四月十六日(木)

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「おい、そこのピロリ菌」

 俺が声の主に振り向くとそこには白衣を来た小学生くらいの女の子が立っていた。

 縁がキュッと上がった生意気そうな赤ブチ眼鏡に、金髪の髪を両サイドでゆってたらしている姿はその道のマニアが見たらさぞ喜びそうだ。

「どうしたのお嬢ちゃん、白衣なんか着て。あ、分った迷子になっちゃったんだろう。このドジッ子さん」

「解体するぞ、このヘリコバクター、前からお前にほどこしてやろうと温めていた魔改造プランは一つや二つじゃないんだ」

 保健室のアンナちゃん先生は口の片端を上げた冷徹な笑みを浮かべてスゴむ。だがその容姿のせいで残念ながら、どこかほほえましく感じてしまう。

 俺は調子に乗って。

「まあ、何て口の聞きかたでしょ、親の顔が見たいわ!」

「目が覚めたら頭の上にタケコプターが生えてたらどんな気分だろうな。取れない奴が」

 それは嫌だ。

「それで、わたくしめに何か御用ですかなマイレディ」

「うむ、それでいい。実は保健室の備品を色々切らしてしまってな、お前ちょっと行って買ってこい」

「ほほう、『息をするのもめんどくせ~』を座右ざゆうの名とするこの俺をパシリに使おうと!そう言うのだねアンナちゃん先生!」

「朝起きたら首から下がドリームキャストになってる方がいいか」

 それは本当に嫌だ。

「うお~、すっごい薬局行きたくなって来たな~。こんなに薬局に行きたいのは五年ぶりくらいだ~。あ~そうさ、行きゃあいいんだろ行きゃあ」

「あのコンパクトな筐体きょうたい内に生命維持装置一式をどうおさめるかが腕の見せ所だな……」

「嘘です! 行きます! 今行きます! すぐ行きます!」

 俺は気をつけの姿勢で敬礼する。

「大変結構、ではこの紙に必要なものを書いておいたからな、釣り銭はくれてやる。アメ玉でも買うんだなこの黄色おうしょくブドウ球菌め」

 アンナちゃん先生は人の事をバイ菌の名前で呼ぶのと、自分以外の人間を皆パシリだと思っているのと、治療が雑なのを除けばとてもいい先生だ。

        

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「そお? アタシが治療受けた時は別に普通に丁寧ていねいだったけど」

 ここはモノレールで一駅行った先にある薬局チェーン店、ここに至るいきさつを詳しく説明する俺に鎮目が疑問をていして来た。

「なにかね、それはアンナちゃん先生が俺の時だけ特別に雑に治療していると、人が薄々気付いていながら信じたくない事実を突きつけているのかね」

「ま~、アンタ実際頑丈だしね。ちょっとぐらい乱暴に扱っても大丈夫だと思われてるんじゃないの」

「酷い話だ、俺的には、脱皮したてのアメリカザリガニみたく、優しく慎重にあつかって貰いたいのだが」

 いつもなら決して俺と二人行動などしない鎮目と仲良く薬局デート。

 おかしい、異常事態だ。

 珍しく一人で帰宅しようとしていた鎮目と下駄箱の所で出くわし、俺がお使いで隣駅の薬局まで行かされる事を告げると鎮目は、

『薬局? 薬局なら付き合ってあげる。ほらサッサと来なさいよ』

 とあっさり同行を申し出て来た。

 おかしい、てっきりメシウマ扱いされて終りだと思ったのに。

 聞けばイシャが、朝急に『なにか、体熱いデス』と言い出してラボに緊急入院してしまったのだそうだ。

「さっきラボの担当者に様子聞いたら、もう落ちついてるから一通りチェックして明日には戻れるって、そうそう忘れてた。これイシャから、アンタに手紙預かったんだけど」

 手紙を開くとそこに書かれていたのは、

『ワタシガイナイアイダ、マナサマヲヨロシクオネガイシマス』

 うぬぅ、カタカナしか書けないイシャが熱を押してこれを書いている所を思い浮かべると胸が熱くなるが、しかしこれは――

「何て書いてあったの?」

「う~ん、断固として断りたいがその相手はいないし、かと言って無視してなんかあったら俺のせいっぽくて嫌だという、非常に高度な呪いの言葉が書かれている」

「ふ~ん、よく分かんないけど、でも良かった。あの娘、妙にアンタの事、気に入っているみたいだから。ラブレターだったらどうしようかと思ったわ」

「そうなのか? 気に入られてるのか? ビビられているのかと思ってたぞ」

「なんかね、おんなじロボ系としてリスペクトしてるんだって」

「……どの辺を?」

「アンタ、見た目人間そのものじゃない。あの娘自分のロボっぽい外見にコンプレックスを持ってるからね。アンタみたいになるのが夢みたいよ」

「なるほど、イシャも歳頃の女の子なんだな」

 一万四千歳だけど。さてイシャが居なくて退屈なのは解ったが、それだけでは、まだ鎮目が俺と二人行動に踏み切るには動機が弱い。というかありえない。

 考えられるとすれば――

「……薬局、好きなの?」

「嫌いな人いるの?」

 鎮目は宇宙人を見る目で俺を見る――謎は全て解けた!

「いや、普通男は好きでも嫌いでもない……と思う」

「何で? 超楽しいじゃない薬局、安いし」

「そうでしょうか? 解りません。最強美白だの目力無限大だの謎のPOPが踊ってて、わたくしにはもう理解の範囲外です」

 店に入るなり化粧品コーナーに連れて来られてしまった俺は慣れない女の子ワールドに目をチカチカさせていた。

「そもそも、お前、高校生がそんな化粧なんてしてるのか」

「まあ、する娘は凄いするわよ。アタシは確かにあんまりしてないけど。それでも普通に日焼け止めとかは使ってるし。いっておくけど、いまどきお化粧なんて人生に必要な勉強の一つよ。授業で教えたほうがいいくらい」

「お、おう、そんなもんなのか。そういやクラスにもまつげバサバサにしてる奴何人かいるもんな、あんなんどうやってやるのか解らんが」

「ぷっ、なんかアンタがマスカラしてる所、想像しちゃった」

「まつげに塗るの、マスカラっていうのか、どんなイメージだ」

「ラジカル・アシッド・タカラヅカな感じ」

「OK、言葉の意味は解らないがとにかく凄いヤバそうなのだけは伝わった」

「あははっ」

 自分のテリトリーにいるせいなのか、鎮目は普段、俺には決して見せないような笑顔で笑っている。こいつもこうしていると顔はまあ、可愛い方というか、大分可愛い方、もっと言えばクラスでも一、二を争うくらいには可愛い方なので、横に居て決して嫌な気分はしない。普段からもっと笑えばいいのにな、などという俺の気の迷いをよそに。

「あ、あれ可愛い!」

 鎮目は自分の興味のあるコーナーにズンズン歩いて行ってしまう。

 やれやれ、仕方がないので俺は先にアンナちゃん先生の用事を済ませてしまう事にした。鎮目に一声かけると『は~い』という生返事が帰って来る。ちょっとのぞいてみると、俺には違いの良く解からない二色のリップクリームを見くらべてウ~ンとうなっている。

 女って訳の解らない生き物だな。

 俺は無視して医薬品コーナーにやって来た。

 え~、打ち身用の湿布はと――お、あったあった、はい一品目クリア~。次は頭痛薬と、あ、カウンターの中か、じゃあ綿棒を先に――と次々に困難なミッションをクリアーしていく俺。惚れ惚れするぜ~、この広い店内からこんなに簡単に綿棒を探し出す男は、江東区広しと言えども俺ぐらいだろう。ふっふっふ、さっきの湿布もアンナちゃん先生の指定を無視して特売銘柄にしてやったし。浮いた分で帰りにコンビニでチキンでも食ってやろう。出来る自分へのご褒美というやつだな。

 俺が自己礼讃にふけっていると、くいくいっ――と後ろから制服のそでを引っ張られる。

「何かね?! このお買い物の天才に聞きたい事でもあるのかね?!」

 俺が元気良く振り返るとそこには見知らぬ少女が立っていた。

 ……なんという事だ、てっきり鎮目だと思ったのに。いや、迂闊うかつだぞ功刀禅! あの鎮目が可愛らしくそでなど引っ張る訳がないではないか、『ねえ、ちょっと』って蹴られることはあっても、ってそんな事より今問題なのは!

 ハッ恥じかちぃぃぃ!!

 どう上手くこの失態を誤魔化すか、大忙しで考えを巡らす俺。だがその黒髪の少女は、特に気にした風も無く、商品棚から手に取った、プラスチック製の小さなケースを、こちらに手渡してきた。

「これ、何て読むんですか?」

 上目遣いのまま首を傾げて来る少女。

 初対面、というのを忘れてしまう、明るく邪気のないソプラノボイス。なんというか、本当に純粋に解らないから教えてほしいのだというのが伝わって来た。

 俺は若干困惑しつつも、そのままケースを受け取り確認する。

 掌サイズのケースは小さな七つの小部屋に分けられ、そのそれぞれにS・M・T・W・T・F・Sとアルファベットが振られている。こ、これは!

「スムトゥウィトゥフス!」

「スムテュ……? ど、どこの言葉ですか?」

「あ~、これは、確か、ヘブライ語だな」

「スゴイ! 意味は? 何て意味なんですか?」

「これは~、あれだな、きな粉だな」

「きな粉? きな粉を入れるケースなんですか?」

「ああ、元々はな、そもそも古代シュメール文明の昔から――」

 ドスッ!! 後ろから蹴られる。

「どこまでその嘘を突き徹すつもりか!」

 今度こそ鎮目だ。

「いや、最初の方は軽いジョークのつもりだったんだが、あまりのピュアハートっぷりに途中から完全に着地点を見失ってな。お前が蹴ってくれなかったらどんなアクロバチックな不時着になっていたかわからん。ありがとう」

「お、おう。それは良かったわね。って、そもそもおかしな冗談言ってないで最初から素直に教えてあげなればいいのよ」

「それもそうだな。そんじゃ、あとよろしく~」

「あ、あたし?」

 何が起こっているのか分からず、横で目を白黒させている少女に、鎮目は申し訳なさそうな笑みを浮かべながら言う。

「これはね、一週間の頭文字。Sunday、Monday~のあれ、持病のある人や毎日飲むサプリメントなんかを入れる一週間用のピルケースよ」

「解ったかい? お嬢さん」

「やっぱ、なんかムカつくわ、アンタ」

 自分の手柄の様に勝ち誇る俺と、その耳をひっぱる鎮目。

 少女はちょっと残念そうに、

「なんだ……嘘だったんですか」

「ごめんね、こいつ馬鹿な上に性根も腐ってるから、野良犬に咬まれたと思って諦めて」

 あはっ! 一瞬フォローしてくれるのかと思っちゃった!

「う、ううん、いいんです。だって、きな粉を入れても別に駄目じゃないんでしょ?」

「もちろん、むしろお勧めだな!」

「ちょっとは心を痛めろっ!」

 鎮目に叩かれる。

 黒髪の少女はじっと俺達の顔を見て。

「ぷっ、仲いいんですね」

「「良くない!」」

 ………………ハモった、あぁ神様、ハモっちまったよ。

「あはは、やっぱり仲いい」

 俺と鎮目はお互いに『お前のせいやぞ!』という意思を込めたガンを飛ばしあう。

 それを見て再び笑顔を見せる黒髪の少女。彼女は鎮目の胸元のリボンを指差し、

「赤いリボンは、えっと二年生ですよね?」

「あれ、私服だから分からなかったけどウチの生徒なの?」

 かぼちゃの様な黒いキャスケット帽に、丈の短い黒マント風のニットの上着を着た少女。

 膝丈の短パンの下に黒のストッキングとブーツをはき、肩まであるボブの前髪だけを眉の上で短く切り揃えた彼女は、帽子の唾をつかんでキュッと形を直すと元気な声で言った。

「えっと、一年A組のセシリア・ヴァリアンテです。よろしく!」

「よろしくね、ヴァリアンテさん。アタシは二年A組の鎮目眞名よ。このお調子者のキリギリスはおんなじクラスの」

「功刀禅だ、ちなみにキリギリスにはサンスクリット語で『虐げられし天才』という意味がある」

「わっ! そうなんですか?」

「痛いから、ね、鎮目さん、グリグリッてするとね、痛いから」

 俺は、足を踏みつけて来る鎮目に、出来れば止めて頂きたい旨伝える。

「純真な後輩に嘘八百教えるなっての!」

 セシリーはそこで、やっとまた騙されてしまった事に気付き、バツ悪そうに苦笑した。

「ほら見なさい、ヴァリアンテさん困ってるじゃない」

「セシリア」

「え?」

「セシリーでもいいですよ。えへへ、先輩達って面白い。私、イタリアから渡って来たばかりで知り合い少ないんで、良かったら友達になってやってください」

 彼女は気を取り直したように、笑顔でそう言う。

「ふぅん、じゃあ遠慮なく、セシリーちゃん」

「おう、よろしくなセシリー」

 せっかく知り合いになった俺達だったが、セシリーはこの後用事があるらしく、もう行かねばならないのだそうだ。俺達はじゃあ続きはまた学校で会った時にでも、と言って別れた。去っていくセシリーを鎮目と二人並んで見送る。

「そういえば鎮目、お前こそ、そろそろ『名前呼び捨てでいいわよ水臭い、アタシも下の名前で呼ぶし』とか言い出してもいいんじゃないか? キャラ的には」

「まっぴらよ。アンタとは一生赤の他人、十年後の同窓会で『あ~、二年生の時に一回隣の席になった――何君だっけ?』ってレベルの間柄よ」

「そう言うなよマナティー」

「馴れ馴れしいわっっ!!」

「マナティー駄目か? じゃあマナタン、マナピョン、シズメドンだったら、どれがいい?」

「最後! なんでウルトラ怪獣風なのよ! アンタなんかにあだ名で呼ばれたくないの、『鎮目さん』以外で呼ばないで!」

「何だよ、人が少しでもこのギスギスした関係を改善しようと歩みよってるのに」

「どこが歩みよってるのよ、誰が見ても喧嘩売ってるわよ! ああ腹立つ、そもそもなんで、このアタシがアンタなんかと二人で薬局ウロウロしてるのよ、意味分かんないわ!」

「おお、やっとそこに気が付いてくれたか、俺も是非聞いてみたかったんだ、なんで?」

「し、知らないわよ、一時いっときの気の迷いよ、二度とないから安心なさい、バーカ!」

 鎮目はベッと舌を出すと怒りのオーラを巻き散らしながら去って行く。

 バイバ~イ! 良し、今日のは勝ち負けでいえば俺の勝ちだな。

 うん。何かあいつの相手をする不愉快も一周したのか、ちょっと楽しくなって来たかも。

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