王女の秘めごと

天海りく

初恋を叶える方法(初出2015.8.12/ビーズログ文庫)

プロローグ


 メデリック王国は大陸南西部の位置する、大きくもなければ小さくもない国である。貧しくなく飛び抜けて豊かでもなく、全てにおいて中くらいのこの国で唯一の特徴といえば王位継承者を選挙で選ぶことだ。

 そして王位継承選挙第一次投票の結果が出た現在、各陣営が順繰りに夜会を執り行っている華やかな時期だった。

 投票権を持つのは十六歳以上の貴族の男子のみある。およそ六百万の国民の内、約五千の有権者のひとりであるギデオン・バルザックは、現状第二位であり、今回の選挙でたったひとりの王女となるアレクシア陣営の夜会に訪れていた。

「さすがに、コルベール侯爵家といったところか……」

 選挙参謀となるアレクシア王女の伯父であるコルベール侯爵家の屋敷は、想像していたよりもずっと華々しい。

 大広間の天井につり下げられた大きなクリスタル製のシャンデリアが、名画で飾られた壁や鮮やかな色彩で着飾った人々を照らしている。

 その中でギデオンはひとり異質といえば異質だった。

 金糸や銀糸、目の眩むほどの宝飾品や羽根飾りをつけて、煌びやかに装うのが流行だ。しかしギデオンの装いは紺の詰め襟に、銀糸で刺繍飾りを施しただけの質素なものだった。

(似合わないのだからな……)

 あまりにも地味すぎると友人に流行の服を着せられたものの、猪に孔雀の羽を突きさしたようだと大笑いされ、それ以来は無理に似合わない服を勧められることはなくなった。

 財務官僚を務める傍ら、趣味の狩りと乗馬のために鍛えられたギデオンの体格は優美さからはほど遠い。

 生真面目そうな面立ちは整っているといえば整っているが、やはり華やかさの欠片もなく、短く整えた鳶色の髪がさらに地味さを強調していた。

 まだ二十三と若い盛りのはずのギデオンは、真面目で堅物な性格から滲み出る雰囲気と外見で三十過ぎに見られることもしばしばだった。

「バルザック卿、先日のバスティアン殿下の夜会でもお目にかかりましたな。貴公も全ての夜会に出るおつもりですか」

「思案中です」

 顔見知りに声をかけられて、四日前に行われた現在第一位のバスティアン第二王子の夜会に出席していたギデオンは無難に返す。

 王位継承選挙は最年少の候補者が十六になるか、最年長の候補者が二十六になる年に、王を中心に据えた選挙管理委員会が設置されて二年かけて計五回執り行われる。王子、王女らは得票を見て駆け引きし、投票する貴族らも途中経過を見ながら最終的に誰に投票するか吟味する。

 五人の王子と一人の王女が立候補した今回の第一次投票は順位がついているとはいえ、各陣営そう差はない。第二王子のバスティアンが二位を十八票引き離して一位、残る二位から五位までは一桁の僅差だ。ただし六位の第五王子は諸事情により、落選確実と見られているが。

 貴族達はこうして夜会を渡り歩き、誰がどの陣営につくのか様子見をするものだ。あるいはすでに主君を定め敵地視察の目的で夜会に臨む。

 ギデオンの目的は後者だった。第一回の投票は第二王子にしたのだ。彼の命でアレクシア第一王女陣営に潜り込んでいるのだった。

(王女殿下はどこにおられるのだ)

 挨拶がすんだ後アレクシアの姿はどこにもなかった。来客と談笑しているかと思えば、まるで姿が見えない。

 とにかく内偵として、まずは相手の懐深くまで潜り込まねばならない。

 ギデオンはすれ違う人に王女の居場所を訊ね、中庭に出たのを見たという話を頼りに薔薇の匂いが立ちこめる庭へと出る。

 紅白の薔薇の生け垣を抜け、月と蓮を浮かべる小池の脇を通って、今は花がない躑躅の生け垣の側で男女の声が聞こえて足を止める。

(アレクシア王女殿下……)

 こっそりと茂みの隙間から覗き込めば、ひと組の若い男女が近い距離にいるのが見えた。黒髪と赤いドレスの女の顔は確認できないないものの、十七になるアレクシア王女だと確信できた。

 青年は煌びやかな衣装がよく似合う、貴族のひとりだ。

「いけない。大切な紅が落ちてしまうわ」

 楽しげに笑う少女の声は無邪気なものだった。

「塗り直せばよいでしょう。同じものはいくらでも贈りますよ、未来の女王殿下」

「最初の贈り物は特別なものですのよ。代わりなんてありませんわ。あなたにとっては特別ではないの……?」

 拗ねたようでいて寂しげな声はただ聞いているだけのギデオンですら、胸を締め付けられる気分になった。

「特別ですよ。王女殿下は時々子供のようだ」

「そうね。口づけすら怯えるなんてまだ子供だわ。……本当はもっと特別な夜にしたっかたの」

 アレクシアが躊躇いがちに言葉を止める。

「まだ王位につけるかもわからないうちに、あなたの将来を台無しにしてしまうのも、この想いが遂げられなくなるのも恐いわ。次の投票はもっと頑張って、お兄様に勝ってみせますわ。それまでは口づけはここではいけない?」

 おずおずとアレクシアが青年へ白い手を差し出す。青年が返答の代わりに跪き、恭しく手の甲に口づけを落とした。

 アレクシアが口づけられた手を大切そうに胸に抱く所作が見える。

(出づらい……)

 睦まじい恋人同士の逢瀬を覗き見する格好となってしまったギデオンは、青年が去ってもじっとしてた。

 しかし実際はそんな甘いものではないと知っているので、思い切って茂みから出る。

「まあ。ギデオン様。いけない所を見られてしまいましたわ。内緒にしてくださるかしら?」

 月明かりの下でアレクシアが悪びれた様子もなく微笑むと、ギデオンはつい見とれてしまう。

(やはり、お美しい……)

 花の顔とはよく言ったものだが、彼女の美しさは薔薇にも芙蓉にも勝るものだった。

 流れる漆黒の髪は絹糸のごとく滑らかで、花束を象った真珠と珊瑚の髪飾りをつけているだけなのに華やかに見える。悪戯っぽい無邪気な輝きの奥底に知性を秘めた翡翠の双眸は、今まで見た宝玉よりも輝かしい。

 月明かりに映える白い肌、紅に彩られた瑞々しい果実のような唇。

 どれをとってもアレクシアは美しい少女だった。身に纏っている深紅のドレスが完璧さを際立たせている。

「……内緒も何も、彼ならば慎重に今夜の一件を近しい者に話し、票集めに奔走するでしょう」

「ええ。誠実で賢い方だから未来の女王の夫となるために、たくさんの票を集めてくださるわ。それより、あなたが来てくださるなんて驚きましたわ。てっきりバスティアンお兄様に決められたとばかり……」

 アレクシアがギデオンの正面へと近づいて来る。

「いいえ。あなたが女王となる姿も見てみたいと思っております」

「まあ。嬉しい。あなたのことは諦めてしまわなければと思ってましたのよ。わたくしの夫になりたいとも思ってくださっているのかしら」

 アレクシアは選挙に勝てば当然女王となり、次の選挙のために複数の夫を持ち父親違いの子供を作らねばならない。つまり先ほどの青年とのやりとりは、次期女王の夫という釣り餌で票を獲得するための駆け引きなのだ。

 そうして自分も彼女にとってはただの『票』でしかない。

「……もちろん考えてはおります」

 期待を含んだ視線に、ギデオンは曖昧に答える。

 遠目で見るばかりだったアレクシアと初めて言葉を交わしたのは、二年ほど前の夜会だったか。

 幼い印象が強かったアレクシアを間近に見た時、彼女が自分の妻となり生家の庭で母のように子供達に絵本を読み聞かせている幻想を見てしまった。

 つまるところ一目惚れだった。

 もしアレクシアが王女でなければ、贈り物と添える手紙のことで毎日頭を悩ませていただろう。

「何番目の夫がいいかご希望はあるのかしら?」

 無邪気な笑みを浮かべたアレクシアが首を傾げる。

「……そこまで具体的には」

 ギデオンは一目惚れの後に一瞬で失恋した痛手を思い出して眉を顰める。

 彼女に求婚するということは、子供ができれば寝室から追いやられる夫になるということだ。

 あるいはアレクシアの唯一の夫になるつもりで求婚するなら、選挙で落選しろと言うも同然になる。王女は選挙の立候補を辞退する権限はあれど、実際には幼少期から母方の生家が女王となるべく教育するので当人に拒否権はない。

 それ以前に選挙で負けた王女は他国に嫁ぐのが常だ。

 一臣下の身で王女と結婚など、夢のまた夢。

「お決めになったらすぐに教えてくださいね、ふふ、ギデオン様は今日も素敵なお召し物ですわね。生地も仕立ても素晴らしいわ」

「いえ。流行に疎くお見苦しい」

「安い仕立てを飾り立てているよりずっとこちらのほうがよろしいですわ」

 アレクシアがさらに距離を詰めてきて、ギデオンは視線のやり場に困ってしまう。

 彼女の顔を見ようとすると、大きく開いた胸元の今にも布地から零れ落ちそうなふたつの白い膨らみと、深い谷間が目に入る。

 ここ数年のドレスの流行は、胸を盛り上げ谷間を見せるものだった。

(布地の節約になるが、女性とはもっと慎み深くあるべきだろう)

 倹約は素晴らしいものだが必要なものまで削るのは美しくない。

 自分の衣装も派手さこそないものの、家の名誉を穢すようなみすぼらしいものはけして身につけていない。

「あら、このカフスも綺麗。こういうのも宝探しみたいで楽しいわ」

 アレクシアがギデオンの手をさりげなく取って、家紋を彫り込んだ象牙のカフスを眺める。

 少し屈む形になってさらに胸の谷間がよく見えるのと、小さな掌の感触に嫌でも動悸が激しくなってくる。

(落ち着け。罠にはまってはならん。俺は、主命でここにいるのだ)

 無垢な口調や表情は作り物ではないが、アレクシアの行動は全て計算尽くだ。

 あどけない少女の愛らしさと、狡猾な女の側面に誰もが惹き込まれていく。どこまでが本当で嘘か。見極めようとすればするほど深みに入り込んでしまう。

「ギデオン様、どうされたの?」

 つい胸元に落ちていた視線を拾われてしまい、子供の頃につまみ食いをして偏屈な料理長に見つかった時と同じ気分になった。

「う、あ。お、お寒くはないかと」

 今は夏である。もう少しまともな言い分はなかったのかと自分に説教したくなる。

「夜気は少し冷たいかもしれませんわ。寒いと言ったら、暖めて下さる?」

 アレクシアが悪戯めいた笑みを浮かべて体を寄せてくる。ふたつの豊かな膨らみの感触が分かりそうな程に。

「う、上着をお貸しします!」

 ギデオンは思わず声をはね上げ距離を空ける。彼の顔は月明かりでもよく分かるほど真っ赤になっていた。

(女性とは貞淑であるべきである。と同時に男もまた礼節を尽くし同じく貞淑でなければならない)

 自分を落ち着かせるためにギデオンは自らの信条を心の中で唱える。

 だが女性の手を握るのでさえダンスや馬車の乗り降り程度でしか経験がなく、その相手も大抵が母や妹である自分にはいろいろと限界だった。

「とてもお優しいのね。だけれど素敵な上着をお借りするほど、寒くありませんわ。……いけない、すっかりお話に夢中になってしまいましたわ。他のお客様がお待ちなのでわたくしはこれで失礼いたします。次にお目にかかる時は、もっとゆっくりお話しいたしましょう」

 アレクシアの方から立ち去ってれて、ギデオンは胸を撫で下ろしつつため息をつく。

 こんな調子で内偵が務まるのか、果てしなく不安だった。


***


 ギデオンと別れて上機嫌なアレクシアは、彼が隠れ潜んでいた茂みとは反対側の生け垣の裏に回る。

「サリム、今日はふたりも夫が手に入ったわ」

 そしてアレクシアは皿を持って、待ち惚けををくらっていた少年に声をかける。

 背の半ばまで流れる金の髪をひとつに纏め、退屈そうな顔もすらも美しく整った少年はひとつ年下で十六になる弟、第五王子サリムである。

 最初の青年を上手くあしらうことが出来なかった時に、逃げる口実役としてここで控えていてもらっていた。

「バルザック卿は、バスティアン兄上の内偵でしょう」

 サリムが呆れた声で言う。

「でも、バスティアンお兄様から最初に奪う票としては簡単そうでちょうどいいわ。ギデオン様を動かせば今の票差は埋められるもの。タルトをちょうだい」

 アレクシアは皿を受け取って、添えられているフォークで桃のカスタードタルトの端を突きさす。

 ギデオンが自分に鞍替えして入る票は一票だけではない。バルザック侯爵家は建国以来の名門。有能な官吏を数多く輩出し、ギデオンもそのひとり。後の財務大臣候補ともされる男だ。

 彼が動けばその権力の傘下に入らんとする中小の貴族の票も一緒に動く。

 これが選挙に勝ち抜くためには必要なことで、そうして王位継承選挙の意義でもある。

 王位継承権を選挙で決める、というのは建国時からではない。

 きっかけは王家の外戚となった貴族が権力を一手に集め、三代に渡って政権を独占し国は腐敗した。

 八代前の王がこれを自力で再建し、二度と過ちは繰り返してはならないと出自が異なる五人の妻を迎えそれぞれの子を選挙で争わせたのが始まりだ。

 一度候補者王を輩出した家は三代にわたって王の伴侶になれず、選挙の度に内政の勢力図は激変する。有能な王による安定した治世と、長期に渡る一家独裁を防ぐために選挙制度はある。

 選挙によって社交界という戦場が生まれたが、現在のメデリック王国はほどよい競争心の上で発展している。

「流行遅れの格好と同じく、頭も古めかしい方ですが」

 流行の洒脱な衣装を難なく着こなしているサリムが、不服そうに碧玉の瞳を向けてくる。

「そこがお気に入りなの。宝探しができるもの」

 夜会の度にギデオンの衣装を眺めるのは、ちょっとした楽しみだった。目を惹く華美さはなくとも、ボタンのひとつすら手を抜かず質のいい品を使っているのを見つけるが楽しい。

「姉上、紅がとれますよ」

 タルトを口にしようとすると、サリムがからかう口調で言う。

「大丈夫よ。後で塗り直せばいいもの」

 アレクシアはまるで気にすることもなくタルトを口に入れた後、サリムにも一切れ差し出す。

「自分で食べられます」

「駄目。ちゃんと良い子で待ってたご褒美だからわたくしが食べさせないと。それにお皿ごと渡したら全部食べてしまうじゃない」

 アレクシアは弟から皿を離してむくれる。

「……姉上の分まで取ったのは子供の時の話です」

 サリムが文句を言いながらも、素直に与えられる分だけ食べていく。

「ギデオン様は何番目の夫がいいかしら?」

「姉上の最初の夫は僕なのを忘れないで下さいよ」

「ええ。それが一番のご褒美でしょう」

 タルトを三分の一ほど残してアレクシアは手を止めて微笑む。

 サリムは第六王子となっているが、実際の所は王弟の第二子。アレクシアから見て従弟にあたる。

 王弟が没した時にサリムの母は懐妊していたが、現国王は腹の子ごと引き取った。それほどまでに美しいサリムの母に惚れ込んでしまったのだ。

 そしてふたりの結婚後に、サリムは王弟の子でありながら王の子として産まれた。

 異例の候補者であるの彼が票を得られる可能性は低く、男児は必ず立候補しなければならいという決まりに従っているだけだ。現在サリムに入っている票も、まだ誰にするか未定の者が仮に入れているにすぎない。

 歳が近く幼い頃から一緒にいることが多いアレクシアは、サリムを従弟の立場に戻して夫に迎える条件で早々に協定を結んでいた。候補者同士が協定を結ぶことは票差が歴然としてくる後半でよくあることで、珍しいことでもない。

「忘れないで下さいね」

「もちろんよ」

 アレクシアは残ったタルトを自分で食べながら、最後の一切れをどうするか考えて結局自分の口に運ぶ。

 母には目的を達するまでは全てを与えてはいけないと、昔からよく言われている。

「ギデオン様には夫になる以外に何がご褒美になるのかしら」

 どうすればギデオンに投票用紙へ自分の名前を書く気にさせられるかで頭をいっぱいにしながら、アレクシアはサリムを伴い賑やかな夜会の中へと戻って行った。







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