四月六日(月)

          1


「ねぇぜん、宝くじ当たったらさ、やってみたい事ってある?」

 隣を歩く頭一つ小さいツレが、いつもの様に唐突な質問を投げかけて来る。

 俺はボーッと前を見て歩きながら、少しだけ考えて返答した。

「クリスマスにサンタのカッコして近所の幼稚園に行く、勿論プレゼント山ほど持ってだ」

「フムフム?」

「そしてキャッキャッ♪ キャッキャッ♪ 言ってる貧乏人のガキどもを眺めながらシャンメリーを開ける」

「……貴族の遊びだね」

 朝の通学路、寮から最寄り駅への道すがら、俺達はいつもの様に下らない会話を交して退屈を紛らわしていた。

「いつもながら心地良いまでの性根の腐りっぷり。その死んだ魚の様な瞳! 口元に浮かぶ歪んだ笑み! いいよいいよ~」

隣を歩く少年はカメラマンの様に指で四角いファインダーを作ってこちらを覗いてくる。

「誰も君が、ほんの半年前まで、世界の滅亡を防ぐために闘ってた『正義の変身ヒーロー』だったなんて思わないだろうね~」

「あいつはもうしんだよ……ぐへへ」

 俺はわざと下種げすな声色で喋りながら声の主の顔を覗き込む。

 昔の少女漫画に出てきそうな顔をした、やや小柄な童顔の美少年。

 幼馴染みの神門一馬かむど かずまは、俺と目が合うと『にへへ』と締りのない笑顔を返して来る。

「やれやれ、そう言うお前だってとても『悪の組織の大幹部』には見えんな、失格だ」

 俺は『呆れた』のポーズで言う。

「うう、それを言われると…あのぬるま湯みたいな学園が悪いんだよ、あんなゆるーい所に半年も通ってたら、人食い虎だって茶トラネコっぽくなるさ」

「この間まで『クックックッ、人間どもめ、根絶やしにしてくれるわ!!』とか言ってた癖に、あ~恥ずかしい」

「ふん! そう言う禅だって、燃え尽き症候群になるなんて、そんな変身ヒーロー聞いた事ないよ。ネットで症例調べて笑ったもん、『感情の枯渇』とか『思いやりの喪失』とか、禅の顔がありありと浮かんだよ、あはは、知ってる知ってる、こんな人~って」

 ぐぬう、なんて失礼な奴だ、ちゃんと医者から診断された病気なのに。

 ま、医者と言っても保健室のアンナちゃん先生だけど。

 しかしなあ、悪の秘密組織に変身サイボーグに改造されたりとか、襲い来る刺客達との血みどろの死闘の日々だとか、人としてのアイデンティティがどうのとか、組織の大幹部になっちゃった幼馴染は『殺してくれ、僕の意識がある内に!』とか言い出すもうイヤンで常時アドレナリンの大量分泌! な状況から、ある日突然、

『普通に学園生活送っていいですよ』

 なんて言われたら、あなた、燃え尽き症候群くらいなりますよ普通。

 まあ、半年前まで互いの存在を懸けて殺し合いをしていたこいつと、又こんな風に馬鹿話が出来る日が来るなんてあの頃は考えもしなかった、人生とは分からない物だなぁ、死んだ方がましだと思っても、もうちょっとだけ頑張ってみるのがきっと人生のコツなんだなぁ、などと俺が軽い感慨に耽っていると、いつの間にか駅の改札口に着いていた。

 俺はちょっと慌てて定期入れをズボンから取りだすが、焦ったせいで同じポケットに入っていた鍵束を落っことしてしまった。

「ありゃ…」

 思いの他、勢い良く滑って行く鍵束を取りに行こうと、俺が一歩踏み出すと、視線の先で鍵束がヒョイと摘み上げられるのが見えた。うちの学校の制服の女子。身長は165センチくらい。スラリと長い手足に、三つ編みを後頭部で編み込み風に纏めたすっきりとした髪型。彼女は俺の顔を見るなりその凛々しい眉をひそめる。

「なんだ、功刀くぬぎじゃない。拾って損したわ」

「俺もだ、ついうっかりお前を相手に、ここから始まる、ときめきストーリーを思い浮かべてしまったではないか。俺の涅槃寂静ねはんじゃくじょう秒間のときめきを返してくれ」

「どんだけ短かかったのよ! そのときめき!」

 涅槃寂静=10の-24乗。

「トットと、受け取れ!!」

 メジャークラスのダイナミックなフォームから正確に眉間を狙って繰り出された鍵束を俺はヒョイとかわしつつ左手で受けとめる。

 こいつは鎮目眞名しずめ まな。超がつくほど仕事熱心な風紀委員。決して素行がよろしいとは言えない俺や一馬にとっては天敵の様な女だ。

「あ、鎮目さんだ、おはよ~、珍しいね、駅で会うなんて~」

 缶コーヒーを買って戻ってきた一馬が改札の内側から挨拶する。

「当たり前でしょ、遅刻常習犯のアンタ達とは生活サイクルが違うのよ」

「ねぇねぇ! イシャちゃんは? 今日はいないの?」

 皮肉を物ともしない一馬のマイペースっぷりに、鎮目はうんざりした顔で後ろを指差す。

 すると向こうの券売機スペースから鎮目と同じ制服を着た女子がふわふわヨロヨロと人混みをかき別け、あ、ぶつかって来た人に謝まってる……やって来た。

「わーい、イシャちゃん、久しぶり!」

「おはようございマス。神門さま、功刀さま」

 一馬の挨拶あいさつ丁寧ていねいに答えるイシャ。俺もそれに『よっ』と手をあげて答えた。

 彼女のホンワカした笑顔に周囲になごんだ空気が流れる。

 彼女はイシャ・アラハバキ。

 風紀委員会の最終兵器。何とかという超古代文明の産み出した戦闘用アンドロイドなのだそうだ。特徴的な青磁色の髪を除けば首から上は人間そのものだが、普通の女の子物の制服を着た胴体部分からは、縄文土器の様な複雑な紋様を描いた褐色の装甲板がのぞいている。足には紺のハイソックスとローファーまで履いているが、人間の様には歩かず、地面数センチをふわふわ浮いて移動するので、結構目立っている。

 鎮目の影に隠れて、ポヤーっとしている事が多く、大人しい性格と思われがちだが、転入して早々騒ぎを起した俺と一馬に、初対面で荷電粒子ビーム砲を発射して来るような大胆な面も持ち合わせている。

「あの九・一八購買消失事件から、もう半年も経つのか。時の経つのは早いものだ」

「ふん、転入初日にこの娘に『日輪にちりん』を使わせたのなんて、アンタ達くらいよ」

 そう吐き捨てる鎮目に、一馬はニコニコしながら、

「あ、懐かしい~。そうそう、夕闇に映えるシンクロトロン発光が綺麗でね~、まるで天使の輪みたいなの」

「ポッ……」

 イシャは照れている様だ。どこだ、『綺麗』の所か? 相変わらずズレてるな、というか誰一人かみ合っていないのだが、面倒臭いので放って置くことにする。

「あ、いけない、そろそろ電車来るよ~」

 一馬の唐突なその一言に俺達はハッと一瞬顔を見合わせると、慌ててホームに向かった。

 何とかドアの閉まる寸前に乗り込んだモノレールの中、ドアにほど近いスペースに四人固まって、各々つり革につかまったり、手すりとドアの隙間に挟まったりしてやっと人心地つく。

 と言っても二駅で降りるのだが。

「まったくなんで電車で二駅なんて中途半端な場所に寮を作ったんだかなぁ、学校の隣に作ればいいものを」

 不平を言う俺に鎮目は、

「アンタは学校の隣でも絶対遅刻するんだから、どうでもいいわよ」

 と言い捨てる。ひどいシト。

「僕は寄り道出来るから今の方がいいな~、あ、そう言えば鎮目さん、前から聞きたかったんだけどさ、二人もこの学校来る前から一緒だったんでしょ」

 一馬がまた唐突に話題を変える。

「アンタ達もだっけ? そうよ、このはアタシが仁徳天皇陵から発掘してきたんだから」

「ブッ! 盗掘だろそれ!! 百パー!」

 俺はなぜか自慢げな顔の鎮目に教育的指導を入れる。

 世界最大の前方後円墳、仁徳天皇稜(大仙古墳)といえば、現在は発掘はおろか、一切の立ち入り調査が禁止されていると前にテレビでやっていた。

 隣でツボに入った一馬が缶コーヒーを吹きそうになりながら耐えている。

「ゴフッケホッ! は、鼻から出ちゃった。大胆だなあ、鎮目さん」

「いいのいいの、世界の危機を救う為だったんだから」

「へ~、で、どうだったの? 中の様子は?」

 一馬は興味津々で聞きに入る。

「んー地味よ。アタシが入る前に、すでに盗掘されてたみたいだし。剣山つるぎさん(そこも立ち入り禁止だ!)の地下のソロモン神殿のが絵面的には派手だったね」

 イシャがニコニコ頷いて相槌を打つ。

「ま、最後は結局、粉ごなに破壊しつくしちゃったけど」

「うっわー! 超面白そう、二人の話」

 一馬は目を輝かせて話に食いついている。

 だが俺はあえて一言、言わせて頂こうと思う。

「しかしだね、鎮目くん。君は~、いつも我々にやれ遅刻をするなだの、廊下を走るなだのとルールを押し付けて置きながらだよ、自分は法律という日本国民としての最低限のルールも守れない。そんな娘だったのかね。ぼかぁガッカリしたよ」

「なによあんた、朝っぱらからケンカ売って……ムッ!」

 鎮目はさっと首を巡らせ、車両の右手奥のシートの辺りを見た。

 俺もつられて見てみると、茶パツ、サングラスに黒金のジャージという、いかにもな格好をした二人組の男達が、シルバーシートに座って何やら下品な笑い声を上げている。

 あ~、あろうことか、注意したおじいさんに罵声を浴びせております。

「わー、バカそう」

「ちょっと失礼」

 鎮目はそう言うと、真っすぐ男達の方に向かって歩いて行った。

 アぁん!? 誰よお前? チョーウケる! とか言われております。お! 二人の男の肩に手を置いて、耳元で何かを囁いています。何でだ? そこで鎮目はスッと体を離した。

 腕組みの姿勢で見守る鎮目の前、男達は見つめ合い、キラキラした目をして二人で窓を開けると、キャッキャウフフゥ言いながら勢い良く飛び降りた。

 俺はギョッと慌ててドアに張り付き、窓越しに彼等の最期をみとろうと試みた。

 が――勢い良く跳んだのが幸いして二人とも十メートル下の海に落ちた様だ。

 意識のある一人が、うつ伏せに浮かんでいるもう一人を必死に助け起こしているのが遠くに見える……ガンバレ!

 鎮目がスタスタ戻ってきた。

「ごめんごめん、えーっと何の話だったっけ」

「いえ……何でもないです」

「そうそうルールの話」

「イヤーもうその話はいいんじゃないかな」

 鎮目はズイっと俺に顔を近づけて、

「アンタ、なんかアタシの事勘違いしてるみたいだから教えてあげるね。

 アタシはね、ルールを守らない奴が許せないとかじゃないの、ルールを破って意気がってる奴らを無理矢理従わせるのが好きなだけ、必要なら腕づくでね」

 猛禽類みたいな目で力説して来る。

 筋金入りのドSですね!

「かっこいい~、鎮目さん。部下に欲しいくらいだよ~」

 一馬が元管理職らしい妙な誉めかたで持ち上げるのを、鎮目は嫌そうに右手を振って、シッシッと退ける。

「そう言えばアンタ達、今日はなんでこんな朝早いのよ」

「いえほんの出来心で」

 つい話の流れで意味もなく弁解している俺に苦笑しながら、代わりに一馬が返答する。

「今日は始業式にクラス替えの発表もあるでしょ。正直始業式はどうでもいいけど、新しいクラスで、席決める時にいないと、一番前とかにされたらヤダし」

「気が付いたら学級委員とかもゴメンだな」

 俺も付け足す。

「ふうん、ま、今日から二年生だもんね……普通すぎる理由でつまんないわね。なんかたくらんでるならアタシがくじいてやろうと思ったのに、っていうか、朝ちゃんと起きられるんだったら、いつもそうしなさいよ」

「はーい(棒読み)」

「おー、まかしとけー(棒読み)」

「水平線を見ながら言うな!」

「クスクス」

 俺達と鎮目のやり取りをイシャはニコニコしながら見つめている。

 そうこうしていると、車内アナウンスがまもなく学園前駅に到着する事を告げた。

「ふん、休み中は思う様ダラダラしてたんだろうけど、今日からはそうは行かないんだからね、アタシの前で、少しでも校則違反をしたら生まれて来たことを後悔させてやるわよ」

「ふふん、例の『言霊ことだまの法』とやらを使って従わせるのか? さっきの野郎どもにやったように。言っておくけど、その気になったらお前が一言発する前に、なんやかやする方法も無い訳じゃあ無いんだぜえ」

 俺はわざと悪人ぽい口調で手をワキワキさせてみるが、鎮目はまるで動じる様子も無く、

「それを言うなら『一言主ひとことぬしの法』よ。イシャの張る防御結界をアンタが破れればね。言っておくけど、アタシとこの娘のコンビネーションは無敵だから。パンツ一丁で朝の校門に吊るされたいんなら、いつでもかかってらっしゃい」

 おお、こわいこわい。

 俺達は、そんな風に、いつもの憎まれ口を叩き合いながらモノレールの駅を出て、ちらほら花の咲き始めた桜並木の下を通り、タルい始業式の待つ学校に向かって歩いて行った。


          2


 学校法人私立救世国際学園は特殊な学校である。

 東京湾の埋め立地の一区画を丸ごと買い取って、日米欧の共同出資により設立されたこの学園の入学条件はただ一つ。『世界を危機から救った事』ただそれだけ。

 世界中で起こる、現代科学の常識に反した怪異事件や、国家間のパワーバランスを揺るがしかねない、秘密結社のオーバーテクノロジーによって引き起こされる事件。

 この世には、そういった公表不可能な世界の危機に立ち向かう為、異仰の能力を手に入れ、その引き替えに、自らの平凡な人生を差し出した若者達が無数にいる。

 そういった若者達の『戦後』の精神的なアフターケアや社会復帰の為の訓練を行う大変意義深い学校、それがこの救世国際学園なのだ――と公式パンフレットには書かれている。

 確かにここに来る者達の中には、戦いのさ中に肉親や親友、恋人をうしなった者も少なくなく、同じ様な境遇・年齢の人間ばかりが集まっている環境は異様なまでに過ごしやすい。

 ここが無かったとして、果たして俺達が普通の一般社会に、何の生活基盤もなく投げ出されて暮らして行けたかといえば――恐らく相当、みじめな思いをしたであろう事は想像に難くない。というか俺と一馬に関してはここに来る前に死んでいただろう、間違い無く。

 勿論、うがった見方をすれば、テクノロジーと貴重な被検体達の先進諸国による独占と言う事も出来るし、実際、学園敷地内には、校舎の三倍はあろうかという巨大な研究施設棟が『生徒達の健康維持管理の為』という名目で併設されている。また、一馬に言わせれば、『一ヶ所にまとめて置けば、いざって時、気化爆弾一発でカタがつくと思っているんだろ。クックックッ、人間どもめ、試してみるがいい……』だそうだ。

 さて、真面目な話はこの辺にして、俺達生徒にとってのより身近な問題はというと、学園の性質上ここにやって来る連中のほとんどは、ゲームでいう所の『パラメータ据え置きで二周目』の状態であり、本来なら廊下で肩がぶつかっただけで、校舎の一つくらい吹き飛びそうな怪物くん達の集まりだという事だ。そういった危険な状況を避ける為、学園内には多くの校則や、それ以上に大切な生徒間の暗黙のルールみたいな物が存在する。

 だがやはり一番大切なのは、出来るかぎり危なそうな事には近づかない意識の持ち様だ。

 そう、穏やかな余生を『ゴスッ』過ごす為にはなるべく危険度の『ゴスッ』高い人には近寄らないのが『ゴスッゴン!』

「や、やめてください! 机蹴らないでもらえませんか?!」

 俺は隣の席から送られて来る殺意の篭った熱視線の主に懇願する。

「何でアンタとおんなじクラスで、しかも隣の席なのよぉ……」

 ほう杖をついたまま、酷い怨念顔で、明らかな八つ当たりをして来る鎮目。

「ボ、ボクお金もってません」

「……殺したい」

「……そもそも、あそこでお前が鍵束を拾いさえしなければおかしなフラグが立つ事も無かったのだ、むしろこれは全部お前のせいで俺は犠牲者だっ!(キリッ)」

 俺はポーズ付きで鎮目をビシッと指差す。

「な・ん・で・すって~、そもそも鍵束落としたのはアンタ――」

「わ――――ん!! 酷い!! 鎮目さんがイジメル――!!」

 机に突っ伏して泣いてみる。

「殺す!!」

 髪の毛を逆立てて立ち上がる鎮目。

「ほう……すごい! 空気までが震えているようだ」

 教室の一角でにわかに立ち昇る学級崩壊ハルマゲドンの予兆に、室内にザワザワとした空気が流れる。 だがそれは次の瞬間ガラガラと響いた、教室のドアを開ける音にフッとかき消された。

「はーい、うるさーい、席に着いてー、あんまり怒らすと先生第二形態になっちゃうぞ~」

 俺達はその発言にギョッとして席に座り直す、担任のみゆきちゃんが入って来たのだ。

「くっ、邪魔が入ったわね。その命、預けておくわよ」

 鎮目は捨てゼリフを残すと、席につき、悔しそうにそっぽを向いた。

 今は三限目のLHR。校舎に入って、真っ先に、掲示板のクラス分け表を見に行った、俺達に突きつけられた現実は『四人とも二-A』という衝撃的なものだった。その時点でも相当気まずい空気が流れていたのだが、その後の席決めのクジ引きで、めでたく俺の隣の席をゲットした事により、遂に彼女の不満は臨界に達した様だ。

 俺もさすがにグッタリしてクラスの中を見渡す。右後ろの一馬と目が合うとニヘヘとだらしない笑みが返って来た。そしてその更に右側はイシャの席で、彼女は俺と目が合うと、さっと一度目をそらして、そのあと、怖いものでも見る様にチラッチラッとこちらを盗み見ている……噛みつくとでも思われているんだろうか。ま、いいけどね。

 他にもさっと見回しただけでも何人か見知った顔がある。といっても、そもそも二年は四クラスしか無いんだから知った顔が多いのも仕方のない事なんだが。

「はーい、皆聞いて。この時間は五月一日に予定されている、体育祭について説明します」

 みゆきちゃんはハキハキと喋りながら、前の時間の自己紹介タイムに書いた榎園美幸えそのみゆきという黒板上の自分の名前をサッと消し『体育祭、五月一日』とチョークで書いていく。

「一年の入学の時からいる子達は、二度目だから分かってるだろうけど、半分以上は途中転入組だから頭から説明しますね。え~~~~~って功刀! お前も転入組だろ」

 みゆきちゃんは一年の半ばに俺と一馬がこの学園に来た時からの担任だ。

 年齢二十七才、独身、面倒見が良くサバサバした性格で、男女問わず生徒達から信頼されている。『タバコをやめる奴は意志が弱い』が信条のヘヴィスモーカーなのが玉にキズだが、女教師! って感じのパンツスーツの似合う美人なので俺が許す。

「さて、全員参加の種目は良いとして問題は個人種目です。普通の学校では各種目ごとに、挙手制で誰が何に出るか決めて行くと思うんだけど、タチの悪いのが混じっている我が校ではそうも行きません。聞いてるのか? お前の事を言っているんだぞ。入学時の体力測定で百メートルを一秒で走った功刀禅君」

「いや~、あの頃は若かったんスよ~、今なら絶対そんな疲れる事しないから安心して~」

 俺はダルそうに返事をする。

「えー、こういう体力バカと、文系能力者の生徒達とのイコールコンディション化を図る為、参加種目は事前に大会本部が、無作為な抽選を行って決定することになっています」

 へ~そうなんだ。俺は内心、何だその程度かとほくそえんだ。

 生憎俺の身体能力からしたら、玉入れだろうと棒倒しだろうと、大概のスポーツは欠伸をしながら世界記録が出せるのだ。たかが学校行事で無駄に頑張るつもりもないけどね~。

「さて、じゃ、このプリントに各自の種目が書いてあるから、ハイ後ろに回して」

 俺はプリントを適当に後ろに回すと、自分の分はまだ見ずに後の楽しみに取って置き、机に突っ伏して寝たふりをしながら回りの様子を伺う。

「うわ、障害物競争だって、今時、ダサっ」

 ありゃあ、そりゃ残念、鎮目さん。

「あ、イシャ、アンタ」

「ハイ、イシャは騎馬戦だそうデス」

 ……………こわい考えになってしまった。

「僕は千五百メートルリレーだ。あ――ちょっ禅、禅、起きて!」

 一馬が珍しく慌てた声を上げる、俺はチョッピリ不安になって手元のプリントを開いた。『功刀禅・百メートル自由形』と書かれている。

「――百メートルを自由に走っていいって事だろうか?」

「ううん、百メートルを自由に泳いでいいって事だよ」

「……? でも、俺泳げんぞ」

「うん、知ってる。サイボーグだもんね」

 一馬が哀れんだ目で俺を見ている。

 俺はさっきまでの上から目線気分から一転、サーッと血のけが引いて行くのを感じた。

「ハーイ、苦手な種目になっちゃった子もいるだろうけど、一ヶ月あるんだから、あきらめないで秘密特訓でもしてなんとかすんのよ、あなた達得意でしょ、そういうの」

 みゆきちゃんは明らかに俺の目を見てニヤリと笑った。

 図ったな……図ったな! みゆきちゃん!!

「横暴だ! 一部の突出した生徒の能力をスポイルする事で画一化を図ろうという、前時代的、ゆとり教育的発想だ! 第三者委員会立ち会いの下、厳正なる再抽選を要求する!」

「却下します。苦手意識克服のチャンスよ、頑張って!」

 意識も何も物理的に浮かないんだってばよ!

「なによ、アンタまさかカナヅチなの?」

 鎮目がさも嬉しそうに聞いて来る。キ――っっ!!

「さて補足ですが、皆さんクポカは持って来てますね?」

 うちの学校は全寮制で住居費や寮での食事は無料になっているが、それ以外の遊交費は毎月クポカ(救世ポイントカード)にチャージされる仕組みになっている。

 クポカはいわゆる電子マネーカードの一種で、国内のあらゆる電子マネー用カードリーダーに対応しており、電車の定期券機能もある優れものだ。毎月一日(土日祝日の場合はその前日)に構内の設置機器からその月の分をチャージ出来る様になっているのだが――

「各種の学力テストや体力測定の結果によって、皆さんに支給されるクポカポイントが決定されていますが、体育祭の様なビッグイベントの成績も当然関わってきます。

 ぶっちゃけ勝った組は支給額倍増。カテゴリー別優勝者には臨時ボーナス、逆に棄権、失格の類は大幅な減額が待っていますが、これは皆には関係ないよね」

 ニコニコと釘を刺して来るみゆきちゃん。酷い、只でさえ普段から学業、素行の両面でマイナスされているというのに頼みの体育会系行事で稼げなかったら――

 買い食いが出来なくなっちゃう!

「あと、うちのクラスは赤白の赤組だから、一年A組と二年B組、あと三年のABC組の人間は仲間だから、仲良くするのよ」

 悪いけどハートがささくれ立っちゃってとてもそんな気分じゃないです。

「アンタ、ちゃんと練習して、当日アタシ達の足を引っ張んない様にしなさいよ」

 鎮目の無理な要求。

「大丈夫! 禅なら何とかなるって!」

 一馬の何の根拠もない励まし。

「おろおろ……」

 イシャは、心配そうな顔で見ている。

「う、うわ~~~~ん!!」

 俺は、いたたまれなくなって教室から飛び出した。


          3


 購買で買って来た、カロリー補給用の菓子パンの入ったビニール袋を片手に、俺はそのまま三限の残りをバックレて、屋上に逃げて来ていた。

 畜生あいつら、人の事を足手まとい扱いしやがって――

 手摺に寄りかかり海を眺めながら溜息をつく。は~あ、本当にお小遣いが無くなっちゃったらどうしよう。また学校に内緒で港湾のバイトでもしようかな、これでも、ウチには功刀さんがいるからフォークリフトはいらねえやって言われて重宝されてたんだからね、今更戻って来てって言っても遅いんだから……。

 はっ! いかんいかん、寂しさの余りついつい構ってちゃんが出てきてしまった。俺は気をとりなおして、ちょっと真面目に体育祭について考えてみる事にした。だがその前に、

 具だくさんチーズカレーパンを袋から出してガブッ! モグモグ。

 実際問題、小遣いが供給停止などという事態に陥った場合、一番困るのはこの体だ。

 一日に二万キロカロリーを要求して来る異様に燃費の悪いサイボーグボディ。

 コイツと付き合い初めてからというもの、俺の食事に関する意識は一般人とは大分かけ離れたものになってしまった。

 平常時から常人の数倍のパワーを発揮する人工筋肉を始めとして、この体は日常生活で何をするにも大量の電力を必要とする。

 食物から効率良く熱量を取りだし僅かばかりの生体パーツの維持とバイオマス発電に充てる。それを賄う為の一日に八回の食事。

 今の俺の小遣いは、ほとんどこのカロリー摂取に使われている、と言っても過言ではない。毎日が命がけだった半年前ならまだしも、今みたいな平和な日々においては正に無駄以外の何物でもない。

 自然と、なるべく無駄なエネルギーを使わない様に使わない様に、コンビニでは、なるべく表示カロリーの大きい物を大きい物を、と選んでいるウチに、最近では何も見ずに、フィーリングだけでもお弁当コーナーで一番カロリーの多い物を選べるようになりましたったよ、ハッハッハ――少々話がそれたな。

 ま、という訳で普段からやる気が無いだのバーンナウトだの言われてしまう俺の面倒臭がりが実は高いエコ意識に基づいたものだと解って頂けたかな?

 よ~し、では話を体育祭に戻そう。

 俺は足元から響いて来るチャイムに三限目が終了した事を知らされつつ、次の二色のクリーム入りメロンパンを袋から開けて被りつく。

 水泳だ。水泳だけはまずい。ある程度は収束セラミックやカーボン系素材で軽量化されていると言っても、サイボーグの比重が水よりも軽くなる訳はない。何せフレームにはマルエージング鋼だのタングステン・カーバイトだの重金属が贅沢に使われているのだ。

 かなりの時間は潜水していられるので、最悪水の中を歩いてゴールする事は出来るだろうが、スピードを競う様な競技では致命的だな。

 やはり自分の種目は捨てて赤組の勝利に全てを賭けるしかないのだろうか。

 酷いタイムで大減点→赤組勝利で倍増→結果トントン。

 うむ、しゃくさわるが、いたしかたあるまい。でも具体的に何をしたらいいんだ?

 白組のキーマン達に闇討ちをしかける……面倒臭い上にバレたら停学だな。

 そもそもこの学園の生徒は、互いの持っている能力をなるべく詮索せんさくしないというカルチャーがあるので、俺と一馬の様な間柄か、もしくは特別な仲良しでもない限り他のクラスの生徒がどんな能力を隠しているのかは分からない。返り討ちに合うのが関の山だな――

 俺が三つ目のどっさりチョコがけ蒸しパンの封を開けると、ふいに遠くの方から言い争いをする声が聞こえて来た。俺は蒸しパンをくわえたままチラリとそっちを見る。

 上から見るとHの字型の校舎、その右の南端にいる俺に対して彼等がいるのは左の棟の南端、すなわち奈落を挟んで向こう岸。

 五人組の制服の男子生徒達がが一人の大男(?)を取り囲んで声を荒らげている様だ。

 俺は五人組の一人に焦点をあわせて視界をズームする。徽章きしょうからして一年生だが、服装は入学早々自前の変形学生服という立派なヤンキースタイルだ。だがこいつらはまだいい。

 かこみの中心でぼーっと突っ立っている激しく毛色の違う大男(?)に比べれば。

 彼が制服を着ていないのが問題なのではない。確かに我が校には一応規定の制服があるが、制服に慣れていない米、欧の生徒もいる為、私服で来る事も許されている。

 だがその大男(?)の異様な風体はそういうレベルではない。

 二メートルを超える巨躯の体表面は光沢の無い青黒い皮膚で覆われ、ぬるりとした面長な頭部には羊を思わせる大きくうねった巨大な角が生えている。一見するとサバトの黒山羊の様な姿だが、細部を良く見ると各部で点灯するランプ類や英語による細かな指示書きなど彼が人工物である事を表す証拠が見てとれた。

 おいおい、なんであんなのが学校にいるんだ。

 俺は湧き上がる好奇心に命ぜられるままに、言い争いの内容が聴こえる様に、聴覚の集音レベルを上げてみる。下の教室の話し声や、遠くの工事現場の音まで大きくなる中、彼等の声が一際大きく強調される。

「何とか言ったらどうなんじゃゴラァ!」

「お前のせいで『麒麟』の義雄君、訓示を垂れる校長先生のありがたい御姿を拝めなかったんだってよ、どうしてくれんのよ、あぁ?」

「ヤっちゃおうよ『青龍』の堅弥君! こいつちょっとデカイと思ってさ、オレら無敵の『五輪者ゴリンジャー』ナメてんだよ」

 ――すげえ、ワシントン条約級のヤンキーだ。気のせいか、羊顔のロボットもリアクションに困ってオロオロしている気がする。だが、彼らはそんな事お構いなしだ。

「ケンカはガタイじゃねえのよ」

 五人の中の一人、小柄な少年がガクランのボタンを外しながら一歩前に出た。

「『朱雀』の潤君!」

「『裏婆死武瑠りばーしぶる!!』」

 朱雀の潤君は羽織っていた短ランをさっとひっくり返して表裏逆にまとった。鮮やかな赤い別珍の裏地に刺繍された美しい鳳凰が姿を表すと同時に、彼の体はまばゆいばかりの真紅のオーラに包まれる。

「タイマンだぁ……行くぜぇ!」

 ヤバイ、オラ、ワクワクしてきちゃったぞ。

 朱雀の潤君はその場で二、三歩軽くフットワークを踏むと、やにわに踏み切り、羊顔のロボットとの距離を一歩で詰めながら頭部に向けてほのおを纏った渾身の右ストレートを放つ。

「『爆刃夏来ばーにんなっくる!』」

 ネーミングセンスは別として、流石さすがこの学園に入学して来るだけの事はある、かなりのスピード。

 だが羊顔のロボットは別段動じもせず、それが当たる寸前に、迫るパンチの肘の下辺りをポンと軽く叩いて軌道をそらすと、その場で地面を強く踏みしめ、肩から体当たりを喰らわした。 どんっ! という凄い音が響く。

 空中で自分と相手の全体重をカウンターで打ち込まれた朱雀の潤君は『撃墜』という言葉がピッタリ来る感じに地面を激しくバウンドして他の連中の輪に突っ込んでいった。

「す、朱雀の潤く~~~~ん!」

 駆け寄る仲間達。朱雀の純君は気持ちよく白目を剥いている様だ。

 だがそんなことよりも俺の興味はロボットの今の動きに向けられていた。

 中国拳法。

 激しい震脚を伴う体当たりの技法は、心意六合拳しんいろくごうけん戴氏心意拳たいししんいけんか、何にせよ相当身についた動きだ。それこそ無意識に技が出るレベルの。

 案の定、羊顔のロボットはハッと自分のやった事に気付いた様に両手を自分の前でブンブン振って『そんなつもりじゃなかった』アピールをしているが、こりゃもう収まらんな。

「てめぇ~、おい、オメエら!」

「おう!『『『『裏婆死武瑠りばーしぶる!!』』』』」

 残りの四人が短ランを裏返して纏うと、彼らの周囲に四色の鮮やかなオーラが立ち上る。

 ヨッコイショ。俺は重い腰を上げた。

 このステキすぎるバトルの行方ゆくえを最後までじっくり観戦したい気持ちも捨てきれんが、

 俺は空になった蒸しパンの袋をコンビニ袋に突っ込む様に戻すと、そのまま数歩後ろに下がって、助走を付けて踏み切った。


          4


 その男は突然空から舞い降りて来た。

 左の方向から突如響いた甲高い破砕音に皆がそちらを向いた次の瞬間、五人組の後方、さっき自分達が入って来たドアの真上辺りから不意に声が発せられた。

「そこまでだ!」

 その場の全員が突然発せられた声の源、通用口の上を注視した。

 ボク以外の五人は彼が始めからそこに隠れていたかの様に錯覚したかもしれないけど、ドア側を向いていたボクには、逆光の中、彼が着地する瞬間が見えた。

 彼は向こうの棟から跳んで来たのだ、五十メートルはあろうかという距離を、走り幅跳びの要領で軽々と。

 太陽をバックに、両腕両足を開いてすっくと立つその影。まるで、小さい頃、兄さんと一緒に見た『パワーレンジャー』の登場シーンの様。瞬間、瞳の光学カメラの露出補正が働き、暗かった彼の姿がハッキリと映し出される。

 身長百八十センチ余りの引き締まった筋肉質の体躯たいく。幅の広い両肩の上には『寝起きの狼』とでも表現したくなる、端整だが、どこか気の抜けた雰囲気の顔が乗り、そこに、やや長めのクセ毛の黒髪が絡み付いている。

 真後ろから突如現れた、謎のニューカマーに、その場の全員が呑まれた様に固まる中、静寂を破り、五人組のリーダー格とおぼしき、黄色いジャケットを着た、すごいリーゼントの少年(確かキリンのヨシオ)が意を決したかの様に声を張り上げた。

「な、なんだぁ、テメエは? ケンカ売ってんのか?!」

 謎の男を睨み上げて、いかにもな台詞で凄む。

「いいねえ~、その定型文テンプレみてえなご挨拶。ぞくぞくするぜえ~。

 タイマン挑んで負けた仲間の報復に、残りの四人が一斉に『かかれ~!』って?

 いやあ、ワクワクするほどの逸材だわ。俺はお前たちみたいなのに、一度でいいから会ってみたかったんだ」

 高みからの男の言葉にキリンのヨシオは口をとんがらせて吠える。

「ああ? テメエ馬鹿にしてんのか?関係ねえやつぁ、ひっこんでろや!」

 謎の男は口元に意地の悪そうな笑みを浮かべ、

「クックック、そうは行かん。楽隠居の身とはいえ、このシチュエーションを見せられてはな──血が騒ぐのよ。古くは浦島太郎より脈々と受け継がれた『お人好しの血』がな!」 影になった彼の眼底の奥にボンヤリとした紅いともしびが揺らぐのが見える。

「ああ?! やろうってのか、コラ!」

「コイツ、ヒーローきどりだぜ、やっちゃおうよ、麒麟の義雄くん!」

 罵声を浴びせかけて来る不良少年達に、彼はむしろ、どこか嬉しそうな笑みを浮かべる。

「この羊野郎をかばおうってんだな? おもしれえ、テメエからボコにしてやんよ、オラとっととそこから降り──!?」

 全員が言葉を失いその場に固まった。キリンのヨシオの前に立った謎の男が、鼻が触れる程の距離まで顔を近づけて覗き込んでいる。

「そこから降りて──なんだって?」

 彼の体が突如、強い光を放ったように見え、全員がうっ、と目を細めた次の瞬間だった。 彼がいつ動き出し、そこに降り立ったのか、その場の誰一人として見た者はいなかった。

 我に返り、弾ける様に飛び退き、身構えるキリンのヨシオ。

 その表情から、驚きと恐怖が滲む。それを見た謎の男がニイっと口を開く。

「どうしたよ……お望み通り降りて来てやったのに、皆離れちまってよ、ヒィッヒィッヒィ~、一緒に踊ろうぜ~、DQNドキュン共~、“不運ハードラック”と“ダンス”りをよ~」

 ニヤついた表情はそのままに、彼の纏う空気の危険レベルだけが一気に二段階上がる。 あたかも猫科の大型肉食獣を思わせる強烈な威圧感に、張り詰めるその場の空気。

 だが、囲んでいる彼等とて、ここへ来るまでに相当の場数を踏んできた筈の者達、すぐに気を取り直すと、互いに目配せをしてジリジリと間合いを詰めていく。

 ボクはどうしよう……ボクは……


 もう少し――まだだ、まだ来るなよ……

 ピンと張りつめた空気の中、俺は一人タイミングを計る。

 さっき鳴った授業終了のチャイムから計算して、もういつ来てもいい筈、さあ、こい!!

 俺の右後ろで、『白虎』の某君が跳び掛ろうとスッと腰を落とした次の瞬間。

「あ――! 靴あった――――!!」

 極度の緊張状態を切り裂き、突然隣の棟から響いた大声に俺以外の全員がビクッと振り向く。今っっ!! 俺は『感覚加速ゾーン』に入ると同時に変身する。

 ほとばしる電光。ほんの一秒間だけの変身。

 六十倍に間延びした静寂の世界の中、ねっとりとまとわり付く空気抵抗を感じながら、俺は地を這う様な高速移動で彼等の背後にまわり一人一人順に殴り倒して行く。四人目の麒麟の義雄君の顎先にパンチをかすらせたのち、俺は変身を解いて『感覚加速ゾーン』を抜けた。

 瞬間、慣性に引っ張られた俺の体は鉄柵まで滑ってぶつかる。同時に襲い来る感覚の洪水――ぐうっ、この眩暈だけは、何度やっても慣れん。

「居た! 向こうの棟の屋上、ちょっとアンタァ! 嫌がらせに靴隠すとか中学生か!!」

「それより見て! あの絵面は、入学早々目立つ格好してる新入生になん癖付けて『来週までに一人十万用意しとけや~』ていうDQNドキュンな先輩にしか見えないんだけど!」

「ガクガクブルブル(←イシャ)」

 向こうでギャオギャオ騒いでいる三人を無視して、俺は唯一意識のある麒麟の義雄君に歩いて近づいていく。どうやら自分が倒された事は理解している様だが脳震盪のうしんとうで起き上がる事は出来ない。そうなる様にしたのだ。

「くっ、分かっていたのか、突然奴らが現れて、大声をあげるのが……」

「そうだな、例えば――帰ろうと下駄箱に行ったら靴を隠されていた気性の荒い風紀委員の女子が、恐らく犯人と思われる男の行動パターンを読んで屋上にやって来るタイミングを読んだのか? と問われれば答えはイエスだ」

「計算ずくか……ひ、卑怯な……」

「ちょっとアンタァーッ!! 今からそっち行くから逃げるんじゃないわよっ! 今日という今日は許さん! 二度と泣いたり笑ったり出来なくしてやる!」

 おお怖え~。こりゃ逃げるが勝ちだな。俺はさっきの羊顔のロボットを――あれ、あいつどこ行った? ああ、いたいた、用具小屋の陰に光学迷彩で隠れている。

 真っすぐ近づいて行く俺が真横まで来た所で、体育座りの姿勢で顔を手で覆って隠れている(つもりの)羊顔のロボットは俺の気配に気づき、おずおずと顔を上げた。

 目が合う。

 バレている事に気付いた羊顔のロボットは、光学迷彩を解くと慌てて壁際に跳び退り、『な、なんで判ったの?』というジェスチャーをしている。

「随分性能のいい光学迷彩をんでるみたいだが俺には通じんぞ、だが今はそんな事より」 俺は羊顔のロボットの手首をつかんで出口に向けて引っ張る。

「一緒に逃げるぞ、お前も一人ぶっ倒してるんだ、下手したら停学だぞ」

 ヨロヨロ付いて来るロボット。あ、そうだ、俺は大の字になっている麒麟の義雄君の顔の前に座り込んで話しかける。

「これに懲りたら、誰彼構わず噛みつくのは止めておくんだな、この学校にゃ、強い上に性格の歪んだ連中がウヨウヨいる。それこそ、俺なんかジェントルメンに見えるぐらいのがだ。ま、それでも納得行かない様ならいつでも二年A組に来な、この神門一馬様がいつでも相手になってやる」

 俺はさりげなく一馬に面倒事を押し付けてみる。

「くっくっくっ、言っておくが本気だした俺様の卑劣っぷりはこんなもんじゃないからな、歳の離れた妹を人質に捕られる覚悟が出来たらいつでも来るんだな」

 そう、あいつならそれぐらいやるぞ。

「ぐ、分かった、か、覚悟してやがれ……ガクッ」

 麒麟の義雄はそれだけ言うと力つきる様に気を失った。

「さて、逃げるぞ! 鎮目に捕まったら生皮をがれると思え!」

 俺達は通用口から校内に入ると全速力でその場を離れた。


          5


「ふ~、ここまで逃げれば大丈夫だろ」

 俺と羊顔のロボットは、部室棟の四階にある自販機スペースに逃げて来ていた。

 風紀委員命で部活に入っていない鎮目プレデターは、まず立ち寄る事の無い場所なので、とりあえずは安心だろう、俺は落ちつくべく、自販機でパックのコーヒー牛乳を買う。

「お前も何か飲むか――って、ワリィ無理だよな」

 羊顔のロボットは体の前で手を振る『いえいえ、お構い無く』という所かな。

 さて、何であんな奴らに絡まれてたのか、とか色々聞きたい事はあるんだが――まずは。

「お前も、あいつらと同じ一年だよな?」

 こくこくと頷く羊顔のロボット。

「そうか、では一年先輩から忠告してやる。『犬と子供が好きだからといって善人だとは限らない』って言葉を知ってるか?『世界の危機を救った』なんていう大層な入学条件をクリアした連中だからといって、皆が皆、気のいい善人という訳じゃない。むしろ過去に色々あった分やさぐれてとんががってる奴も多いからな。トラブルに巻き込まれたくなければ気を付けな――えーと」

 俺は相手をなんと呼ぼうか迷った。

流石さすがに『羊顔のロボット』という長ったらしい仮呼称も飽きたな。せめて名前くらい判るといいんだが」

「……あぅ……ア…アリ……」

 ロボットの顎の辺りからかすれた声が響く。

「なんだ、お前、喋れんのか?」

 俺の驚いた声に、羊顔のロボットはコクりと頷いた。

 てっきり喋れないものと思い込んでしまっていた。

「…アリ、ス……」

 スピーカー越しの少しこもった声で、羊顔のロボットは自分を指差してそう言った。

「アリ、ス? アリスって名前なのか? つうか、そのなりでお前、女の子なのか?」

 羊顔のロボットは再びコクりと頷くと、自分に向けていた指を俺の方に向け、

「…な、ま…ぇ」

「名前? あー、すまん、俺の名前か、俺は功刀くぬぎ功刀禅くぬぎぜんだ。つかマイクかスピーカーの調子、おかしくないか? 声が途切れ途切れだぞ」

「…あ、あ――ぁ? ……えと、久しぶりに、喋ったら……声が、で、出なかた」

「ぷっ! 久しぶりって! どんだけコミュニケーション障害だ!」

 アリスは少し照れたようにモジモジしながら。

「……えと……さっきは、ども……ありがとござました」

 深々とお辞儀。バキッ!

 俺の後ろの自販機に頭をぶつけてケースにヒビを入れる。咄嗟にかわした俺は、

「あー、さっきのなら別に気にしなくていいから。それよか狭いから気を付けなね、でかいんだからね」

 さて、喋れるとなると聞いてみたいことが色々あるぞ。俺はヒビを入れてしまった自販機を前にオロオロしているアリスに言う。

「大丈夫大丈夫、そのうち韮澤にらさわさんが直しといてくれるから。それよか一つ聞いていいか、お前のその体、RAMって奴だろ?」

 アリスはピクリとして俺の顔を見る。

 RAM(リモートコントロール・オルタナティヴ・マン)とは、電波で操る遠隔操作式人型ドローンを指す略語だ。

 遠隔医療等の平和目的にも使用されるが、最も効果的な使い途は当然ながら兵士の代替。

 現在各国の軍隊が『不死の軍団』を構築すべくこぞって開発を進めている最新陸戦兵器だ。

「という事は、どこかからソイツを操っている『中の人』がいる訳だ。近くにいるのか?」

 アリスは一瞬ビクッとしたあと、うつむいてしまった。

「ああ、聞かれたく無いならいいんだ、よく考えたらマナー違反だしな。じゃあ話を替えて、そもそも、お前、なんであんな奴らに絡まれてたんだ?」

 顔を上げたアリスだったが、嫌な事を思い出したように『うっ!』と一瞬呻くと、また下を向いてしまう。だが今度はちょっと考えたのち、顔を上げてポソポソと話し出した。

「……入学式で、ボクの後ろの席になった彼らが……見えないって……騒ぎ出して……」

 なるほど、ま、このデカさじゃなあ、181センチの俺が遥かに仰ぎ見るデカさなのだ。

「……無視してたら……屋上に行こうやって」

「ちなみに何センチあるんだ?」

「……209センチ」

「まぁ彼等の気持も分からんではないが――あぁウソウソ落ち込むな」

 アリスはシュンとしている。

「これから先、授業が、始まったらと、思うと……」

「いきなり暴力に訴えて来る様なさっきの奴等みたいのは置いとくとして、授業中は確かに困るな、ちなみに一番後ろの席は嫌だったりするのか?」

 アリスはブンブンと首を振って、『嫌じゃない』という意向を伝えて来る。

「じゃあ、それを教師に言って、一番後ろの席にしてもらえば解決だ。言えるか?」

 アリスは一瞬ビクッとすると、両手を体の前でモジモジ動かしては、下を向いたりこっちをチラチラみたりしている。こう書くと一見可愛らしく聞こえるが、現実を正確に描写するなら『鮫の瞳を思わせる深い暗闇を湛えたカメラ・アイでこちらを伺いながら、人を八つ裂きにしそうな長さの鋭利な爪を胸の前で出したり閉まったりしている』となる。

 ハッキリ言って怖い。

 さて、それはそれとして、どうやら恥ずかしいみたいだな。まあ、こういう事をパッパと出来る奴は最初からいじめられたりしないんだ。

 何か他にいい方法あるかな……俺はちょっとだけ考え――ああ、なんだ。

「お前、さっき光学迷彩使ってたろ」

 アリスは俺の言葉に頷きつつも『だから?』と首を傾げる。

「鈍いな、授業中は光学迷彩で隠れちまえば、背の高いも低いも関係ないだろって事」

 アリスはやっと言葉の意味を理解し、なるほど! というジェスチャーをしている。

「……あたまいい」

「普通気付くだろ……」

 まったく不器用を絵にかいた様な奴、何だかこっちが心配になる。

 だがアリスの方はというと心配事が片付いたのがよほど嬉しいのか、小躍りしそうな勢いで、何度も頭を下げて礼を言って来る。

 まあ、いいか。さて、そろそろ鎮目の奴も諦めて帰った頃だろ。俺はまだお辞儀をしているアリスの羊頭を手でポンポンと軽く撫でる、ステルス塗料のザラザラとした質感。

「じゃあな、もう、絡まれんなよ」

 俺は背を向けながらそう言い、アリスと別れた。直後、言い忘れていた事に気付き、

「ああそうだ、あの餓鬼どもがまたチョッカイ出してきたら──」

 俺が振り向くと、もうアリスは奥の階段に消えて行く所だった。

 せっかちな奴、だがなかなか面白いキャラクターだ。

 ま、あんだけ目立つんだ、また会えるだろ。俺は飲み終わって持て遊んでいたコーヒー牛乳のパックをゴミ箱に突っ込むとぷらぷらと一人帰路についた。

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