神武東征火力支援フツノミタマ形態』に変形するとは、夢にも思わなかったよね~」

「おお、あのありがたい御姿は、年寄りなら五年は寿命が伸びそうな代物だ」

 イシャは顔を手で覆って恥ずかしがっている。

「大丈夫、大丈夫。ウチにはアンナちゃん先生がいるから、火傷くらい手かざすだけで治しちまうよ。今頃『ほほう! 手が取れてるではないか!』とか言って、ポケモンの新作出た! みたいな顔して喜んでるよ」

 俺はそう言って、落ち込むイシャを励ます。

「そうでしょウカ? イシャは、皆様のお役に立てましタカ?」

「おお、赤組生徒にアンナちゃん先生。君の中性子シンクロトロン式粒子加速砲は何人もの人間を幸せにしたんだ、もっと誇っていいさ!」

「そう言って頂けるト、少しは気持ちがまぎれマス」

「そうそう。ほら、そんな事より応援しないと、鎮目さんの障害物競争が始まるよ!」

 一馬が校庭を指差す。トラックでは男女混合障害物リレーが始まろうとしていた。

「そ、そうでシタ。眞名様を全力で応援しなケレバ!」

 イシャはそう言って校庭に向かって座り直す。

「功刀さま、眞名さまは勝てますでしょウカ?」

「そうだな~、あいつ『魔術師系』カテゴリー4だからな~、体の方はまったくの普通人だろ、相手にもよるけど厳しいんじゃないかな」

「ふふふ、そうとも限らないよ」

 一馬が口を挟んで来た。

「これは障害物競争だからね、どんなアクシデントがあるか解からない」

「ほほう、その自信は何か根拠があるな?」

「まあ見てなって、ほら始まるよ」

 パーン! 号令が響き、レースが開始された。

 この男女混合障害物リレーは、男女四人が一チームになって、リレー形式でコースに配置された障害を次々にクリアして行く、中々に凝った競技だ。

 誰がどの障害を担当するかなど、戦略的な面も勝敗に関わって来る。

「鎮目はアンカーか……」

 歓声の中、参加選手達が次々と障害物をクリアーしてゆく。

 平均台を渡ったり、跳び箱を跳んだり、スプーンでピンポン玉を運びながら大ムカデと戦ったり──大ムカデ?

「また、どこからあんなものを……」

「三人目がババだったみたいだね~」

 頭から血を流した男子生徒が鎮目にバトンを渡す、受け取った鎮目は矢の様に飛び出して行った、現在四位。

「どこまで迫れるか──って、結構速いな! あいつ」

「眞名さまはスポーツ万能ですカラ」

 イシャは嬉しそうにそう言う。先頭集団は最後の障害物に取り付いた辺り、うまくすれば追い付くぞ。

「最後の障害は──『お菓子早食い』だって?! いいなあ、俺もこの種目が良かった」

「ふふふ、禅。あれを見ても同じ台詞が言えるかな?」

 先頭集団から悲鳴が上がる。

「ニ、ニッキ飴を……袋ごと!?」

「お、俺はハッカ飴だ!」

「うわあ! 塩飴?! そんな、おばあちゃん家でしか見たことないのに!」

「え? え? ちょっと待って、これ、かじってもいいんだよね?」

 大会本部がザワザワとしたどよめきに包まれている。俺は本部テントの辺りに的を絞って聴覚の集音レベルを上げて、実行委員達の会話を拾ってみた。

『よ、予定ではチョコとかスナック菓子の筈なんですが――』

『何者かが箱の中身を入れ替えたようです!』

 意図しない事態に委員達の狼狽した様子が伝わって来る。

「なんか、中身が入れ替えられてたみたいだぞ」

 言いながら横を向くと一馬が満足そうに目を細めている。

「くくく……苦しめ苦しめ~、人間ども~」

 こいつの仕業か。

「え~、競技円滑化の為、大会本部はかじってもいいという判断を下しました!」

 箱の前で溜まりになってしまっていた走者達は、皆その放送を聞いて、狂った様にアメ玉を噛みだした。

「ゴリッ! バキッ! ぐええ! く、口の中が切れゆう!!」

「ニ、ニッキアメ噛むと、なんかイってなる! 歯が、ウィッてなる!」

 阿鼻叫喚だな。

「そういや鎮目のは? ……あ、ソフトキャンディーだ! あいつだけソフトキャンディーだ、ポケットサイズの! なるほどあれならマッハで食える! 流石さすがだ一馬」

「ふふふ、全ては僕のてのひらの上さ。さあ行け! 鎮目眞名、勝利は君の物だ!」

 ところが、肝心の鎮目はソフトキャンディーを前にして固まっている。何をしているんだ、他の奴らはバリバリ食ってるんだ、急がないと折角のチャンスが無駄になっちまうぞ。


 だが、そんな禅の考えをよそに、その時彼女は葛藤していた。他の者からは『当たり』にしか見えないこのソフトキャンディーを勢い良く噛めない理由が彼女にはあった。


 ―――果たして、アタシの奥歯の詰め物が持つのか?―――


 中学生の時、クラスメイトに貰ったソフトキャンディーで銀歯がガポッて取れた時の嫌な記憶が蘇る。一個何十円か分らないソフトキャンディーに銀歯を持っていかれた時の、あの自己嫌悪と言い様のない喪失感……だがこのままでは、このままではレースに負ける。

 ――ええい、ままよ!!

 ガポッ


 …………………………………………………………………………………死にたい。


「ああっ?! 鎮目が、見た事ないくらい落ち込んでる!」

『ど、どうなさいまシタ、眞名さま!?』

 イシャが慌ててテレパシーを送る。

「駄目なの……アタシはもう駄目なの……解ってたのに、ハイチ○ウと冷凍食品の焼きおにぎりだけは駄目だって、解ってたのに……」

『眞名さま~~~!!』


―――五分後

 ブルーシートの隅っこに体育座りをして陰鬱いんうつなオーラを漂わす鎮目。イシャがその横で鎮目の頭をなでて慰めている。

 あの後とぼとぼと最下位でゴールした鎮目はうつろな目をして俺達の所まで戻って来るとそのままこの状態になってしまった。慰めの言葉をかけるも『ふっ』と自嘲気味の笑顔を浮かべるだけで口を利いてくれない。相当落ち込んでいるようだ。

「う~ん。再起不能だね、あっはっは」

「やはりドSは打たれ弱いな」

「ティッシュに包んだ取れた銀歯を大事そうに手に持ってる姿が更に痛々しさを誘うよ~」

 俺達が好き勝手言っていると、スピーカーから会場内に放送が流れて来た。

「水泳競技参加者は屋内プールに集合してください」

 どうやらプールの補修作業が完了したようだ。

「フッ、遂に真打の出番が来たな。鎮目! カタキは俺がとるぞ!」

 俺は威勢良く言い放つが、鎮目は、聞いているのか、いないのか分らない様子で、体育座りのまま、ぶつぶつ独り言を言っている。

 仕方ないか。そもそも本当のカタキは白組じゃなくて、箱の中身を入れ替えた一馬なんじゃないかという気もするしな。

 さて、生まれ変わった俺の雄姿を鎮目に見せ付けられないのは残念だが、仕方ない。

 俺達は鎮目と付き添いのイシャをその場に残して屋内プールに向かう事にした。


          7   体育館 プロレス会場


「さあ『戦いのアンダーグラウンド』体育祭名物、学生プロレスもいよいよ大詰め。メインイベントのKWGPヘビー級タイトルマッチが始まろうとしています」

「リング上、青コーナーには先に入場した挑戦者が王者の入場を待ち構えて居ります」

 満員の体育館特設会場。プロレス研所属のアナウンサーと解説の二人が、リング脇に設置された会議用の長机に座り、観衆に向かって声を張り上げている。

「それでは先にその挑戦者を紹介してしまいましょう。成長著しいメキシコ帰りの二年生エース『ビクーニャ・エン・マスカラド』! 一説によるとインカ王から養子に出されたアステカ貴族を先祖に持つとか持たないとか言われている謎のマスクマンです」

「多分持たないんでしょう」

「私もそう思います。尚、選手名鑑によりますと素顔は優しくて人のよさそうな顔をしていながらその実気性が荒く、怒るとツバを吐きかけて来る癖がある為、友達が非常に少ないとなっております。是非改善して明るい学園生活を送って貰いたいものです――おおっと、そうこうするうちにレディ・ガガの『ラブゲーム』の入場テーマに乗って……赤コーナーより、オセ選手の入場です!!」

 真っ赤な裏地の豹柄マントをたなびかせて花道を疾走してきたオセは軽やかにコーナーポストを駆け登りトップロープ上で仁王立ちする。

「キシャー!!」

 天を仰ぐようなポーズで咆哮を上げるオセ。

「おお――! いいぞー、オセ先パーイ!」

「死ね――! 死んで償え、このけだもの――!」

 会場から歓声とブーイングが巻き起こる。

「『救世学園の黄色い悪魔』、『全米13の州で放送禁止になった男(もちろん性的な意味で)』など数々の異名を持つこのオセ選手。つい先日もワイセツ目的で入り込んだ屋内プールで水泳部員達の返り討ちに合い溺死しかけるという不祥事を起こしたとの情報が来ています。さあ、ビクーニャ・エン・マスカラド、この変態仮面貴族を倒して悪魔のプロレス独裁政権に終止符を打つ事が出来るでしょうか?」

 マントをバッと脱ぎ捨て花道に放るオセ。

 身長189センチ、113キロの堂々たるヘビー級ボディ。

 ギチギチにパンプアップされた戦闘モードのその体に纏う、グラディエイターをイメージしたリングコスチュームには、黒地に金の細やかなモールディングが入れられ、野蛮さの中にも一種ローマ貴族的な雰囲気を醸し出している。

 オセはリング上のビクーニャ仮面を視界に捉える、だが彼は上半身に見慣れない派手なブルーのジャケットを羽織ったその姿に違和感を覚えた。

「貴様――吉田(ビクーニャの中の人)ではないな?」

「オセ先輩うしろ――!」

 振り向こうとした次の瞬間、後頭部に突然浴びせられた重く硬質な衝撃! 不意打ちを喰らったオセはトップロープ上からリング内に崩れ落ちる様に落下した。

「あぁ! あれは校門前にある筈の二宮金次郎像!」

 オセに替わってコーナーポストに立つ、赤い短ランを着た制服の男子生徒。

「一体何者か?! 重たい銅像を抱えたままコーナーポストの上まで跳び、あまつさえそれを振り回すパワーと身軽さ、只者ではありません!」

 オセが、かろうじて上体を起こすと、すかさず対角コーナーから駆け寄って来たビクーニャ仮面が、両膝をついたオセの顔面にサイドキックを放つ。

 蒼白い電光を纏ったそのキックを受けたオセの体が、電気ショックを受けた様に跳ねる。

「ガハッッ!!」

 トップロープ上に立った赤い学ランの男子生徒は、肩に担いでいた二宮金次郎像をリングサイドに投げ捨て、高らかに名乗りを挙げた。

「俺は『五輪者ゴリンジャー』朱雀の潤!」

 グイとマスクを脱ぎ捨てるビクーニャ仮面。

「同じく青龍の堅弥だ。テメエにムチウチにされた、族仲間達のあだを討ちに来たぜ」

 コーナーポストに寄りかかる様に座り込んだままオセが応じる。

「クックックッ、これはまた古風な、一つ聞かせてもらおう、そのマスクの本来の持ち主はどうしたのだ?」

「控室でノビてるよ、二人がかりでボコにしてやったぜ、どうだ悔しいか?」

「ははは、かまわん、敗れた奴が悪いのだ。プロレスラーは何時いついかなる時も、超人たらねばならんと常に言ってある。不意討ちだの二人がかりだのは言い訳にはならん」

「コイツは心がひれえや!」

 言いながら、片膝をついて立ち上がろうとするオセにミドルキックを放つ青龍の堅弥。防いだオセは再び感電してうめく。

「だ~れが立っていいって言ったんじゃコラ!」

 その時、リングサイドには会場整理に回っていたプロレス研の若い衆達が集まって来ていた。だがオセはリング下に向けて合図を送った。『手を出すな、いいから鳴らせ!』と。

 カ――ン!

「あーっと、遅ればせながら今ゴングが鳴らされました! 仕掛けアングルなのか、本当のイレギュラーなのか、我々にも分からないまま、とにかく試合開始です!」

「おい、堅弥、俺に代れよ。週三で総合格闘技の道場に通った成果を見せてやるぜ」

「しょうがねえな」

 堅弥は渋々タッチをしてリング外に出る。

「へっへっへ、俺はよ、プロレスラーなんて偽者は大ッ嫌いなのよ、タイマンでぶっ潰して化けの皮はがしてやるぜ」


          8   体育館裏


「ハア、ハア……」

 アリスは少し走っただけで息切れしてしまっている。

「運動不足ですねえ……」

 セシリーはやれやれという口調で言うと、追手の来る方角を睨み、

「あの土くれ不良軍団もワンサカ来るし、仕方ありません。隠れてやり過ごしましょう」

「で、でも、ハア、ハア……隠れるって……どこへ……?」

 アリスの息も絶え絶えな質問を受けたセシリーが足元まで届く赤いマントを右手でフワリと広げる。その中に広がる広大な武器庫を初めて見たアリスはあっと声を上げた。

「さ、入って下さい、私も入ったら入り口を閉じちゃいますんで」


「うわあ……」

 どういう原理になっているのかなんて、多分考えるだけ無駄なんだろうけど、ボクはその光景に感嘆の声を上げずにはいられなかった。

 恐る恐るくぐったマントの中には数十平方メートルはありそうな白っぽい空間が広がり、所狭しと兵器が陳列されていた。

 ハンドガンやマシンピストル、様々な国の雑多なアサルトライフルが陳列されているかと思えばこっちの壁は一面AR系(M16ファミリー)で埋まっていたり、スナイパーライフルも一般的な308NATO弾を使用するタイプから南アフリカ製の20㎜対物狙撃銃まで揃っている。凄い、普通軍隊は弾薬の共通化を図る関係上、武器庫もこんな兵器資料館みたいな光景にはならない。ボクの所属していた部隊は、特殊な非正規部隊だったから、それぞれ好き勝手な装備を使っていたけど、それでもこんなのは見た事がない。

「ヒャッハー! ようこそ美しいお嬢さん!」

 突然の大声にボクがびっくりしてそちらを向くと、そこには重機関銃M2ブロウニングの砲身に止まった、一羽のハシブトカラスがいた。

「汚ねえ家だがゆっくりして行きな!!」

「あ、あなたが喋ってるの?」

「俺以外に誰がいるってんだよ? おめえのかあちゃんか?」

 うわあ、なんて口の悪いカラス。

「お待たせ~、ごめんごめん」

 赤マントの人物が、入り口の方から小走りにやって来た。両端の尖ったフードを外すと、ボブの黒髪がふわりと揺れ、短く切り揃えた前髪がキュートな、笑顔の少女が顔を出した。

「あっ、ヒスマエルと話してたの? ちょっとヒスマエル! 失礼な事言わなかったでしょうね? ごめんね、コイツ知り合いの魔女から借りてる使い魔なんですけど、と~にかく口が悪くって」

「ハッハー! よく言うよ、お前さんと比べたら俺なんてコロンビア大のプレッピーよりもお上品だぜ。畜生あのババァもどうせ里子に出すなら、もっとこうプレイメイト・オブ・ザ・イヤーみたいのん所に出してくれりゃあいいのによ、よりによってこんな小生意気で乳の小せえ小娘のマントの中で毎日せっせと銃磨きとはね。『自分の顔が映り込むくらいピカピカにするんだ!』だと? てめえの汚ねえ顔なんざ映っても嬉しかねえや!」

「く、口が悪いって一言にどんだけ悪態を返すのよ! このセクハラガラス! 羽ひっこ抜いて晒して、畑のカラス避けにしてやるわよ!」

「野蛮人だよママ~、野蛮人がいるよ~!」

 二人のテンポのいい掛け合いにボクは思わずクスッと笑ってしまった。さっきまで緊張がやっと解ける。ボクが改めて兵器の山を見回してしていると彼女は少し恥ずかしそうに、

「あはは、商売柄集めだしたのが、エスカレートしちゃって、引くでしょ?」

「いえ、凄いです。これだけあれば要塞だって落とせそう。あ、あの、そういえば、さっきは助けてくれて……ありがとうございました」

 礼を言い忘れていた事を思い出しボクはお辞儀をする。

「ああ、いいの、いいの! 貴女も一年生でしょ? 自己紹介まだでしたよね、私は一年A組のセシリア・ヴァリアンテ、セシリーって呼んでください」

「ボ、ボクはアリシア・アルバーン……アリスでいいです。クラスは、ボクも、A組です」

「え、同じクラス? なんで見た事ないんだろ?」

「そ、それは――」

 視線を逸らそうとしたボクは、その時視界の隅に映った物に釘付けになった。

「あ、あれは?!」


          9   屋内プール 更衣室


 既に他の出場選手達が着替を終えて出て行った後の、がらんとした更衣室の中、俺は脱いだ服を乱暴にロッカーに放り込んだ。

 昨夜の特訓で、作戦の手ごたえはつかんだ。だが果たして本気になった水泳部員川村に通用するのか――嫌、やるしかないんだ。今は勝つことだけを考えろ、功刀禅!

 俺は顔の前で拳を作るとぼそりと呟いた。

熱量カロリー……解放!」

 瞬間、雷鳴の如き鋭い轟音と共に薄暗い更衣室の中は蒼白い電光に包まれた。


          10   屋内プール


「第四のコース――功刀禅君。功刀禅君いませんか?」

 会場がザワつきかけた次の瞬間、入場口からぬっと現れたソレに会場中の視線が集まる。

 中世騎士の甲冑を思わせるエッジの利いたシルバー・メタリックのボディ。

 その白銀とカーボンブラックの関節部が美しいツートーンを描き出し、ボディ表面にはどこか有機的なイメージの放熱フィン群と、そこから漏れ出す、微かなイエローの灯火。

 両足を肩幅の広さに開き、胸を張って屹立きつりつする、一点の曇りもない変身ヒーローの姿がそこにあった。

「おおっ! 功刀が、変身しているぞ!」

「初めて見た! しかも、ちょっと格好いいぞ!」

 世紀の珍獣でも見るかの様に観客席から驚きの歓声が上がった。

 ふっふっふ、いいぞ~、テンション上がって来たぞ~。

 俺はその場で軽くジャンプすると、空中でトンボを切って第四コースのスタート台に鮮やかに着地した。

電磁機巧でんじきこう……ラズナー!!」

 会場からウオオオォォォ! と(主に男子生徒の)更なる歓声が上がる。

「決めポーズだ! なんか知らないけど、ノリノリだぞアイツ!」

 ふっふっふっ、レスポンスのいいお客さん達だ。嬉しいねえ、祭りはこうで無きゃな。

 観客席の一馬は目を輝かせて隣のシャーリー姐さんに話しかける。

音速機動形態サイクロン・スポイラー・モードだ。確かにあれなら水中でも一定の整流効果が見込める。よく見てな、姐さん、禅は本気で勝ちに行くつもりだよ」

「おやおや、そいつは楽しみだ。さて、どんな曲芸を見せてくれるのやら」

 禅のその姿を見たみゆきちゃんも職員席から驚きの声を上げる。

「あ、あれは編入時の体力測定で見せた姿、あの物臭太郎にいったい何があったんだ?!」

 禅の右隣の第五コースから川村が声をかけてきた。

「なるほどそれがお前の本気の姿か。だが俺とて水泳部の末席を汚す身。水辺キャラの誇りに懸けて、この勝負、勝ちを譲るわけには行かんぞ。ハアアァァ―――ッ!!」

 川村が拳を握り締めて気合を入れると全身の皮膚がダークブルーに変質し、体の各部が鮫の様に美しいフォルムに変化した。奴も本気だ、俺は答える。

「本来なら同じ赤組としてお互いの健闘を祈る所だが、今回は俺にもどうしても勝たねばならん理由があるのだ。川村、俺は今日……お前を超える!」

 あたかも宿命のライバルの様に睨み合う二人の戦士。

 競技参加者全員がスタート台に揃い、暫しの静寂の後、会場に号砲が鳴り響いた。

 皆が頭から飛び込んでいく中、何を考えたか一人プールに足から飛び降りる禅。

 だが当然響くはずのドボンという水音はせず、変わりにパンッという硬質な音が屋内プールに響き渡った。

 会場に『おおっ』という、今日何度目かのどよめきが走る。

 彼は水面に立っていた。

 陸上のもも上げトレーニングの要領で、凄まじい速さで足を上下させ、スタート地点からすぐの水上で足踏みをしているのだ。

「「そう来たか!」」

 一馬とシャーリー姐さんが同時に唸る。禅の秘策の正体が解ったのだ。

 右足が水面に沈むよりも早く左足で水面を叩く。

 その左足が水面に沈むよりも早く右足で水面を叩く。

 禅の足が水面を叩く度に鳴るパンパンという炸裂音、その連続音の間隔がパンパンパパパパパパパパとどんどん短くなって行き、遂にパイ――――――ンという繋がった一つの音となった。

 次の瞬間、ほとんど前に進んで居なかった禅の体は弾かれる様に飛び出した。

 水面に対して十分な反発力を得る為、普通に走るよりも振り下ろす足の角度は垂直に近く、かなり窮屈だがそれでも禅の体はあっという間に加速して陸上のオリンピック選手並のスピードに達する。

 先を見るとやはり川村が圧倒的なスピードを見せつけ、既に折り返しのターンを終えてこちらに向かって来ている。

 禅は次々と他の選手を追い抜いて折り返し地点に迫った。

 観客席の一馬が真剣な眼差しで呟く。

「だが禅、その勢いでターンはどうする?」

「ここだっっ!!」

 禅は軽く水面を踏み切って跳び、体を二分の一捻りさせて壁面に後ろ向きに着地すると、コンクリを踏み壊しつつ勢いを殺して再度着水。

 ある程度スピードダウンしつつも再加速しながらゴールに向かって再びダッシュした。

「なるほど、昨日の晩プールを破壊した犯人が誰か解ったな」

 くわえタバコのみゆきちゃんが眉をひそめる。

 先行する川村が息継ぎのついでに後ろをちらりと見ると、ものすごい勢いで水面を走って追いかけて来る禅の姿が見えた。

 なんだありゃ! そんなの有りか? と言いたい所だがこのままでは追い抜かれるのは時間の問題だ。ええい、くそっ!

 すでにレースは集団から完全に抜け出した俺と川村の一騎打ちの様相を呈していた。

 いける! 矢の様に水中を突き進む川村は確かに早いが、このまま行けば捉えられる! 悪いがレースカーと潜水艦では速さの基準が違うのだ。

 俺は更に手足に鞭を打ち加速する。川村に並ぼうとしたその瞬間、俺は頭部に拳銃で撃たれたかの様な衝撃を受けてバランスを崩した。

 危うく水の中に落ちそうになりながら、俺は攻撃の正体を見極めるべく感覚加速ゾーンに入る。

 水?! 水面からレーザーの様に発射された水が、四方八方から俺を狙って浴びせかけられている。くっ、また喰らった! 上半身の動きだけでは、かわしきれん!

「クソッ! 川村か、卑怯だぞ!」

 高速で飛来する幾条いくすじもの水圧カッターをのけぞりながら避ける。

「許せ、功刀! 敗れれば俺は水泳部の連中(主に来栖先輩)にどんなひどい目に合わせられるか分らんのだ! 済まん、ここで死んでくれ功刀!」

 ドヴォアアァァァァン!

 四方の水が柱になって立ち上り、俺に向かって降って来る!

「全周囲から襲いかかる数十トンの水の固まりだ! カナヅチの貴様に逃げ場はないぞ!!」

 瞬間、アリスの不安そうな顔が頭に浮かぶ。負けられん! 負けてたまるかぁ!!

 俺は左足を限界のスピードで振り下ろし、水面を蹴り飛ばす。

 音速を超えた左足から凄まじい轟音が響き渡る。

 空中に飛び出しながら、俺は迫る水の壁に伸ばした一本の指を思い切り突き出した!

「ウオオオォォォッッ! マッッック・スティンガ―――――ッッ!!」

 濃密な大気を引き裂き文字どうり力ずくで音速の壁を突き破った指先から強烈な衝撃波ソニック・ブームが発生し目の前の水の壁に穴を穿うがつ。俺はそのままその穴から空中に抜け出した。

「川村あぁぁ!!」

 俺は真下を向いて川村を探す。

 あれ? なんか水面にサメっぽいのが浮いてるぞ。俺はジャンプの放物線の頂点を過ぎて自由落下に入りながら戦闘モードの頭を急遽切り替え、川村が浮いている理由を考えてみた。なんだ? あ、ひょっとしてあれか? さっきジャンプするときに足元から音速突破時の轟音が聞こえて来たけど、あれじゃないか? 水中だと大気中より音が良く伝わるっていうから、その音で気絶したんじゃないか? ほら、兵隊が爆薬使って魚取る感じで、きっと水面下は音響爆弾的なスンゴイ音が響いたのかも。良く見ると他の選手も浮かんでいる。あれ? 俺が悪いのか? なんか申し訳ない事した気がするけど、襲ってきたの川村の方だし。ふ、不可抗力だよな。とそこまで考えた所で俺は水面に着水した。

 沈まない様に再び腿上げを再開すると、俺はそのまま進んでひとまずゴールした。

 スタート台の上に立つ俺。

 会場は水を打ったように静まり返っている。

 どうしよう。いや、こうなったらおどおどしても仕方がない、こういう時は自分には一切非が無いかの様に堂々と振舞う他ないのだ。

 俺は両腕を上げると大声で勝ち名乗りを上げた。

「勝ったど――――――!!」

 その瞬間、皆目を覚ましたかの様に観客席から地鳴りのような歓声と怒号がこだました。

「きっ汚いぞ! なんかどこから突っ込んでいいのか分んないけど、酷過ぎるだろ!」

「正当防衛だ! そして不可抗力だ!」

「そもそもお前走ってたじゃねえか!」

「立ち泳ぎです!」

「自由すぎるだろ! 自由形って書いたら普通の奴は何も言わずにクロールって読むんだよ、空気読めよ!」

「へっへ~、百メートル自由形で立ち泳ぎしちゃ駄目ってルールブックに書いてあるんですか? それとも事前にそんなお達しがあったんですか? いつ? どこで? 何時なんじ何分何曜日? 地球が何回周った日~?」

「小学生だ! 小学生がいるぞ!」

 既に善玉ベビーで行くのを諦め、悪役ヒール風に親指で首を掻っ切るポーズで観客席を威嚇する禅。

 シャーリー姐さんは腹を抱えて笑っている。

「あっはっはっは、最後の最後に笑わせて貰ったよ、あ~、面白かった」

 シャーリー姐さんはそう言って、目元に浮いた涙を拭うと、

「さあて、それじゃ、あたしは一寸ちょっと行って来るよ、『大事な仕事』があるんでね……」

 一馬に向かって一つウインクをして、席を立って下に降りて行った。

 何の事だか分らない一馬の頭に『?』マークが浮かぶ。

 数分後、本部テントの大会実行委員がマイクを手に会場に協議結果の発表を始めた。

「え~、四コース功刀選手の泳法(?)の正当性について大会本部にて協議致しましたが、その結果、彼の泳法は日本の古式泳法にある『水踏術すいとうじゅつ』の一種として認められるという判断が下されました」

 会場にウオオオという歓声が起こる。

「よって真に不本意ながらこのレースの一着は四コースの――な、なんですか貴女?」

 ふいにアナウンサーの後ろに現れた女性が彼に何かを手渡して耳打ちしている。あれはシャーリー姐さんじゃないか。

「え、このメモを見ろって? はっ! こ、これは!」

 アナウンサーはマイクを片手にメモと俺の姿を交互に見比べると。

「皆様、大変申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください」

 そう言い残して再び本部テントに走っていってしまった。

 なんだ、何をしたんだ、シャーリー姐さん。さっきまで勝利を確信していた俺の胸に言いようのない不安が広がる。

 しかしてそれは現実となった。

「皆様、大変お待たせしました。大会本部委員会による、再協議の結果をお伝えします。功刀選手の泳法は先ほど申し上げた通り、正当なものと認められましたが、その後寄せられた別件のルール違反について審議しておりました。えー結論を申し上げます。功刀選手は大会規定にあります『水泳種目参加選手は学校指定の水着を着用する事』という項目に違反している為、残念ながら失格となります」

 会場が今日一番のどよめきにつつまれる。

「な、水着ってこの格好の上に海パン穿けってのか? あちこち尖んがってるんで途中で引っかかって破けるわ! そもそも別にフルチンじゃないんだから問題ないだろが!」

「尖んがってるのは貴方の都合です。ルール違反はルール違反、例外は認められません!」

 なんじゃそりゃあ!! 判定に不満を持った赤組生徒達が怒涛の如く乱入してきた。

 文句あんのかゴルあぁ!! それに対抗して白組生徒達も雪崩の様に乱入してきた。

 更に実行委員と教師まで入り乱れて、会場は押し合いへしあいの大混乱に陥いった。

 収拾不能かと思われる狂乱の中、不意に会場がぴたりと水を打った様な静寂に包まれた。

 あれ、なんだ、皆の視線を感じるぞ。いや、勿論俺はこの騒ぎの元凶な訳だから注目を浴びるのは仕方がないのだが、何だこの時間が止まった感。

 向こうに見えるシャーリー姐さんが口の辺りに手を当てて『ワーオ』というジェスチャーをするのが見える。

 俺は不意に自分の体に視線を落としてみた。

 全裸。

 なるほど、協議が長引きすぎたせいで変身のタイムリミットが切れた様だ、いつもなら気づかないって事はないんだが、俺とした事が周囲の喧騒に気を取られたか、はっはっは。

 ――そして時は動き出す――

「きゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!(←俺の声)」

 俺は大事な場所を両手で隠して退場口へと一目散に逃げ出した。


―――五分後。

 ブルーシートの隅、鎮目の隣に体育座りをして陰鬱いんうつなオーラを漂わすジャージ姿の禅。

「うっとうしいのが二人になったよ、あっはっは~」

 相変わらず体育座りの鎮目が横でぼそぼそ言ってるのが聞こえて来る。

「ふん、男なんだから、別に裸見られたくらい、どうだっていいじゃない」

「ふん、お前こそ、たかが銀歯取れたくらいでウダウダと、歯医者行け歯医者」

 鎮目がこちらをにらんで来た。

「ふん、大観衆の前で生き恥を晒したんですって? じゃあ、死ねばいいのに」

 俺はにらみ返す。

「ふん、俺のセクシーショットをおがみ損ねたのが悔しいんだろ、や~らしい~」

「弟が二人もいたから、今更そんなもん珍しくらしくもないわ、アンタのなんてどうせ筆箱の隅の4Bの鉛筆みたいなんでしょうし」

「なるほど、細くて短くて芯までやわらかって、なに上手い事言うてんねん! めっちゃゴツイわ! 竜槍ゲイボルグみたいやっちゅうねん!」

「神門、真実?」

「小さくはないよ! ……かむってるけど……」

「余計な事を残念そうに言うな一馬! あれはプールで冷えたせい!」

 フゥ、やれやれだぜぇのポーズでさげすんだ目を向けて来る鎮目。

「くっそ~、さっきまで、しおれた朝顔みたいになってたくせに、人の不幸を養分にしてすっかり元気になりやがって」

「あはは、まあまあ、禅も鎮目さんも、しおれた朝顔同士もっと仲良くしなよ~」

「だ、誰のが、しおれた朝顔みたいだ! 訂正しろ一馬!」

「そうよ! 誰を何と一緒にしてんのよ、汚らわしい!」

 鎮目は怒りながら、荷物をまとめ出した。

「何だ? どこ行くんだ鎮目」

「歯医者! 早退すんのよ! バカ! アンタ達バカにこれ以上付き合ってらんないわ!」

 頭から湯気を出しそうな顔をしてドスドスと足音をさせて去って行く鎮目。

 イシャはオロオロしつつも、こちらに一つお辞儀をすると、鎮目に付いて去って行った。

 俺は二人に手を振って見送る、バイバ~イ。

「あ、僕もそろそろリレーの時間だ。その前に、はい禅、これ食べときな」

 一馬はそう言って菓子パンの詰まった袋と、1、5リットルのコーラを取り出して来た。

「おお、サンキュッ! 気が利くな一馬」

 俺は受け取った袋から菓子パンを取り出すとバクバク喰って行く。

 さっきの水泳でキャパシター・バンクの電力がほとんど空になってしまった。せめて、寮に帰りつくぐらいまでは、頑張って発電せねば。

「むぐっ!」

 俺はパンを喉に詰まらせてむせこむ。

「ほらも~、取らないからゆっくり食べなって~」

 一馬の言葉にオウオウ頷きながら俺がドリンクを飲もうと手元のペットボトルのキャップを開けると、中身が爆発するように噴き出し俺はコーラまみれになった。

「んぐっ! ……誰か振りやがったか?」

「あ、禅、あれ!」

 一馬の指差す方を見ると遠くで『バ~カバ~カ、オシリぺ~ンぺ~ン』というジェスチャーでこちらを挑発している黒い短ランの男子生徒が見える。俺達が気づいたと分ると、男子生徒は背を向けて校舎裏の方に向かって駆けて行った。

「あいつは例のヤンキー戦隊の――」

 俺はタオルで顔を拭き、ビニール袋から次のパンを取り出して齧りながら呟く。

「玄武のウンチ君。懲りないな~、遊んで欲しいみたい、きっと罠でも張ってるんだよ」

「だろうな――まあ、じゃあ、おバカちゃんは、ほっとく感じで」

「うん。それじゃ、僕もう出番だから行くね。禅、ちゃんと見ててよ~」

 一馬は席を立って集合場所の方へ走ってった。

 独りになった俺がパンの残りを片付けていると――

「大変ひも~、ヤバイひも~」

 頭に突然間の抜けたテレパシーが響くと同時に、目の前にポムッとピンク色の煙が立ち昇り、何かが姿を現した。

 ニョロリと細長い紅白シマシマ模様の胴体に、猫の様な頭が付いた謎の生命体。

「おー、『まこら』このあいだはサンキューな、礼に今度駄菓子屋でひもアメ奢ってやる」

「わ、我輩は紐っぽいだけであって別段、紐が好きな訳ではないひも~」

 まこらはニョロニョロと体を揺すって抗議する。

「そんな事より大変ひも~、お前と阿頼耶が気にかけている例のお嬢ちゃんひも~」

「アリスか? あいつがどうしたんだ?」

「今学校に来ているひも~」

「ほう! そりゃ本気マジか?」

 驚きだ、何か心境の変化でもあったのだろうか?

「しかも不良に襲われてるひも~、リアルタイム進行中ひも~」

「何だと?! バカ! それを早く言え!」

「お前の方が阿頼耶より近くにいたひも~、早く助けに行くひも~」

「場所は?!」

「生活塔の裏庭ひも~」

 俺は食いかけのパンを口に突っ込むと、校舎裏目指して駆け出した。


          11 体育館 プロレス会場


「朱雀選手ワンツーからタックル! まだ意識がハッキリしないのかオセ選手! 簡単に倒されてしまいました。さあ、上になった朱雀選手どう攻めるか!」

 オセは、かろうじて上の相手の胴体を両足で挟み込むクロスガードの体勢を取るが、

「ああっと、朱雀選手まったくお構いなしのパウンド(寝ている相手へのパンチ)で下のオセ選手を攻めたてます。入った、入ったあ! 素晴らしい打撃あてカン!」

 ガードポジションの隙間から炎を纏った潤のパウンドが滑り込みオセの豹顔にめり込む。

「あ、ちょっと危険ですよ」

「オラオラァ! もう終りかっ!」

 叫ぶ潤。このまま決まってしまうのか? そんな空気が開場に流れたその時。

「おおっと、何だあれは!?」

 下にいたオセが朱雀の潤の右手を取って肩にかけた足をグイと動かしたかと思うとあっという間に二人の体が入れ換わり、オセがうつ伏せに組み伏した潤の右肩の上に座り込むような姿勢に変っている。見れば潤の右腕を自分の太股に挟んでねじり上げている様だ。

 解説がほほう! と驚きの声を上げる。

「あれは『オモプラッタ』ですね、柔術の技です。サラリと決めましたが総合の試合でもめったに極まらない、かなり高級な部類の技ですよ」

「確かに! オセ選手、生意気にもガードポジションからオモプラッタを仕掛けた模様です。朱雀の潤選手は大丈夫でしょうか?」

「あそこまでガッチリ極まってしまうと……下手すると折れちゃいますね」

「うぬぬ、『別に総合の技くらい使えるけどね』とでも言いたいのでしょうか? オセ! 何て嫌味な男でしょう」

「くっ……てめえっ! 総合知ってんのか?!」

 見下すオセを肩越しに下から睨み上げる潤。

「フフフ、相手がワルツを踊れば自分もワルツを踊り、ジルバを踊ればジルバを踊る。敵の土俵に立った上で完膚なきまでに捻じ伏せるのが真のプロレスラーよ」

「この野郎! 潤を放せ!」

 後ろからリングに躍り込んだ青龍の堅弥がオセの後頭部にケリを入れる。

「いでででえ!!」

 だが悲鳴を挙げたのは腕を極められた朱雀の潤。

「オイオイ、無茶をするな、変に力を加えたらポッキリ折れてしまうではないか」

 苦しむ潤をしり目にオセは後ろを振り向きながら青龍の堅弥に忠告する。

「くっ!」

 どうすればいいのか分からなくなり、後ずさる堅弥。

「こんな技は、ワシがパンクラチオンに出ていた頃には、編み出しておったわ、だが……」

 オセはパッと極めていた潤の手を放す。潤が驚く間も与えず地を蹴った彼はゴロンと後ろに一回転すると青龍の堅弥に背を向ける形で勢い良く立ち上がる。

 驚く彼の顎を肩でカチ上げつつ首をロックし、そのまま真下にストーンと尻餅をつく。響く、鈍い衝撃音。

「スタナーッ!!」

 オセの肩越しに下から襲って来た強烈な衝撃を受け、顎を押さえてのたうちまわる堅弥。

 やっと飛び出した派手なプロレス技に会場中が沸く。

「今日の客はプロレスを見に来た客、渋い玄人技でハイ終わりと云う訳にはいかんのだよ」

 ゆっくりと立ち上がるオセ。既に起き上がっている朱雀の潤は再びポジションを奪おうと身構える。だがさっきまでと何かが違う。

 あ、あれ、コイツこんなにデカかったっけ……?

 がっ! 不意に伸びて来たぶっとい右腕に首をつかまれ、軽々と持ち上げられる潤。

「おごっ!」

 オセはそのまま振り回す様に勢いを付けた潤をまだ地面でゲホゲホ言っている堅弥めがけて叩き付けた!

「「ギャン!」」

 二人が同時に悲鳴を上げる。

「チョ――ク・スラム! 喉輪落としです。角度がエグい!」

「う、ゲホッ……おい堅弥、大丈夫か? 堅弥?!」

「ゴホッ……な、なんとか」

 ヨロヨロと起き上がる二人、オセの顔に感嘆の色が浮かぶ。

「ほほう、お前ら受け身もろくに取れんくせに、また随分とタフだな、その派手な学ランのお陰なのか?」

「コ、コイツは『五輪者ゴリンジャー』の証、伝説の学ランよ!」

「そうだ、なんか文句あっか!」

「いや、それはいい、頑丈な体はプロレスをやる者にとって何よりの財産だからな」

 オセが何やら考え込む。

「……丁度タッグに濃い悪役ヒールが欲しいと思ってた所……群馬県からの刺客、名前は――そう、ベイシア兄弟! トランクスにペヤングのスポンサーロゴを入れて―――」

「お、おい、何ブツブツ言ってんだよ」

「フハハハッ! いいぞぉ、盛り上がって来た! お前ら、プロレス研に入れ! 俺が一から教えてやる! 今日から邪道外道を目指すのだ!」

「な、何言ってんだよいきなり、こいつ、こ、怖えぇよ」

「そ、そうだ、プロレスなんてやる訳ねえだろ!」

「そう言うな、ケニー・ベイシアよ」

「誰え?! へっ変な名前で呼ぶなぁ!」

「さて忙しくなるぞお、必殺技も考えねばならんし……」

「やらねえっつってんだろ!」

 恐慌状態に陥った青龍の堅弥が跳びかかって来る。豹顔の口元に笑みを浮かべたままスッとロープ際に移動するオセ。

「『斬打弗不印さんだーどるふぃん!!』」

 稲妻をまとった青龍の堅弥のフライングクロスチョップがオセを襲う。オセはそれをすれすれまで引き付け、ブリッヂでかわし、ともえなげの要領で場外に、叩き付けた!!

「ギョボァッッ!!」

 リング下のマットに頭から突き刺さる青龍の堅弥。ロープに足を引っかけて自らを支えるオセに両足首をガッチリつかまれリング下に放り出された彼の二本の足は、又を裂かれ、美しいVの字の形を描いていた。

「おおっと、あれは『ジャガーVジャガヴィー』! 『ジャガーVジャガヴィー』です! オセ選手の『七つの封印』の一つ。『著作権的にグレー』という理由で、彼みずから封印したと言われる大変危険な技です!」

 オセが手を放すと堅弥はそのままズルズルと力なく倒れる。流石さすがのタフネスも気絶したのか、

「青い顔で泡を吹いています。ああ、またしても前途ある若者が一人オセの魔の手にかかってしまいました。さあリング上のジョニー・ベイシア! 兄の敵を取れるでしょうか」

「だ、誰がジョニーだ! 弟じゃねえし!」

 オセが解説席をチラと見てグッと親指を立てると、一瞬視線の合った解説がグッと親指を立て返す。

「お、お前ら本当は仲いいだろ! くっそー、よくも堅弥をっ!!」

 怒りと恐怖に突き動かされ、なりふり構わずオセに殴りかかる朱雀の潤。

 もはやテクニックも駆け引きもなにも無しに滅多やたらにパンチを振り回す。

 烈しい焔を纏ったそれらを中腰のノーガードで敢えて喰らい続けるオセ。

 肉と骨のぶつかる鈍い音と焦臭い匂いが会場に拡がる。

「フハハハ、いいぞいいぞ、先程までの、にわか格闘技などより遥かにイイ!」

 心底楽しそうに笑うオセ。

 それを見た潤の眸に凶暴な焔が点り、纏う紅いオーラが一層濃くなった。

「ギィヤッッ!」

 怪鳥けちょうの叫びを発して跳びかかる潤。

「『宿龍爆刃夏来すくりゅうばーにんなっくる!!』」

「だが──」

 オセは頬の毛を焦がされながら紙一重の見切りで、それを避わす。

「五秒以上のパンチ攻撃は反則だからな」

 さっと潤の股ぐらに腕を差し込み抱えあげると、背後のコーナー越しの花道に向かってボディスラムで投げ捨てる。

「がっ!」

 固い花道に背中から落とされた潤の口から悲鳴ともつかぬ呼気が漏れる。

 間発入れずにコーナーを飛び越え場外に追いかけるオセ。

「フフフ、プロレスの技も徐々に覚えていかねばな、忙しくなるぞ~」

「あ痛たたたた……」

 我に返った潤が起き上がろうとすると、悠々と歩いてきたオセに捕まる。

 花道上で組み付き、ファイアーマンズ・キャリーの体勢で、うつ伏せに担ぎ上げた潤を、オセはそのまま首と腰の辺りをつかんで、上空に高々と持ち上げた。

 会場から『おぉぉ!』と歓声が上がる。

「出るぞ!『ブラック・ホーク・ダウン』だ!」

「七つの封印の一つ!『しゃれにならない』という理由で封印された、オセ先輩の必殺技だ!」

 た、高けえ! しかも首をアホみたいな握力でつかまれてて力が入らねえ。

 オセがあごしゃくって下を見る様にうながして来る。

「あれが何か分かるかな?」

「へ?、あれ?」

 俺が下を見ると紫色っぽい顔で泡を吹く堅弥が見える。

「違う違う、もうちょい左」

 言われた方を見るとそこには俺が乱入の時に使った銅像が仰向けに横たわっていた。

「なにって、銅像だろ……ま、まさか」

「うむ、金次郎殿はお怒りだ、お前行って一言びて来い」

「おい、まさかあの上に? よせよ、普通に落とされたってヤバそうな高さだぞ!」

「クックックッ、タフなんだろ? 覚悟を決めな! ……オラァ! 良い子は絶対真似すんなよぉっっ!!」

 オセがお約束のセリフを叫ぶと、会場中の観客達が、待ってましたとばかりにカウントダウンを始めた!

「ワーン!」

 オセが俺をリフトしたままその場で回転を始める。会場の景色が凄い速度で目の前を過ぎ去って行く。

「ツー!」

 な、何だよ、何が起こるんだよ、お前らは知ってんのかよ……。

「スリー!」

 オセは片足を振って軽く斜めに踏み切った。

 空中で潤の首をつかんだ腕に力を込め、頭を下に立てつつ自らは両足を開き、リング下の二宮像に向かって跳び込む様に落下する。

 横向きの景色の流れが縦方向に――

 スローモーションで色も音もない世界、俺が最期に見たものは……ああ金次郎、君ってこんな顔をしていたんだね…………。

「花道から!ブラック・ホーク・ダウ―――ン!! 死んでしまう~~~~!!」

 司会の絶叫が会場に木霊する。

 突っ込んだ二宮像の上にさかさに寄りかかって白眼を剥く潤と、一人立ち上がってそれを見下ろすオセ。

「元よりレフェリー不在のノールール・デスマッチの様相を呈していた試合でしたが、これで決着と言っていいでしょう。それにしてもリフトアップ式・スクリュー・デスバレー・ボムとでも言ったら良いのでしょうか、オセ選手のオリジナル殺人技が火を吹きました。しかも銅像めがけて落とすというこの無法!」

 オセは完全にのびている二人の少年に近寄り様子を見て行く。

「ふむ、二人とも気絶しているだけか、頑丈さもここまで来ると大した物だ」

 オセは二人を両肩に担ぎ上げ、一人の時と変わらぬ身軽さでコーナーポストを駆け登る。

 彼が最上段で勝利の雄叫びを挙げると会場中からは地響きの様な歓声が巻き起こった。

 調子に乗ったオセは二人の首の後ろを猫づかみにして会場中に『どお? 凄いでしょ』とばかりに見せびらかす。身体中の色々な穴からダラダラ血を垂らしている朱雀の潤と、青から紫を通って、そろそろ黒っぽい顔色になっている青龍の堅弥の二人に、会場はあっという間にドン引きになった。

「あぁ、酷い、実に酷い。誰かこの黄色い悪魔を止める者は現れないのでしょうか?! おっと、今、大会運営委員から『巻け!』の合図が出ました。それでは、以上、体育館特設会場からお送りしました。皆さん又お会いしましょう、さようなら~」

 二人を両肩に乗せたまま悠然と花道を去って行くオセ。

「さて、お前らにはもう少々付き合って貰おうかな。折角だから治療がてらにプロレスの奥の深さと云う物を語って聞かせてやろう。なに心配するな、痛いのは最初だけだ………ウホッ」


          12 セシリーの武器庫


「クトゥルー!?」

 力無く壁際に座り込む様な姿勢で置かれたでダークブルーの巨人。ボクは駆け寄って膝をつくと、その懐かしい羊顔にすがりつき頬ずりをする。

「あれ、ひょっとして、それって貴女のなんですか?」

 ボクはその声に我に返る。まさか、この人がクトゥルーを奪った犯人?

 ボクの視線に、最初キョトンとしていた彼女は、その意味に気付いて慌てて手を振る。

「ちょ、ちょっと待って! それは私もつい先程、そこに置かれてるのを見つけたんです」

 ボクがまだ警戒しているの見て、彼女は苦笑しつつ、

「まあ、この空間にアクセス出来る人間は限られていますから、誰が置いたか見当はついてるんですけどね。それより、貴女のならどうぞ持って行って下さい。どこの誰に届けたら良いのかも分らなくて、私も困っていたんですから」

 ボクはその言葉に頷くと腰のケースから取り出したヘッドセット型脳波コントローラーを被り、即座にクトゥルーの状態チェックを始めた。各部駆動装置グリーン、量子大電脳グリーン、大切な小電脳も大丈夫だ。燃料電池の残量がオレンジになっているけど、それ以外は全て正常を示している。ボクは彼の無事を神様に感謝しつつ、クトゥルーに再起動の命令を出した。ビクンッと一瞬巨体が痙攣し、フィーンという低く小さな駆動音を響かせながらクトゥルーはのっそりと立ち上がった。

「良かった……石にされたなんて聞いてたから、どんな影響があるかと心配したけど」

 ボクはクトゥルーを自律モードで固定してヘッドセットをはずす。

「そのゲーム機みたいので操ってるんですか? へ~、近くで立つと大きいなあ」

 彼女はクトゥルーを色々な角度から眺めて、しきりに感心している。

「う、うん。あ、でも同じクラスなら、見たことありませんでしたか? この子」

「あ──ええ、勿論。目立ちますからね、この子……ただ、えっと私、最近までこの子を『さる大魔術師の操るゴーレム』と教えられていましたもので……」

 ごにょごにょと小声で『?』な言葉を呟き、ばつ悪そうに視線をそらす彼女。

「そ、そうだ! そんな事より、この子が使えるんなら、出ていってあの不良達を返り討ちにしてやりましょうよ」

 パッと表情を変えてそう言う彼女に、ボクも頭を切り替えて答える。

「あ、うん、でも……燃料電池の残量が厳しいの、格闘戦なんかしたら、多分あっという間に力尽きちゃうと思う」

 彼女セシリーはそれを聞くと、一瞬何かを考えるしぐさをしたあと、こちらに向き直って、

「私に、いい考えがあるんですが――」


          13   生活塔 裏庭


「ちっくしょう、居ねえな……」

 消えた二人の女を捜す麒麟の義雄が茂みから出てきて呟く。

「諦めようよ、ウマくいったなら、そろそろ玄武の篤が功刀をつれてやって来る頃だしよ」

 既に飽きていた白虎の哲司がそう言う。

「ちっ、しゃあねえな」

 ヤンキー二人組が諦めかけたその時。

「私達なら、ここです!」

 声に振り向いた麒麟と白虎のコンビは目を見張る。

「な、なんだ、ありゃあ?!」

 赤いマントの女の脇に立つ見覚えのある青黒い羊顔の巨人。問題はその腕に握られた巨大な殺人兵器だ。

 腰だめに構えられた重そうなモーター本体部から伸びる、束ねられた六本の銃身が、ゾクゾクする様な鈍い輝きを放っている。

 本体左脇からは四角い芯鋳製のケースでつらねられた7,62㎜・NATO弾の弾帯とモーターのバッテリーケーブルが延びて、グロテスクなとぐろを巻きながらそのまま隣の赤マントの中に吸い込まれる様に消えている。

「バ、バルカン砲?!」

 驚くヤンキー二人組。

「ああ、なんて似合うの……アリスちゃん、クトゥルーと一体化した貴女は、多分今日本で一番ミニガンの似合う女子高生ですよ」

 セシリーはクラクラする仕草をしながら言う。

「くそっ、ひるむな野郎ども数で押し切れ!」

 麒麟の義雄の命令を受け、迫り来る土くれヤンキー軍団。

 アリスは彼らに向けて引き金を引いた。フイーンというモーター音と一秒ほどのタイムラグの後、挽肉製造機ペインレス・ガンは凄まじい勢いで弾丸を掃射し出す。毎分三千発のスティール・シャワーが土くれヤンキー軍団をコナゴナに打ち砕いて行く。

 あわてて茂みに逃げ込むヤンキー二人組。

「なんだありゃ、なんであんなもん学校に持って来てるんだよ!」

「知らねえよ! ぎゃあ痛い! さっきのより軽く四倍痛い!」

 セシリーは満足げにうんうん頷きながら語りだす。

「いや~、最初にそのロボットを見た時から思っていたんですよ、絶対ミニガン持たせたらキマるだろうな~って。そもそもこのM134・ミニガンはですね、ベトナム戦争中、敵陣深くに取り残された部隊を、ヘリで救出する際に『一丁で一個大隊の敵と交戦可能な銃』が欲しい、という現場からの無茶な要求を受けて開発って、何? アリスちゃん――早速、作動不良ジャムったって?」

 アタフタしながらジェスチャーで助けを求めるアリス。

「もー! ヒスマエル! あんたが手入れサボったんでしょ! この役立たず!」

「うるせえこのアバズレ! 何丁あると思ってやがんだ!? そんないつ使うのかわからねえのまで手え回るかよ!!」

「何ですって! この変態セクハラガラス! 今日という今日は――え? 何、アリスちゃん、何でもいいから銃を下さい?」

 アリスは押し寄せて来る新たな土くれヤンキー軍団を指差し必死にアピールする。

「もう、後で覚えてなさいよヒスマエル! FNエフエヌMAGマグMININミニミを出して!」

 マントの中から乱暴に放り出されてきた二丁の軽機関銃。アリスは大きい方FN‐MAGをパッと受け取ると7,62㎜の弾帯を素早く左腕に巻き付けて、敵の群れに向かって構える。

 セシリーもMINIMI5,56mmを抱え込み、射撃を開始した。

 再び土くれ人形が粉々に砕かれていく。

「くそう、よくわかんねえけど、あの赤マントが武器を出してるみたいだぞ」

「あいつらを引き離すんだ、哲司、お前あの赤マントをやれ」

「つっても、こうバンバン撃ちまくられたら出るタイミングが――おっ!」

「ありゃあ、玄武の篤じゃねえか?」

 二階の窓から体を乗り出す男子生徒の手の先、アリスとセシリーの上空に巨大な水塊が出来つつある。手洗い場の水道全てを出しっぱなしにした上で、水を操る玄武のガクランの能力でそれを空中の一箇所に集めている様だ。

 急に日陰に入った足元と、ポタ、ポタと振って来る水滴にセシリーが気づく。

「雨――?!」

 上を見上げたセシリーは巨大な水塊にギョッと驚く。

「今だ!」

 玄武の篤の掛け声と共に水塊がパンと弾けた。真上から降り注ぐ300リットルはあろうかいう水流にバランスを崩して倒れこむアリスとセシリー。

 セシリーがゲホゲホ咳き込みながら起き上がると、正面から白いオーラに包まれた不良男子が凄い勢いで突っ込んで来る。

「う、ごほっ!」

 咳き込みながら、堪らず斜め上方に飛び退くセシリー。

 くっ! 上を向いてたせいで、まともに口に入ってしまった――。

 空中で体勢を整えようとするセシリーの後ろから、

「こっちにもいるぜ!」

 黒いガクランの不良男子!

 セシリーはその攻撃をかわして、開いている窓から校舎内に逃げ込む。

 それを見た白いジャケットの男子生徒は、標的をアリスに切り替えると、突進の勢いもそのままに地を蹴った。

 彼の放つ白く輝くオーラを纏った前蹴りをボクは前腕を折り曲げて防ぐ――次の瞬間。

 跳び二段蹴り?!

 ゴスゥッ! 後ろ回し気味に放たれた二発目に、側頭部をしたたかヒットされたボクは後ろに弾かれて手をついた。

 何て重たい蹴り、二百七十キロのクトゥルーが倒されるなんて!

「ハハッ! ナメてんじゃねえよ、白虎の打撃は鉄より重たいんだぜ!」

 軽いフットワークで距離を取り、見下ろして来る彼。

 ボクは左腕に巻き付くマシンガンFN‐MAGの弾帯を解き、本体ごと地面に置くと、その場でのっそりと立ち上がった。視界の左下の、今一つ信用の置けない残電量ゲージをチラリと見る。

 濃いオレンジ――

 仕方がない、どこまで持つか分からないけれど……

 ダイブモード変更。交雑クロスオーバーから融合フュージョンへ。

 一瞬の暗転の後、視界が一気に拡がる。体の各部に取り付けられた小型カメラが造り出す疑似全周囲映像。同時に僅かに残っていたアリス本体との感覚的な繋がりは完全に失われ、ボクはクトゥルーと完全に一つになって行く。

 量子小電脳に蓄えられた膨大な戦技・経験・功夫クンフゥがアリスの意識と融合し、クトゥルーでもアリスでもない第三の存在が生成される。

 あぁなんて気分がいいの。神様お許し下さい、今なら貴方の左腕をへし折る事だって出来そうです。

 目の前から白いジャケットの少年が打ってかかって来た。

 左ジャブを右に反らす。

 右ストレートを左に反らす。

 がら空きになった胸にそっと左手を添えその上に右手を重ねる様に、

───心意六合拳しんいろくごうけん短把たんぱ───

 震脚しんきゃくを伴う強打を打ち込む!

「ゴポァッ!」

 口からヘドを吐き、おぼつかない足取りで慌てて跳び退く彼を、ボクは同じ速度で張り付く様に追いかける。

 今のはわざと浅めに打ちました。なぜだか分かりますか?

 ボクは見え見えのテレフォンパンチを避けさせ、苦し紛れの攻撃をいなし、軽い打撃をガードさせる。彼はそのたびに一歩また一歩と後退して行く。

 相手のあらゆる変化に対応し、倒れるまで攻撃を止めず、どこまでも追い詰める。

───三皇砲捶さんこうほうずい絶招ぜっしょう夫子三拱手ふしさんきょうしゅ───

 こうして張り付いている限り、周りの土くれ人形共は、ボクに手出しできないでしょう。

 そして困ったあなたがたどりつく先は──

「よ、義雄君、手をっ!」

 ボクは腰を落として一気に踏み込む。

 扇状に揃えた両の掌に全体重を載せて斜め下から突き出し彼の胸を打つ。

───戴氏心意拳たいししんいけん虎撲把こぼくは───

 投石機カタパルトの弾丸の様に打ち出された彼は十メートル以上吹っ飛んで茂みの中に落下した。

 次はお前! ボクはタロンを伸ばす。

「ヒイッ!」

 目と鼻の先の、怯むイエロージャケットの敵ボス目がけて、ボクはロングチョップを振りかざし、一気に間合いを詰め──

 突然クトゥルーがその場で倒れ込む様に膝を突いた。

 融合フュージョンモードが強制終了される。

 頭の中では電池切れを表す耳障りなビープ音が鳴り響いている。

 あと、少し、だったのに……。

 熱交換装置の僅かな電力を頼りにボクは何とかしてクトゥルーを立ち上がらせようとする。 だが異変に気付いたイエロージャケットに蹴り倒され、頭を踏みつけにされる。

「ハ、ハハッ! この野郎、散々ビビらせやがってぇ!」

 クトゥルーの周りに土くれ人形達がぞろぞろと集まって来た。


          14   体育館裏


 ボクは精神接続バイオ・フィードバック回線を切ってヘッドセットを引き剥がした。

 ボーッとする頭を振って隠れていた茂みから出ると、あやふやな足取りのまま走り出す。

 ぬかるみに足をとられて転ぶ。

 立ち上がって、また走る。

 クトゥルーを、クトゥルーを守らなくちゃ……お兄ちゃんとの約束を……

 ボクは這いずる様にしてさっき捨てたマシンガンFN‐MAGの所まで来た。

 ハア、ハア、大丈夫、生きてる。コイツには二脚架バイポットが付いているから、立てれば、ボクでも射てる筈、ボクは取手をつかんで引きずろうとする。

 重っ! たい……ハア、何とかして、射撃可能な位置まで、運べれば、クトゥルーを、助けなきゃ、お兄ちゃん、力を!!

 ふと後から頭にポンと誰かの手が乗せられた。

「よう! 随分頑張ってるな、引きこもりにしちゃ頑張り過ぎじゃないのか?」

 ボクは弾かれる様に振り向いた。

「功刀先輩!!」

 いつもと変わらない、少し意地悪そうな笑顔。

 張り詰めた緊張の糸がプツンと切れ、ボクの目から、なんだか分からないくらいの量の涙がポロポロポロポロ溢れて止まらなくなった。

「アッハッハ、そんなに心細かったのか!」

 彼は歯を見せて笑いながら、頭に乗せた手でボクの髪の毛をクシャクシャにする。

「大体の経緯は、来る途中まこらから聞いた。クトゥルーはあそこだな?」

 彼は土くれ人形達がたむろしている辺りを指差す。

 見ればボク達に気づいた何体かの土くれ人形がゆっくりとこちらに向かって来ている。

 ボクは慌てて頷く、そうだ、クトゥルーを助けなきゃ。

「コイツは借りて行くぞ、後は任せな」

 俺はアリスが取り落とした軽機関銃FN‐MAGのグリップをつかむと片手で持ち上げ小脇に抱える。

 駆け出そうとすると、アリスが俺のジャージの袖をつかんで止めた。

「ボ、ボクも行きます。連れて行ってください」

「駄目だ、足手まといだ、お前はここに居ろ」

 俺がわざと厳しい口調で言い放つと、アリスは一瞬泣きそうな顔になってうつ向いたが、すぐに顔を上げて、

「行きます、クトゥルーは、ボクのロボットです!」

 目に涙を浮かべて言う。しゃあねえなあ。

 俺はアリスに背を向ける形で腰を落とし片膝を付いた。

「ほれ、乗んな」

 俺は後ろを向いて言う。

「え?」

「おんぶだよ、ほら早く!」

 こちらに向かう土くれ人形達はどんどん増えている。

 アリスは遠慮がちに後ろから俺の首に手を回して体重を預けて来た。

「しっかり、つかまってろよ!」

 俺はアリスを背負ったまま、助走を付けて地を蹴る。

 向かって来る先頭の土くれ人形の頭に着地し、踏み潰しながら更に跳ぶ。次の頭、次の頭と、飛び石の要領で、どんどん跳ねながら進んで行く。

 上から近づいて行くと、向こうに土くれ人形の群れに囲まれたクトゥルーが見えて来た。

 可哀想に右に左にいいように小突き回されている。

 下品な笑い声を上げながら土くれ人形達に指示を出していた麒麟の義雄は俺の接近に気付いて大声を上げた。

「ああ、テメエ! 遂に現れやがったな、功刀禅!」

「ああ、待たせたなクソッタレ!」

 俺は土くれの頭を踏み潰しながら跳び上がると軽機関銃FN‐MAGの銃口をクトゥルーの周りの土くれ人形達に向ける。

 クトゥルーに当たらないよう気を使いながら、狙いを付けて三点バーストで撃つ。

 コナゴナに砕け散って行く土くれ人形達。

 続けて、俺は麒麟の義雄に狙いを直すと肩口を狙って引き金を引く。

「痛だだだだッッ!!」

 命中! だが俺は見た。当たる瞬間その箇所に黄色い波紋の様な物が現れて弾を弾いている。俺が乱暴に地面に着地すると背中のアリスが『ひゃう!』と小さな悲鳴を上げた。

 俺はクトゥルーの側で彼女を下ろし、

「アリス、クトゥルーは動けるのか?」

「は、はい、歩く程度の速さでしたら」

「連れてなるべく遠くに離れてくれ。流れ弾を喰らわないように」

「は、はい!」

 俺は麒麟の義雄に向き直る。彼は弾の命中箇所を痛そうにさすりながら立ち上がった。

 俺は口元にニヤリと笑みを浮かべながら言う。

「おいおい、ちょっとおかしいんじゃないか? コイツ、7,62㎜だぞ。頑丈にも程があるだろ」

 初活力マズルパワー三、四トン。変身前の状態で何発も直撃を受ければ俺でもヤバイ代物だ。

「へへへ、この伝説の学ランはよ、ステゴロ、タイマンしか認めねえ頑固もんでな、飛び道具みてえな卑怯な攻撃には無敵の防御力を発揮すんのよ。痛だ! 痛だだだだ! おい効かねっつってんだろ! 聞けよ!」

 構わずバンバン撃つ俺に、麒麟の義雄は痛がってぴょんぴょん下がる。

「いや、弾余ってたからさ」

 俺は弾切れになった軽機関銃FN‐MAGを地面に下ろす。

「だが分かった、ぶん殴る分には効くんだろ? シンプルでいいやな」

 俺はそう言って無造作に歩を進める。

 麒麟の義雄はスッと腰を落として堂に入った構えを見せる。

「へっ、どうしたよ功刀禅、変身はしねえのかよ? この間みたいによ」

「ふん、貴様ごとき泣かすのに大袈裟な。俺の空手(風)殺法で十分よ。ジャッ!!」

 俺の放った跳び後ろ回し蹴りを奴は上段ガードでいなし、屈み込みながら空中の俺の股間目がけてショートアッパーを放って来た。俺はそのパンチの軌道に左足を滑り込ませ、パンチに押し出される様な形でバック中して地面に降り立つ。

「ほう、流石さすがDQNドキュンリーダー、ケンカ慣れしてやがるな」

「へっへっへっ、偉そうに、虚勢を張ってられるのも今の内よ、水泳後の僅かな時間で、どこまで回復出来たんだ?」

 こいつ……。

「変身したくても出来ねえんだろ? オメエの事は調べて分かってんだよ、功刀禅。あそこでグッタリしてるロボットと同類だってな」

「こりゃ、お見逸れした、どうやら遊んでないでとっとと片付けちまった方が良さそうだ」

「そうは行かねえよ、こっちにゃまだ奥の手が残ってるんだぜ……はあああぁぁぁ!」

 ヤバイ。

 俺は突進しようとする、だがその瞬間、足下の地面が縦に裂けた!

 咄嗟に跳ね退くも今度は足に土が絡みついて来る、ええい、うざっ! 俺は力ずくで蹴り飛ばし、麒麟の義雄に向かう――だが。

「なんだ、こりゃ?!」

 おれの目に映ったのは地面から大量の土くれを吸い上げて巨大な像を形作りつつある奴の姿だった。

 馬の様に長い頭部の頂点に本人の上半身がちょこんと乗っている姿は滑稽だったが、笑っている暇は無かった。瞬く間に体高7メートルの巨大な麒麟像が出来上がってしまった。

「ひゃっはー! 土を操る麒麟のガクランの真の力、とくと拝みやがれい!」

「ちいっっ!!」


          15   生活塔


 校舎内、廊下の隅で壁に寄りかかり右足を気にするセシリー。

「あいたた、まさか天井のスプリンクラーにあんな使い途があったとは」

 レーザーの様に迫るシャワーに囲まれ、私はとっさにこの次元遷移アセンションマントの力を使って辛くもその場を脱出した。

 だが──情けない、右足のふくらはぎを撃ち抜かれた。

 ロングブーツに穿うがたれた小さな穴から血が滲み出して地面に垂れる。

「クッ……」

 痛みと悔しさにセシリーの口から小さなうめき声が漏れる。

 マントの中から一羽のハシブトカラスが飛び出して来てセシリーの右肩に止まった。

「人間の小僧を相手に、随分苦戦してるじゃねえか、こりゃそろそろ廃業かな」

「むかっ、人間相手だから面倒なんですよ、殺す訳には行かないし、かといって小銃弾は全部あの黒いジャケットに弾かれちゃうし」

「泣き言を言うなよ、お嬢ちゃん、要はあのジャケットを脱がしちまえばいいんだろ?」

「何か、いい作戦があるの? ヒスマエル」

「ヒャッハー、脱がすのは大の得意だぜぇ! 金髪のボインちゃんでないのが残念だけどよ! ほれ、耳を貸しな──」

 私はヒスマエルのセクハラに耐えつつ彼の作戦を聞いた。

「は~、あい変わらず性格悪いな~」

「言うに事欠いて何だと、このアマ! 嫌なら自分で考えろ!」

「誉め言葉、誉め言葉、OK! その作戦で行こう」

 私は怪我した右足をかばってケンケンしながらヒスマエルの作戦予定地に向かった。



 廊下に垂れた血はこの部屋の中に続いている――玄武の篤は警戒しながらドアを開けた。

 図書室──か。体育祭の真っ最中だけあって、当然人っ子一人いないその広い部屋の中には大量の本棚と、真面目な少年少女達が勉強する時に使うのであろう、大きなテーブルとイスが置かれている。

 ケッ、俺には関係ねえ場所だぜ。今はそんな事よりあの赤マント女の行方だ、篤は地面の血痕をたどる。血痕は部屋の更に奥の、開け放たれた鉄のドアの先に続いていた。

 ――罠、か? 篤は一瞬躊躇するが、すぐに考え直す、へっどうって事あるかよ! 俺にはこの玄武の学ランがある! 『五輪者ゴリンジャー』最強の防御力を誇るこいつの前には奴の銃なんてエアガン以下よ!

 篤は勢い良くドアの中に踊り込んだ。

「袋のネズミだぞ、ビビってんのか、あ?」

 ガサッ、タンカを切る篤の後ろに、突然気配が現れた。

 咄嗟に、肘を振るって攻撃する。

 だが気配はすぐに掻き消える、篤は慌てて周囲を見回して怒鳴る。

「隠れてないで出てきやがれ!」

 暫しの沈黙の後、奥の本棚の影から赤マントが姿を現した。

 バタン! 同時に後ろの鉄扉が音を立てて閉じる。

「ケッ、閉じ込めたつもりか? どっちがだ? こんな奥まった場所に逃げ込んでよ、さっきの教室より逃げ場無しだぜ」

 篤は腰の後ろから小さな発煙筒を取り出すと、迷わず点火した。

「今度こそ逃がさねえぞ、スプリンクラーを発動させて『水噴乱射新怒流すぷらっしゅにいどる』で蜂の巣にしてやるぜ!」

 篤が天井のセンサー目がけて発煙筒を放り投げた。

 勝利を確信した篤がセシリーを見ると、彼女はいつの間にか、口もとに小さなボンベの付いたガスマスクをかぶっている。

 次の瞬間、サイレンと共に天井のいたる所からから水流ならぬ白い霧状のガスが噴出した。

「うわっ、何だこれ、うっ、ゲホッゲフォッ!」

 気体を吸い込んで激しく咳き込む篤にセシリーがマスク越しのくぐもった声をかける。

「こういう書庫や博物館みたいな、濡れたら困る物が置かれた場所ではスプリンクラーの代りに二酸化炭素を噴射して消火するんです。一般常識だから覚えておくといいですよ」

 篤は返事も出来ずに口を押さえてゲホゲホと咳き込んでいる。

「あ、あと二酸化炭素って有毒なんで気を付けてくださいね」

 今それを聞いて、俺にどうしろと! 篤は呼吸を止めて耐える。

 暫く後──セシリーが口を開いた。

「二酸化炭素はあらかた排出されたみたいですね」

 モバイルデバイスを腰のホルスターに戻したセシリーは、ガスマスクを外し、マントの中に放ると、玄武の篤に向き直る。

「さあ、ここなら今度こそ水け無しですよ」

 篤はゼィゼィと呼吸を整えながらも吠える。

「ケッ、俺の攻撃を封じたつもりだろうが、俺にこの玄武の学ランがある限りテメエの銃も効かねえんだぞ!」

「そうなんですよね、自分から脱いでくれたりすると助かるんですけど。脱ぎません?」

「脱ぐかボケ!」

「ですよね、ねえ、ゴキブリって、好きですか?」

「はあ? なんだ、いきなり、好きな奴なんている訳──」

 ガサゴソ! 背中で何かが動く気配。

 えっへっへ、と小悪魔的な笑みを浮かべるセシリー。

「さっきすれちがい様にチョチョッと、ね」

 ガサゴソガサゴソ!! 一匹じゃない! くっそ! 篤は発作的に学ランの上着を脱いでバンバン振った。

 引き剥がされた黒い影は地面を走ってセシリーの元に向かう、篤がそちらを見ると、

「な~んちゃって!」

 セシリーは、既にライオットモスバーグショットガンM500を構えている。

 篤が我に返った瞬間、腹部に強烈な衝撃が襲った。

 ヘビー級ボクサーのボディブロゥを思わせるその威力に、ふっ跳ばされ、後ろの鉄のドアにぶち当たる玄武の篤。

「暴徒鎮圧用のゴム弾ですけど、生身で喰らうと結構痛いでしょ」

 ガシャコン! とショットガンをリロードするセシリー。

 その肩の辺りに無数の黒くて小さな生き物が集まっていた。

 球形の黒い毛玉の様なその生き物達はくちばしからキューキューと鳴き声を上げている。どうやらゴキブリではない様だ。

「ありがとう、ハスモダイ。うんうん役に立ったよ、後で、きな粉沢山あげるからね」

 篤は口をパクパクさせながら辛うじて身を起こそうとする。

 セシリーは怪我をした右足をかばいながら近づいていき。

とどめ!」

 と至近距離からゴム弾をもう一発発射する。

 白目を剥く篤の後ろの鉄のドアが再び開き、カラスのヒスマエルが顔を出した。

 セシリーは足早にドアをくぐり、アリスの元へと急いだ。


          16   生活塔 裏庭


「加勢します!」

 二階の窓から飛び降りて着地するセシリー。

 だが着地と同時に苦悶の表情を浮かべ、足をかばいながら駆け寄って来ようとする。

 ――負傷したのか。

「こっちはいい! それよりもアリスを頼む」

 セシリーが少し離れた位置のアリスに目をやると、数体の土くれ人形が彼女達の周りに集まっているのが見えた、クトゥルーが何とか彼らを追い払おうと長い腕を振るっている。

「分かりました! こっちはお任せを!」

 セシリーはそう言って急いでアリスの元へ向かう。

「いいのか~、せっかくの援軍をよ~、ヒッヒッ」

 ボコボコッ──追い討ちとばかりに俺の周囲の地面から次々沸き上がって来る土人形達。

「ちいっ!」

 俺は舌打ち混じりにそいつらを蹴り砕くと、校舎の壁目がけて走り出した。

「ぬっ?!」

 ぶつかる寸前に地を蹴った俺は助走の勢いもそのままに、校舎の壁を斜めに駆け昇る。

 重力と摩擦の限界点で壁を蹴った俺は七メートル上空の麒麟像の頭部に躍りかかった。

「じぃりゃッッ!!」

 だがそれを待っていたかの様に麒麟像は大口を開け──

「『塑粒弩武羅凄飛そりっどぶらすと』!!」

 麒麟像の口から大量の石礫がショットガンの様に炸裂し、俺に襲いかかる。

──感覚加速ゾーンに! くっ、だが入った所で最早もはや──

「がぁっ!!」

 拳大の礫をまとめて食らった俺は弾き飛ばされ校舎の壁に激突した。

 そのまま七メートル下に頭から落下して地面を跳ねる。

「ヒャヒャヒャ! どうしたどうした? 動きが鈍ってるんじゃねえのか?」

 くっ、俺とした事が、焦った所を……限界か、くそっ、体が重い、動かねえ……。

「ヒャーッヒャッヒャッ! 作戦通りだぜぇ、水泳後のこのタイミングなら、オメェのエネルギーはスカンピンだろうってよ」

 麒麟の義雄の歓喜の声が響く。俺は久しぶりに味わう血と砂利の混じった口の中の不快な液体をべっと吐き出し、無理矢理体を起こす。

「へっへっへっ、今こそ屋上での借り、恥をかかされた仲間達の借りを返してやるぜぇ」 巨大な土の麒麟像が左の前足を高く上げると、辛うじて立ち上がった俺の上にパラパラと砂利が降って来る。

「く、功刀先輩!」

 アリスがヨロヨロと近づいて来ようとする。

「来るな!! セシリー! アリスを!」

 俺の叫びを受けてセシリーがアリスを制止する。

 さて、格好つけたはいいが、どうすっかな~、一馬~、助けてくれ~。

「じゃあ死ねやあぁぁぁぁ!」

 降り下ろされる前足に踏み潰される禅。

「先輩!!」

「禅くん!!」

 アリスとセシリーが同時に叫ぶ!

「ヒェーッヒョッヒョッー!!」

 麒麟の義雄は勝利の雄叫びを上げた。


 ───ォノムト(立て)───


 メキメキメキ……。

 一度は地についた筈の麒麟像の左前足が地響きを立てて少しずつ持ち上がっていく。

 その下にはのしかかる数十トンの重みにガニ股で耐え、両手と首で支えて持ち上げる禅の姿が見えた。

「んなっっ!」

 麒麟の義雄が驚愕の声を上げる。


 ───ァジァム!(満ちよ)───


 まばゆい光と共に土の麒麟像の左前足が瞬時に蒸発した。

「んなひいいいいいいっっっん!!」

 悲鳴を上げて後づさる土の麒麟像。

 その下で仁王立ちする禅。

 彼の肉体から発生する膨大な熱量に周囲の大気が蜃気楼の様に歪んでいる。



「……ふん、後は自分でなんとかしなさいよ」

 校舎の影で鎮目はつぶやいた。

「情けない男。最後くらいビッと締めろっての、ん? な、何よイシャ、その嬉しそうな顔は」

「……眞名さまは、なんだかんだ言って殿方を立てるタイプなのデス」

「な、な、なに馬鹿な事言ってんの! ほら、もう行くわよ、歯医者閉まっちゃうわ!」

「ハイ、眞名さま!」


「ハァ……ハァ……」

 全身を駆け巡る途方もないエネルギーに俺は困惑する。どっから湧いて来たんだ、このパワーは。俺は前腕がすでに変身している事に気付いた。指先からはプラズマの残光が煌めいている。無意識にイレイサーを使ってしまったようだ。

「はは、はははは、スゲエ、なんだこれ、凄過ぎて鼻血が出そうだぜ!」

 今ならば全ての能力が使用できる。相手が麒麟だろうとレッドドラゴンだろうと負ける気がしない。

 俺は右手を額の前に持って行き握り拳を作る。

熱量カロリー……解放!!」


          17   教室塔 屋上


 校舎の屋上から、隠れて様子を見ていた奥宮阿頼耶はホッと胸を撫で下ろした。

「どうやらもう大丈夫そうですね、少しハラハラしましたけれど……」

「これで良かったひも~?」

 阿頼耶は、アリスとその脇に座り込む青黒い羊顔のロボットの姿を見て微笑む。

「ええ、後は禅君に任せましょう」

 そういう阿頼耶に頭を撫でられた『まこら』がグルグルと嬉しそうに喉を鳴らす。

 その後ろから、携帯電話で喋る女性の声が聞こえて来た。

「一馬かい、え? 今リレーの最中だって? そりゃ済まないね、嫌さ、あんたの愛しの功刀の坊やが校舎裏で名も無き不良に踏みつけにされてるんだけど、いいのかなって――」

 ドンッッ!! 校庭側から轟音が鳴り響いた。

「あーっと、神門選手どうしたか? ゴール前で突如方向転換! 試合放棄でしょうか?」

「か、神門――! せめてゴールしてから――!」

 校庭側から赤組の物と思われる悲鳴と罵声が木霊して来た。

 シャーリー姐さんは携帯電話をパタンと閉じる。

「お仕事完了……っと」

「赤組の敗北が決まりましたか」

 まこらをマフラーの様に巻き、白い犬を脇に連れた阿頼耶が歩いて近づいて来た。

「ああ、今のリレーでね」

「アルバーンさんがあのロボットを使って稼ぎ出す筈だった得点と、今の一馬君の得点」

「そして何より、水泳部をようする赤組の圧勝に終わるはずだった百メートル自由形を、台無しにすべく頑張ってくれた何処どこかの坊やのお陰だね」

「禅君の水泳、何やら最後大騒ぎでしたものね」

「あんた、見てないのかい?」

「? はい、まこらが何故か見せてくれませんでした」

 プッ、やれやれ過保護が多い事――ま、あたしも人の事は言えないか。

「それにしても大変でしたねシャーリーさん、一馬君のほんの小さな願いがこんな大騒ぎを引き起こしてしまうなんて」

 阿頼耶は神妙な顔をしてそう呟く。

「最初は知らぬ存ぜぬを決め込むつもりだったんだけどね。死人が出る、となると流石さすがに放って置く訳にも行かないからさ。しっかし、一馬とその周囲の人間の大量の運が一遍に動く体育祭。あいつら赤組を負けさせる事で偏っちまった運の総量を正して、よじれた因果の糸を真っすぐに――って頭で考えるのは簡単なんだけど、誰がどうしたら、ああなって、こうなってって、此処ここに辿りつくまでどれだけ大変だった事か」

「うふふ、お疲れ様、シャーリーさん」

「ふん、あんたに体育会系の人質を取り返されなけりゃ、もうちょっと楽だったんだ」

「まあ酷いシャーリーさんたら、わたくしが悪いみたいに言わないでくださいな。自治会長として見逃せる事とそうで無い事があるんですから」

「ふん、人の良さそうな顔して、こっちの出した取引に乗るどころか、ちゃっかり交換条件まで付け加えて来たくせに」

「あ、あれは――アルバーンさんのロボットの貸出し料みたいな物です。ついでですよ、人助けのついでの人助け」

「ハイハイ、約束通りちゃんと、あの娘の引きこもり解消にも協力したろ。多少荒療治だったかも知れないけどさ」

 阿頼耶の視線の先で、黒髪の少女の赤いマントに包まれたアリスが、彼女と何やら嬉しそうに話をしているのが見える。

「うふふ、ええ、十分過ぎるくらいですね」

「あんたにも世話になったね、侯爵殿マルコシアス

 シャーリー姐さんは斜め上の方を見てそう言った。

 貯水タンクの上に乗ったマルコシアスは特等席から禅のバトルの行方を眺めている。

「あの人形を石にしてもらったり、功刀の坊やにさりげなくヒントを出してもらったりさ」

「礼には及ばん、オールド・シャーリー・ヴァリアンテよ。私は獰猛なまでに美しい、あの功刀禅の変身姿をもう一度見たかっただけだ」

「それはよかったね、二回も見られたじゃないか」

「うむ、ますます惚れ直したわ」

「おやおや、ひょっとして、オセよりもあんたの方が、あの坊やに入れ込んでるんじゃないのかい?」

「そうかも知れんな。うむ、決めたぞ。私が魔界に帰る際には必ずや功刀禅を我が騎士団の長として連れて行く」

「……こりゃあ、また大層な就職先が決まったもんだ」

 良かったね、坊や。あたしは手摺に寄りかかりながら、眼下の坊やにウインクを送った。


            18   生活塔 裏庭


「プラズマ・エッジ!」

 掌から発生したプラズマがグリップを通って片手剣状に成型される。

 肉眼では目視不可能な亜音速移動を繰り返し、消えては現れつつ白刃はくじんきらめかせる禅。

 ジルコニウム合金製の白銀の鎧が、傾きかけた陽光を浴びて眩いばかりに輝き、摂氏二万度の白炎びゃくえんの刃に切り裂かれた土人形達が次々に蒸発してゆく。

 禅は地を蹴って宙を舞うと、麒麟像の頭部に鎮座する義雄めがけて再び襲いかかった。

「畜生! もう一度喰らえ、『塑粒弩武羅凄飛そりっどぶらすと』!」

 麒麟の義雄が叫んだ。俺は感覚加速ゾーンに入る。二百四十倍に加速された感覚の中、まるでプールの中の様にねっとりと絡みつく空気抵抗に抗いながら、俺は『空中機動・姿勢制御装置DACS』のブースターを噴かせて、ひどくくスロウに迫る石礫いしつぶて達を、最小限の動きで避して行く。

 俺が感覚加速ゾーンを抜け、眩暈めまいをふりほどきながら麒麟像に視線を戻すと、大口を開けたあぎとに細かい光の粒子が急速に集まって行くのが見える、なるほど、そういう算段か。

「終わりだ、功刀禅! 今度はさっきのみてえに優しくねえぞ!」

 俺の装甲の隙間から激しい電流が湧き出し、体表面全体を一瞬で覆う。

「喰らえ!『麒麟愚火威夢きりんぐ・びーむ』!!」

 麒麟像の口から極太の光線が放たれ俺を包み込む。

「どうだ! 今度こそ――!!」

 光の柱の中から銀色の手、続いて頭が、周囲に放電を撒き散らしつつ、突き出して来た。

「そ、そんな、俺の『麒麟愚火威夢きりんぐ・びーむ』が……」

 無駄だ、電磁隔離装甲でんじかくりそうこうを全開にした俺にあらゆる光学兵器は用を成さん!

 俺はそのまま体当たりする様に麒麟像の鼻面に取り付いた。

 黒いバイザーの中で光る禅の赤眼。その冷たいLEDの光と目が合った義雄の背中に寒い物が走る。

「くっ、テメエ! 離れろよ、テメエ!」

 義雄はそう叫びながら、麒麟像の首を激しく振って、俺を振り落とそうとする。

 俺はその土くれの麒麟の横面に、右手を深々と突き入れて体を支えると、残った左手を掲げてそこに意識を集中する。

「はああああああぁぁぁぁぁ!!」

 俺の体を覆う銀色シルバーの装甲が見る見る暗銀色ダークシルバーに変質して行く。同時に左前腕がメキメキと音を立てて肥大化し、八角形と円筒形の上下二連の砲身を持つ兇猛きょうもうな大砲が姿を現した。

火力投射形態マローダー・モードだ!」

 遠くから嬉しそうに叫ぶ一馬の声が聞こえてきた。俺がそちらを見るとアリス達の後ろに立った一馬が、グリーンのバリアを張って彼女らを護ってくれている。

 おお、あいつ、いつの間に、だが助かる、これで心配は無くなった。

 義雄は俺の変形した左腕を見て怒鳴る。

「あぁ、なんだそりゃ、そんな馬鹿デカイ大砲出してどうすん、ゲホッ!」

 鳩尾みぞおちを砲の先端で打たれた義雄がせき込む。俺はそのまま、その砲身を奴に押し付ける。

「本来人間相手に使う代物じゃあ無いんだが──大丈夫だよな、ほら、飛び道具だから!」

 斜め下から突き付けられた砲口に義雄は、

「い、いや、いくらなんでも限度は──」

 放熱板展開。左腕が甲高い唸り声を上げる。

「歯ぁ食いしばれ!――ペネトレイター!!」

 レール通電。高圧電流の熱がセラミックの放熱板をオレンジ色に輝かせる。

 薬室チャンバー内の発射ガスをプラズマ化、プラズマの膨張圧が投射体ペレットを押し出し、更にそのプラズマ接極子アーマチュアを媒介に陰と陽の電極がショート・サーキットを形成する。

 同時に発生した自己磁場が強大なローレンツりょくを発生させ、電磁加速されたプラズマ・ガスが六方最密充填構造ろっぽうさいみつじゅうてんこうぞうはがねの弾芯を持つセラミック投射体ペレットを秒速七キロで射出する。

「オイよせ! 無茶すん──ギャッッ!!」

 鳴り響く轟音。零距離から投射されたその膨大な運動エネルギーを一身に受けた麒麟の義雄は、瞬きする間もなく、一瞬で空の彼方へと消えて行った。

「きいいいいぃぃぃやぁぁぁ~~~!!」

 断末魔の余韻だけをその場に残して。

 その場に残ったのは、有り余る余剰エネルギーに、上半身を消し飛ばされた土の麒麟像。

 残された胴と足も、ボロボロと崩れ落ち、只の土くれに戻って行った。

 俺は地面に降り立ち、麒麟の義雄の飛んで行った方向を見やる。

 仰角ぎょうかくから計算して五キロ程先の海上に墜ちた筈。

 ふん、そんぐらい気合で泳ぎやがれってんだ。

 俺が変身を解いて元のジャージ姿に戻ると、向こうから一馬とセシリー、そして少しおぼつかない足取りのアリスの三人が駆け寄って来た。俺は手を振って答える。

 はあ、またお腹すいちゃった……

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